夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

8 悲しみと怒り

トゥリカは汗ばんだ手の平をきつく握りしめもう一度訊ねた。

「お父様たちは魔術師と契約していたのね? 教えてちょうだい。あなたから聞いたことは他言しないと約束する」
「――トゥリカ様。どうか落ち着いて聞いてください。本当はあなた様にはお話しすべきことではないのかもしれません。けれど同時に、あなた様には知る権利があるとも思います」

束の間の沈黙ののち、オルフがゆっくりと口を開いた。
トゥリカは緊張から唇を硬く引き結びオルフの次の言葉を待つ。

「私もアヒム殿からお聞きしただけなので全てを知っているわけではありません。詳しくはお話しできないのですが、結論から言いますと陛下は魔術師と契約を交わしたことがあるそうです」

オルフの言葉を聞きトゥリカは小さくやっぱりと漏らした。

「あなた様は生まれたばかりの頃とても身体が弱かったそうです。それこそ、風邪一つで命に関わるほど。そこで、陛下は国内外問わず医者を呼び寄せてはあなた様を診せた。けれど、問題の解決には至らず、塔の魔術師にご依頼されたそうです」

静かに語るオルフを呆然と見つめ、トゥリカは息を詰めた。

「……私の命を救うためにお父様は魔術師と契約したのね」

オルフの話しを反復して呟き、トゥリカはうつむいた。
父たちがどうして今になって契約を反故にしようとしたのかはわからない。そして、何故魔術師の報復の矛先が自分ではなくティルダだったのかもわからない。ただ理解できるのは原因の発端に自分が大きく関わっていたことだ。

「ティルダがこんなことになってしまったのは私のせいなのね……」
「トゥリカ様。ご自分を責めてはいけません。あなたにはなんの責任もないのですから。今は陛下を信じましょう。動かないのはきっとなにかお考えがあってのはずです」

視界の端でオルフの腕がこちらに伸びてくるのが見え、トゥリカは咄嗟に逃げるように身体をひねった。今、オルフに触れられてしまったら、必死に押し込めている感情が堰を切ってあふれ出してしまいそうだったからだ。

「――オルフはどうして冷静でいられるの? ティルダがああなってしまったのに、なぜ私のことまで気にかける余裕があるの?」

思わずそう告げると、オルフが短く息を呑んだのがわかった。
瞬間、トゥリカの心の中で警鐘が鳴る。自分は決して言ってはならないことを言おうとしている。わかってはいたけれど、理性の働きを無視して言葉を続けることでしか自分の動揺した心を静められなかった。

「オルフは心配ではないの? 本当は私のせいだと責めたいのでしょう? 責めればいいじゃない。そうすれば私だって――」

――少しは気が楽になるのに。

瞳を大きく見開いたオルフを見て、トゥリカは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
目の前でオルフが、怒っているような驚いているような表情のまま、なにか言いたげに口を開いては閉じを繰り返している。

(私は……なんてことを…)
「……心配ですよ。当然でしょう」

今までに聞いたことのないオルフの冷たい声音にトゥリカは無意識に身体をこわばらせた。

「あの、オルフ。ごめんなさ――」
「ゲルト殿は奴を討てば術が解けるかもしれないとおっしゃられていました。あなたを責めたところでティルダは目覚めない。悪いのはあなたではなく俺なんだ。あのとき魔術師を捕まえてさえいれば!」

鍛練場にオルフの怒声が響き渡った。
そこでトゥリカは、肩を震わせるオルフの額や首筋に汗の粒が無数に滲んでいることに気がついた。よく見れば胸当ての下に着ている服も汗を吸い込んで元の色よりもずっと濃くなっている。それらは早朝から訓練に励んでいた証だ。

(心配していないわけがないのに……)

なんという愚問を投げかけてしまったのだろう。
トゥリカは自分の言動を激しく後悔し、唇を噛んでうつむいた。とそこで、剣を握るオルフの右手が視界に入る。力が込められて白くなった指先が彼の怒りを物語っているように見えた。

「ごめんなさい。私、自分のことしか考えてなかったわ」
「いえ。お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ございませんでした。無礼な振る舞い、どうかお許しください」
「そんな……。謝らないでちょうだい」
「申し訳ございません。近いうちに必ずや奴を討ち果たし、ティルダを救ってみせます。信じて待っていてください。あなた様が責任を感じる必要はないのですから」

有無を言わせぬ勢いでオルフはそう言い深く頭を下げた。
トゥリカの胸に改めて〝責任〟という言葉が突き刺さる。

「どうかもう行ってください。あの者が心配します」

顔は上げぬままのオルフの言葉に、トゥリカは狼狽えながらも自分の背後を窺った。
こちらに向かってくるリタの姿が見えた。オルフの怒声を聞いて駆けつけたのだろう。
トゥリカは一度リタに視線を投げたあと、もう一度オルフを見た。しかし、オルフは下を向いたまま、一向に体勢を整えようとはしない。

完全な拒絶。自分は取り返しのつかぬ事をしてしまった。無神経な言葉でオルフを傷つけてしまったのだ。

「ひどいことを言って本当にごめんなさい」

トゥリカは自分の目頭が熱くなるのを意識しながら頭を下げた。
そして、すぐにきびすを返し、リタの元へと走り出す。

「大丈夫ですか? オルフ様となにかあったのですか?」
「違うの。ティルダとの懐かしい話しをしていたから、つい」

心配するリタの言葉に、トゥリカは涙ぐんだまなじりを指の腹で撫でて笑顔を作った。

「付き合ってくれてありがとう。戻りましょう」

トゥリカは気持ちを奮い立たせて顔を上げると、リタの前を歩き出した。

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