オール1から始まる勇者

木嶋隆太

第四十四話 十六日 あのとき

「あのときの文字……もしかして」


 リルナが顎に手をやり、しばらく考え込む。


「どうかしたのか?」
「あの文字を見ていて思いました。あれは……詳しくはありませんが、精霊文字の一つかもしれません」
「精霊文字? なんだそれは」
「精霊が使っていたとされる文字です。まだ昔……精霊が世界のあちこちにいた時代があるのですが……そのときは様々な種族があって、種族ごとに文字もありました。今は統一されていますけどね」
「精霊文字か……」


 リルナもあれは読めないようだ。
 ……もしかしたら、あの文字が何か意味があるのかもしれない。
 と、ファリカが小さく手をあげる。


「……精霊文字。少し、ならわかるかも」
「……なるほど。それでは明日――」
「……その現場に、これから行くことはできる? すこし気になることがある」
「そうですね。明日はリーグ戦で忙しいですし……今日のうちにできることはすませてしまったほうが良いかもしれませんね」


 食事が終わったところで、リルナが立ち上がる。


「メンバーをわけよう。特にリルナは今日、襲われかけたじゃないか」
「ですが、私も気になっています。夜も眠れないかもしれませんっ。王女の睡眠妨害で怒りますよ?」
「別に構わないね。王女様を連れて行くなんて、危険すぎる」
「……むっ」


 リルナがぷくーと頬を膨らませ、腕を組んでそっぽを向いた。
 このまま拗ねられても困る。彼女を諭すように言葉を選ぶ。


「死なれたら困るんだ。わかるだろ? 心配する人が多い立場なんだ。理解してくれ」
「……」


 俺がそのように伝えると、今度は何やら突き刺すような視線がいくつか増えたように感じた。
 ……なんだってんだ。
 リルナがくすくすと苦笑し、話を戻す。


「メンバーは俺、ファリカ……」


 でいいだろ? と思ったら、アーフィが手をあげる。


「……私もついていっていいかしら?」


 これは意外だった。
 アーフィは不安げな目でじっとこちらを見ている。
 そういえば、あれからあまり話もしていないし……それに後で二人きりになっても、ちょっと気まずい。


「構わないよ。それじゃあ、こっちは三人で行こう。桃とリルナはここで待機……まあ、何もないとは思うけどね」


 メンバーが決まり、食堂を離れる。
 リルナがちょっと待ってといって俺たちは玄関前でしばらく待つ。
 それぞれが自分の時間を楽しんでいる中、桃が俺のほうへと近づいてきた。
 彼女の両目は鋭く細められている。


「勇人くんは、アーフィさんの気持ちを別の方へ向けようとしましたね」
「……どういうことだ?」
「あの気持ちは間違いありませんよ。それから、勇人くんは逃げようとしていました」
「そう、なのか? ……けど、気持ちなんて誤解の可能性だってあるだろ?」
「そうでしょうか。誤解でも何でも、今ある気持ちが正しいのではないでしょうか? 私だって、あなたに助けられたことから、興味を持ち、好きになりました。それに、時間が必要だったり、誤解だったりで片付けられるものなんでしょうか?」
「……アーフィの肩を持つんだな」
「ライバルではあるかもしれませんが、逃げようとする勇人くんは私の好きな勇人くんではありませんから」


 そう、はっきりといわないでくれ。
 ……そうやって、告白されるっていうのは、明人とか、別の奴の役割だろ。
 俺はいつだって、人から一歩おいたところで生活していた。
 だから、分からないんだ。どうやって向き合っていけば良いのか。


「それでは……一応これを持っていってください。事件がありましたし、中に入るにはある程度の身分の人間でないといけませんから」


 リルナが持ってきたのは一つの紋章だ。
 ……王家の紋章とかだろうか? なくしたら大変だ。


 屋敷から外に出ると、すこし肌寒い。
 上着を一枚取り出して羽織る。


「寒くないか?」
「問題ないわ。ありがとう」


 照れるようにアーフィが前髪を弄る。
 その仕草がやけに色っぽく、見とれそうになっているとファリカに小突かれる。
 そうして、俺たちは問題の宿へとやってきた。


「あなたは……確か」


 見張りをしていた騎士はちょうどアジダが呼んできた人だった。
 俺のことも覚えていたため、話を通すのは簡単だった。紋章も俺の言葉を証明してくれる。


 中へ通してもらうと、部屋の明かりがついていく。
 宿を管理している老人はこんなことが起こると客が入らないよ……と酒を飲みながら騎士に愚痴っていた。
 騎士が申し訳程度に酒に付き合っているおかげで、とりあえず経営はまだ傾かないだろう。
 換気をしたようで、臭いはそれほど残っていない。死体も既に処理をしたようだ。


「リルナ王女様から情報を聞いてきてほしいといわれたのですが、何か追加でわかったことはありますか?」
「いえ……彼はやはり旅人で、知る人はいませんでしたし……これ以上の情報収集は難しいですね。街で、危険がないことを祈るしかありません」
「そうですか。わかりました」


 まだ文字は残っていた。ファリカがそれに顔を近づける。


「何かわかったか?」
「……これは」


 わかったようだったが、あまり言いたくはないようだ。
 騎士の顔を見たファリカの意図を理解して、俺はこくりと頷いた。


「ここじゃないほうがいいか?」
「あまり……聞かれたくはない」
「了解だ。騎士さん。じっくりと見ていたいので、席を外してもらってもよいでしょうか? すこしばかり集中したいのですが」
「わかりました。王女様の知り合いであるならば、信頼できますしね」
「ありがとうございます」


 騎士に事情を話し、しばらく部屋をゆっくり見させてもらうことにする。
 アーフィは残っていたが、ファリカはちらと見ながらも追い出すことはしなかった。


「この文字は、精霊文字で救済という文字。良く使われていたものだから分かる」
「救済、か」


 ダイイングメッセージなどではなく……殺された人は最後まで精霊に祈りを捧げたということだろうか。
 だとすれば大層な信念を持った人だ。今はなき死体の顔を思い出しながら、彼の気持ちの僅かを察する。


「これを書いたのは犯人?」


 ファリカの発言に首を傾ける。
 ……確かに、そうだ。
 被害者が書いたものだとばかり思っていたが、犯人が書き残していたとしても間違いではない。


「いや、死体の近くにあったのだが」
「……精霊様に捧げる文字は雑に書いてはいけない習わしになっている。だから、彼が書いたのは……救済とは違う意味になってしまう」
「違う意味?」
「雑に文字を書いた場合、その願いとは反対になるといわれている。だから、精霊様に捧げる文字は丁寧でなければならない」
つまり、救済ではなく……救われないこと?」
「……似たようなもの」


 ……書いたのが犯人だとしたら?
 それはつまり、おまえを 殺しに来たといった意味になるのかもしれない。
 だからといって、結局犯人がわかるわけでもない。
 この大きな街の中から犯人を見つけ出すことなどできるはずもないのだから、俺たちは怯えて過ごすしかないだろうな。


「ただ、犯人が迷宮都市の関係者である可能性は高いって感じか。戻ろうか、リルナたちも首を長くして待っているだろうしね」
「……今回の事件は一体何があったの。また、魔器?」


 ずっと黙っていたアーフィが口を開く。
 ……そういえば、アーフィにはしっかりと事件について話していなかった。


「魔器じゃないよ。今回は単純な人間の私怨や……それに近いものだろうね」
「みんな、色々と考えるのね。……私はまだ、当たり前の感情も良く理解できていないのに」


 ……アーフィは人と関われる環境にいなかった、と言っていた。
 人の好き嫌いなんてのは俺だって良く分からない。
 ステータスで表示されないからこそ、俺たちはそれらに悩み、一生懸命に行動しようとする。


 アーフィだって……たぶん、そうだ。
 宿を離れ、貴族街へと向かっていく。ぽつぽつと等間隔についた魔石の明かりを頼りにしながら、俺の横で鼻歌交じりのアーフィを見やる。
 逃げるわけにもいかない。謝罪もしたかった。


「アーフィ、後で二人で話をしたい。いいか?」
「二人。二人……久しぶりね、そういうのはっ」


 楽しそうに笑ったアーフィだったが、俺の右隣にいたファリカが俺の肘を抓ってきた。


「いったっ、何するんだ!」
「蚊に刺されたの?」
「おまえだおまえ……ったく」


 ファリカがつんとそっぽを向き、そちらを見ていると今度はアーフィが眉間に皺を寄せる。
 ……好かれるというのはまたそれで大変なんだな。
 頭を掻きながらリルナの屋敷へと戻ってきた。


 リルナにあったことを伝える。
 彼女はしばらくの思考の後、迷宮都市に関係ある人間が街にいないか調べるようメイドに話した。
 俺たち五人は、ようやく一息をつけた。それから何もしないでお茶を楽しんでいると、コトッとカップが置かれる。


「……私を連れてきたのは、これ?」


 ファリカは厳しい視線で俺を射抜いてくる。


「何だ、何か別の意味があると思ったのか?」


 ここまでファリカが詳しいとも思っていなかったけどね。


「私を紹介するためかとてっきり」


 てへっと舌を出した瞬間、テーブルに置かれていたカップの割れる音がした。
 桃のほうをチラと見ると、彼女はひきつった顔こそしていたが、カップは無事だ。
 ……誰だ、と思ったらアーフィだった。
 アーフィも驚いていたようだ。今ごろになって、持っていたカップを砕いてしまったことに気づいたようである。


「ご、ごめんなさい! だ、大丈夫!? これ高いのよね!? しゃ、借金ッ!」
「それはこちらの台詞ですよ! アーフィ、熱くないんですか!?」


 リルナが取り乱したようにいって、アーフィはボケッとした顔をしている。


「どうやら、熱はそれほどなかったみたいだな」


 俺が急いで伝えると、アーフィがあっと声をあげた。


「え、ええ! 私は全然熱くなかったわっ。というか……今どうして私はカップを砕いてしまったのかしら」
「……」


 ジロっとした視線が三つほど俺のほうに向けられる。
 ……ごほんと一つ咳払いをする。


「とりあえずは、一度解散としようか」


 それでも、視線がなかなか引かなかったが、強引に逃げてきた。
 庭で一人空を見ていると、アーフィが近づいてくる。


「よ、よっ!」


 アーフィらしからぬ陽気な挨拶だこと。


「悪いないきなり呼んで」
「いや私もあなたと二人でいたいと思っていたのよ。……最近、全然話も出来ていなかったし」


 悲しそうな顔をした後、彼女は嬉しそうに笑った。


「まず……先に謝っておくわ。私は大きな勘違いをして、あなたに変なことを言ってしまったわ。私の感情は別に好きとかそういうのではなくて――」
「……俺が言いたかったのは、それについてだ」
「なに?」


 アーフィが小首をかしげる。
 ……こんなことを、正面から言うのはためらいがあったが、それでも俺は彼女を見た。


「アーフィ、俺はおまえのことが女として意識したことはないんだ」


 ……これは嘘が結構あるな。
 色々と心当たりはあったが、俺はそういうことにした。


「……ええ、そうだろうとは思っていたわ。そうなると、なんだか私一人で恥ずかしがったり、からかったりして……馬鹿みたいね、はは」


 アーフィが恥ずかしそうに顔を伏せて苦笑する。


「ただ、あのとき俺がいった言葉を信じて、そう思っているのならそれは違う。あのときは……好意を向けられるのが怖かった。だから、断定するようにおまえに言ったんだ」
「……どういうこと?」
「俺はおまえに……良い仲間でいて欲しかったんだ。……いや、もしかしたらそれも望んでいなかったのかもしれない」
「あたなも、迷っているってこと?」
「そうかもね。アーフィには、伝えてだろ? ……俺はこっちに来てから、裏切られたかもしれない。だから、あまり人と関わりたくはなかった。……また裏切られる可能性があったからな」
「なら、どうして私を助けてくれたの?」


 それは……。色々と理由はある。


「……悲しそうだったから。おまえも……もしかしたら俺と同じようにどこかで誰かに絶望していたのかもしれないって……勝手に同類だと思ったんだ。全然、そんなことなかったけどな」


 ……自分でこんなことをいうのは恥ずかしい部分もある。
 けれど、アーフィにはしっかりと向き合わなければならない。


「……わかった。私もまだ自分の感情が良く分からないの。だから……これからゆっくり考えていこうと思うわ」
「それは……俺が決めることじゃないからね。アーフィの自由だ」
「それ、ありがと。あのとき、私を助けてくれて」


 アーフィが満面の笑顔を咲かせた。
 果たして、これで本当に良かったのだろうか。
 迷いはあったが、今はこれ以上何もいえなかった。









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