伝説の英雄とおちこぼれの少女

木嶋隆太

第三話 逃走



 拍手をしていた男はのんびりとあくびをしてから、周囲をキョロキョロと見やる。


「魔法学園ってのは、随分とマシな場所になったな。もっと貴族たちがでしゃばった、学園っていう形だけの無駄な場所だと思っていたが……」
「……あんたは、何をしに来たのですか?」
「俺はイカサマしている奴を狩りに来ただけだぜ。なあ、心当たりあるだろ?」


 男はアリカたちのほうを見ながら、そんな風に叫んだ。
 しかし、誰も反応することはない。
 空気が静かになり、男は肩を竦める。


「シラをきったって俺の鼻は誤魔化せないから?」


 いまだ楽しそうに男がアリカたちのほうを見ていた。
 アリカは一瞬びくっと肩があがる。


(か、仮契約ってイカサマ……?)


 なんてことを考えていると、アリカの目は一人の教師を捉えた。
 建物の陰から、矢を構えている教師がいたのだ。
 彼は弓の天才だったはずだ、とアリカは記憶から取りだす。
 彼が放った矢は、狙った獲物を逃さない――。
 男を陰から狙っての一撃。奇襲としては十分すぎる条件が整っている。
 完全な死角であり、ベイナーガもそれに気づいたように、わざとらしく魔法を発動する。


「フロストランス。……あなたが誰かはわかりませんが、これ以上ふざけた真似をすれば、この魔法を放ちますよ? 大人しく投降したほうがよろしいかと。この魔法学園には、優秀な教師、騎士が揃っているんですよ?」
「優秀な騎士のわりに、かなり弱かったが……あれで優秀か?」


 男の挑発にベイナーガは余裕の態度で微笑む。


「騎士はたくさんいますが、そのすべてが強いというわけではありませんよ。これからあなたを捕らえるのは、より強力な者たちです。あなたも、怪我をしたくはないでしょう?」
「確かにこれ以上無関係の奴に怪我を負わせるのは心苦しいな。よし、じゃああんたら身をひいてくれ」


 謎の男は、なおも余裕の態度を崩さない。
 ベイナーガはぴくりと眉根を寄せる。


「どういう意味ですか?」
「怪我、したくないんだろ? 俺には目的があるんだ。邪魔しなければ、何もしねぇよ」
「……目的が、正しいことであれば我々も何もしませんよ。目的はなんですか?」
「魔法の破壊だ」


 いうと、クラスメートたちがざわついた。
 魔法は一つの人格を持っている生命体とされている。
 人間に協力的なそれらを破壊することは――。


「魔法の破壊は、魔法殺人に問われますよ?」
「結局邪魔するんじゃねぇか」


 彼がくすくすと笑った瞬間、矢が放たれる。
 ニヤリとクラスメートたちが濃く笑ったのがわかった。
 アリカも当たったと思った。だから思わず目を逸らそうとしたのだが、謎の金属音がした。
 矢は、回るように男の長剣によって斬りおとされていた。


 クラスメートたちから、驚きの声があがる。
 まったくの死角からの一撃。見えるはずもなければ、反応できるわけもない。
 アリカは……その体捌きに、危険人物ながらも見とれてしまった。
 いつかは自分もあのようになりたい、とさえ思えた。
 もちろん、犯罪者、ということではない。あの強さを正しいことに使える人間になりたい、と。
 謎の男は肩に剣を乗せて数度叩く。


「……何の魔法ですか?」


 ベイナーガが警戒するように問う。


「魔法? いやいや、空気を切る音がするんだからわかるだろ」


 謎の男は右耳を叩いている。
 恐らくは何かの魔法を使ったのだろうが、わざわざ種明かしすることもないはずだ。
 ゆっくりと近づいてくる男へ、騎士二人が飛びかかる。


 どちらもそれなりの実力者であると、アリカも良く知っている。
 この学園の騎士たちには、何度も剣を教えてもらっている。
 その騎士たちが、男をまるで止めることもできなかった。


「みなさん逃げてください!」


 叫びながらベイナーガが魔法を構える。
 逃げろといわれても、足がすくんで誰一人動けずにいた。


「……フロストキャノン! アグレッサー!」


 謎の男と対峙しているベイナーガは、学園でもトップクラスに強い。
 一時は冒険者として最高のS級にまで昇格した、名前を聞けば誰もが震え上がるほどの教師である。
 アグレッサー発動中のベイナーガの剣を見切れたものは、今までにいなかった。
 何度か剣の稽古を受けたアリカは、その強さを体験していた。
 しかし、男はいともたやすく一撃を受け止めた。


「むっ!」


 ベイナーガも予想外だったのだろう。明らかに眉間に皺が刻まれた。
 アグレッサーは一定時間、身体能力を強化する魔法だ。
 ベイナーガの連続の剣を、しかし謎の男は容易く処理していく。
 そして一撃が、ベイナーガの頬をかすめる。赤い血がつーっとベイナーガの頬をぬらす。


「……邪魔だな」


 ベイナーガの猛攻へ、謎の男は長剣を振り上げる。
 それによって砂が舞い、ベイナーガは目を閉じる。
 謎の男はその隙に、ベイナーガの持つ剣を吹き飛ばす。
 見開くベイナーガと、驚愕の声をもらす生徒達。
 謎の男はそのままベイナーガを蹴る。


 ギリギリで防御したベイナーガであったが、その体はまるで子どもが蹴られたかのように吹き飛んでしまう。
 謎の男は長剣を肩に担ぎ、その赤い目で真っ直ぐに向かってきた。
 そして、先ほどまで、アリカと戦っていたライドットの胸倉を掴みあげる。


「な、何をするんだ! ぼ、僕はB級貴族だぞ!」
「もっと良い魔法と契約するんだな」


 ライドットの胸元にあった赤いペンダント。
 ライドットが契約を結んだ魔法は、あの中にいたはずだ。
 ペンダントを奪い取った男は、払うように剣をふるって破壊した。


「ま、魔法殺人だ!」


 騎士が叫び、待機していた多くの騎士、教師が飛びかかる。
 近づいてきたそれらを、男は剣で捌き、いつの間にか蹴り上げた石ころを剣で打つ。
 魔法を用意していた男に辺り、男は崩れ落ちる。
 魔法なしで、中距離の人をあっさりと倒した手腕に、アリカは目を見開いた。


「……ちっ、後はまた今度だな」


 男はそう短く呟いた後、アリカのほうを見た。
 いや違う、とアリカは自分の後ろをみた。
 彼が見ていたのはサーシャだ。


(まさか、サーシャを狙っている!?)


 今までにもサーシャを狙っている人間は何人もいた。それでもサーシャ自身がそれなりに強いために、問題なく撃退してきたが……あの男では危険だ。
 さっとアリカはサーシャを守るように立つ。
 しかし、それ以上はなかった。


 アリカが背後をみると、サーシャは顎に手をやりながら男を見て、首を傾げていた。
 謎の男は襲いかかってきた騎士を足場に跳躍し、学園の外へあっさりと逃亡してしまった。
 残されたライドットは愕然とした様子で、怒りで地面を殴りつけていた。
 負傷した人数は多かったが、一人も死んでいないことはそれだけで称賛できる内容であっただろう。
 それだけの強敵だった。


「……ぼ、僕の……魔法が!」


 ライドットは絶望した様子で膝をついた。
 アリカも彼の性格こそ受け付けないものであったが、自分がせっかく結べた契約を、あのように破壊されればたまったものではない。
 怒りは理解できた。


「……あいつを殺せ! 僕を侮辱して、僕の魔法を破壊したのだぞ!」


 ライドットが近くの騎士に掴みかかり、騎士はそれを必死になだめている。
 それでも、ライドットの発狂は終わらない。


「アリカ……大丈夫だったか?」
「私は大丈夫です。リンも怪我はありませんよね?」
「まあ、な。……けど、さっきのあの男はなんだったんだ? ったく、突然現れてあんなことしやがって……魔法を破壊するなんて、酷すぎるな」
「そうですね。……サーシャ?」


 男が去っていったほうをサーシャがしばらく眺めていた。


「あの人……なんだか見たことがあるのじゃ」
「見たこと? ……もしかして、街でとかですか?」
「うーむ……よくわからんのじゃ。けどま、わしも殺されたくはないのじゃ。しばらく部屋に引きこもるのじゃよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 次の休みには、団体戦もあるんですよ!?」
「どうせわしはそれほど手を貸すことはないじゃろ」


 ひらひらと手をふるサーシャに、アリカは慌てて彼女を追いかける。
 リンの笑い声が耳に届きながら、アリカはこれからの生活への不安を考えていた。
 あの男はあっさりと突入し、逃げてしまった。
 実戦から離れているとはいえ、かつての最強に近かった男をあっさりと打ち破ったその実力。
 あのときは、恐怖を感じることはなかったが、今思い出せばとんでもないことだったのだ。




 ○




 結局、その日の授業はすべて休みとなり、学園全体であの事件について話している様子だった。
 夜。風呂上りにアリカが牛乳を飲んでいると、リンが気さくに片手をあげてきた。
 そのまま寮の一階の広間へと向かう。
 男子と女子寮の中間にあるここは、のんびりとくつろげる空間と仕上がっている。
 ただ、皆の話の中心は謎の男についてであった。


 化け物のような強さをしていた。
 意外とかっこよい人だった。
 最近生意気だったし、ライドットにはいい薬になっただろう……などなど。
 それらを聞いていたアリカは、部屋に一人でいるサーシャが少し心配になる。


「のんびり部屋で、菓子でも食いながら話でもするか?」


 リンが菓子を持ち上げ、にこっと笑う。
 彼女の気遣いにはいつも感謝しかない。


「そうですね。今……サーシャを一人にしているのは心配です」
「ま、あのわがまま魔法ちゃんとはいえ、死んだらさすがにな」


 リンの目も真剣そのものだ。
 二人は寮の自室に戻ると、なにやらボーっとしたままのサーシャが席についていた。


「サーシャ? どうかしたのですか? 体調が悪い、とかですか!?」
「ああ、違う。リン、菓子をくれ」
「ほいよ」


 リンがぽいっと投げると、包装されていたそれを引きちぎる。


「こ、こら! まずは感謝を伝えてください! それからです!」


 ぺしっとアリカが叩き、サーシャがぶーと頬を膨らませる。


「リンよ。供物をありがとうな」
「何が供物ですか! ていうか、それはみんなで食べるんです! ほらほら! こっちのテーブルに移動して、のんびりお茶会です」
「んじゃ、私紅茶用意するな」
「あっ、ありがとうございます。そこの魔道具使ってください」
「わしは食べる専門じゃな」
「準備を手伝ってください!」


 アリカは皿を用意し、サーシャが菓子をそこに並べていく。
 ドガっと彼女が席につくと、リンが一礼をしてから紅茶を置いた。


「どうぞ、伝説の魔法様」
「くるしゅうない、くるしゅうない」
「だから、私以外にまで偉そうとしないでください!」
「なるほど。嫉妬かの?」
「ちーがーいーまーす!」


 サーシャはそれからリンに視線を向ける。


「リンはあれじゃな。学園祭のときも思ったのじゃが、執事などの所作が向いているんじゃな」
「はは、まあ男らしいとは言われることがあるけどな。あたし、昔執事に憧れてたんだよ」
「ほう、なんでじゃ?」
「あたしの世話役だった人の口調とか、全部真似して今のこんな感じなんだ」
「なるほどのぉ。アリカどうしたのじゃ?」
「なんでもありませんよ」


 アリカはぶーとサーシャを見やる。
 サーシャはアリカよりもリンのほうがしっかりと接しているように感じたのだ。
 それらの嫉妬に近いものを紅茶で流しこむ。


「そんじゃ、今日の話題はあれだな」


 リンが人差し指を立てる。


「……襲撃者の話ですね」
「そっ。とりあえず、今の状況をまとめるとすると……こんな感じだな」


 リンがささっとノートに字を書いていく。


「襲撃者は、現在も逃亡中であるが指名手配されたとのことだ。まあ、あれだけのことをやったし、昼夜問わずで捜索されるんだし、この町に残っていたらあっさりと見つかるとは思うな」
「見つかっても、あの戦闘力……国のクロッタ部隊が出るんじゃないですかね?」
「クロッタ部隊かぁ……」
「リンのお姉さんも確かいましたよね?」


 クロッタ部隊は、女性だけで構成された部隊だ。
 魔法は女性のほうが得意というのが基本だ。
 その中でも特に優れた六人が集められたのが、クロッタ部隊だ。


「あたしの姉ちゃん、やりすぎると、な」
「そう……ですね」


 恐らく犯人の体は原型を留めないことになるだろう。
 頬をひきつらせながら、リンは楽しそうに様々な情報を書き込んでいく。


「まず、敵さんの目的でも考えてみようぜ!」
「魔法の破壊とかじゃないですかね? ほら、魔法破壊を掲げているテロリストたちもいましたし、その残党とか」
「残党にしちゃあ、かなり主戦力な気もするよな……。んじゃ! 次だ。あいつはなんであんなに強かったんだろうな? 身体強化の魔法ってところか?」
「……そう、ですね。他に予知とかの魔法も持っていそうでしたよね」
「な! あの後ろからの矢はさすがにあたしは敵ながらあっぱれだと思っちまったぜ。どうして気づいたのかって風を切る音とか言っていたけどありえないもんな」


 アリカはリンとともにさらにあれこれ妄想話を進めていく。
 何か意味があるわけでもないが、こうやって話している時間は楽しいものだ。
 こんな風に事件を楽しいものとすれば、いくらか恐怖も薄れた。
 しかし、終始難しい顔をしているサーシャが少しばかり気になった。



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