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夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

31 礼拝堂


トゥリカはイルゼの案内で礼拝堂までやってきた。

最初は祈りを捧げるために連れてこられたのかと思ったトゥリカだったが、イルゼが祭壇の奥、白獅子の間と呼ばれる小部屋へと進んだのを見て考えを改めた。
本来その部屋は、大司祭のみが入室を許されている聖域である。たとえ王族であろうとも足を踏み入れてはならない場所なのだ。

黒樫製の扉を開け、小部屋の中へと入っていったイルゼの背を追い、トゥリカも小部屋内に足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が漂う室内をトゥリカはゆっくりと見回す。
小部屋は両腕を広げられる程度の幅しかないが、奥行きはかなりあるようだ。
トゥリカの頭よりも上の位置に棚があり、そこには祭事に使うのだろう黄金の大きな杯や彫刻が施された杖などが置かれている。
イルゼが黙ったまま、真っ暗な部屋の奥へと進んでいくので、トゥリカはすぐ後ろについた。

最奥の壁に行き着くと、イルゼは壁の表面に手を這わせ始めた。
トゥリカは不思議に思いながらも、問いの言葉を発することが出来ず、ただ母の背中を見つめる。
そのうちにイルゼは壁から手を離し、今度は左の中指にはめていた指輪を抜き取った。

「トゥリカ。こちらへ」

振り返ったイルゼの言葉に従い、トゥリカは前へと一歩踏み出す。するとイルゼはトゥリカの眼前に指輪を差し出した。

虹を閉じこめたような不思議な光彩を放つ大ぶりの石がついた金の指輪だ。輪の外側には文字のような細かい彫金が施されている。

「この指輪は王妃となる者が代々受け継いできた物です」

イルゼはそう言い、トゥリカの手に指輪をそっと握らせる。
トゥリカは自分の手の平にのった指輪を束の間見つめたあと、再びイルゼへと視線を移した。

なぜ、大切な指輪を自分に渡すのか?
なぜ、自分をここに連れてきたのか?

訊きたいことはあったけれど、揺れるランプの明かりに照らされる母が穏やかに頬笑みつつも、どこか悲しげに眉を寄せているのを見て、のどまで出かけた言葉を飲み込んだ。

「ここに指輪を入れなさい」

イルゼがそう言って、壁の表面の一カ所を指し示した。
見ると、石造りの壁に穴が開いている。穴は、ちょうど指輪とそっくり同じ形をしていた。
トゥリカは戸惑いながらも、言われるままに手を伸ばし穴に指輪をはめ込む。
直後、目の前の壁の一角がぼんやりと発光したように見えて、トゥリカは顔をしかめた。しかし、すぐに勘違いだと気づく。
よく見れば、輝いているのではなく壁の表面が変化していた。灰褐色だった壁は指輪の石と同じ不思議な色合いの石になっていたのだ。ざらざらとしていた表面も、とても滑らかになっている。

トゥリカが目を見張っていると、横にいたイルゼが手を伸ばしそっと壁を押した。
驚くほどあっさりと壁が扉のように動き、トゥリカはさらに瞳を大きく見開いた。

「トゥリカ」

目の前の光景を呆然として見つめていたトゥリカだったが、名を呼ばれてはっとする。

「ここは国王と王妃にのみ伝えられている通路です。王宮に危険が迫ったとき、秘密裏に城勤めの者を逃がすために造られたのでしょう」

淡々とした口調で話すイルゼの声を聞きながら、トゥリカは開いた壁の隙間から中を覗き込んだ。
石造りの階段が地下深くへと伸びている。先は真っ暗で、闇がどこまでも続いているようにすら見える。
妙なうすら寒さを感じて、トゥリカは自分の腕をそっとさすった。
そこへすかさずイルゼの声がかかる。

「移動魔法を使えるほど高位の魔術師はここにはいませんからね。塔に行くには歩いていくしか方法はありません。ここを通れば東の森のすぐ近くに出られるはずです。一本道ですから迷うことはないでしょう。けれど、図面にも載っていない、もうずっと使われていなかった通路です。道のりがどれほど険しいかは私にもわかりませんよ。それでもあの魔術師を助けたいと望みますか?」

イルゼの問いに、トゥリカはきつく拳を握りしめる。
まっすぐ東の森近くにたどり着けるとはいえ、危険を示唆するイルゼの言葉の意味は理解できる。
果ての見えない闇を歩き続けることは正直怖い。
けれど、トゥリカは大きく息を吸い込み、イルゼの窺うような視線を正面から受け止め、しっかりと頷いた。

「行きます」

そうはっきりと口にした声が、闇が広がる地下へと木霊した。

「――指輪を外したら、ここは最初と同じ壁に戻ります。引き返すことは出来ませんよ?」
「はい」

トゥリカがもう一度頷くと、イルゼは短く息を吐き出して、手にしていたランプを差し出してきた。

「持って行きなさい。暗闇を手探りで歩くのは無謀ですからね」
「ありがとう、お母様」

ランプを受け取り、頭を下げたあとトゥリカはゆっくりときびすを返した。
まるで地底深くへと続くような階段を一段、二段と降りていく。
三段目にさしかかったとき、

「トゥリカ」

イルゼの細い声が背中に届いた。

「私は戦が終わるまで、ここで祈りを捧げるつもりです」

イルゼの言葉は、もしもトゥリカが途中でくじけたときの逃げ道を言外に告げていた。
トゥリカは小さく頷き、心の中で何度も礼を言った。
そのまま後ろは振り向かず、黙々と階段を降りていく。
それからほどなくして、ランプで照らされる狭い範囲に階段の終わりが見えてきた。
カビや埃だろうか、鼻をつく臭いも強くなった気がする。
最後の一段を踏みしめたとき、仄明るい視界の中で黒いなにかが蠢いた気がした。

トゥリカはびくりと肩を揺らし、そちらへとランプを動かした。
直後、全身の毛が逆立つ感覚を味わう。

長い触角の赤黒く円い体をした虫が通路のそこかしこで無数に蠢いていた。上から見ると楕円形の体にはいくつもの節があり、その両脇から細い足がそれぞれ三本ずつ伸びている。

お世辞にも愛らしいとは言えない姿に、トゥリカは肌を粟立て身を硬くした。
と、その時だ。
ぽとり、と肩の上になにかが落ちてきた。

素早く視線を動かすと、二の腕と肩の境あたりで、地面で蠢く虫と同じものが長い触角をゆらゆらと動かしている。

「――っ!」

トゥリカは声にならない叫び声を上げ、身をよじった。
虫が身体から離れたことを確認したあと、ランプを頭上に掲げ恐る恐る顔を上げてみる。
それほど高くない天井には、ほぼ隙間なく虫の大群が張り付いていた。トゥリカは軋んだ音を立てそうな硬い動きで顔の向きを戻す。
そして、前方に伸びる闇を見据えてごくりとのどを鳴らした。

通路の出口まで無事にたどり着けるだろうか?

一瞬、そんな不安が脳裏をよぎるが、すぐに気持ちを奮い立たせた。
虫ごときにおののいている場合ではない。人の命に関わる事態なのだ。急がなければ間に合わない。

(絶対に助けてみせる)

トゥリカはランプを持つ手に力を込めて、歩を進め始めた。

* * *

歩き始めてからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
同じ景色が続いているせいか、随分と長い距離を歩いているような気がする。
天井や地面の至る所にいた不気味な虫は、進むにつれ徐々に数が減っていった。そのかわり、蜘蛛の巣が顔に張り付いたり、生まれて初めて見る羽虫の大群に遭遇したりと、肉体はもちろん精神的にも疲弊しきる道のりであった。

トゥリカは乾いた唇を舌でしめらせ、出来るだけ広い範囲を照らせるようにランプを掲げながら、懸命に足を前に出した。
直後、トゥリカは愕然とする。

「そんなっ!」

ぼんやりと照らされた先に道がなかったためだ。
痛む足を引きずるようにして、目の前に現れた壁によろよろと近づいていく。
壁が通路の出口を塞いでいるのか、それとも出口は壁のずっと先にあるのかはわからなかったが、どちらにせよ進めなくてはここまで歩いてきた意味がない。

消沈の思いで、壁の正面に立ちランプを持たぬ方の手でその表面を触った。
そこで、おや? と思う。
石壁の触り心地とは違っていたからだ。
トゥリカはランプを足下に置き、壁に両手をついた。
そして、腰を落とし全体重を両腕にかけて壁を押した。
すると、ズ、と音を立てて、わずかではあったが前に進むことが出来た。
壁だと思ったものは、どうやら扉のような役目をしているもののようだ。

トゥリカは嬉々として、さらに力を込めて扉らしきものを押す。
そのあとはあっという間の出来事だった。

「きゃっ!」

突然抵抗がなくなり、トゥリカはそのまま前のめりに倒れた。
目一杯の力で押していたせいか、倒れた拍子に地面に肘をしたたかに打ち付けてしまった。
痛みで顔をしかめながらも、なんとか薄目を開けて前を見る。

「光り……」

思わずそう声が漏れた。
前方にぽっかりと口を開けるように外の景色が見えたのだ。
通路の出口は洞穴の中に造られていた。道理で通路を塞ぐ壁の向こう側に光りの気配を感じられないはずだ。

トゥリカは勢いよく立ち上がり、体の痛みも忘れ、足をもつれさせながら出口に向かった。外へと飛び出し明るい空に瞳を細める。
降り注ぐ太陽の光が異様に眩しく感じられたが、今はこの眩しさが嬉しかった。
手で日差しを遮えぎろうとして、はっとする。

太陽が空の中程まで昇っていたのだ。
夜が明けてから随分と時間が経っているようだ。

「急がなきゃ」

トゥリカは慌てて辺りを見回し、自分がどこにいるのか確かめようとした。
背後の洞穴はロワナ宮殿が建つ丘の麓にあるものだ。
草原が広がる景色の右手にアーゼンの街並みが見え、少し離れたところに塔が建つ森があった。

「なんてこと……」

森の姿を認識したトゥリカは両手で口元を覆った。
今まさに、森を取り囲むように騎馬隊や歩兵が集おうとしている。
緑の平原と青い空を背景に、先頭を進む者が掲げる旗が風にはためいている。朱地に白い鳩の紋章が織り込まれた、白鳩騎士団のものだ。
遅くもなく早くもない、独特の速度で列をなして進む軍勢の姿は荘厳であった。
トゥリカはそれらを一瞥し、すぐさま走り出した。

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