ワーウルフ、迷宮に立つ

木嶋隆太

第三話

 リエイルは迷宮に入り、思わぬ苦戦を強いられていた。
 敵はただのゴブリンだが、体は満足に動かない。眼前を過ぎた棍棒に顔を歪める。カウンターに剣を左下から、振り上げるが異常な苦しさを感じいつものキレを出せない。
 ゴブリンを斬ることが出来なかったが、遠ざけることには成功した。ゴブリンが警戒するように棍棒を構えなおしながら、相手を調子に乗らせないようリエイルは目を鋭くして冷静に分析を開始する。
 剣を振る腕は重く、避ける動きにも力が入っていない。ゴブリンが走りだし、リエイルの考えは中断させられる。
 相手に対してカウンターを狙ったリエイルは、ゴブリンの攻撃を正面から受け止める。
 ゴブリンの棍棒を受けた剣は頑丈に耐えてくれたが、下半身、腕が重みに悲鳴をあげる。
「ぐっ……」
 今までこんなことはなかったのに……とリエイルは眉間に皺を寄せる。
 リエイルはうめきをもらし、棍棒を横へと流す。迷宮の地面に埋まった棍棒を見て、リエイルは冷や汗とともに後退して魔法を構成する。
 ゴブリンが棍棒を持ち直したが、その顔に風の刃をぶつけてやり頭を体から引き離した。
 消えた敵を見届けたのちに、残った素材を回収したのちに剣の血を払って鞘へとしまう。
 乱れた呼吸を表に出さないよう、ゆっくりと呼吸をする。
 体が重い。リエイルは昨日空き地での訓練をいつもの数倍の量をこなしていた。それが原因か? とリエイルは顎に手を当てる。
 リエイルの疲労は明らかだ。まだ大して戦っていないにも関わらず、
 戻ろうかとリエイルは考えたが、そんなことをすれば姉にまた心配されてしまうと無理やり歩みを再会する。
 迷宮の五階層に向かっていく。


 ワーウルフの鼻は一つの匂いに気づいた。懐かしい、一度交戦した敵の匂いである。
 ワーウルフは、ひひっと口を裂くように笑みを浮かべてその方角を目指す。やがて、少ししてリエイルの姿を見つけ笑みを濃くした。
 リエイルもワーウルフに気づき、臨戦態勢に入る。ワーウルフは自慢の脚力で一気に加速した後、剣を振るう。
 リエイルの左側をなぎ払うように剣を振るうが、リエイルの剣に阻まれる。ワーウルフは、敵の剣を滑るようにして剣を引き戻し、思い切り突く。
 リエイルは表情を歪ませながらも、左足を引いて攻撃を回避する。
 ワーウルフは攻撃を避けられたことを悲しむどころか喜んでいた。強敵であるのだから、ワーウルフの喜びは天に届くほどだ。
 リエイルは回避しながら、右手に持った剣を鞘にしまうように寝かせる。
 居合いに似た構えにワーウルフは剣を素早く引く。リエイルの剣が肘を軸に加速する。綺麗な弧を描いた居合いをワーウルフは剣で受ける。
 力に頼って受ければ剣は砕かれる。それを自覚しているワーウルフは受けた剣に百の力が乗らないように腕を引きながら、体を右に傾けて回避する。
 リエイルの剣を減速させるために、ワーウルフは剣を操ったのだ。
 両者は一定の距離を保ち、腰を低くしながらにらみ合う。
 リエイルの脳は、ワーウルフの実力が他とは別であることを理解し、ワーウルフも相手との戦いを楽しんでいる。
 先に動いたのはリエイルだ。時間をかければ、今日のリエイルでは負ける確率が高まる。他の魔物を引き寄せる可能性もあるゆえの、短期決戦だ。
 左足を大きく踏み込み、弓のように体をそらしながら剣を叩きつける。ワーウルフはリエイルの左足を狙うために、右側に大きく避ける。リエイルの剣が捕らえようと途中で軌道を変えたが、ワーウルフの脚力がそれを上回る。
 攻撃を外したリエイルは大きな隙を生みながらも、焦りはない。ワーウルフは警戒しながら、突撃し、
「昇れ、ウィンドタワー!」
 ワーウルフの剣がリエイルの足へ届く前に、風の柱が昇る。ワーウルフは大きく打ち上げられ、迷宮の足場に叩きつけられる。ワーウルフは空を自由に飛んでみたい衝動に駆られながら、背中の状態を確認していた。
 トドメのチャンスであったが、リエイルは限界に来ていた両足が崩れる。剣を支えになんとか倒れるまではいかなかったが、トドメを刺すほどの余裕はなかった。
 リエイルの魔法を受けたワーウルフは、何とか受身を取ったことにより大きなダメージは避けられたようだ。
 多少引っかかるように感じながらも、体を起こし、苦しそうにしているリエイルに対して怒りが湧き上がった。
 なぜ、本気でこないのか、舐めているのか、と。
 ――それで終わりか!
 舐めるのはウルフであるワーウルフの仕事だと人間よりも長い舌を見せる。怒りに任せたワーウルフは、剣を強く握り地面を踏み潰すように走り出す。
 油断とまではいかなくても、簡単にあしらえる対象だと思われていると考えたワーウルフの心に火をつけたのだ。
 リエイルが立ち上がり、ワーウルフの振るった刃を受け止める。剣の打ち合いが始まり、火花が迷宮を照らす。
 ワーウルフが振るった渾身の刃はリエイルの喉へと振るわれたが、リエイルは膝を折り回避する。足を狙ったリエイルの剣をワーウルフは飛んで回避し、全体重を乗せるようにリエイルの頭へ剣を落とす。
 リエイルが横に転がり、そのまま魔法を構築する。ワーウルフは表に現れた魔法を感知し、どのような魔法か過去の記憶から掘り返す。
 魔法使いと何度も戦ったことがあるワーウルフは、表にさえ魔力が出ればどんな魔法か分かるのだ。
 相手の魔法はウィンドエッジ。相手を切り刻む弧の形をした斬撃を放つ魔法であるが、ワーウルフには対策があったので走りだす。
 リエイルはそれを見て、馬鹿な魔物だと見下し、ウィンドエッジを放つ。だが、その魔法の威力はワーウルフが予想していたものの数倍下であった。
 何か迷いでもあるかのように、ウィンドエッジがふらつきながらワーウルフを切り刻む。
「なっ!」
 リエイルが放った魔法を左腕を盾にしながら突っ込み、右手に持つ剣を振るう。リエイルの動きは鈍く、それがワーウルフをよりイラつかせる。こんな奴に一度殺されたのかと思うと、怒りがこみ上げてやまない。
 ――本気でかかってきやがれガキ!
 相手の目を覚まさせるような斬撃は何に阻まれることもなく、リエイルの腕へと吸い込まれる。切れ味が悪く、大怪我まではいかない。
 リエイルが血を流しながら魔法を放って、後退する。
 ワーウルフが本気を出さないリエイルに向かって吠えると、リエイルの目つきが鋭い物へと変化していく。
「ただのワーウルフ……じゃないんだね」
 弱い、負けるはずがない敵ではないとリエイルは呼吸を整える。
 恐らくはレアモンスターだろうとリエイルは予想し、無駄に怪我をしてしまった左腕に舌打ちする。
 姉のことで考え事をしていた、訓練で疲れていたなんて、言い訳にもならない。勝者こそが正義となる迷宮で、言い訳なんて出来ない。死ねばそこで終わりなのだから。
 稀に同じ見た目でも普通よりも強い魔物がいる。それらを総称してレアモンスターと呼ぶ。倒した際にいいアイテムを落とす可能性が高いが、リエイルはその状況を喜んでいる場合ではないと肩の力を抜くように呼吸する。
 受けた左腕がぴりぴりと痛むが、忘れるようにリエイルは姉の顔を思い出して気合を保つ。
 思いがけないところで足をすくわれることもあるとはいえ、リエイルはこのままではいけないと剣を持つ手に力を込める。 
 ワーウルフも戦意をなくさないリエイルに対して、警戒を強めていく。
 魔法、剣。どちらもリエイルのほうが上であるのを理解しているワーウルフ。
 だが、ワーウルフには何千何万という殺された記憶――そこから作り出される経験がある。受けた傷、どのように攻撃を回避するか。今までの敵を思い出し、ワーウルフは再現可能な技を順々に覚えている。
 リエイルが左腕から血を流しながら、大きく踏み込んでくる。
 狙いは喉……とワーウルフは回避を取ろうとするが、経験が違うと囁く。
 ――フェイント。ワーウルフはこれまでの記憶と経験から、その囁きを信じる。
 ワーウルフはリエイルの動きに本気を感じながらも、それが狙いではないのを見破る。
 最小限の動きだけで剣を避け、ワーウルフは続く攻撃に備える。
 リエイルはワーウルフに見破られたことを悟り、剣による追撃は行わず、魔法に切り替える。
 生まれた魔法陣、魔力の込め方、流れ。それらから、ウィンドブロウの魔法だと判断し、ワーウルフは敵に向かって踏み込む。
 ウィンドブロウは目の前を風で殴り払うような魔法だ。範囲こそ広いが、威力自体はそこまで大きくない。
 背後に引けば、恐らくかする程度で済むがダメージを負う。
 ならば、とワーウルフは、多少のダメージを覚悟して、相手に致命傷を与える選択肢を選んだのだ。
 リエイルは魔法を見破られ、表情を険しくしながらも魔法を変えることはできない。今からでは、別の魔法に切り替えても不発になってしまい、より追い込まれることになるだけだ。
 より大きなダメージとなるよう、なるべく範囲を狭くして魔法を放つ。 
 ワーウルフの口が予想通りによって歪む。左腕に直撃し、腕が潰されるがワーウルフは構わず剣を強く握る。
 踏み込んだ足から力を捻り挙げるように、最速の突きを放つ。
 リエイルが片手で持つ剣で刃を受け止めようとする。ワーウルフの剣は大したことはない。掠めさえすれば、防ぎきれると判断したのだ。
 ワーウルフは思い切りだした突きを、当たる寸前で減速させる。
 まさか、とリエイルの表情が一気に焦りに染まる。ワーウルフは無理やり止めたことにより軋む筋肉に命令を放ち、腕が切れるような音と共に、刃を縦に振り下ろす。
 フェイントに引っかかったリエイルは今さら防御が間に合うわけなかった。
 ワーウルフは足を斬り飛ばす思いで振るったが、切れ味がないためそこまで深くは斬れなかった。リエイルは目に涙を浮かべるほどの痛みを覚え、その場に転がる。
 相手の足を奪った。これにより戦況はワーウルフが確実なものとなる。
「死んで、たまるかっ!」
 だが、リエイルはまだあきらめていなかった。
 リエイルは足をかばうようにして立ち上がり、剣を持つ。その目は赤く染まり、ただ生きるためだけに立っている。
 ワーウルフの肌が焼かれるような気にあてられる。相手の本気の意志を感じ、ワーウルフはぺろりと舌を出す。
 ――面白い。
 人間の成長は戦いながらでも起こる。
 さっきとはまるで別人のような気迫にワーウルフは臆さずむしろ状況を楽しんでいた。
 そこからはノーガードの戦いが始まった。
 ワーウルフの左腕が深く斬られる。逆にワーウルフはリエイルの足をさらに斬りつけた。
 リエイルは反撃とばかりに剣を振るい、ワーウルフも同じく振るう。
 先に倒れたのはリエイルだ。
 痛みをほとんど感じないワーウルフとは別に、リエイルは明らかに苦しみ剣を支えに崩れ落ち、手から剣をこぼした。
 リエイルは、痛みに顔をゆがめながら魔法を発動して治療を開始する。これ以上戦うには治療が必要だったからだが、もちろん間に合うとは思っていない。
 ワーウルフはリエイルに近づいていく。
 ――人間か。
 ワーウルフはその存在に大きな期待を抱いていた。
 リエイルは殺されると思い、強く目を瞑った。だが、痛みは襲ってこない。痛みを感じずに死んだのか? リエイルは瞳を開けたが、先ほどと景色は変わっていない。
 ワーウルフはリエイルに手をかけずに、剣だけを奪った。軽く握っただけで、その剣が上等なものだと思った。
 ワーウルフにも心境の変化が生まれていた。人間に殺されることが嫌で、力を望んでいた。だが、相手の命を支配する権利を手に入れたところで、より強い相手を欲するようになった。
 その強い相手。強敵手となりえる少年を殺すのは勿体無いと感じたのだ。
 殺してしまえば、次に少年のような才能のある人間が育つのにどれだけがかかる?
 殺すために初めは怒りを抱えていた。だが、今のワーウルフは違った。
 リエイルという強敵との出会いにより、殺すことは無価値と考えた。
 なにしろ、ワーウルフにとって寿命はないようなものだ。死んだとしても、その記憶は蓄積されていき何度でも強敵と戦える。
 死の心配がないワーウルフにとってリエイルを殺す価値は無に等しい。相手を殺すとは、相手に恐れるからであり、ワーウルフは恐れる必要がない。
 少年が死ねばどうなる?
 ワーウルフはその疑問の解答を獲得できるような知識は持っていない。
 一つだけ確かなのは、二度と少年と戦うことができない。少年と似た人物とは出会えるかもしれないが、似ているだけだ。
 記憶が蓄積されることにより、知能もあがったようでワーウルフはリエイルの生死の価値を冷静に分析できるようになったのだ。


 新たに強敵と出会うのを待つよりかは、こうして生き残らせたほうがいい。ワーウルフがその決意を固めたところで、リエイルの元に、別のワーウルフが迫る。
 同じ種族であり、仲間であるはずのそいつに対して、怒りが湧き上がる。
 ――こいつの命はオレのものだ! 勝手に手を出すんじゃねえ!
 ワーウルフが吠えると、迫ってきたワーウルフがびくりと肩を震わせる。それでも、リエイルをくらおうとしたそいつを、ワーウルフはいとも簡単に切り伏せた。
 同じ種族だろうと、強さの差は明らかだ。
 リエイルから奪った剣は軽く何より切れ味があった。
 守られたことにリエイルは驚いて、魔物相手に話しかけた。
「……僕を守ったのか?」
 ワーウルフは言葉の意味を理解してこくりと頷く。
 お前との戦いは何よりも嬉しかった。次に戦うまでにもっと力をつけやがれっ。
 と、ワーウルフが吠えたが届くわけがない。それでも、リエイルは見逃されているという悔しさを胸に抱えながら、足の応急処置を終えて逃げていく。
 ワーウルフは去っていくリエイルの背中を見送りながら、剣を持ち直す。
 ――もっと強くなれ。その時にまた戦おう。
 ワーウルフは相手を倒した証明として武器だけをもらっておいた。 
 ワーウルフは今日も強くなるために相手を求めてさまよい続けた。


 負けた。リエイルは忸怩じくじたる思いのままに迷宮を情けなく駆けていく。ゴブリンが襲ってきても対抗する手段を持ち合わせていなく、ただただ逃げるだけだった。姉に散々余裕であると言っておきながら、魔物に命を助けてもらった。屈辱だ。
 リエイルは走りながら涙をこぼす。目の前を邪魔する魔物を魔法で切り裂く。
 まだまだ、力不足であった。もっと鍛えなければ、姉に合わせる顔がない。
 リエイルは、さらに強くなることを希望し、迷宮を抜け出す。
 次こそ、あのワーウルフを殺すために。



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