夜をまとう魔術師
20 真意
深夜。テオは自分の部屋にやってきた訪問者によって読書の中断を余儀なくされた。
「なにか用かな?」
部屋に入ってくるなり寝台にどっかと腰を下ろしたフランツに、テオは冷ややかな視線を向けた。
蝋燭の炎がフランツの亜麻色の髪や顔を照らし、くっきりとした陰翳を作り出している。
「彼女がちゃんと寝たって報告だよ。あんたが用意した精油の効き目は抜群だね。たぶん朝まで目覚めないんじゃない?」
「それはよかった。疲れてるだろうからね。眠るときくらいゆっくりさせてあげたいし」
「へえ、優しいんだ。本当は寝首をかかれたら困るからじゃないの」
「彼女はそんなことしないよ」
「随分と信じてるんだね」
フランツは単調にそう言い、両腕を頭上高く伸ばした。
一向に出て行くそぶりを見せないフランツの態度に、テオは目を細める。
「で? 他になにか言いたいことは?」
読みかけの本を机の上に閉じ、フランツの正面に立つ。すると、こちらを見上げてきたフランツがにやりと笑った。
「あんたが前に言ってた【この世で唯一名前を教えてもいい相手】って、あの子なんだろ?」
「さあ、ね」
「惚れた相手にだけ正式名を教えたいなんて、あんた意外と可愛いとこがあるよね」
「君に理由を話したのは僕の間違いだったよ」
テオはあくまでも素っ気なく答えた。
けれどフランツの方はあまり気にとめなかったようで、すっくと立ち上がり、テオと目の高さを合わせてきた。
「ま、いいや。あんたが入れ込んでるのがあんまり見え見えだからちょっとおもしろかったよ」
楽しげに笑って言ったフランツの視線を、テオは真っ向から受け止める。
フランツとは二月ほど前、ひょんなことで知り合うこととなった。以来、彼はこの屋敷に住み着いている。生い立ちや置かれていた立場がそうさせているのか、フランツは悪気なく人の核心に触れてくる。
「それはどうも。君の方も少し悪ふざけが過ぎていたみたいだね」
テオは今日の出来事を思い出しながら、そう口にした。
水盤に張られた水越しに見た光景は、仲むつまじくではなかったものの井戸のそばで話しをするトゥリカとフランツの姿だ。
「自分の身分を隠し、彼女の正体にも気づかないふりをしてくれたことには感謝するけれど、僕は触れるなと言ったはずだよね」
テオは顔から笑みを消し、フランツを睨む。
「うっわ。まさか妬いてるとか?」
大げさにフランツがのけぞり、その視線を部屋の中に置かれている水盤の方へと移した。
「また、それ使って視たんだ。そういうの嫌われるよ。大体、気になるなら自分で案内すればいいのに。いい歳して奥手だよなー」
フランツの言葉に、テオはぐっと喉を詰まらせ顔を歪めた。
「恋人同士だって茶化したときは文句言わなかったくせにさ。あーやだやだ。男の嫉妬ってみっともないなぁ。皆に恐れられるあの塔の魔術師がこんな様になるなんて、きっと誰も想像できないって」
ひらひらと両の手の平をかざして、フランツが言葉を続けた。
テオは出来る限り平静を装って、その顔に改めて笑みを貼り付ける。
「フランツ、いい加減に――」
「まあ、気持ちもわからなくはないけどさ。トゥリカって見た目も中身もそこそこ悪くない。本当の意味での警戒心がないところは愚かともとれるけど、それだけ良い環境で育ってきたんだろうしね。俺が横からかっさらっちゃおうかな? ほら、俺の方が歳も身分も釣り合いはとれ――っうわ!」」
フランツが止めどなくしゃべり続ける中、テオは机の上に置いてあった紙切りナイフを手に取った。青銅製の持ち手の部分に彫金が施されたものだ。その尖った先端をフランツの顎下に突きつける。
「僕は割と君のことは気に入ってるよ。だから大抵のことは許容してきたつもりだ」
「待っ――っ! ごめんっ、ほんの冗談だって」
「君には君のやるべきことがあるよね? それでも、彼女を幸せにするって誓えるんだったら僕は喜んで祝福するよ」
「うわ……。絶対嘘だ。目が笑ってないよ、テオ」
「ふぅん――まだ余裕があるみたいだね。まずはよく動くその口をそぎ落としてあげようか」
「も、もう言わないから。ごめんって。本当に悪かったと思ってます」
フランツが両手を高く掲げて繰り返し謝った。
テオはうんざりと息を吐き出し、紙切りナイフを元あった場所に戻すと椅子に腰を下ろした。そして、読みかけだった本を再び手に取る。
テオの態度から何か感じ取ったのか、フランツはそそくさと部屋を出て行こうとした。
テオはその背中に向かって声をかける。
「さっき君が言ったことの一部は正しいと思うよ」
「え?」
「なんでもないよ。おやすみ、フランツ」
「う、ん。おやすみ」
テオが軽く手を振ると、フランツは首をひねりながらも部屋を出ていった。
フランツの足音が遠のいていくのを聞きながら、テオは深いため息をつく。
本の内容は頭の中にさっぱり入ってこない。
「釣り合わないことなんて言われなくてもわかってるよ……」
ぽつりと呟き、本を机の上に放り投げる。
しんと静まった部屋の中で、蝋燭の炎だけがゆらゆらと揺れていた。
◆
翌朝、トゥリカが目を覚ますと部屋の長椅子の上には色取り取りのドレスが山積みになっていた。
トゥリカはその光景に絶句する。
試しに一着手に取ってみると、触り心地のいい上質の生地が使われているのだとわかった。
「こんなもので誤魔化されたりしないんだから」
トゥリカは手にしているドレスを握りしめて呟いた。
正直なところ、ドレスの山はとても魅力的に見えた。
寝る前に脱いで、寝台の脇にかけておいた宮殿から着てきた黒いドレスを見る。ここに来るまでですっかり汚れ、裾の方などすり切れていた。着替えは他にない。あるのは今身につけている寝衣だけだ。しかし、こちらもずっと着っぱなしだったせいで汗を吸い、あまり着心地の良い物ではなくなっていた。
「別に誤魔化すつもりで用意したんじゃないよ」
じっとドレスに見入っていると、そう声が聞こえてきた。
トゥリカははっとして声がした方を見る。
窓のすぐそばにテオがにこやかな表情を浮かべて立っていた。
トゥリカは慌てて、手にしていたドレスを胸元に抱え身体を隠す。
相手がいくら得体の知れない魔術師であろうと一応は異性だ。寝衣姿を見られるのは喜ばしくない。
「黙って入ってくるなんて非常識だわ」
「一応ノックはしたんだけどね。君はよく寝ていたようだから、ここで起きるのを待ってたんだ」
テオの言葉を聞いて、トゥリカは愕然とした。
今の彼の発言は、自分が起きる前からこの部屋にいたという意味にとれる。
理解した途端、トゥリカはドレスを抱えたまま自分の頬を両手で押さえて、テオに背を向けた。
(なんてこと! 寝ている姿なんてリタにしか見られたことないのに!)
あまりの恥ずかしさで顔が熱い。
敵陣でぐっすり眠ってしまった自分にも腹が立つ。
「昨日のうちに用意すべきだったね。色々と取りそろえてみたんだけど、気に入らなかったかな?」
テオは、なにを勘違いしたのか見当外れのことを言ってきた。
「好みの問題じゃないわ。あなたにこんなことしてもらうわけにはいかないの」
トゥリカはテオに向き直り、はっきりとそう告げた。
これでは完全に世話してもらっている状態だ。
トゥリカが自分でしたことといえば、王宮から抜け出たことだけ。食事も、寝る場所も、着る物も、全てテオが用意してくれた。
このままではいけない。
「ドレスは受け取れないわ」
トゥリカは、テオをまっすぐ見上げきっぱりと言った。
「でも、着替えがないと不便だよね」
「そ、そうだけど……」
「だったら素直に受け取りなよ」
テオがそう言って、ドレスの山の中から一着――淡い萌黄色のドレスを取り差し出してきた。
それでもトゥリカはぷいと顔を背け頑なに拒む。すると、頭上からため息が聞こえた。
「いつまでも寝間着一枚じゃ風邪をひくよ。それとも色仕掛けがしたいの? 君からだったら僕はいつでも大歓迎だよ」
吐息まじりで囁かれた言葉の内容に、トゥリカはきつくテオを睨んだ。
しかし、テオは素知らぬ方向を見たままトゥリカの眼前にドレスを突き出してくる。
「その気がないなら、僕には目の毒にしかならないんだよね」
「だ、だったら、今まで着ていた物があるからそれは必要ないわ」
トゥリカはそう言ってドレスから目を背けた。そして、寝台の脇にかけてある黒いドレスを取ろうときびすを返し歩を進めようとしたが、
「こっちは随分と汚れてしまったようだね」
テオの声が聞こえた直後、トゥリカの目の前でドレスがふわりと浮いた。ドレスはまるで意志を持ったようにトゥリカの手を逃れて空中に浮くと、テオの腕の中へと移動していった。
あっという間の出来事だ。トゥリカは目を見張り、すぐにテオを振り返る。彼はにっこりと余裕ありげに頬笑んでいた。
「屋敷の主人として、これを君に着せるわけにはいかないな。お客様には快適に過ごして欲しいからね。それに、僕に従うって約束だよね?」
テオの態度から黒いドレスを取り返すのは難しいと感じたトゥリカは、渋々長椅子の前まで戻った。そして、テオの手から萌黄色のドレスを引ったくる。
「わかったわ。着ればいいんでしょう!」
「朝食の支度は出来てるよ。気が向いたら食堂においで」
腹を立てたトゥリカとは対照的に、テオは穏やかにそう言い置いて部屋を出て行った。
扉が静かに閉まったのを確認したあと、トゥリカは寝衣を脱ぎ捨て、やけになって新しいドレスを着込んだ。
ドレスはまるであつらえたようにトゥリカにぴったりで着心地も良い。
下品にならない程度に開いた首周りと、ふんわりとふくらんだ袖口にはレースがあしらわれている。大きく広がったドレスのスカートの裾には金糸や銀糸で細かく小花の刺繍が施されていた。
宝石がついているわけでもない。価値だけでいえば、トゥリカが着てきた黒いドレスの方が高価だろう。
ふと長椅子の上に置かれた他のドレスにも視線を巡らせてみる。
どれもが清楚で、落ち着いた形のものばかりだ。
テオが自らドレスを買い揃えたかどうかはわからなかったけれど、どれも皆トゥリカが宮殿で好んで着ていたものによく似ている。
(変な人……)
悔しさと同時に、胸の奥がこそばゆくなるような感覚を味わい、トゥリカは胸の前でぎゅっと手を握った。
「なにか用かな?」
部屋に入ってくるなり寝台にどっかと腰を下ろしたフランツに、テオは冷ややかな視線を向けた。
蝋燭の炎がフランツの亜麻色の髪や顔を照らし、くっきりとした陰翳を作り出している。
「彼女がちゃんと寝たって報告だよ。あんたが用意した精油の効き目は抜群だね。たぶん朝まで目覚めないんじゃない?」
「それはよかった。疲れてるだろうからね。眠るときくらいゆっくりさせてあげたいし」
「へえ、優しいんだ。本当は寝首をかかれたら困るからじゃないの」
「彼女はそんなことしないよ」
「随分と信じてるんだね」
フランツは単調にそう言い、両腕を頭上高く伸ばした。
一向に出て行くそぶりを見せないフランツの態度に、テオは目を細める。
「で? 他になにか言いたいことは?」
読みかけの本を机の上に閉じ、フランツの正面に立つ。すると、こちらを見上げてきたフランツがにやりと笑った。
「あんたが前に言ってた【この世で唯一名前を教えてもいい相手】って、あの子なんだろ?」
「さあ、ね」
「惚れた相手にだけ正式名を教えたいなんて、あんた意外と可愛いとこがあるよね」
「君に理由を話したのは僕の間違いだったよ」
テオはあくまでも素っ気なく答えた。
けれどフランツの方はあまり気にとめなかったようで、すっくと立ち上がり、テオと目の高さを合わせてきた。
「ま、いいや。あんたが入れ込んでるのがあんまり見え見えだからちょっとおもしろかったよ」
楽しげに笑って言ったフランツの視線を、テオは真っ向から受け止める。
フランツとは二月ほど前、ひょんなことで知り合うこととなった。以来、彼はこの屋敷に住み着いている。生い立ちや置かれていた立場がそうさせているのか、フランツは悪気なく人の核心に触れてくる。
「それはどうも。君の方も少し悪ふざけが過ぎていたみたいだね」
テオは今日の出来事を思い出しながら、そう口にした。
水盤に張られた水越しに見た光景は、仲むつまじくではなかったものの井戸のそばで話しをするトゥリカとフランツの姿だ。
「自分の身分を隠し、彼女の正体にも気づかないふりをしてくれたことには感謝するけれど、僕は触れるなと言ったはずだよね」
テオは顔から笑みを消し、フランツを睨む。
「うっわ。まさか妬いてるとか?」
大げさにフランツがのけぞり、その視線を部屋の中に置かれている水盤の方へと移した。
「また、それ使って視たんだ。そういうの嫌われるよ。大体、気になるなら自分で案内すればいいのに。いい歳して奥手だよなー」
フランツの言葉に、テオはぐっと喉を詰まらせ顔を歪めた。
「恋人同士だって茶化したときは文句言わなかったくせにさ。あーやだやだ。男の嫉妬ってみっともないなぁ。皆に恐れられるあの塔の魔術師がこんな様になるなんて、きっと誰も想像できないって」
ひらひらと両の手の平をかざして、フランツが言葉を続けた。
テオは出来る限り平静を装って、その顔に改めて笑みを貼り付ける。
「フランツ、いい加減に――」
「まあ、気持ちもわからなくはないけどさ。トゥリカって見た目も中身もそこそこ悪くない。本当の意味での警戒心がないところは愚かともとれるけど、それだけ良い環境で育ってきたんだろうしね。俺が横からかっさらっちゃおうかな? ほら、俺の方が歳も身分も釣り合いはとれ――っうわ!」」
フランツが止めどなくしゃべり続ける中、テオは机の上に置いてあった紙切りナイフを手に取った。青銅製の持ち手の部分に彫金が施されたものだ。その尖った先端をフランツの顎下に突きつける。
「僕は割と君のことは気に入ってるよ。だから大抵のことは許容してきたつもりだ」
「待っ――っ! ごめんっ、ほんの冗談だって」
「君には君のやるべきことがあるよね? それでも、彼女を幸せにするって誓えるんだったら僕は喜んで祝福するよ」
「うわ……。絶対嘘だ。目が笑ってないよ、テオ」
「ふぅん――まだ余裕があるみたいだね。まずはよく動くその口をそぎ落としてあげようか」
「も、もう言わないから。ごめんって。本当に悪かったと思ってます」
フランツが両手を高く掲げて繰り返し謝った。
テオはうんざりと息を吐き出し、紙切りナイフを元あった場所に戻すと椅子に腰を下ろした。そして、読みかけだった本を再び手に取る。
テオの態度から何か感じ取ったのか、フランツはそそくさと部屋を出て行こうとした。
テオはその背中に向かって声をかける。
「さっき君が言ったことの一部は正しいと思うよ」
「え?」
「なんでもないよ。おやすみ、フランツ」
「う、ん。おやすみ」
テオが軽く手を振ると、フランツは首をひねりながらも部屋を出ていった。
フランツの足音が遠のいていくのを聞きながら、テオは深いため息をつく。
本の内容は頭の中にさっぱり入ってこない。
「釣り合わないことなんて言われなくてもわかってるよ……」
ぽつりと呟き、本を机の上に放り投げる。
しんと静まった部屋の中で、蝋燭の炎だけがゆらゆらと揺れていた。
◆
翌朝、トゥリカが目を覚ますと部屋の長椅子の上には色取り取りのドレスが山積みになっていた。
トゥリカはその光景に絶句する。
試しに一着手に取ってみると、触り心地のいい上質の生地が使われているのだとわかった。
「こんなもので誤魔化されたりしないんだから」
トゥリカは手にしているドレスを握りしめて呟いた。
正直なところ、ドレスの山はとても魅力的に見えた。
寝る前に脱いで、寝台の脇にかけておいた宮殿から着てきた黒いドレスを見る。ここに来るまでですっかり汚れ、裾の方などすり切れていた。着替えは他にない。あるのは今身につけている寝衣だけだ。しかし、こちらもずっと着っぱなしだったせいで汗を吸い、あまり着心地の良い物ではなくなっていた。
「別に誤魔化すつもりで用意したんじゃないよ」
じっとドレスに見入っていると、そう声が聞こえてきた。
トゥリカははっとして声がした方を見る。
窓のすぐそばにテオがにこやかな表情を浮かべて立っていた。
トゥリカは慌てて、手にしていたドレスを胸元に抱え身体を隠す。
相手がいくら得体の知れない魔術師であろうと一応は異性だ。寝衣姿を見られるのは喜ばしくない。
「黙って入ってくるなんて非常識だわ」
「一応ノックはしたんだけどね。君はよく寝ていたようだから、ここで起きるのを待ってたんだ」
テオの言葉を聞いて、トゥリカは愕然とした。
今の彼の発言は、自分が起きる前からこの部屋にいたという意味にとれる。
理解した途端、トゥリカはドレスを抱えたまま自分の頬を両手で押さえて、テオに背を向けた。
(なんてこと! 寝ている姿なんてリタにしか見られたことないのに!)
あまりの恥ずかしさで顔が熱い。
敵陣でぐっすり眠ってしまった自分にも腹が立つ。
「昨日のうちに用意すべきだったね。色々と取りそろえてみたんだけど、気に入らなかったかな?」
テオは、なにを勘違いしたのか見当外れのことを言ってきた。
「好みの問題じゃないわ。あなたにこんなことしてもらうわけにはいかないの」
トゥリカはテオに向き直り、はっきりとそう告げた。
これでは完全に世話してもらっている状態だ。
トゥリカが自分でしたことといえば、王宮から抜け出たことだけ。食事も、寝る場所も、着る物も、全てテオが用意してくれた。
このままではいけない。
「ドレスは受け取れないわ」
トゥリカは、テオをまっすぐ見上げきっぱりと言った。
「でも、着替えがないと不便だよね」
「そ、そうだけど……」
「だったら素直に受け取りなよ」
テオがそう言って、ドレスの山の中から一着――淡い萌黄色のドレスを取り差し出してきた。
それでもトゥリカはぷいと顔を背け頑なに拒む。すると、頭上からため息が聞こえた。
「いつまでも寝間着一枚じゃ風邪をひくよ。それとも色仕掛けがしたいの? 君からだったら僕はいつでも大歓迎だよ」
吐息まじりで囁かれた言葉の内容に、トゥリカはきつくテオを睨んだ。
しかし、テオは素知らぬ方向を見たままトゥリカの眼前にドレスを突き出してくる。
「その気がないなら、僕には目の毒にしかならないんだよね」
「だ、だったら、今まで着ていた物があるからそれは必要ないわ」
トゥリカはそう言ってドレスから目を背けた。そして、寝台の脇にかけてある黒いドレスを取ろうときびすを返し歩を進めようとしたが、
「こっちは随分と汚れてしまったようだね」
テオの声が聞こえた直後、トゥリカの目の前でドレスがふわりと浮いた。ドレスはまるで意志を持ったようにトゥリカの手を逃れて空中に浮くと、テオの腕の中へと移動していった。
あっという間の出来事だ。トゥリカは目を見張り、すぐにテオを振り返る。彼はにっこりと余裕ありげに頬笑んでいた。
「屋敷の主人として、これを君に着せるわけにはいかないな。お客様には快適に過ごして欲しいからね。それに、僕に従うって約束だよね?」
テオの態度から黒いドレスを取り返すのは難しいと感じたトゥリカは、渋々長椅子の前まで戻った。そして、テオの手から萌黄色のドレスを引ったくる。
「わかったわ。着ればいいんでしょう!」
「朝食の支度は出来てるよ。気が向いたら食堂においで」
腹を立てたトゥリカとは対照的に、テオは穏やかにそう言い置いて部屋を出て行った。
扉が静かに閉まったのを確認したあと、トゥリカは寝衣を脱ぎ捨て、やけになって新しいドレスを着込んだ。
ドレスはまるであつらえたようにトゥリカにぴったりで着心地も良い。
下品にならない程度に開いた首周りと、ふんわりとふくらんだ袖口にはレースがあしらわれている。大きく広がったドレスのスカートの裾には金糸や銀糸で細かく小花の刺繍が施されていた。
宝石がついているわけでもない。価値だけでいえば、トゥリカが着てきた黒いドレスの方が高価だろう。
ふと長椅子の上に置かれた他のドレスにも視線を巡らせてみる。
どれもが清楚で、落ち着いた形のものばかりだ。
テオが自らドレスを買い揃えたかどうかはわからなかったけれど、どれも皆トゥリカが宮殿で好んで着ていたものによく似ている。
(変な人……)
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