夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

33 疑惑

突然のことに驚いて、すぐにテオを振り仰ぐ。
なにを? と言葉を続けたかったが、視界の端にとらえた複数の人影に言葉を失った。
屋敷の正面に、三人の男が立っていたのだ。

トゥリカの知る人物たちだ。
一人は朽ち葉色の髪に濃藍色の瞳をした青年、フェリクスだ。戦に赴いたにしては簡素な甲冑をまとい、白馬にまたがっている。

残りの二人は、アヒムとゲルト。フェリクスの脇を固めるように控えている。
トゥリカは素早く視線を動かして、周囲を確認した。
昨晩見たフェリクスの親衛隊は近くにいない。それどころか、王宮直属の白鳩騎士団や他の兵士の姿も見えなかった。
塔の魔術師を討つための出陣だというのに、この場に現れたのがたった三人だけとは妙だ。

なにかがおかしい。
トゥリカの心の中で警鐘が鳴る。

「テオ、逃げ――」
「魔術師よ。一度では飽きたらず二度までも王女殿下を拐かすとは愚かだな」

トゥリカがテオのローブを後ろから引っ張るのとほぼ同時、フェリクスの声が張り詰めた空気を震わせた。

フェリクスの発言を否定したかったトゥリカだが、テオがトゥリカの視界を塞ぐように――もしくはトゥリカを彼らの目から隠すように、身体の位置をずらしたため、なにか言うことは諦めた。

「私の婚約者から離れてもらおうか」

テオの背中越しにフェリクスの声が聞こえ、トゥリカは小さく肩を震わせる。ローブを掴む手に自然と力が入った。

「婚約者?」
「そうだ。貴様を討ち果たしたのち、トゥリカ王女殿下は私の妻となる」
「へえ……。妻、ね。それは初耳だ」

トゥリカの位置からではテオの顔までは確認できなかったが、心なしか彼の声が先刻よりも低くなったような気がした。
トゥリカはそっと顔だけ出して、フェリクスたちの様子を伺う。
丁度、フェリクスが馬から地面に颯爽と降り立ち、こちらに歩いてくるところだった。
あ、と思ったときには、暗く冷たい濃藍色の双眸と視線がかち合った。

「トゥリカ王女。間もなくお父君たちも来られます。ご安心ください。あなたのことは私が必ずお救いしますよ」

フェリクスが精巧な人形のような笑みを浮かべ言った。同時に手が動く。腰に下がった細身の剣に向かって――。

「やめてっ!」

トゥリカは強引にテオの前に飛び出し、両腕を広げた。

「この姿を見ればわかるでしょう? 私は自分の足でここまで来たのよ。彼に連れてこられたわけではないわ」

薄汚れた自分の姿を示して訴えたが、フェリクスは顔色一つ変えずに手を差し出してきた。

「早くこちらへいらしてください」
「断るわ」
「その者の側は危険です」
「私にはあなたたちの方がよっぽど危険に見える。そもそもどうしてアヒムとゲルトが父ではなくあなたと一緒にいるの? あなたたちだけが先にたどり着くなんて不自然だわ」

トゥリカは懸命に心を奮い立たせ、フェリクスを睨みつける。
しかし、フェリクスは明確な返事はせず、微かに口角を吊り上げたまま一つ息を吐き出した。

「なにを言っても無駄のようですね。仕方ない。ではせめてそこを退いてください。あなたの心を惑わす根源を絶てば、あなたにかけられた術も解けるはずです。――お前たち手出しは無用だ。奴を討ち取るのはこの私だからな」

フェリクスはそう言いながら、腰の剣を引き抜いた。
明るい日差しのもとに銀色の刀身がひどくぎらついて見える。

「っ!」

その場に踏ん張ろうとしたトゥリカだったが、あえなくテオによって阻まれた。
背後から急に腕を引っ張られたのだ。
とん、と背中が何かにぶつかった。次いで、両肩に程よい重みを感じる。
テオに後ろからすっぽりと抱きすくめられていた。

「穢れた手でトゥリカ王女に触れるな!」
「彼女に帰る気はないってさ。わかったら、その物騒な物をしまってとっとと消えなよ」

怒声を上げるフェリクスをよそに、テオの朗々とした声がごく間近で聞こえた。
見れば、至近距離にテオの顔がある。
自分の状態を認識した途端、理由はわからなかったけれど身体の緊張が不思議とほぐれた。

「君の言っていた役目っていうのは彼との結婚?」

トゥリカがほっと安堵のため息を漏らしていると、テオが小声で訊ねてきた。
束の間逡巡したあと、トゥリカは頷いてみせる。

「――本当は無理矢理にでも帰そうって覚悟してたんだけど、気が変わった。相手があの男なら話は別だ」

テオは口早にそう言い、トゥリカの拘束をほどいた。

「後ろに下がってるんだよ」

そう促され、トゥリカは素直に一歩二歩と下がり玄関扉を背にして立ったものの、テオの言葉に引っかかりを覚えていた。
テオがフェリクスを以前から知っていたような口ぶりだったからだ。

脳裏にフェリクスが言っていた【兄の仇】という言葉がよぎる。

「僕は消えろと言ってるんだ」

トゥリカの疑心をよそに、テオはフェリクスへと近づき口を開いた。トゥリカに向けるそれとは対照的な、体の芯を凍えさせるような冷たい声音。

「君に会うのは二度目だね。コルトヌーク国の二の王子」

続けられたテオの言葉にトゥリカは驚愕し、こちらを見ない彼の背中をじっと凝視する。
彼は今なんと言った?

「二度目……?」

浮かんだ疑問を声に出し、思わずフェリクスの方へ視線を動かした。
やはり、フェリクスの言うとおりだったのだろうか、とわずかに不安になるが、すぐに思い直す。
フェリクスの様子がおかしかったからだ。

「なにを、言ってる……」

フェリクスは剣の切っ先をテオに向けたまま、鼻を鳴らして笑った。
しかし、その顔は青ざめ表情は引きつっている。柄を握る手もわずかながら震えていた。トゥリカの目から見ても明らかに彼は動揺している。それは肉親の仇に相対する者の態度ではなかった。

「とぼけても無駄だよ。二月前会ったときは顔を隠した上、目くらましの術までかけて念入りにしてたようだけど、あの程度の術では僕には無意味だよ」
「馬鹿なっ! あの術は完璧に――」
「ゲルトっ! 黙れ」

テオの言葉に最初に声を荒げたのはそれまで黙っていたゲルトだった。
しかし、すぐにフェリクスが一喝し、ゲルトは申し訳なさそうに身体を小さくしてもごもごと口ごもる。

「あの術は君がかけたのか。そうだね、完璧だった。僕以外には充分通用する」

テオが軽く肩をすくめて、ゲルトを一瞥した。
それらの様子を見ていたトゥリカは大体のことを察する。

今回のこととは別件で、フェリクスはテオに自ら会いに来たのだ。しかも身分を隠して。そうする理由は限られている。
単純に考えれば、塔の魔術師への依頼だ。詳しい事情までは読み解けないが、フェリクスとアヒムたちは結託していたのだろう。

「貴様、どこまで知っている?」
「僕が知っているのは、断った君からの依頼だけだ。いい機会だ。彼女を妻に娶りたいなら、今この場で全て話したらどうだい? 真実を知って、彼女が帰りたいと望むなら、僕は潔く身を引くよ」

テオの挑発的な言葉にフェリクスが動いた。手にしていた剣を構えテオに斬りかかる。
さすが王家の子息というだけあるのか、生まれながらに訓練を受けてきたのだろう、その動きに無駄は一切ない。

間一髪、テオは身を翻し、ギリギリのところで一刀をかわす。
しかし、フェリクスの方もすぐに身を返し、再び攻撃を繰り出した。

「あっちの二人は彼女も知っている人物のようだね。どういう経緯で利害が一致したのかな?」
「貴様には関係ないことだ!」
「っと」

何度目かのフェリクスの一振りで、テオのローブの裾が縦に裂けた。
テオは素早い動作でローブを脱ぎ捨てる。

「――っ!」

トゥリカは声にならない叫びを上げ、口元を押さえた。

以前、都の路地裏で見たときのような余裕が今のテオからは窺えなかった。そのうえ、彼は今、武器と呼べるような物をなにも持っていないのだ。剣術に詳しくないトゥリカにもテオの劣勢がわかった。

「術で防げないのっ?」

咄嗟にそう声を張り上げたが、テオは短く舌を打つだけだ。

「王女殿下の言うとおりだ。お得意の魔術はどうしたっ?」

フェリクスが突き出した剣がテオの顔をかすめる。
白い頬に赤い筋が浮かび鮮血がこぼれ落ちる。その拍子にテオは体勢を崩し地面に腰を落とした。

「ほう。長命と噂の魔術師殿でも血は赤いんだな」

フェリクスが満足げな笑みを浮かべ、テオの身体をまたぐ。そして、心臓を一突きにでもしようというのか、剣を逆手に持ち替えて両の手で掲げた。

「やめて!」

考えるよりも先にトゥリカの身体は動いた。テオの危機をどうにか防ぎたくて、フェリクスに突進する。剣を掲げる腕にしがみつくが、フェリクスが大きく腕を振り、あっけなく弾かれてしまった。

「王女のためだ。出来る限り、楽に死なせてやる」

フェリクスが再び腕を高く上げる。

「いや――――っ!」

最期を予感してトゥリカは頭を抱えてまぶたをきつく閉じた。
そのときだ。

「トゥリカっ! そのまま頭下げててっ!」

背後から聞き覚えのある声が聞こえたかと思えば、頭上を何かが凄い勢いで通り過ぎていった。直後、高い金属音が辺りに響き渡る。

なにが起きたのか、と恐る恐る視線だけ上げれば、明るい日差しに亜麻色の髪が煌めいた。

「――フランツっ!」

トゥリカは驚きに瞳を一杯に見開き、その名を呼んだ。
トゥリカの目の前で、フランツが剣を手にフェリクスに斬りかかっていたのだ。
フェリクスが顔前近くでフランツの一刀を防いでいる。先刻の金属音は二人の剣がかち合った音だったようだ。

「うわ……っと。ごめん、トゥリカ。挨拶はあとでねっ。テオ、これは俺の問題だから手は出さないでよ」

フェリクスが剣を薙ぎ払い、フランツが後方に飛び退く。

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