黒鎧の救世主

木嶋隆太

第七十話 結末への受難



「この階層も余裕が生まれてきたな」


 智也は迫ってきた黒いサルを切り伏せてそう呟く。智也の表情は余裕に包まれている。
 彼らがいるのは四十九階層。全員のレベルが三十七を越えた辺りで、アリスですら一対一を出来るほどになっていた。


 魔法で弱点をつけばよりラクに倒せてしまう。智也、クリュは別のことをしながらでも倒せるほどである。
 智也は鈍い銀色をした腕時計に視線をやる。迷宮に入ってから三時間ほどが経過している。


「そろそろ外に戻ろう」
「そうですね」


 アリスは顎に伝う汗を拭いながらにこりと微笑んだ。荷物もちとして背中には大きな鞄を背負っている。荷物を背負った状態でもアリスは戦えるので、活躍ぶりではこの中で一番だ。
 智也たちならば、荷物の重さにより動きが阻害されてしまう。


「クリュもいいだろ?」
「ええ、もう、十分楽しんだわ」


 クリュは首を傾けて可愛らしく微笑んだ。その様子になれない智也は頬を掻いて、僅かに汗をたらす。
 ヘレンと和解してから、クリュの持つ棘はかなりなくなった。先が削られたように柔らかい表情や性格を見せるようになった。
 北の国を出てから少しずつ緩和されていたが、それが一気になくなったのは智也の心臓に優しい環境になって嬉しいことだ。だが、なれない。別の人間に相対しているような違和感がつきまとうのだ。


 アリスに触れて、ジャンプで塔迷宮の入り口へ向かう。ワープでもいけるのだが、塔迷宮を出るときは基本的にこれだ。
 外に出ると、生暖かい風が肌を撫でる。
 これから一層熱くなるので、家の温度を下げる魔法道具が欲しいところだ。
 智也は一つ伸びをしてから、歩き出し後ろについてきていたアリスが普通の会話をするようにそのことを呟いた。


「トモヤさんは、なぜ塔迷宮の最上階を目指すんですか?」


 アリスの質問に智也の表情が固まる。最近では考えないようにしていたことだ。アリスも智也の様子から少しまずったかもと表情を悪くしているが、智也はそれを止めるように言葉を出す。


「……そういえば、言ってなかったな」
「あの、えっと、なんかまずいことでしたか? 嫌なら別にいいですよ……」


 アリスがおどおどと手を動かして、智也は表情に出してしまった自分にため息をつく。
 まずはアリスの心配を取り除かなければと、智也は重い口を動かす。


「いや、別に、そういうわけじゃないんだ」
「そうなんですか? そのわりに顔色が悪いですよ?」


 いつまでも、黙っているわけにもいかないだろうと智也は悩む。
 最上階に着いて、本当に地球に戻れるのならば、ゆっくり説明している時間はないかもしれない。
 もう二度と会えなくなる可能性だってある。以前のように説明なしに消えるような真似はしたくなかった。
 だが、親しくなりすぎたせいで、逆に智也の口を止めてしまっている。
 別れたくない思いも智也には確実にあるのだ。


 塔迷宮は何階まであるか分からない。だが、五十階層は一つの区切りとして考えられると思い、智也は前々から話そうと思っていた。
 アリスとクリュに伝えた場合、二人がそれを受け入れてくれるかが心配だった。


「俺にとって塔迷宮の最上階は、かなり重要な意味があるんだ。だから落ち着ける場所で……そうだな。昼食のときに話すよ」
「……そうですか」


 どこから話すべきなのか。情報の出し方に迷っていた。
 異世界の話など、どこから話しても胡散臭い。普通ならば信じられないだろう。
 智也たちはギルドに寄り、涼しさに頬を緩めながら素材を売る。一週間ほどの狩りで、すでに家に払った代金は返ってきてるようなものだ。
 本当に異世界では規格外の存在である。異世界に未練が生まれたのはこの稼ぎも一つある。


「おーい、トモヤくーん、一緒にパーティー組まないか?」
「いやいや、こっちが先だろ? なっ! 今日くらいいいんじゃないか?」
「すみません。午後は色々と忙しいので」


 ギルドでは、いつも通り他の人たちに絡まれる。智也はまたかと頭を押さえたい気分にかられたが、苦笑に留めておく。
 最近では高い階層の素材を持ち帰るため、ギルドでもパーティーに誘われることが増えてしまったのだ。高階層を目指すのなら避けては通れないことなので、智也はそれらをやんわりと断っていく。
 相手の人たちも無理やりどうこうしようとはしない。智也のほうが実力は上だと分かっているからだ。
 だから、智也も堂々と断っていける。


「アリスさんかクリュさんだけでも!」


 二人は容姿が整っているので、パーティーにいるだけでもテンションが上がるだろう。特に男たちの。
 智也は二人については強制するつもりはない。


「だそうだ、アリス、クリュどうする?」
「嫌です。体臭がきついです」
「……」


 アリスの一言に数人の男たちが潰れた。はっきりと言うな……と智也は苦笑いを浮かべながら気づかれないように自分の腕に鼻を近づける。よく分からないようだ。
 その中でも比較的自分の匂いに自信がある人たちが近づいてくる。


「あたしも嫌よ。トモヤ以外と組むつもりないから」


 クリュもきっぱりと断って、智也の横に並ぶ。その目が信頼しているのが分かる。
 智也はすいませんと頭を下げて、ギルドの外に出る。相変わらずの蒸し暑さにギルドに戻りたい気分だったが、あそこはあそこで暑苦しいかと頭を切り替える。


 智也はこれ以上メンバーを増やすつもりはない。
 今いる三人で十分通用するので、無駄に増やして危険を増やしたくない。
 天破騎士レベルなら歓迎だが、ギルドにいるのはほとんどがアリス以下だ。


 ギルドから家までの道はもう何度も通っている。途中、冷却魔法装置を見に行く。これから暑くなってくることを考慮して、購入しようか悩んでいるのだ。
 智也は冷却魔法が書き込んである魔石だけを購入して、ひとまず効果を試してみることにした。
 リビングについた智也は魔法陣を展開して、その陣の綺麗さに目をキラキラとさせる。魔法陣を頭に叩き込んだ後に、魔石の魔法を発動させる。部屋は蒸していたが、次第に暑さも和らいでいき、ギルドと同じような涼しさを体感していた。
 これだけの効果があるのなら、購入しても悪くはない。智也は満足そうに頷いて、テーブルに座る。
 昼食の用意はアリスがすぐに終わらせてくれる。
 食事を始めて、アリスとクリュがちらちらと智也に視線を送り、智也は箸を置いて二人を見る。


「さっき言った俺のことを話すな」
「はい」
「……」


 クリュは咀嚼を繰り返しながらも顔をちらちら向けているので、それを返事に切り出す。


「俺は……異世界の地球って世界から来たんだ」


 この言葉を切り出すだけでも、どっと疲れが襲った。これから細かく話していくのを考えるとそれだけでやめたくなる。


「異世界、チキュウ……ですか?」


 この世界では異世界という概念はそこまで広まっていない。アリスが顔にハテナを浮かべているのも当たり前だ。


「いまいち分かりにくいかもしれないけど、こことは全く別の世界にいて、俺はそこに戻るために塔迷宮の最上階を目指しているんだ。俺はこの世界では生まれていないってことだ」
「そんなとこが、あるんですか?」
「俺の世界では、そういう設定の物語とかは結構流行ってて、知ってる人も多いんだ」


 図書館にも本はあったが、アリスは文字を読めないから知らない。
 アリスは明らかに動揺を浮かべ、クリュも手が止まり、顔をうつむかせる。
 ショックだったのかもしれない。そう思ってもらえることに智也は嬉しさを感じながらも、申し訳ない気持ちで一杯になる。
 二人の質問に答えようと思ったが、何も返事がないので口を開こうとしたら、アリスがいった。


「塔迷宮の最上階には、色々な言い伝えが残ってますよね」
「ああ、それが俺の目的だ」


 アリスはそうですかと呟き、クリュがフォークを置く。


「あんた……戻っちゃうの?」


 クリュが珍しくおろおろとした表情で目が震えている。クリュらしくない表情にぎょっとしながら、智也は毅然と頷いた。


「ああ、戻る。戻りたい、と思う」


 今は迷っているが、戻る意志があることだけは伝えておく。後で別れが寂しくならないように。
 智也の返事を聞いたクリュは、大きく息を吐き出しながら天井を見上げて額に手の甲を当てる。


「ふぅん、そうね。まあ、戻りたいわよね」


 クリュはそれきり何も言わない。ひとまず、簡単に事情を伝えることは出来ただろう。


「少し、複雑ですね」
「アリス?」


 アリスはクリュのほうをチラと見てから、鋭い眼差しになる。


「私からすれば、応援したい思いもありますけど。でも、もしも戻れたら二度と会えなくなると思われますよね?」
「たぶん、な。俺は地球で異世界人に会ったことなんてないし」
「私も、こんな話を聞いたのは初めてです」


 二人は驚きながらも、受け入れてくれているようだ。よかったと安心しながら、まだ固まらない考えにため息をつく。
 智也はまだ、決心はできていない。
 智也は自分の中にあるその思いは口には出さないでおいた。それを二人に伝えても迷いを生むだけだと分かっている。引き止められれば、どうなるか分からない。
 これは一人で考えるものだと智也たちは食事を終えた。


 午後は精神状態も微妙なこともあり、各自自由行動になった。
 智也は部屋でごろごろとしながら、魔石に魔法を書き込んでいる。
 最後の最後にどうするか。その時までにどちらの世界で生きるのかを決めなければと智也は魔石に一つ書き終えたところで、その魔石を置いて目を閉じた。
 突然の睡魔に、身を任せて。



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