カオルの邂逅旅記

しろたんたんめん

子宮と金魚

 
 カオルは、母親を思い出していた。二人の母親を思い出していた。

 相変わらず意識はぼんやりとしている。耳元の電車の音がおかしい。まるで水に潜った状態で聞いているような、遠い音が響いている。

息は相変わらず浅い……。おもわず カオルは目を開けた。

 真っ黒いトンネルは抜けていた。かわりに電車の中は青と赤い色で光輝いていた。

 電車の窓という窓には、青い海の輝きで溢れ、その周りにはたくさんの美しい金魚が優雅に泳いでいた。

 カオルは目を見開いたまま、表情一つ変えず、ただただ見つめていた。

 青い海のそこに金魚が泳いでいる……。ありとあらゆる種類の金魚が美しく泳いでいる。

 カオルはそれを見つめていた。ただ、見つめ続けていた。

 金魚は美しい、まるで錦鯉のような柄、真っ赤な深紅の金魚、時々怪しく煌めく黒……。

 青い色は、まるで南国の透明な海の底のように美しく輝いている。

 まるで地球上のすべての美しい光をつめこんだかのような美しさだった。

 しかし、カオルはただまっすぐ前方を見つめていた。金魚の先を見つめていた。

 周りの激しい景色はカオルの視界の端でだんだんと、狭まっていき、だんだんと広がり、完全に電車が消えていった。その流れで、カオルの、カオル自身の体も、包み込まれ消えていくかのようだった。

 カオルはそれでもただ変わらず前方を、まるで睨み付けるかのように見つめていた。

 耳の音はまるで水中の中にいるような独特な音としてカオルの中に鳴り響いている。

 前方には二人の人影が見えている。

 カオルはその二人を見つめ続けた。

 二人、右側にたっているのは男の人だ。祖に左側にたっているのが、女の人だった。

 女性は椅子に座っており、男性がたっている。
 
 なぜだろう、カオルは全く移動していないのに、少しずつその人影が大きくなっていく……。

 声が聞こえる……。

 女性はお腹をなでている。大きくなったお腹をなでながら優しく微笑んでいる。

 どうやら子供がお腹にいるようだった。

 二人の目の前には大きな水槽があった。

 「最初は反対だったけど、でも、やっぱり来てよかった……」

「そうだね……。」

「私はあなたに迷惑をずっとかけていたのかもしれない」

「本当にそんなこと思ってたの?むしろ僕の方こそ迷惑かけたのかとおもっていたよ」

 カオルは耳を済ましている。

 「そんなことないよ。確かに最初は反対していたけど、でも、今は本当に幸せだもの……」

 「そうかい?ならよかった……」

男性はそういい、静かに女性の肩に優しく手をおいた。

 「僕は、どうやったって、君の代わりにはなれないから」

 「そうだね。でもそれはお互いさまよ」

 「……。そうだね……」男性はその時、どこか悲しそうに笑っていた。

 カオルはまるで、たった一人でうずくまり、誰も知らない宇宙に浮いているような、そんな感覚がした。

 まるでたった一人、暗い宇宙でぽつんと浮かび、そこからこの二人を見つめているかのような奇妙な感覚があった。

 「君はこの子にどういうことを願う?僕らのたった一人の大切な子……」

 「うん……、もうただ無事に生きてくれる……。ただそれだけでいい」

 「そうだね。それが確かに一番重要かもしれない」

 「うん。……そうね……、たった一つだけ、願うとすれば……」

 カオルはモゾモゾして体を動かした。

 「あ……、今動いた」

その女性はとても嬉しそうに笑った。

 「元気一杯だね。よかった、安心するよ」

「本当に……。」

「で?何を求めてるの?」

「そうね、簡単なことよ。たとえ大変なことがあったとしても、たくましく生きてほしい。だってこの世界には、本当に辛くて大変なことが一杯あるから」

 「うん……。」

 「だから、それがまずとても大切だと思うの」

「そうだね。」

 「でも、それだけじゃないの。たとえどれだけ辛く、苦しいことがあったとしても、ただ単に目を閉じないでほしい、なにも感じ取らないように自分を閉じないでほしいの。きっと世界には本当に大変なことがたくさん敷き詰められているけれど、きっとそれ以上にたくさん、きれいなものを見つけれることができるから。」

 「そうだね、この景色みたいに」

 「そうなの、閉じないでね。カオル、たとえ辛いことがあったとしても自分の感覚を閉じてしまうようなことはしないで。あなただけの、たったひとつしかない、大切なあなただけの目で、この世界を見つめてね」

 その瞬間景色がザザーッと引いて、カオルは急に重力全体が下に引かれているような、そんな感覚がした。

 カオルは慌てて手を伸ばそうとしたが、二人の映像は黒い影が砂のように上からしたに襲ってきて、カオルは意識を失った。

 次の瞬間、カオルは大阪駅の到着をアナウンスが流れる電車の席に座っていた。

『○○駅、○○駅。○○駅に到着しました。この電車は、ただいま車庫に入ります。○○駅~、○○駅~……。』

 カオルはただただ一人、呆然と座り尽くしていた。

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