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夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

プロローグ

青年は天鵞絨ビロード張りの長椅子にゆったりと身体を沈めたまま、部屋の中をぐるりと見回した。
壁紙から調度品まで淡い色調で統一されており、室内はとても優しい雰囲気である。
全身黒ずくめの自分には縁のない色合いだ。
青年はそんな風に思いながら軽く肩をすくめた。そして、触り心地の良い背もたれに両腕をかけ前方に視線を投げる。

そこには険しい面持ちをした中年の男が黒檀の椅子に座っていた。すぐ隣には男と同じ年頃の美しい女が立っている。心なしか二人とも青白い顔をしているように見える。

「交渉決裂のようだね。帰るよ」

青年は二人を順に一瞥したあと、おもむろに腰を上げた。

「待ってくれ!」

男が慌てた様子で立ち上がったため、青年は腕を組むと大げさにため息をついた。

「言っておくけど僕はこれ以上譲歩する気はないよ。早く決めてくれるかな? 暇じゃないんだ」
「わかった。先ほどの条件を呑む。だから――娘を助けてくれ」

男は掠れた声でそう言い、力無く項垂れた。

青年は冷ややかに男を見たあと、その傍らに立つ女にも視線を向けた。
女はしっかりと背筋を伸ばし毅然としているように見えたが、胸の下あたりで組んだ白い手はかすかに震えている。

「本当にいいんだね?」

最後の確認を込めて問いかけると、女は静かに頷いた。

「じゃあ、早速始めるよ。少しの間部屋を出て行ってくれるかな」

そう言って、顎をしゃくり外へと続く扉を二人に示す。すると、二人は互いに支え合うようにして何度かこちらを振り返りながらも扉へと歩き出す。

「終わったら声をかけてくれ」
「ああ。わかったよ」

二人の姿が扉の向こうに消えたのを確認して、青年はくるりと身体の向きを変えた。

部屋の片隅に腰の高さほどの揺りかごが置かれている。
青年は揺りかごの前まで行くと、その中を覗き込んだ。

「正直、苦手なんだよね」

漆黒のローブの襟元をゆるめ、どうしたものかと自分の青みがかった毛先を指で弄ぶ。
揺りかごの中には純白のおくるみに包まれた赤ん坊がすやすやと寝息を立てて眠っている。

まだ髪は薄く、その色彩をはっきりと出してはいないが透き通るような銀髪。顔立ちは母親ほどではないにしろ赤子特有の愛らしさがある。青白く生気の欠けた顔色をしていることを除けば、ごく普通の赤ん坊だ。

先ほどの二人の話しによると、生まれた時に医者からこの子の命はあまり強くないと言われたそうだ。この世に生を受けて九十日目、今日まで生きてこられたことも奇跡に近いらしい。

「成功する確率は七割……」

今回青年がここを訪れることになったのは病弱な赤子の身体を治して欲しいと、赤子の両親――つまり先刻までこの場にいた二人から依頼されたためだった。

ただの人間相手にそれが出来るのは、この世界で唯一自分だけだろう。
青年はそう自負していたが、実行するかどうか正直なところ迷っていた。

他人の命を強引に長らえさせれば、自分は大切なものを失う。量にすれば半分程度。依頼主とは見合う報酬の約束をしている。しかし、約束が果たされるのは相当先だ。

青年は赤子を見つめ目を細めた。
赤子の両親に恩があるわけではない。助けたところで自分にはなんの利益もない。

「この子が死のうと僕には関係ない……」

そうぽつりと呟いて、何気なく手を伸ばす。
弾力のありそうな頬を指先でつつくと、赤子の眉間にわずかに皺が寄った。
素直な反応に、思わず頬の筋肉が緩みそうになる。

人間の赤ん坊をこうして近くで見る機会は今までなかった。泣き喚くばかりの迷惑きわまりない存在だとずっと思っていた。

けれど――。

(――意外と悪くない)

青年はもう一度、赤子の頬を指先でつつく。
と、そのときだ。突然赤子が身をよじり始めた。眉間の皺が深くなり、短い手足をばたつかせているのかおくるみがもこもこと動く。

「ふ……ぅえ……」
「……やっぱり苦手だ」

赤子がか細い鳴き声を上げ始めたため、青年はげんなりとため息をついた。
瞬く間に赤子の泣き声は大きくなっていき、その場にいたたまらなくなった青年はきびすを返そうとした。
しかし、

「うわっ!」

不意に柔らかなものが指先に触れた。
同時に赤子の泣き声もぴたりとやむ。
青年が身体を硬くして恐る恐る視線を向ければ、人差し指を赤子が握っていた。

今し方まで泣いていたことが嘘のように、赤子は再び静かな寝息を立てている。
青年はほっと胸をなで下ろし、自分の指を握る小さな手を見つめた。その指は折れてしまいそうなほど細いが、まるで青年を引き留めようとしているかのようにぎゅっと巻き付いている。

強い力を感じて、青年の心臓は大きく脈打った。

(この子は生きようとしてる……?)

時の魔法を使ったわけでもないのに、ほんの刹那、時間が止まったような気がした。

「――まいったな。こういうの、柄じゃないんだけどな」

誰に言うでもなく独り呟き、青年は空いた片手で自分の頭をガシガシと掻きむしった。

「さっさと済ませて帰って寝よう」

そう自分自身に言ったあと、頭に置いていた手を赤子にかざす。

青年の手がぼんやりと光り、次いで青い光りの球体が現れた。

「我が名はテオドール・アルヌルフ・クルト・ヴェッツ。我が真の名のもとにこの者に永遠なる加護を与えん」

透き通る声が、室内の空気を震わせた。
淡い光の球はほんの刹那強く輝き、赤子の身体に溶け込むように消えた。

青年は手を引っ込め一つ息をつくと、赤子の顔を覗き込んだ。
心なしか、青白かった頬に朱がさしてきたように見える。

「とりあえずは成功……かな」

思わず笑みをこぼし、すぐにはっとした。

見捨てることも考えたのに、今は赤子を救えたことが純粋に嬉しい。胸の奥がむず痒くなるような妙な気持ちだ。

「まいったな……」

そんな自分の感情に戸惑い、青年は指を握る赤子の手をほどくと乱れたおくるみを直してやり、揺りかごのそばを離れた。
露台へと続く大窓の前まで移動し、窓硝子の表面に素早く魔法陣を描く。

終わったら声をかけて欲しい、と言われたことは覚えていた。けれど、一刻も早くこの場を離れたかったのだ。

青年は最後にちらりと揺りかごへと視線を投げたあと、移動の呪文を詠唱した。
直後、室内はまばゆい閃光に包まれ、その場から青年の姿は消えていた。

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