碧の輝きは彼女のために

牛乳紅茶

伯爵令嬢の来訪

翌日、セイクは階下の物音で目を覚ました。
滅多にしない早起きだ。
リヴィラが起こしにやってくるよりも先に起きたのは、彼女が屋敷で働くようになってから初めてのことだ。

「おはよう、リヴィラ」

部屋にやってきたリヴィラにそう挨拶すると、案の定彼女は驚きを隠さずに目を丸くした。

「失礼いたしました。起きていらっしゃったんですね」

セイクと目が合うなり、リヴィラはそう言って深く頭を下げた。

「朝から随分と騒がしかったが、なにかあったのか?」
「はい。それが……」

セイクの問いに、リヴィラはわずかに睫を伏せ、考え込むように唇に手を置いた。

「――リヴィラ・オークレイ様がいらっしゃっておいでです」
「っ!!」

リヴィラの言葉にセイクは短く息を呑んだ。

「オークレイ伯爵令嬢が!? 予定はまだ先だろう?」

ベッドから立ち上がりリヴィラに着替えを促しながら訊ねると、彼女は困った様子で小首を傾げつつも小さく頷いた。

「はい。旦那様たちも慌てていらっしゃいます。どうやらリヴィラ様は単身でこちらにいらしたようで……」
「なんだって!?」

呆気にとられたセイクを残し、リヴィラは足早に衣装小部屋に向かうと、その手に着替え一式を抱えてすぐに帰ってきた。

「供もつけずに一人で来たってことか?」

セイクは寝衣を脱ぎ捨てるとそう言ってリヴィラを見た。すると、彼女はたどたどしい手つきでセイクの着替えを手伝いながら頷いた。

「きっとセイク様に早くお会いしたかったのでしょう」

リヴィラはそう続けてにっこりと笑ったが、その言葉は気休めだとわかるもので、セイクはげんなりとため息をついた。

「俺は会いたくはなかったがな……」

思わずそう漏らすと、間髪入れずにリヴィラから驚きの声が上がった。

「セイク様は、その……リヴィラ様がお嫌いなんですか?」
「会ったこともないんだ。嫌いというわけではない」
「では、どうして? 婚約者に会いたいとお思いにならないんですか?」
「ああ。俺が望んだ結婚じゃないしな」

セイクはなんの迷いもなく答えた。瞬間、リヴィラが短く息を呑む。
どうしたのかとセイクはすぐにリヴィラを見たが、彼女はうつむいていたため、その顔色までは窺えなかった。

「皆様下でお待ちになっておりますのでお急ぎください」

リヴィラはそれだけ言うとセイクの肩に上衣をかけ、一歩後ろに下がった。

「リヴィラ――?」

セイクはそれ以上声を発することが出来なかった。視線を下に定めたままのリヴィラから拒む気配が伝わってきたためだ。

「私はリヴィラ様のお迎えの支度がありますので。申し訳ありませんが、失礼いたします」

深く頭を下げたのちきびすを返すリヴィラを呆然と見つめながら、セイクはのろのろと上衣に袖を通した。


◆ ◆ ◆


リヴィラが出て行った後、セイクは言われたとおりに階下へ降りるべきか迷っていた。
行かなければ伯爵令嬢の心象を悪くすることはわかっていたが、まるで足が床に張り付いてしまったかのように動かない。

「くそ……」

セイクは小さく吐き捨てると、きつく拳を握りしめ外へと続く扉を睨みつけた。
部屋から出ることが怖いわけではない。今までだって一度も外に出なかったわけではないのだ。
嫌なのは婚約者である伯爵令嬢に会うことだ。
自分の姿を見れば婚約破棄を申し出てくるかもしれない。それはセイクにとってなんの不満もないことだった。
そう、今までは――。

(どうして、あんな……)

心に引っかかっているのはリヴィラの態度だ。
彼女は、セイクが結婚に乗り気でないと知ったとき明らかに動揺していた。

(なぜだ……? 俺が結婚しないとまずいことでもあるのか?)

じっと扉を見つめたまま、セイクは考えあぐねた。


しかし、時間がどれだけ経過してもその答えを見つけることは出来なかった。



それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
ふいに扉が叩かれ、開けられた扉の向こう側からリヴィラが顔を覗かせた。

「セイク様? 大丈夫ですか?」

きっとしびれを切らした父か母に言われて来たのだろう。リヴィラはいつになく険しい表情を浮かべていた。

「問題ない」
「皆様、応接室で待ちわびていらっしゃいます」
「……ああ」

リヴィラの言葉に頷くと、セイクはようやくその一歩を踏み出した。
リヴィラの前を通るときにちらりとその顔色を窺ってみるが、先刻見た動揺の色はなかった。

「リヴィラ……」
「はい」
「――お前は、俺が結婚しないと困るのか?」
「え?」

セイクの問いに顔を上げたリヴィラは驚いた様子で目も口もまん丸にしていた。

「なぜそのようにお思いなるのですか?」
「別に……。先刻、驚いていたお前の様子を見ていたらなんとなくそう思ったんだ」
「……――私は、セイク様はお嬢様とのご結婚を望まれているとばかり思っておりましたので少しびっくりしただけです。他意はありません」

リヴィラはそう言ってにっこりと頬笑んだ。

(なんだ? いつもと違う……?)

リヴィラの笑顔を見た瞬間、セイクは奇妙な違和感を覚えた。
いつも、彼女の笑顔を見ると心が温まった。
しかし今は違う。まるでそこに見えない透明な壁があるかのように、すぐ近くにいるはずのリヴィラに距離を感じたのだ。

(嘘をつかれた、のか?)

セイクはゆっくりとリヴィラから視線を外しそう考えた。
応接室に向かおうとしている自分の足が、最初よりもずっと重くなったような、そんな気がした。


◆ ◆ ◆


「やっと主役のお出ましか」

応接室に入るなり父親から軽く睨まれ、セイクは躊躇なくため息をこぼした。
父親は長椅子から立ち上がると、大仰な足取りでセイクのそばまでやってきた。

「我が愚息は随分と支度に手間取ったようだな。しかし、美しい婦人を前にするとなれば緊張するのも仕方ない。オークレイ嬢、どうか大目に見てやって欲しい」

舞台役者さながら、身振り手振りをつけて話す父親を横目に見た後、セイクは奥の長椅子に腰掛けている少女へと視線を動かした。
まばゆい金の髪と青玉のような瞳が印象的な美しい少女だ。
伯爵令嬢は緊張のためか、前方に視線を定めたまま背筋を伸ばして座っていた。セイクの登場にも気づいていないようだ。
セイクがじっと見つめていると、彼女はおもむろに顔の向きを変え、ようやくセイクと目を合わせた。

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