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碧の輝きは彼女のために

牛乳紅茶

ふたりのリヴィラ

「っ――」

あっと言う風に大きく口を開け立ち上がった伯爵令嬢をセイクはじっと見つめた。

「……?」

しかし、それきり彼女から言葉が発せられることはなかった。なにも言わず、ただ何度も口をぱくぱくとさせているだけだ。

「――オークレイ嬢?」

セイクが思わず首を傾げると、伯爵令嬢はぴたりと口を閉じ、今度は次第にその美しい顔を朱に染めていった。
尋常ではないその様子を見かねて、セイクは一歩踏み出した。
と、そのときだ。

「は、はじめまして。わ、わたくし、リヴィラ・オークレイと申しますっ!!」

令嬢の声は部屋中に響き渡るほど大きなものだった。
ほんの一瞬、セイクはその声に圧倒され呆然と彼女を見つめた。
この伯爵令嬢は、聞いていた話しとは随分違う人物のようだ。

(まいったな。これでは婚約破談は難しそうだ……)


セイクはこっそりと嘆息したあと、伯爵令嬢の向かいの席に腰を下ろした。
セイクのその態度を令嬢への歩み寄りだと勘違いしたのだろう、近くの椅子に腰掛けていた母親は嬉しそうな声を上げてセイクの肩を叩いた。

「まあ! 二人とも良い雰囲気のようね。わたくしたちは席を外しましょ」

母親は声を弾ませてそう言うと、そっと席を立った。

「ほらほら、あなた。行きますわよ」

父親の背を押して部屋を出ていく母親を横目に見ながら、セイクはもう一度、長いため息を吐き出した。




両親が出ていくと、とたんに室内はしんと静まりかえった。

「どうして――」

セイクがぽつりと呟くと、令嬢はぱっと顔を上げた。
鮮やかな青い瞳を目の当たりにして、セイクは思わず言葉を詰まらせる。
しかし、これは恋ではない。
単に人との対面に慣れていないからだ。
伯爵令嬢は整った顔立ちの綺麗な少女ではあったが、リヴィラの笑顔を見たときのように心が弾んだりはしない。
気を取り直すように、こほんと咳払いを一つし、セイクはうつむいたまま改めて口を開いた。

「――どうして予定を早めて、しかもたった一人でやってきたんですか?」

そう問いかけると、令嬢が短く息をのんだ気配が伝わってきた。
不思議に思ったセイクがちらりと視線を上げると、彼女は緊張した面もちでかたかたと手を小刻みに震わせていた。
その様子に、セイクはさらに首をひねる。
彼女の態度がただ緊張しているだけには見えなかったからだ。
ルギーレイドの屋敷まで長い道のりだったはずだ。その上、供もつけずに来たのだから、本当ならようやくたどり着いた目的地でほっと安堵していてもいいだろうに、彼女はまるで周りの人間全てが敵だと言わんばかりに青白い顔をしてそこに座っている。

(――怯えてる?)

そう考えたセイクだったが、すぐにかぶりを振って自分の考えを打ち消した。怯える原因がわからなかったからだ。

「その……。早く、セイク様にお会いしたかったので……」
「そうですか……」

ぽつりと答えた伯爵令嬢の言葉に頷きながらも、セイクは釈然としない心持ちであった。
そんな風に不審に思っていると、リヴィラがゆっくりとその形のよい唇を動かした。

「こちらに――」

耳をそばだて、近くに顔を寄せなければ聞こえないほどの小さな声だ。

「はい?」

思わず顔をしかめたセイクに対し、令嬢はゆっくりと顔を上げ言葉を続けた。

「こちらにリヴィラと申す者が来たはずなのですが、彼女は今どこに?」

最初よりもはっきりとした口調で告げられた名に、セイクは眉間の皺を深くした。

(どういうことだ……?)

なぜ伯爵令嬢がリヴィラのことを気にするのか。
リヴィラが以前オークレイ家に仕えていたのは知っているが、使用人のひとりを追いかけて令嬢がわざわざやってきたとは信じがたい。
セイクは令嬢の顔色からなにか窺い知ることは出来ないかと、じっと彼女を見つめてみたが、不安げに揺れる青い瞳からはなにも読みとることは出来なかった。

「リヴィラになにか?」
「しょ、紹介状を書いたのは、その、私なので……。その後、どうしているのかと思いまして……」」
「――よくやってくれていますよ」
「そうですか。よかった」

そう言った令嬢はそこで初めてほっとしたような笑みを見せた。
心からリヴィラのことを心配していたのだろう。その表情から令嬢とリヴィラの仲がとても良好だったのだと窺い知れた。
そして、セイクは伯爵令嬢に会う前にリヴィラが見せた不自然な態度に納得した。
きっとリヴィラは長年仕えてきた主人の結婚を本人よりも喜んでいたのだろう。しかし、相手である自分が結婚に乗り気ではないことを知ってしまった。
大切な主人であった人物の嫁ぐ先の男がそんな発言をすれば落胆しても仕方のないことだ。

(そういうことか……)

セイクは一度拳を握りしめたあと、すっくと立ち上がった。
そんなセイクの様子からなにか感じ取ったのか、リヴィラがぱっと顔を上げる。相変わらず彼女の瞳は涙をたたえているかのようにゆらゆらとした輝きを放っていたが、今のセイクには他人を気遣えるほどの心の余裕はなかった。

「セイク様……? あの……」
「リヴィラを呼んできます。久しぶりに会うんだ。いろいろと話したいでしょう」

ほんの数年前から大嫌いな愛想笑いを顔に貼り付け――とは言え、長く伸ばした前髪のせいで、令嬢からは口元しか窺えなかっただろうが――セイクはそう告げた。
伯爵令嬢がなにか言いたげな顔をしていることはわかったが、セイクは素早くきびすを返すと扉へと歩き始めた。

(おかしいと思ったんだ。俺のそばで三日以上耐える奴なんていなかった。だけどこれで理由がわかった)


ゆっくりと扉を開き、外の様子を窺う。
廊下はしんと静まっていたが、少し離れた廊下の隅に給仕服に身を包んだ少女が二人立っているのが見えた。

「おい」

セイクがそう声をかけると、少女の一人が暗い緑の絨毯が敷かれた廊下を小走りで駆けてくる。

「リヴィラを呼んでくれ」
「……かしこまりました」

少女はわずかに眉を寄せたが、深い一礼を残し背中を返した。

(あれがやっかいな跡取り息子に対する当たり前の態度だ。リヴィラだって、俺がオークレイ嬢の婚約者でなかったら同じ態度を取っていただろう……)

その場を去っていく使用人の背を一瞥したあと、セイクは改めて部屋の中へ視線を戻した。
長椅子には令嬢が行儀よく腰掛けている。リヴィラが笑顔を絶やさず接してくれたのは彼女のためなのだろう。
リヴィラにとって自分はあくまでも伯爵令嬢の婚約者なのだ。後々令嬢がこの屋敷に嫁いでくることになったとき、彼女にとって旧知の使用人がいた方がいいと考えたのかもしれない。
そうするためにはどんなに嫌な相手でも甲斐甲斐しく働くことが良策だ。

(呆れるほどの忠義心だな。もっと早く確かめておくべきだった)

セイクは扉に背を預け、そっとため息をこぼした。

(結局、あの笑顔も偽物だったのか……)

もう一度、長く息を吐き出すとセイクは気持ちを改めて顔を上げ、再び令嬢が座る長椅子の向かいに腰を下ろした。
と、そこで、ささやかな疑問がわき起こった。

(オークレイ嬢はどうして予定を早めてやって来たんだ?)

先刻彼女は自分に会いたかったからと言ったが、病人のように白い顔をして、ビクビクしながら座っている令嬢が本当にそんな理由で単身ここまで来たとは到底思えない。
ひどくリヴィラのことを気にしているが、伯爵家の令嬢が一介の使用人にここまで執着するものだろうか。
リヴィラはたしかに気立ての良い少女だ。セイクも今日まで心惹かれていたのだから、彼女の良さは少しはわかっているつもりだ。
しかし、目の前の伯爵令嬢は一応の婚約者である自分との会話よりも、リヴィラの安否を気遣っていたようにすら見えた。

「あの……。お訊きしてもいいですか?」

セイクがそう切り出すのと、扉が叩かれる音が室内に響いたのはほぼ同時だった。

「リヴィラです。入ってもよろしいでしょうか?」

聞こえた声にセイクは一度躊躇った後、了承の声を返した。

「失礼します」

楚々として入ってきたリヴィラはそのままセイクの傍らに立つと深く一礼した。

「お嬢様、お久しぶりでございます」
「…………」

そう挨拶したリヴィラに対し、令嬢は一層瞳を揺らめかせてリヴィラを見つめていた。

(この二人……。いったいなにがあるんだ?)

セイクはしばらく黙ってその場に座っていたのだが、それきりふたりのリヴィラのどちらも黙り込んでしまったため、仕方なくその場を離れようと腰を上げた。
自分がいては、話しづらいと思ったからだ。

「リヴィラ。オークレイ嬢を客間に案内して差し上げろ。俺は部屋に戻る」
「はい」
「では、オークレイ嬢、失礼します」

手短にそう告げ、セイクはきびすを返した。

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