夜をまとう魔術師

牛乳紅茶

1 妹姫の結婚

ロワナ国の第一王女トゥリカ・リーゼロット・ロワナは自室の鏡台の前で侍女のリタに髪を梳いてもらっていた。
星の輝きを宿したかのような長い銀の髪が窓から差す朝日にキラキラと輝いている。
十七になったばかりの彼女だが、鏡に映る顔は歳よりも大人びて見えた。

「姫様の髪は本当に真っ直ぐで、まるでそのお心をそのまま映したかのようですね」
「ありがとう……」

トゥリカは苦笑を浮かべながら鏡の中の自分と目を合わせた。
我ながら随分と陰気な表情をしていると思う。

自分の容姿が誇れるものでないことは理解している。平凡な顔かたち。人から褒められるのは決まって父譲りの銀の髪くらいだ。
琥珀色の瞳は、光の当たる角度によって時折緑にも見えるため、闇の中で爛々と光る獣の目を思い起こさせる。

「姫様、お支度整いました」

鏡から視線をはずし密かにため息をついたトゥリカだったが、リタの声ではっと顔を上げた。

(しっかりしなくては)

トゥリカは自分を奮い立たせるため、もう一度鏡の中を覗き込むと意識的に口角を持ち上げる。
と、そのときだ。
コンコン、と部屋の扉が叩かれた。

「はい」

リタがすぐさま扉へ向かい、トゥリカはそれを横目に見ながら立ち上がった。
リタが扉越しに二言三言の問答をしたあと、トゥリカへと向き直り深く頭を下げる。

「姫様。ティルダ様がお見えです」

リタの言葉に、トゥリカは扉へと視線をやった。

「お姉様。入ってもいいかしら?」

扉の向こうから、小鳥のさえずりを思わせる可愛らしい少女の声がした。

「……かまわないわ。開けてあげて」

トゥリカはリタにそう促しながらも、わずかに瞳を細めた。
リタがおもむろに扉を開け、その影から自分の髪と似て非なる濃い金色の髪がそっと現れる。しかし、それきり訪問者は部屋の中に入ってこようとしない。

「どうしたの? 早く入ってらっしゃい?」

トゥリカはにっこりと頬笑んで、扉のすぐそばに歩み寄った。床を擦るドレスの裾がやけに重く感じられる。

「ティルダ?」

トゥリカは、恥ずかしがり屋な一つ年下の妹――ティルダ・アルステーデ・ロワナにそう声をかけた。そのあと、自分のすぐそばに控えているリタと、ティルダとともにやってきた侍女アルマを見る。

「リタ。アルマ。妹と二人で話したいの。少しの間だけ外で待っていてもらってもいいかしら?」
「かしこまりました」
「はい。では、こちらで待たせていただきます」

部屋の中におずおずと入ってきたティルダを見て、トゥリカは大げさに歓喜の声を上げる。

「完成したのね。ティルダ、とっても綺麗だわ」

ほう、とため息をついてトゥリカはティルダをしげしげと見つめた。
ティルダが身にまとっているのは純白のドレスだ。肩口まで大きく開いた胸元には銀糸で刺繍が施されており、袖や腰回りにはレースやフリルがふんだんにあしらわれている。ふんわりと広がった裾はごく薄い生地が何層にもなっていてとても豪奢だ。大陸一の美姫と謳われるティルダの美貌をよりいっそう引き立てるつくりであった。

「本当に……とっても綺麗だわ」

トゥリカは羨望のまなざしをティルダに向け、胸の前できつく両手を握りしめた。
見る相手に儚げな印象を与える滑らかな白い肌。母によく似た整った顔立ち。甘い芳香を錯覚させる眩い蜜色の巻き毛。長い睫を携えた、濃い飴色の大きな瞳。
どれも、同じ両親から生まれたとは思えないほどトゥリカとは違う。実際、国の民たちも皆こぞってティルダの美しさを褒め称え、女神の化身とまで称すこともあるくらいなのだ。

「お姉様に一番に見てもらいたくて」

束の間美しい妹と純白のドレスに見惚れていたトゥリカはティルダの声ではっと我に返った。

「え、ええ。とても似合っているわ。あなたの金の髪も映えて眩しいくらい。――三日後が楽しみね」

トゥリカはティルダの髪をそっと撫で、にっこりと頬笑んだ。

「本当に? オルフもそう思ってくれるかしら?」

ティルダの口から出た名に、トゥリカは一瞬身体をこわばらせる。

オルフ・プレトリウス。トゥリカよりも二つ年上の青年だ。公爵家の次男であり、三年前から王宮直属の白鳩しろばと騎士団に所属している。
濡れ羽色の髪に黒曜石の輝きを宿した瞳を持つ、長身の美丈夫だ。
オルフが騎士見習いとして王宮にやってきたのは、トゥリカが五歳を迎えたばかりの頃だった。

幼いトゥリカは、歳の近い騎士見習いに興味津々で、教育係の目を盗んでは騎士団の鍛練場を覗きに行った。鍛練場への行き来を繰り返すうちに親しくなり、ティルダもまじえて三人で遊ぶようになった。
その頃は、年月をどんなに重ねても三人の関係は変わらないものだと信じて疑わなかった。
しかし、成長とともに三人で会う機会は減り、三年前のオルフの騎士叙任式を境に、トゥリカはオルフを避けるようになった。

(あの夜……)

トゥリカは思い出しながら、わずかに唇を噛んだ。

叙任式のあと、白狼はくろうの間で宴が盛大に催された。
王宮付きの詩人が竪琴を奏で、騎士団をたたえる詩を唄う中、オルフはティルダを見つめていた。
美しく着飾ったティルダに向けられたオルフのまなざしはどこまでも優しかった。また、オルフの視線を受けたティルダもとても愛らしい微笑みを浮かべていた。
二人の様子に、トゥリカは確信したのだ。
オルフとティルダは想い合っている、と。

「ねえ、お姉様。 どうかした?」
「え?」

耳に届いたティルダの声に、トゥリカは過去から現実に引き戻された。

「ああ――ごめんなさいね。なんの話しだったかしら?」

トゥリカは懸命に笑顔を作り、ティルダに訊ねた。

「あの……オルフも、このドレスを良いと思ってくれるかしらって」
「ああ――お馬鹿さんね。当たり前でしょう? 彼は昔からあなたに夢中なんだから」

トゥリカがそう告げると、ティルダははにかんだ様子を見せてくる。

「おめでとう、ティルダ」
「ありがとう」

幸せそうな妹の姿に、トゥリカは心の奥をきゅう、と引き絞られるような感覚を味わった。

妹を大切に思っていないわけではない。けれど、祝う気持ちにはどうしてもなれないのだ。
トゥリカはちらりと鏡台に視線を投げる。
鏡の中の自分と目を合わせ、唇を引き締める。
近い未来、自分も夫を持つ日がくる。けれど、その結婚はティルダのように想い想われる幸せに充ち満ちたものではないだろう。

自分は世継ぎの姫なのだ。
恋に夢中になる余裕などない。
きっと他国の、数回会っただけの王子を国交のために王配として迎えることになるはずだ。

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