黒鎧の救世主

木嶋隆太

第六十七話 素直



 あれからクリュは明らかに元気をなくした。塔迷宮に連れて行ってもボーっとすることが多く、このままではいつ大事件が起きるかわからない。
 そうなる前にどうにかしたいのだが……と智也は部屋に置かれたネックレスを手に取った。
 こうなると、クリュがこのネックレスをここに置いたのも、こういう展開になったときに見ないためであったようにすら思ってしまう。


 まずは、このネックレスをクリュに返すべきだ。


 ――コンコンコン……。
 部屋の扉が叩かれ、智也はベッドから起き上がる。そろそろいい時間で智也も眠ろうか迷っていたところだが、クリュかもしれない。
 扉を空けると、アリスがいた。期待とは少し違い、智也は表には出さないが、静かにため息をついた。


「トモヤさん、少し時間いいですか?」
「ああ、そうだね。大丈夫だよ」


 風呂上りのせいか、ほのかに香る匂いは落ち着きを与える。部屋にはベッド以外の家具はないので、ベッドに並んで座る。
 アリスが殺風景な部屋を見回す。


「トモヤさんは、ほとんど家具を買わないですよね? 今度一緒に見に行きませんか?」
「いや、いらないよ。いつこの家も出ることになるか分からないからな」


 多く買ったとしても買える時にはすべてがいらなくなる。地球に戻るときに、今まで助けてくれた分アリスやクリュにはお礼がしたい。
 といっても、金くらいしか智也には用意ができないので、ほとんど金を使わないでいた。


「それは、いつかは私たちと一緒に塔迷宮に入る日が来なくなるってことですか?」


 アリスの表情は少し沈んでいる。否定して、安心させたいがはっきりしなければならない。


「……いつかはそうなるかもしれないな」


 クリュとアリス、そもそもこの世界の誰にも自分が異世界から来た人間だとは伝えていない。言ったほうがいいのかもしれない。
 別れはいつかはやってくる――突然いなくなるよりは、早めに伝えておいたほうが二人もラクなんじゃないか?


 バイスコーピオンとの戦闘のときを思い出し、いつか、言おうと思った。


「そう、ですよね。いつまでも関係が続くわけないですよね」


 アリスは少しだけ声の調子を下げたが、すぐに笑顔を作った。冒険者なんてのはその日その日で組むパーティーが変わる人間もいる。
 アリスは前に一度別れを体験しているので、ある程度は大丈夫かもしれない。そうなると、クリュもその辺りは大丈夫だろう。だからといって、いつまでも黙っているわけにはいかない。


「っと、ここに来たのは家具の話をするためじゃありません。クリュさんのことです」
「そういえば、何も話してなかったな」


 アリスは、あの日の出来事を詳しくは聞いてこなかった。智也も、これはクリュの問題だと思い、アリスに自分から話すのは間違っていると思っていた。
 他人に弱さを見せるのを恥だと思っているクリュが、他人にわざわざ話すわけがない。


 一人で背負い込んでいても解決策は見つからない。クリュには悪いがアリスに簡単に話そうかと考えた。


「聞くために来たんじゃありません。ただ、トモヤさんも悩んでそうだったから、心配だったんです」
「俺は、俺よりもクリュだろうな。あいつは……たぶん、どうすればいいかわからないんだ」


 それは智也も同じだ。智也はアリスの鋭く細められた目に、うろたえるようにして顔をそっぽに向けた。


「私にとって、クリュさんは大切な友達です。だから、どうにかしたいんです」


 アリスの言葉はもっともだ。智也もどうにかしてやりたいが、その糸口が見つけ出せない。ヘレンに話を聞くのか、クリュに話を聞くのか、あるいは他の人物か。
 クリュがあれだけ悩む内容だ。簡単に踏み込めるものではない。


「クリュさん、珍しく私の部屋に来たんです」


 返事に困っていた智也にアリスがぽつりと呟く。


「クリュはどんな感じだった?」


 少しは元気な姿を見せていてほしい。そう期待して、智也は訊ねていた。


「何を考えているのか分からない表情のまま、部屋を一周しました。それで最後に、『あんたって姉妹とかいる?』って聞かれて、いませんって答えたら『あっそ』と出て行っちゃいました」
(クリュは相談しようとしたのか?)


 ――相談しようとしている。クリュが一人で解決できる限界を超えているんだ。
 智也が表情を険しくすると、両手がアリスに包み込まれる。小さく暖かな手から、智也は視線をアリスの両目に向ける。


「トモヤさん。私だけかもしれませんけど、何か悩みを持っていると日に日に蓄積していっちゃうんです。毎日、毎日。自分の失敗を罪だと考えて、押し潰されそうになっちゃうんです。だから、クリュさんの傍にいてあげてください。私ではきっと無理ですから」


 悩みを溜め込んで欝になってしまう人がいるのも知っている。


「アリスのことだって、クリュは心を許してるよ。ただ、あいつは不器用だから、接し方が分からないだけなんだ」


 クリュはなんだかんだいっても、自分たちの名前を覚えている。あいつが、自分にとって必要だと思っている人間は全員名前を覚えているはずだ。


「私もどんな風に接するのが一番なのか分かりません。クリュさんとはちょっと喧嘩腰になってしまいますし……だから、トモヤさんのほうが適任です」


 確かに付き合いの長さではアリスよりかは上だが、そこまでクリュのすべてを知っているわけではない。
 ヘレンとクリュの関係だって、詳しくは知らない。


(どっちかに、聞いてみるか)


 深く関わるのを恐れていた。だけど、自分の中で思った以上にクリュを仲間と思う気持ちが強くなっている。
 アリスはくすりと笑って肩に頭を乗せてきた。気持ちよさそうに目を細めて、小動物のようだ。


「トモヤさん、少し眠くなっちゃいました」
「だったら、部屋に戻ったほうがいいんじゃないか?」


 子どもが起きているには厳しい時間だ。アリスは大人らしいが。


「ここで寝てもいいですか?」
「俺はアリスのベッドで寝ることになるのか? それとも運ぶのか?」


 アリスは軽いので問題はない。むくっとアリスはむくれてベッドから離れる。


「そういう意味じゃないですよーだ。とにかく、トモヤさんはこのパーティーのリーダーなんですから、しっかりしてくださいね」


 そう言うと、アリスはベーと舌を出して部屋を飛び出した。


(アリスなりの冗談ってことか?)


 気を遣ってくれたアリスに感謝の念を抱く。アリスのおかげで生まれた決意に頼るように、クリュの元へと向かう。右手にネックレスを持って。


「クリュ、入るぞ」


 ノックをするが返事はない。智也はノブに手をかけて、回す。鍵はかかっていない。
 クリュの部屋は、智也の部屋と違って、様々な家具が置かれている。
 ベッドの上で膝を抱えているクリュがチラとこちらを見て、慌てて足を崩す。


「あんた、何。返事してから入ってきなさいよ」


 目元が赤い。泣いていたのかもしれない。指摘しても力技で誤魔化されるだろう。


「ヘレンのことで話をしにきた」
「……ヘレン? 誰それ? あんたの知り合い?」
「とぼけんなアホ。お前の妹なんだろ」


 どんなに濁してもクリュには無駄だ。ならば直球で勝負だ。


「違うわよ」
「ヘレンは、お前をずっと探していたんだ。ネックレスと巫女っていうこれだけの繋がりを信じて」


 智也は右手に持ったネックレスをクリュの眼前で揺らす。クリュは嫌そうにそっぽを向いた。


「そんなもの、捨てていいわよ。大切に持ってたって過去は変えられない」
「そうかもしれないけど、これからの未来をマシにはできるんじゃないか?」


 黙りきってしまったクリュに対して、智也は沈黙を破るように口を開く。


「今思えば、お前が何で髪切ったのか何となく分かったよ。ヘレンとすれ違ってもばれないようにするためだったんだろ?」
「あれは……ただの、気分よ」
「そうか。だとしてもだ、お前は一度、会ってみるべきだろ。悩んでるんだろ?」


 このまま一人で考えても解決できる問題ではないだろう。二人がそこに存在するのだから直接話し合うのが一番手っ取り早い。それが難しいのも分かっている。
 正しいかどうかは断言できない。それでも智也は二人が、笑えるような未来に連れて行きたい。


「会って、どうするのよ。あたしが会っても、あの子が不幸になるだけよ。会いたくなんかないわよ」


 クリュは歯ぎしりするように顔を歪める。視線は揺れていた。


「逃げるのかよ。散々強敵と戦いたいって言ってたヤツが、一人の人間に怯えるのかよ」
「怯えて、なんか……いないわよっ。何も知らない癖に、バカみたいな善意振りかざすな!」


 殴りつけようとしてきたクリュの手を、押さえ込む。
 ただの身体能力だけでも、智也はクリュに負けない自信がある。


「だったら、話してくれよ。俺は……」
(この世界の、問題を全部解決して、それから地球に戻る)


 世界を救うような大それた考え――勇者になんてなれない。それでも、身近な仲間を助けるくらいのちっぽけな勇者にはなりたい。


「俺は仲間が悩んでいるなら、助けたい。だから、いくらでも相談してくれ。前にも言っただろ」
「あたしは……」


 クリュはそう前置きして、それから口を閉じた。
 長い沈黙が終わるときに事態がいい方に傾いてくれることを祈り、智也はクリュを待ち続けた。


「あたしの家は、巫女の家系だった。あたしとヘレンは双子。全部あってるわよ。でも、あたしがヘレンから両親を奪ったのよ。だから、会えるわけがない」
「両親を奪った? クリュが殺したのか?」
「……結果的に見ればあたしが殺したようなものよ。ヘレンはそんなあたしを憎んでるはずよ。だから、探してる」


 クリュが両親を殺したという点も気になったが、まずはヘレンについてだ。


「そんなわけないはずだ。恨んでる相手を、必死に探すわけがないだろ」
「あたしだったら、本当に憎い相手なら地の果てまで追いかけて殺すわよ。双子ならそういう所も似てるんじゃないの?」


 ヘレンがネックレスを見ているときは、穏やかなものだった。クリュを恨んでいるとは思えない。
 だが、これについて、智也ははっきりと答えられない。真意を隠すのがうまく、ヘレンは本当にクリュを憎んでいるのかもしれない。
 ヘレンから聞かない限り、この話はこれ以上前に進まない。だが、二人に関わる問題へ踏み込むことは出来た。どれだけ小さな一歩でも、これをきっかけに話を進めていくんだ。


「分かった? あたしとヘレンの関係なんてそんなものよ。ヘレンが望むのなら、あたしは殺されるべきなのかもしれないわ。この世界に未練もないから死ぬべきなのかもしれないわね」
「そんなこと言っていいわけないだろっ」


 自嘲気味のクリュに、智也は怒りを抱かずにはいられない。少なくとも智也はクリュがいてくれることに感謝している。クリュはくすりとはかなく笑い、


「……悪かったわね。でも少し、すっきりしたわ。……ありがと」


 素直にお礼を言う辺り、まだ全快ではないのは分かる。
 この問題を解決するには、クリュ一人では駄目だ。
 ヘレンに訊くのももちろんだし、何より二人の事情を知っている第三者の意見も聞きたい。クリュの部屋を出て、それから自室に戻る。ベッドに横になり、これからどうするのか考える。


 優先すべきなのは、ヘレン、プラムとの会話だ。そのためにも、学園へ向かう必要がある。
 思ったよりも早く、また学園に行くことになりそうだ。



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