夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

34 一の王子

「久しぶりだね」
「やはりこちらにおいででしたか」
「もっと早く来るかと思ってたよ」
「私にも色々と事情があるんですよ」

距離を取ったフランツを追うように、フェリクスが踏み込み素早く剣を振り下ろす。
最初の時とは逆に、今度はフランツが頭の上で剣を横に持ち一撃に耐えた。

トゥリカは二人がかわす言葉に眉を寄せながらも、心中穏やかではなかった。
テオの危機を回避できたのはよかったが、今度はフランツが気がかりだ。なんとかフェリクスの攻撃をかわしてはいるが、フランツにどの程度の技量があるのかわからないため、安心することは出来なかった。

「彼なら大丈夫だよ」

トゥリカの心情を悟ったのか、テオがそう言った。
その声に、トゥリカは我に返る。
のろのろと上体を起こそうとしているテオの元に慌てて駆け寄りその身体を支えた。

「これ、傷が残ってしまうかしら?」
「手が汚れるよ? 皮一枚切れただけだから大したことない」

トゥリカは思わずテオの頬の傷に手を伸ばしかけたが、直前で指先を掴まれてしまった。

「フランツが大丈夫ってどういうこと?」

かち合った視線に気まずさを感じて、トゥリカはまつげを伏せてそう訊ねた。

「二の王子は昔から兄君に勝てたことがないそうだからね」
「え……?」

テオの言葉にトゥリカは勢いよく顔を上げた。目が合ったテオは真剣な顔つきをしていた。冗談ではないのだと理解する。

「つまり、フランツはフェリクス殿下の兄――コルトヌークの一の王子ってこと? でも、一の王子は……」

トゥリカの脳内をフランツの言葉やフェリクスの言葉が駆けめぐった。

「フェリクス殿下はあなたが兄の仇だと言ってたわ。フランツはあなたを命の恩人だと……。本当にフランツが一の王子なのだとしたら、どうしてフェリクス殿下は嘘をつく必要があったの」

一つ一つを反芻して、ある結論にたどり着く。
フェリクスは塔の魔術師になにかを依頼しにきていた。その依頼はもしかして――。
思い至った自分の考えに寒気がし手が震えた。

「二月前、二の王子が僕に依頼したのは一の王子を殺して欲しいというものだった。魔術の痕跡も残さず自然に見える方法でという要望付きでね。どうやら王位が目的だったらしい。でも、僕は私欲の絡んだ殺しの依頼は引き受けないことにしてるんだ。後々面倒だからね。二の王子には丁寧に断ったよ。そのあとなんとなく気になって、一の王子――つまりフランツに忠告しに行ったんだ。まあ、誰がとは言わずに命を狙われてるよってね」

テオはそう話しながら、顔の向きを変えた。
トゥリカは倣ってテオの視線の先を追う。
フェリクスの攻撃を繰り返し受け流しすフランツの姿があった。

「フランツはそのときなんと言ったの?」
「彼はすぐにフェリクス殿下の名を出したよ。だけど、罵り一つ口にしなかった。それどころか――」

テオはそこまで言って、一つ苦笑をこぼした。

「弟がそんな行動に出たのは王位に加えて自分の性分のせいだろうから、今すぐ国を出る。自分をどこか遠くへ連れて行ってくれって言ったんだ。最初は偽善的な発言だと思った。だけど、彼はこう言葉を続けた。――弟は単に王位が欲しいのではなく、大ざっぱな自分のような人間が王になるのが許せないだけなんだろう。だけど、自分はこの性格が気に入っているから直すのは無理だ。だったら、王位継承権の方を捨てるってね」

テオの話を聞いて、トゥリカはフランツに驚きの目を向けた。
王位継承権はそんなにあっさりと手放せるものではない。それをあっさり捨てると言い、また、自分の性格を気に入ってると言い切ることが出来るフランツを羨ましくも思った。

「くそっ!」

トゥリカが見つめる先でフランツの一撃がフェリクスの手首をかすめた。

フェリクスの剣が空中を舞い、次の瞬間にはフランツが構える剣の切っ先がフェリクスの顎下に向けられていた。

「王位を捨ててもやっぱりお前は俺を憎むんだね」
「捨てただって? それはあなたの勝手な考えだ。国の者たちは誰一人そんなこと知らない。私がどんなに兄はこの国を捨てたと訴えても誰も信じない。父上ですら私の話を聞かない。皆、あなたの帰りを待ってるんだ。だから、あなたがこの世を去ったという証拠が必要なんですよ」
「だったら俺が直接父に掛け合うよ。もっと早くすればよかったんだろうけど、お前だって俺の話は全然聞かなかっただろ?」
「なにを今更っ! 私はあなたのそういう態度が嫌いなんだっ! いつだって私の上にいるあなたが大嫌いだ! 私の欲しい物を全て持っているあなたが大嫌いなんだっ!」

どん、とフェリクスが地面に拳を叩きつけた。
トゥリカはその様子を瞳を細めて見つめた。
似ていない兄弟だ。

そう思った。腹違いだというから多少の相違はあるのだろうが、それだけにしても全く違う雰囲気を持った二人。どちらも美しい容貌をしているが、フランツの持つ明るい華やかさはフェリクスにはない。きっと彼は自分らしさよりもフランツと比べることばかり気にして生きてきたのかもしれない。

その姿はまるで過去の自分のようで、トゥリカは悲しみを覚え手の平を握りしめた。
と、そこで隣にいたテオが動いた。
それを合図にしたように、フランツが掲げていた剣をおろす。

「自分を認められない人間に人の心を掴むことなんてできないよ。汚い手口で欲しいものを手に入れたって心は満たされない」

項垂れるフェリクスの近くに立ったテオは静かな声でそう言った。
フェリクスが再び地面を叩く。

「うるさいっ! わかった風な口をきくな!」
「わかるよ。僕も似たようなことをしようとしてた。だから言ってるんだ。悔やむ前に手を引きなよ」

テオの言葉はトゥリカの心にも深く突き刺さっていた。テオやフェリクスだけではない、自分にも当てはまることだ。

過ぎたこととはいえ、自分がオルフの心を手に入れたいと思ったのは事実だ。物わかりのいいふりをしながら、本心は別のところにあった。自分は大事に至る前に間違いに気づけたからよかっただけなのだ。

「依頼を断ったときにも言ったよね。僕は【殺し】はしない。君がこの場を去ってくれさえしたら、今後の干渉もなしだ」

再びフェリクスの方を見て、テオが言い放ったその直後。

「しないのではなく、出来ないのだろう?」

それまで存在すら感じさせてなかったアヒムが声高にそう言った。

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