黒鎧の救世主

木嶋隆太

第三十二話 バイスコーピオン



 智也が声を張り上げ、全員を湿地帯の外へと走らせる。
 追いかけてきた先頭の亡霊騎士の足を撃ち、転ばせる。後続はぶつかって仲良くこけた。
 その隙に湿地から抜け出す。亡霊騎士たちは湿地以降は追ってこれないのか。亡霊騎士は立ち止まり、また土の中に埋まった。


 一つ前のフィールド。普段なら多少は魔物がいるのかもしれないが、今日は魔物にもあっていない。十分休憩できる。
 周囲に魔物がいないのを確認してから、座り込み水筒を口に含む。


「次ちょうだい」
「あいよ」


 智也は飲んでから水筒をクリュに渡す。


「お二人さん本当に仲いいですね」
(そんなに仲よく見えるか?)


 さすがに何度も言われて、智也は本当に疑問だった――クリュを気にかけているだけで、別に仲がいいとは思えないのだが。
 しばらくそこに座り、落ち着く。


「クリュさんは、どこで戦いを学んだんですか?」
「どこって、なによ」
「ええと、なんだか戦い方が独特だなって思ったので」


 魔物相手だろうと拳と蹴りで戦い、ほとんどナイフを使わない。普通ならそんな戦い方は、あまりないのだろう。武器として、グローブのようなものもあった気がするが、それさえもつけていない。


「ふぅん、あっそ。敵を殺すのは自分の体でって決めてるのよ」
「そうなんですか。凄いですね」
(凄いというか、狂ってると思うんだが)
「何も凄くはないわよ」


 クリュは腕を組み、顔をそっぽに向ける。二人の仲も大丈夫なようだ。クリュは今までプラム以外の女子と会話したことが少なく、困っているだけなのだろう。
 そろそろ呼吸も整ってきた。


「二人ともどうだ?」
「はい、体力はもう大丈夫です」
「さっさと戦うわよ」


 クリュもアリスも元気そうだ。戦いたそうにうずうずしているクリュの目は、アリスよりも子どもっぽく光っている。
 湿地に行こうと歩き出したところで、木が倒れる音がする。不審に思い、目をこらすと、なにやら黒と紫が混ざった鋭いものが見えた。鋭いものはどこかへと伸びているようだ。


(石、にしては細長いな?)


 智也が考え込むように腕を組む。


「トモヤ、さん」


 肘をアリスにつつかれる。アリスが触れてくるなんて珍しいと感動しながら、


「どうしたの、そんな驚いたような声をあげて……」


 アリスの指差す方に顔を向けて、開いた口が塞がらなくなった。巨大な魔物。塔迷宮の高階層にしかいないようなボス級の大きさをした魔物が、他の魔物を喰らっていた。


 バイスコーピオン


 体は大きく、両手の爪を叩きつけられればそれだけで体は潰されるだろう。黒を基調としながら、体のあちこちに紫色が混じっていて、見ただけで逃げたくなる。
 甲殻は磨かれたような光沢。頑丈そうで生半可な攻撃も通らなそうだ。


「あいつ、面白い相手ね」


 クリュが唇を舐める。危険察知の能力を持っているクリュが面白いという時は、つまりはクリュよりも強い敵。
 智也の頭の中に早く逃げなければと警鐘が鳴り響く。今までも自分よりも強い敵は複数見かけて、何とか勝ってきた。
 だが、いつもうまくいくと、楽観的に考えてはいけない。敵はまだこちらに気づいていない。むやみに突っ込んで危険を招く必要はない。


「……逃げるぞ」


 アリスは声を出せないのか、がむしゃらに頭を上下に振り続けている。


「なんでよっ」
「敵う相手じゃない。無駄に死ぬようなものだ」
「別にいいじゃない。負けたらそれだけってことじゃない」
(……なんでそう、考えられるんだよ。俺は死にたくなんかないぞ)


 バイスコーピオンがこちらを向く。


「……」
「……」
(ひぃぃぃっ!)


 バイスコーピオンが、両手の爪を振り上げて近づいてくる。智也は瞬時に武器を作り、アリスの前に立ちはだかる。


「クリュ、アリスを連れて逃げてくれ」
「嫌だ」
「ですよね。アリス、なるべく離れててくれ。無理に戦いに参加しなくていい」


 智也は語調を強める。


「でも……」
「いいから離れてろ!」


 バイスコーピオンは以前戦ったワイルドベアーよりも恐らく強い。アリスでは恐らく邪魔にしかならない。弱らせて逃げるのに変更だ。


「クリュ、弱点はっ」
「打撃、頭よっ」


 クリュは口が裂けるほどに笑みを濃くして、突っ込む。


「クリュ、あんまり近寄るなっ」
「うるさいわよっ」
「だから、戦闘バカはっ!」
「バカでいいわよ! 戦えるならっあはっ!」


 智也は慌てて走り寄り、剣を出現させる。扱いやすさなら剣が一番だ。クリュは振るわれた爪を回避し、懐に入りこむ。
 クリュへ襲い掛かった爪を智也は受ける。体がねじきれそうな勢いだ。


「らっ!」


 声を張り、腕を思い切り動かして、何とか軌道を逸らすことに成功した。一度の接触でわかった。相手はワイルドベアーなんて目じゃないほどの強さだ。
 二十九階層を越えるボス。それを認識して汗が頬を伝う。クリュが笑みを濃くしたままかかと落としを決める。
 前から思っていたが、クリュの靴はやけに頑丈だ。バイスコーピオンの体が沈むのがわかったが、すぐにバイスコーピオンの気味の悪い紫の瞳が鈍い光を放つ。


「あはっ、そうよ、久しぶり。強い相手、叩きのめしてあげるわっ!」
「おい、クリュ後ろっ!」
「わかってるわよっ」


 尻尾が鞭のように振るわれ、クリュが腕を交差させて受ける。クリュの顔が歪むのがわかった。痛み、それから、狂喜の笑みへと変わる。


「あははっ!」


 尻尾の一撃により、クリュが吹き飛ばされる。死んではいないと信じて、智也は目の前のバイスコーピオンに意識を集中する。
 今のままでは勝てないのはわかりきっている。ならば、全力を叩き込むだけだ。


「うぉぉぉっ!」


 右腕に黒い鎧を具現化し、棒を叩きつけるが爪に弾かれる。左腕の黒い鎧は発動してくれない。完全な制御ができるのが、右腕だけなのは心許ない。
 回転して、爪を弾き懐に入る。
 思い切り宙へ飛び、ハンマーに切り替えて特大の一撃をお見舞いしてやろうとしたが、バイスコーピオンは俊敏な動きでコマのように回転する。
 太い爪に殴られ、智也はなんとかハンマーで受ける。両腕が痺れそうになりながらも、足に力を入れて踏ん張る。
 攻撃を受け止めた、ハンマーが砕け散る。襲う左爪に殴り飛ばされる。智也は苦悶の表情とともに大地を転がる。


 すぐに起き上がり、迫る尻尾をスピードを使って避ける。MPは残り少ない。MP回復丸は一応いくつか持っているが、飲む隙がない。
 尻尾は伸縮自在なのか、地面に刺さった尻尾がバイスコーピオンの体に戻っていく。先ほどみた石のようなモノはあれだったようだ。


 まずい。こちらの攻撃が全く効かないわけではないが、だからといって勝てるかは難しい。
 バイスコーピオンの体力が人間並みならまだしも、智也たちの攻撃を何十回も耐えるのなら先に崩れるのはこちらだ。


(逃げる、しかないぞ)


 クリュが高笑いをしながら、立ち上がる。やはり無事なようだ。相変わらず痛みに対して慣れているのか、傷を負っているのも無視し、クリュは目を血走らせる。最近色々と鬱憤もたまっていたのだろう。
 戦いに飢えているのは仕方ないがここまでとは思っていなかった。


 バイスコーピオンに正対して、智也も走りだす。死にたくはない。クリュを死なせたくもない。
 バイスコーピオンと戦ってるクリュは、また爪に弾き飛ばされたので落下地点に先回りしてキャッチする。
 相変わらず腕は細く、ほのかな温かさが伝わってくる。体を負傷しているようで、痣が出来ている。


「クリュ、やっぱ、無理だ! 逃げるぞ! あいつには敵わない」
「回復丸は持ってないの?」


 ポケットにしまってあるが、使うつもりはない。使えばまた突っ込んでしまう。俺の体を押すようにして、クリュが立ち上がる。


「強敵と戦って死ねるなら本望よ」
「だぁ、くそっ! 俺は死んでほしくないんだよ」


 言いながらもバイスコーピオンが近づいてくる。智也はバイスコーピオンを睨みながら、クリュを無理やり抱きかかえて後退していく。


「……あいつをどうするのよ」


 何がきっかけかはわからないが、話を聞いてくれる気にはなったようだ。クリュを説得するためにどうすればいいか。
 そんなの決まっている。彼女の望む答えを用意してやればいい。腕の中にいるクリュに顔を向ける。


「あいつを逃がしておけば……後でもっと強くなってくれてるんじゃね。その時に俺らがもう一度討伐に向かおうぜ」
「……強くなってる、ねえ」


 さすがにきついか? 智也はそれでも真剣な顔を崩さない。


「わかったわよ。あんたを信じるわ」


 クリュは智也を突き飛ばすようにして、立ち上がる。足は無事だが、腕には傷が見える。


「で、どうするの?」
「逃げるためには、アリスの協力が必要だ」
「あの子? 何かできるとは思えないけど」
「人は見かけによらないんだよ」
「知ってるわよ。ちっこくても強いヤツがいるのも知ってるし」


 行く先を塞ぐように尻尾が空から降ってくる。知能もそこそこあるのが憎たらしい。
 智也は拳銃を作って、適当に撃つ。銃弾が切れ、新たな武器を作ろうとしたところで尻尾が智也の体へ落ちる。
 避けきれない。盾の精製に入るが、間に合うか微妙だ。
 スピードを発動させようとしたところで、何かが視界をすぎる。


「私だって、少しは戦えます」


 アリスが放った矢がバイスコーピオンの尻尾に当たり、爆発する。魔法が込められた矢だ。爆風にわざと巻き込まれて、バイスコーピオンから距離を開ける。
 バイスコーピオンは怒りに動かされるように向きを変える。バイスコーピオンの目が捉えているのはアリスだ。


「う、うぅ……」


 戦いなれていないアリスは、それだけで萎縮してしまったようだ。智也は感謝の気持ちもあったが、早く逃げろと舌打ちする。
 アリスを狙うように暴れだしたバイスコーピオンの一撃を智也は剣で受けて後ろに跳ぶ。
 だが、その隙にバイスコーピオンがアリスへ走っていってしまう。


「アリスッ!」


 迫るバイスコーピオンの尻尾。毒々しい色をした尻尾の先は鋭い。あれに貫かれればアリスは簡単に死ぬ。
 黒い鎧が両腕を纏っていく。今度は両腕、僅かに足にも見える。
 スピードを発動させ、周囲とは違う時間を進む。アリスの体を抱きかかえる。そこでスピードが切れる。MPがなくなってしまった。
 智也の体を尻尾が掠めていくが、直撃は免れた。服がやぶけてしまったと智也は苦しげに笑う。


「トモヤさんっ!」
「大丈夫、かな?」


 妙に気分が悪い。視界がぐらんぐらんと回っている。
 抱えていたアリスを地面に落として、そのまま倒れてしまう。


「なん、だ、これ?」


 今にも吐き出してしまいそうだ。前にもあった感覚。一瞬思い出すのに時間がかかったが、これは毒だ。


「毒になったんです。これ、飲んでください!」


 口に押し込められる丸薬。智也は必死にそれを飲み込むと、さっと気分の悪さが引いていく。


「助かった、ありがと」


 智也の返事に対して、アリスの表情は暗い。


「このままじゃ、みんな死んじゃいます」


 アリスはがたがたと震えだしてしまう。


(前に死んだ仲間を思い出しているの、か)


 今不安なんて抱えさせるつもりはない――たとえ、俺には無理でも、演技なら何だって言える。
 智也はアリスの肩を掴む。アリスはまだ慣れていないのか、一瞬びくりと体を震わせる。それでも智也は彼女の涙が浮かんだ目をしっかりと覗き込んだ。


「誰も死なせるつもりはない。俺はそんなの見たくないんだ」


 友人が目の前で死ぬのなんて智也は堪えられない。だから、誰かを死なせるつもりはカケラもない。


「いいか? 俺が今から言うことをよく聞いてくれ。成功すればみんなが助かる」


 アリスの表情が変わったのを確認してから、智也は言った。


「アリス、ワープの魔法を使うんだ」


 もっと早くに言っておけばよかった。そうすればこの説明の時間は必要なかった。他のパーティーに入られるかもしれないと、せこい真似をした自分の落ち度だ。後悔はあるが、そんなのに時間を割くつもりはない。次に活かせばいいだけだ。


「ワープ、ですか?」
「ああ、俺は使い方はわからないけど、他の人が使ってるところを見たことはあるだろう?」
「あります、けど。私はそんなスキルは持っていません」
「持ってるんだ。俺はアリスに嘘をつくつもりはない。信じてくれ」


 アリスの瞳は不安に揺れていたが、ゆっくりと頷いた。


「そう、ですね」
(信じてくれ、か)


 何も詳しいことを話すつもりのない自分を信じろというほうがおかしいな。
 智也は内心で自虐的に苦笑していた。


「やってみます。でも、失敗するかもしれません」
「分かってる。仲間なんだから、お前のミスは俺がどうにかする。場所はエアストだ、それまで時間を稼ぐ。終わり次第教えてくれ」


 ワープの魔法の準備がどれだけかかるのかわからない。以前は十五秒程度だったが、人によるかもしれない。
 ましてやアリスは初めてだ。失敗する可能性もある。アリスのMPが足りるかどうかも不明だ。すべてが不安な要素しかない。


 失敗するかもしれないが、その時は自分があいつを倒してみせると智也は前向きにクリュの元へ向かう。
 一人で相手をしてくれていたクリュに感謝をしながら、クリュへと放たれた尻尾を銃撃により逸らす。


「苦戦してるみたいだな」


 智也はクリュを援護するように拳銃をバイスコーピオンへと撃つ。
 頑丈な甲殻に弾かれてしまう。


「別に、まだ本気だしてないだけよ」


 という、クリュだが、珍しく呼吸を乱している。この三人の中で一番体力のある彼女らしくない。
 長時間亡霊騎士とも戦っていたので疲れは残っている。智也もMPがほとんど空なので、スピードによる大ダメージも狙えない。


「クリュ時間を稼ぐぞ」
「あいにく、あんたを守りながらはムリよ?」
「俺もだ、お互いに全力をぶつけるぞ」


 智也とクリュは共に悪い笑みを浮かべてから、大地を蹴る。バイスコーピオンの周囲を駆け回り、剣と棒を叩きつける。
 パワーなら完全に負けているが、スピードならバイスコーピオンにも劣らない。


「はぁ!」
「らぁっ!」


 同時に両方の爪へ最大の攻撃を叩き込む。
 バイスコーピオンが怯んだ隙を見て、頭に棒を叩きつける。智也を飛び越え、クリュが隙だらけの背中へ蹴りを放つ。
 二人の同時攻撃にバイスコーピオンは怯んで見せるが、すぐに赤い目を向けてくる。クリュへと伸びた尻尾を智也は黒い鎧を右腕に纏わせ、長剣で受ける。


「大丈夫か?」
「問題ないわよっ」


 智也が弾き飛ばされた瞬間にクリュも背か飛び降り、むき出しの目玉へナイフを投げつける。
 風を切る音を出しながら、投げられたナイフは爪に阻まれる。


「どきなさいっ!」


 クリュは怒号を力に変えるように拳を叩きつける。


「堅いわね」


 右手がぷらんぷらんしている。


「バカかよ、骨折してんじゃねえか」


 回復丸を投げ渡しながら、智也は両腕に黒い鎧をまとい、手には剣を構える。バイスコーピオンへ連撃を叩き込むが、甲殻を僅かに剥ぐだけで終わってしまう。
 爪の攻撃を剣で受けるが壊されて、跳ね飛ばされる。


「さっきのお返しよ」


 地面に着く前にクリュに抱えられる。


「こんなのいらないって」


 起き上がり武器を構えるが、すでに満身創痍だ。
 ちらと智也がアリスを見ると、彼女の目が開かれた。


「準備、出来ました!」
「わかった、クリュ、逃げるぞ!」


 クリュはしぶしぶと言った様子で走りだし、智也も後を追う
 バイスコーピオンは逃げる智也たちに迫ってくる。伸びる尻尾を左右に飛んでかわし、


「アリス、ワープしてくれ!」


 智也がアリスに触れ、手を伸ばしてクリュを掴む。アリスはちらと確認してから、


「ワープ!」


 しかし体は動かない。


「なんで、ですか? 私は……」
「もう一度言うんだ、アリスっ! クリュ、アリスの体に触れてろ!」


 無理やりクリュを引っ張り、アリスの体にぶつける。そして、アリスがワープと言う前に智也はぱっと手を離した。


「ワープ!」


 すると二人の体は消えた。恐らくはエアストに行ったのだろう。智也は笑顔を浮かべる。


「人数でMPが足りなかったみたいだな」


 呟いたところで、智也の状況は変わらない。疲れた体、逃げるためのMPもない。回復丸をいくつか取り出し、MP回復丸の数を数える。一つが最大値の5%ほどしか回復しなく、今持っているのは五つだ。


(あーあ、バカなことしちまったな)


 MP回復丸、回復丸。二つをすべて腹に収め、体の傷やMPが回復したのを確認してから向き直る。
 バイスコーピオンは食料が減ったことに苛立っているのか、威嚇するように爪でパンチをするように動かしている。


(さて、やれる限りはやってやるか)


 死ぬつもりは……ない。絶望的な状況ではあるが、完全に心が折れたわけではない。
 気を抜けば情けない顔になってしまう自分の表情に、気合を込める。可能性はある。黒の鎧をどれだけ維持して戦えるか。
 智也は両腕に黒の鎧を発動させ、両手に剣を持つ。迫る尻尾を回避し、斬りつける。
 縦、横に何度も斬りつけながら一気に懐に入る。顔を狂喜の色に変えて、智也は頭に棒を叩きつける。


 気分が高まる。動きを止めずに再び、斬ろうとするが、爪に弾かれる。受けた痛みに歯を噛み締めながら、続く爪に叩き潰されそうになるのを剣で受け止める。
 横に逸らすが、鋭く放たれた尻尾にかする。気分は悪くない。毒にはならなかったようだが、出血は押さえられない。


 剣を持ち直そうとするが、爪に殴られて智也の体は吹っ飛ぶ。ごろごろと情けなく転がっても、智也の目から力はなくならない。


(死にたくない。俺が死んで、死んだらあの二人はどうなるんだよ)


 勝手なことをしたんだ。勝手に死んで誰かを悲しませることだけは絶対にしたくない。


(俺の勝手な妄想かもしれないけど、アリスは絶対に、負い目を感じる。そうやって帰りを待ってくれてる人を裏切りたくない。クリュは俺のことなんてどうでもいいかもしれないが、アリスは少しずつ立ち直ってきてるんだ。新しく傷を作ってたまるかよ)


 智也は立ち上がるが、逃げ切る余裕はない。血の味がする。
 智也はぺろりと唇を舐めて余裕そうに笑みを浮かべる。外見だけでも、強がりをやめない。右手の剣をバイスコーピオンに向ける。勝利を確信したその顔を切り裂いてやる。


「リィィィィ!」


 バイスコーピオンが一際大きな鳴き声をあげて、尻尾を伸ばした。
 剣で受け――。

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