碧の輝きは彼女のために
絡み合う意図
部屋の扉が躊躇いがちに叩かれたのは、空が夕闇に包まれ始めた頃だった。
誰が訪れたのか、セイクにはすぐに察しがついた。
現在、この屋敷で自分の部屋に近づく者はただ一人しかいないからだ。
中に入るように促すと、案の定、リヴィラが顔を出した。
「間もなくお夕食のお時間です。本日はリヴィラお嬢様もいらしておりますし、もしよろしければ下で皆さんとご一緒されたらいかがでしょうか?」
おずおずと言葉を続けたリヴィラを無視して、ベッドの脇に腰を下ろしていたセイクはぞんざいに足を組み替える。
「お前が……」
「はい」
「お前が俺のそばで懸命に働いていたのは、最初からオークレイ嬢のためだったのか?」
我ながら随分と冷たい口調になった。
そう思いつつ、セイクはじっとリヴィラの顔色を窺う。しかし、扉の前で佇むリヴィラからは動揺の色は見えなかった。
「いったいどういう意味でしょうか?」
不思議そうに小首を傾げ問い返されたため、セイクは立ち上がると、つかつかとリヴィラの前まで足を進めた。
「俺がオークレイ嬢の婚約者だから仕方なく笑っていたのか? 俺の機嫌を損ねれば、嫁いでくる彼女に危害が及ぶと思ったのか?」
「――違います。セイク様のおそばについて、一度として嫌だと思ったことはありません」
リヴィラはそうきっぱりと言った。
その表情に偽りの色は見えない。
しかし、
(なんだ……?)
目の前のリヴィラからは言いしれぬ違和感を覚える。
その奇妙な感覚の原因を探ろうと、セイクはリヴィラの瞳のその奥を覗き込むように見た。と、そこで気づく。彼女がセイクと目を合わせることから逃げるように宙のどこかへと視線を漂わせていることに。
それはまるで必死に秘密を守ろうとする小さな子供のようで――。
「わかった。もういい、下がれ」
「え?」
セイクはリヴィラから目を背けると、素早くきびすを返した。そうして、最初に腰を下ろしていたベッドへと引き返す。
「あのっ……お夕食は……」
「いらない」
「…………かしこまりました」
背中に受けたリヴィラの声は心なしか弱々しく感じられた。それでもセイクは振り返る気にはなれなかった。
(なにか隠している……)
リヴィラが嘘をついていると思いたくはないが、彼女の話はきっと真実のひとかけらだけだ。
なにもかもを包み隠さずに話すことが出来る関係ではなかったことを突きつけられた気がして、セイクの心は深く沈んでいた。
ほんの短い期間とはいえ、数日をともに過ごし少しは互いの存在を近くに感じられるようになったと思っていただけに、リヴィラの態度は落ち込むには充分だった。
(いや……違う。近いと思っていたのは俺だけだったのかもしれない)
リヴィラが出て行った扉をかえりみて、セイクは嘆息した。
そこで、ふと疑問を抱く。
なぜ、自分の心はリヴィラの態度一つでこんなにも痛みを訴えるのだろうか? と。
今日だけではない。朝起きて一番にあの眩しい笑顔を見れば心が弾むし、お茶の時間にすぐ部屋を出て行かれると寂寥感を味わう。
(ああ、そうか……)
胸の途中につっかえていたものがすとんと落ちるように、答えは存外早く出た。
そのあまりのあっけなさに、セイクは顔を覆う前髪をくしゃりと掻き上げるように額に手を置いた。
(俺は彼女が好きなんだ)
閉じられた扉にリヴィラの面影が見えたような気がして、セイクは思わず己の不甲斐なさに失笑をこぼした。
◆ ◆ ◆
その夜、リヴィラのふりをしてやってきたフィリアはリヴィラの部屋を訪れていた。
「今回のご結婚、わたくしは反対です! 明日、ご一緒にお屋敷に帰りましょう?」
フィリアの言葉を受けたリヴィラは眉を寄せて笑うと、小さくかぶりを振った。
「あなたからそんな言葉が出るとは思わなかったわ」
「だってあの方、物腰こそ穏やかですけれど、あんな風に髪で顔を隠して、なにを考えているかわからなくてぞっとします。やはり、変わり者の侯爵子息という噂は本当です」
「あなたが思うほど悪い方じゃないわよ?」
「信じられません。お夕食にもいらっしゃらないし……。あんな方とご一緒になられたら、お嬢様がどうなるか――」
「フィリア」
すさまじい剣幕で言いつのるフィリアを遮るように、リヴィラは人差し指を唇にあて、声をひそめた。
「あなたにはたくさん迷惑をかけたわ。ごめんなさい。でも、私はあの方にお会いしてみたからこそ、婚約者があの方でよかったと思ったわ」
「お嬢様!」
「――さあ、部屋に戻りなさい。一緒にいるところを誰かに見られたらことよ」
「……はい」
リヴィラがそう告げると、フィリアは仕方なさげに頷いて立ち上がった。
そのまま部屋を出て行くフィリアの背を見送りながら、リヴィラはそっと胸の前で両手を握りしめた。
本当のことをセイクが知れば、彼は怒るかもしれない。しかし、これ以上隠し通すことは難しい。
(明日……。全て正直に話さなければ……)
胸の前で重ね合わせた手に力を込め、リヴィラは心の中でそう決意した。
          
誰が訪れたのか、セイクにはすぐに察しがついた。
現在、この屋敷で自分の部屋に近づく者はただ一人しかいないからだ。
中に入るように促すと、案の定、リヴィラが顔を出した。
「間もなくお夕食のお時間です。本日はリヴィラお嬢様もいらしておりますし、もしよろしければ下で皆さんとご一緒されたらいかがでしょうか?」
おずおずと言葉を続けたリヴィラを無視して、ベッドの脇に腰を下ろしていたセイクはぞんざいに足を組み替える。
「お前が……」
「はい」
「お前が俺のそばで懸命に働いていたのは、最初からオークレイ嬢のためだったのか?」
我ながら随分と冷たい口調になった。
そう思いつつ、セイクはじっとリヴィラの顔色を窺う。しかし、扉の前で佇むリヴィラからは動揺の色は見えなかった。
「いったいどういう意味でしょうか?」
不思議そうに小首を傾げ問い返されたため、セイクは立ち上がると、つかつかとリヴィラの前まで足を進めた。
「俺がオークレイ嬢の婚約者だから仕方なく笑っていたのか? 俺の機嫌を損ねれば、嫁いでくる彼女に危害が及ぶと思ったのか?」
「――違います。セイク様のおそばについて、一度として嫌だと思ったことはありません」
リヴィラはそうきっぱりと言った。
その表情に偽りの色は見えない。
しかし、
(なんだ……?)
目の前のリヴィラからは言いしれぬ違和感を覚える。
その奇妙な感覚の原因を探ろうと、セイクはリヴィラの瞳のその奥を覗き込むように見た。と、そこで気づく。彼女がセイクと目を合わせることから逃げるように宙のどこかへと視線を漂わせていることに。
それはまるで必死に秘密を守ろうとする小さな子供のようで――。
「わかった。もういい、下がれ」
「え?」
セイクはリヴィラから目を背けると、素早くきびすを返した。そうして、最初に腰を下ろしていたベッドへと引き返す。
「あのっ……お夕食は……」
「いらない」
「…………かしこまりました」
背中に受けたリヴィラの声は心なしか弱々しく感じられた。それでもセイクは振り返る気にはなれなかった。
(なにか隠している……)
リヴィラが嘘をついていると思いたくはないが、彼女の話はきっと真実のひとかけらだけだ。
なにもかもを包み隠さずに話すことが出来る関係ではなかったことを突きつけられた気がして、セイクの心は深く沈んでいた。
ほんの短い期間とはいえ、数日をともに過ごし少しは互いの存在を近くに感じられるようになったと思っていただけに、リヴィラの態度は落ち込むには充分だった。
(いや……違う。近いと思っていたのは俺だけだったのかもしれない)
リヴィラが出て行った扉をかえりみて、セイクは嘆息した。
そこで、ふと疑問を抱く。
なぜ、自分の心はリヴィラの態度一つでこんなにも痛みを訴えるのだろうか? と。
今日だけではない。朝起きて一番にあの眩しい笑顔を見れば心が弾むし、お茶の時間にすぐ部屋を出て行かれると寂寥感を味わう。
(ああ、そうか……)
胸の途中につっかえていたものがすとんと落ちるように、答えは存外早く出た。
そのあまりのあっけなさに、セイクは顔を覆う前髪をくしゃりと掻き上げるように額に手を置いた。
(俺は彼女が好きなんだ)
閉じられた扉にリヴィラの面影が見えたような気がして、セイクは思わず己の不甲斐なさに失笑をこぼした。
◆ ◆ ◆
その夜、リヴィラのふりをしてやってきたフィリアはリヴィラの部屋を訪れていた。
「今回のご結婚、わたくしは反対です! 明日、ご一緒にお屋敷に帰りましょう?」
フィリアの言葉を受けたリヴィラは眉を寄せて笑うと、小さくかぶりを振った。
「あなたからそんな言葉が出るとは思わなかったわ」
「だってあの方、物腰こそ穏やかですけれど、あんな風に髪で顔を隠して、なにを考えているかわからなくてぞっとします。やはり、変わり者の侯爵子息という噂は本当です」
「あなたが思うほど悪い方じゃないわよ?」
「信じられません。お夕食にもいらっしゃらないし……。あんな方とご一緒になられたら、お嬢様がどうなるか――」
「フィリア」
すさまじい剣幕で言いつのるフィリアを遮るように、リヴィラは人差し指を唇にあて、声をひそめた。
「あなたにはたくさん迷惑をかけたわ。ごめんなさい。でも、私はあの方にお会いしてみたからこそ、婚約者があの方でよかったと思ったわ」
「お嬢様!」
「――さあ、部屋に戻りなさい。一緒にいるところを誰かに見られたらことよ」
「……はい」
リヴィラがそう告げると、フィリアは仕方なさげに頷いて立ち上がった。
そのまま部屋を出て行くフィリアの背を見送りながら、リヴィラはそっと胸の前で両手を握りしめた。
本当のことをセイクが知れば、彼は怒るかもしれない。しかし、これ以上隠し通すことは難しい。
(明日……。全て正直に話さなければ……)
胸の前で重ね合わせた手に力を込め、リヴィラは心の中でそう決意した。
          
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