夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

6 異変

その夜、トゥリカは寝台の中で何度も寝返りを打った。
今日のことが気になってなかなか眠りにつけなかったのだ。
結局、オルフにも父にも会うことは叶わなかった。結婚式の前で皆忙しいようだ。

せめてオルフだけにはと、三度、騎士寮と自室を往復したのだが、四度目はさすがにリタに引き留められ、トゥリカは仕方なくリタを通して騎士寮長に、オルフが戻ってきたら連絡してくれるよう言伝を頼んだ。
しかし、夕食後しばらく待ってみてもオルフからの連絡はなかった。

「明日……」

トゥリカは仰向けになって、ため息をついた。
部屋の中は薄暗く頼りは月明かりだけだ。
青白い天幕を見つめて、トゥリカはもう一度ため息をこぼした。
手元の上掛けを引き寄せ肩まですっぽりとかける。

(明日こそ、ちゃんと話さなくては)

心の中で呟き、ぎゅっと目を閉じる。
まぶたの裏に広がった闇に、負の感情がかき立てられた。

(大丈夫。なにか起きると決まったわけじゃない。きっと、おかしなことなんて起きないわ。大丈夫……)

トゥリカは繰り返し自分に言い聞かせながら、少しずつまどろんでいった。

* * *

翌朝、トゥリカが目覚めると宮殿内は騒然としていた。
部屋の扉が慌ただしく開けられリタが駆け込んでくる。普段の彼女からは考えられない行動だ。
トゥリカは異変をすぐに察知して寝台から跳ね起きた。

「姫様っ! 大変ですっ!」

天蓋の帳が勢いよく引かれ、リタが真っ青な顔で叫んだ。
そのとき既にトゥリカは着替えるために寝衣の襟元を留める紐に手をかけていた。

「なにがあったの?」
「ティルダ様がっ!」

リタの悲痛な訴えに、トゥリカの心臓は大きく脈打った。

「…………ティルダがどうしたの?」

問いかける声が震えた。
対するリタが何かを言いかけるように口を開き、すぐにためらいがちにうつむいてしまった。
リタのその様子で、トゥリカは大体のことを察した。
魔術師がなにか行動を起こしたのかもしれない。
やはりどんなことをしてでも昨日のうちにオルフか父に話しておくべきだったのだ。
トゥリカは後悔からきつく拳を握りしめた。綺麗に整えてある爪が手の平に食い込んだ。
脱ぎかけの寝衣が汗を吸ってじっとりとしていく。身体は震えるのに、奇妙な暑さを感じていた。
トゥリカは意を決して口を開く。

「なにがあったのか教えてちょうだい」
「それが……」
「お願い。教えて」
「は、はい。先ほど、アルマがティルダ様をお越しに行ったのですが――ティルダ様はお目覚めにならず」
「そんな、まさか……」

リタの話しを聞いて、トゥリカの脳裏に最悪の事態がよぎった。
トゥリカは自分の顔から血の気が引いていくことがわかった。。
呼吸がうまくできない。
短く息を吸い込むばかりで、吐き出すことが出来ない。

「姫様っ!」

トゥリカの異変に、リタが慌てた様子でトゥリカの背中を撫でた。そして、しきりに謝り始める。

「申し訳ございません! ティルダ様の命に別状はありません。ただ、目覚めぬというだけで……。わたくしの言葉が足らず。大変失礼いたしました」

リタが何度も何度も頭を下げる。

「目覚めない……?」

トゥリカは呼吸を喘がせながら、リタの言葉を理解した。
次いで、荒れた呼吸のまま急いで寝台から降りると、リタに着替えを用意させる。

「ティルダが眠ったまま起きない、ということなのね?」
「はい。わたくしが聞き及んだ限りでは」
「ティルダのところへ行くわ」

なるべく動きやすい形のドレスを着込んだトゥリカは、リタに有無を言わせぬ勢いでそう言い、ティルダの元へと向かうことにした。

* * *

トゥリカがティルダの居室に到着したとき、部屋の前でトゥリカもよく知る二人の男がひそひそと話しをしていた。
そのうちの一人がトゥリカの登場に気づき、うやうやしく頭を垂れる。

「おはようございます。トゥリカ様」

元老院議長のアヒム・ボルマンだ。灰褐色の髪には白髪が交じり始めてはいるが、若い頃はさぞ都の娘たちを騒がせたであろう整った顔立ちをした初老の紳士である。また、ボルマン家は東国との戦で大功を立てた人物を始祖に持ち、優れた騎士を多く輩出している家柄だ。アヒムも例外ではなく、歳を重ねてもなおその腕に衰えは見えない。そのためか、王宮直属の騎士団からも一目置かれている。

「ティルダは?」

トゥリカは挨拶もそこそこにアヒムに問いかけた。

「まずは中へ。陛下もお見えです」

アヒムが扉を開き、中へと促された。
その間にもう一人の男――八人いる宮廷魔術師のうちの一人、ゲルト・バッヘムはティルダの居室の前から離れていった。
トゥリカはリタを伴って進もうとしたのだが、直前でアヒムがリタを制した。

「お前は外で待っていなさい」

アヒムの言葉にトゥリカはちらりと周りを見た。どうやら部屋の中に入っているのはある程度の地位についている者だけのようだ。
ティルダ付きの侍女アルマも壁に背中を預けて立っている。その顔は白く青ざめていて、事態の大きさを物語っていた。

「トゥリカ様。どうぞ」

トゥリカは気を引き締めて、部屋の中へ足を踏み入れる。
居室から寝室へと続く扉をアヒムが開けてくれたのだが、トゥリカはすぐに入らず、一度大きく深呼吸をしてから扉をくぐった。

寝室に入ると、広々した部屋の中に置かれた天蓋付きの寝台が目に入った。その周りを父や母、王宮内の重鎮たちが取り囲んでいる。その中にはオルフもおり、その表情にはトゥリカから見ても悲哀がありありと出ているのがわかった。
当然だろう。待ち望んでいた結婚式を間近に控えているというのに、婚約者が突然眠りから目覚めなくなってしまったのだ。

トゥリカは胸の奥が痛むのを感じながら、深く頭を下げる。
唯一救われたのは、垣間見えたティルダの寝顔がとても穏やかだったことだ。

「おはようございます」

トゥリカの声に、その場にいた者たちが一斉にこちらを振り返った。

「おお! トゥリカ」

父――ダグマルが真っ先に歩み寄ってきた。かすかに瞳が潤んで見えるのはきっと気のせいではないだろう。
ダグマルは穏やかな人柄で国民からの人望も厚く、王として立派に責務をこなしてはいるが、少々涙もろいところがあるのだ。
母イルゼは対照的で、こういうときでもしっかり背筋を伸ばし毅然としている。

「ティルダになにがあったのですか?」
「それが……原因がまったくわからないのだ。もうどうしたらいいか……」

ダグマルは背中を小さく丸めて頭を抱えた。

「お父様……」

普段は大きく見えるダグマルが今はひどくか弱く見え、トゥリカは思わずその手をそっと握った。

「ゲルトの話しですと、ティルダ様からは強い魔の力を感じる、とのことです」

後ろに控えていたアヒムがそう言った。
トゥリカは、先刻部屋の前にいたゲルトのことを思い出す。
王宮に長年使える魔術師であり、元老院の議員でもあるゲルトは長い白髭をたくわえた老年の男だ。
いかにも童話に出てくる魔法使いといった風貌で、トゥリカは子供の頃、深い皺の刻まれた顔が怖かった。未だに少し苦手な人物である。

「そのゲルトはいったいどこに行ったんだ?」
「はい。術を解く方法を早急に調べるということで自室に戻りました。ところで、陛下。コルトヌーク国に婚儀の延期を伝える早馬をとばしましょうか?」
「うむ……。式は三日後。すでにご出立されているかもしれんが、なにもしないよりはいいだろう。今、あの国と揉めることは極力避けたいからな」

東に隣接するコルトヌーク国と二代前のロワナの王は、国境付近の金剛石の鉱脈を巡って争ったことがあり、ロワナ国はかろうじて勝利した。しかし、それ以来長きにわたり小競り合いが続いている。
ダグマルが王に即位してからは、国交回復のための会談を根気よく繰り返し尽力しており、今回のティルダの結婚式にも、コルトヌーク国王の五人の子息たちの内四人を招待していた。
なぜ一人を除いてかというと、二月ほど前に一の王子が行方知れずになってしまったらしいからだ。消息は以前不明で、一時はロワナ国にも嫌疑がかけられた。

そういった経緯から現在両国の関係は非常に複雑な状態なのだ。

「それでは私は騎士団に早馬の要請をして参ります」
「ああ、アヒム。他の諸侯たちへの知らせも頼む」
「かしこまりました」

アヒムは丁寧に頭を下げたあと、きびすを返した。
いそいそと部屋を出て行くアヒムの背中を見送ったあと、トゥリカはダグマルへと向き直った。
昨日、薔薇園で会った塔の魔術師とおぼしき男のことを伝えようと思ったのだ。

「お父様」

ダグマルをまっすぐ見つめ口を開く。

「私は昨日、薔薇園で怪しい男に会いました。もしかしたらティルダをこのような目に遭わせた人物かもしれません」

室内にいる全員に聞こえるくらい大きくそう言うと、一気にその場はざわついた。

「トゥリカ、どういうことだ?」
「それは本当ですかっ?」

ダグマルが険しい面持ちでトゥリカを見つめ、それまでティルダの手を握っていたオルフも、トゥリカのそばに駆け寄ってきた。
トゥリカは自分の母を見習い、しっかり背筋を伸ばすと皆へと順繰りに視線を投げかける。

「その男は自らを――」

――塔の魔術師と名乗っていました。

トゥリカがそう続けようとしたときだ。
パンッ、と室内になにかが破裂するような音が響く。
トゥリカはその音に顔をしかめたが、次の瞬間、自分の目を疑った。

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