碧の輝きは彼女のために
新しい使用人
「おはようございます。セイク様」
最初に、小鳥のさえずりを思わせる可愛らしい声がした。
「起きてください。今日は良いお天気ですよ」
カーテンが開けられたのだろう、瞼を透かす白い光にセイク・ルギーレイドはようやく目を覚ました。
ゆっくりと身を起こして窺うと、窓からまぶしい朝日が差し込んでいるのが見えた。部屋の中には見知らぬ少女が一人。
屋敷で働く使用人たちと同じ深い緑を基調とした給仕服に身を包んだその少女はいそいそとカーテンを開けて朝の支度をしている。
セイクがそのままじっと見つめていると、彼女は振り返り、次いで深々と頭を下げた。
「おはようございます」
「お前は? 見かけない顔だが……」
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。本日からセイク様の身の回りのお世話させていただくこととなりました。――リヴィラと申します。よろしくお願いいたします」
「リヴィラ……? オークレイのご令嬢もたしかそんな名だったな」
「はい。偶然同じお名前でして……。お嬢様にも良くしていただきました」
そう言って頷いたリヴィラの言葉にセイクは大きく目を見張る。
「お前、リヴィラ嬢を知っているのか?」
セイクが問いかけると、使用人リヴィラは静かに頷いた。
「こちらに来たのはお嬢様からの紹介なんです。以前はオークレイ様のところで働いておりました」
リヴィラと名乗った少女はそう言いにっこりと頬笑んだ。
その瞬間、セイクは言葉を失った。
彼女の笑顔にほんの短い時間ではあったが見惚れたためだ。
使用人にしておくには惜しいほど、リヴィラは美しかった。
鳶色の長い髪は仕事の邪魔になるのだろう、うなじの辺りでまとめられており、長いまつげに縁取られた瞳は菫色でキラキラと輝いているようにすら見えた。
セイクは今この一瞬でリヴィラに心奪われたのだ。
この屋敷で働く使用人たちはセイクの前で感情をあまり顔に出さない。皆、義務的に作業をこなし去っていく。
二日前に辞めたセイク付きの召使いもそうだった。あからさまにいやいやな態度で仕事をしていたのだ。それでも、セイクは彼らに不満はなかった。むしろそうなることは仕方ないとすら思っていた。だからこそリヴィラの笑顔は衝撃であったし、また、嬉しくもあった。
朝の気怠い空気を吹き飛ばすほどの爽やかな笑みに、セイクは好感を持ったのだ。
「朝食をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
「……」
「セイク様? どうかなさいましたか?」
「――あ、ああ。頼む」
楚々と部屋を出て行くリヴィラの背中をじっと見つめたまま、セイクは無意識に自分の胸元に手を当てた。
胸の奥が熱い。
なにかの病ではないかと疑ってしまうほど心臓が大きく高鳴っている。
「なんだ? これは……」
リヴィラの足音が遠くなっていくのを耳にしながら、セイクは小さく呟いた。
その日、ルギーレイド侯爵家の跡取り息子は生まれて初めての恋に落ちた。
いわゆる一目惚れだ。
彼が十七を迎えた秋の、ある日の出来事だった。
◆
ルギーレイド家に使用人として入り込んだその夜、リヴィラは屋敷をそっと抜け出した。
外套のフードを深くかぶり、辺りに注意を払う。そうして暗がりの中、街へと続く小道を足早に進んでいった。
ほどなくして街に到着すると、リヴィラはまっすぐ目的の宿屋を目指す。
空星亭と記された看板がかかる宿の入り口をくぐり、前日の夜に取った部屋へ向かった。
「フィリア。私よ。開けてちょうだい」
扉を三度叩くと、すぐに中から返事があった。
間を空けず扉が開きリヴィラは飛び込むように部屋の中に入った。
「お嬢様っ! ご無事でよかった。ずっと心配していたんですよ」
「大丈夫よ。セイク様には気づかれてないから」
外套を脱ぎながらリヴィラが言うと、フィリアから不満の声があがった。
「私が言ってるのはそういう意味ではありません。こんな夜道を一人で歩いてくるなんて……。なにかあったらと思うと私は……」
口元を押さえてうつむいたフィリアに、リヴィラは素直に謝ると、部屋の隅にある寝台にすとんと腰を落とした。
「万が一、悪漢に襲われても私には魔術という強い武器があるし、心配しないでちょうだい。それよりも、一日中ここで待たせてしまって悪かったわ」
「私のことは気になさらないでください。お嬢様が無事でいらっしゃれば充分ですから」
肩口で切りそろえられた金の髪を揺らして、フィリアが言った。その青い瞳はこころなしか潤んでいるように見える。
「とにかく、あと二、三日したらあなたの協力が必要だからそれまで悪いけど我慢してね。ごめんなさいね」
リヴィラはじっとフィリアを見つめてそう告げた。すると、フィリアが困ったように眉を寄せる。
「本気でやるんですか? 私、やっぱりあまり気が進まないのですけど……」
「やるったらやるの。うまくすればあちらの家から今回の話しはなかったことにって申し出てくるはずなんだから」
リヴィラはぐっと拳を握りしめた。
ルギーレイド家との結婚の話しをなくすためにリヴィラが考えた計画はこうだ。
ルギーレイド家は強い魔力を持つリヴィラを欲している。
リヴィラはルギーレイド家の人間と会ったことがない。まず最初にリヴィラが使用人として入り込み、セイクがどういった噂通り部屋にこもりっぱなしの人物かどうかを見極める。
その通りだった場合、数日後にフィリアをリヴィラの替え玉としてルギーレイド家に送り込むのだ。
リヴィラが婚約者として選ばれたのは強い魔力の保持者だからだ。
しかし、魔力のないフィリアが婚約者として現れれば彼らは驚くはずだ。
「そして、婚約破棄を申し出てくるに決まってる」
「そんなにうまくいくとは思えないんですけど……」
「いいえ。大丈夫よ。完璧だもの。うまくいくわ」
あまり乗り気ではないフィリアの言葉にリヴィラはそう返すと立ち上がった。
「だって、やっぱり噂通り部屋から一歩も出ないのよ。しかも長い前髪で顔の半分を隠してるからなにを考えてるかわからないし……。あんな人とうまくなんてやっていけないわ」
「でも、心根は優しい方なんじゃないですか?」
「――……それは、まあ、態度とか物言いとかは嫌な感じじゃなかったけど……」
「人を見かけで判断なさってはいけませんよ」
もっともなフィリアの言葉にリヴィラは唇をとがらせる。
「でも――」
「もう少し一緒に過ごしたらなにか変わるかもしれませんよ」
「変わらないわ。私は絶対この結婚をなくすんだから!」
リヴィラは大きく頷いて決意を固めると、フィリアから外套を受け取り、来たときと同じようにフードを目深に袖を通した。
「宿の主人に多めに料金を渡しておくから、食べたいものがあったら遠慮なく頼みなさいね」
「まあ! 私は充分満足してますのに……。ありがとうございます」
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「ご一緒に途中まで行きます」
「だめよ。誰かに見られたらまずいもの」
あとをついてこようとしたフィリアを制し、リヴィラはきびすを返すと部屋をあとにした。
最初に、小鳥のさえずりを思わせる可愛らしい声がした。
「起きてください。今日は良いお天気ですよ」
カーテンが開けられたのだろう、瞼を透かす白い光にセイク・ルギーレイドはようやく目を覚ました。
ゆっくりと身を起こして窺うと、窓からまぶしい朝日が差し込んでいるのが見えた。部屋の中には見知らぬ少女が一人。
屋敷で働く使用人たちと同じ深い緑を基調とした給仕服に身を包んだその少女はいそいそとカーテンを開けて朝の支度をしている。
セイクがそのままじっと見つめていると、彼女は振り返り、次いで深々と頭を下げた。
「おはようございます」
「お前は? 見かけない顔だが……」
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。本日からセイク様の身の回りのお世話させていただくこととなりました。――リヴィラと申します。よろしくお願いいたします」
「リヴィラ……? オークレイのご令嬢もたしかそんな名だったな」
「はい。偶然同じお名前でして……。お嬢様にも良くしていただきました」
そう言って頷いたリヴィラの言葉にセイクは大きく目を見張る。
「お前、リヴィラ嬢を知っているのか?」
セイクが問いかけると、使用人リヴィラは静かに頷いた。
「こちらに来たのはお嬢様からの紹介なんです。以前はオークレイ様のところで働いておりました」
リヴィラと名乗った少女はそう言いにっこりと頬笑んだ。
その瞬間、セイクは言葉を失った。
彼女の笑顔にほんの短い時間ではあったが見惚れたためだ。
使用人にしておくには惜しいほど、リヴィラは美しかった。
鳶色の長い髪は仕事の邪魔になるのだろう、うなじの辺りでまとめられており、長いまつげに縁取られた瞳は菫色でキラキラと輝いているようにすら見えた。
セイクは今この一瞬でリヴィラに心奪われたのだ。
この屋敷で働く使用人たちはセイクの前で感情をあまり顔に出さない。皆、義務的に作業をこなし去っていく。
二日前に辞めたセイク付きの召使いもそうだった。あからさまにいやいやな態度で仕事をしていたのだ。それでも、セイクは彼らに不満はなかった。むしろそうなることは仕方ないとすら思っていた。だからこそリヴィラの笑顔は衝撃であったし、また、嬉しくもあった。
朝の気怠い空気を吹き飛ばすほどの爽やかな笑みに、セイクは好感を持ったのだ。
「朝食をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
「……」
「セイク様? どうかなさいましたか?」
「――あ、ああ。頼む」
楚々と部屋を出て行くリヴィラの背中をじっと見つめたまま、セイクは無意識に自分の胸元に手を当てた。
胸の奥が熱い。
なにかの病ではないかと疑ってしまうほど心臓が大きく高鳴っている。
「なんだ? これは……」
リヴィラの足音が遠くなっていくのを耳にしながら、セイクは小さく呟いた。
その日、ルギーレイド侯爵家の跡取り息子は生まれて初めての恋に落ちた。
いわゆる一目惚れだ。
彼が十七を迎えた秋の、ある日の出来事だった。
◆
ルギーレイド家に使用人として入り込んだその夜、リヴィラは屋敷をそっと抜け出した。
外套のフードを深くかぶり、辺りに注意を払う。そうして暗がりの中、街へと続く小道を足早に進んでいった。
ほどなくして街に到着すると、リヴィラはまっすぐ目的の宿屋を目指す。
空星亭と記された看板がかかる宿の入り口をくぐり、前日の夜に取った部屋へ向かった。
「フィリア。私よ。開けてちょうだい」
扉を三度叩くと、すぐに中から返事があった。
間を空けず扉が開きリヴィラは飛び込むように部屋の中に入った。
「お嬢様っ! ご無事でよかった。ずっと心配していたんですよ」
「大丈夫よ。セイク様には気づかれてないから」
外套を脱ぎながらリヴィラが言うと、フィリアから不満の声があがった。
「私が言ってるのはそういう意味ではありません。こんな夜道を一人で歩いてくるなんて……。なにかあったらと思うと私は……」
口元を押さえてうつむいたフィリアに、リヴィラは素直に謝ると、部屋の隅にある寝台にすとんと腰を落とした。
「万が一、悪漢に襲われても私には魔術という強い武器があるし、心配しないでちょうだい。それよりも、一日中ここで待たせてしまって悪かったわ」
「私のことは気になさらないでください。お嬢様が無事でいらっしゃれば充分ですから」
肩口で切りそろえられた金の髪を揺らして、フィリアが言った。その青い瞳はこころなしか潤んでいるように見える。
「とにかく、あと二、三日したらあなたの協力が必要だからそれまで悪いけど我慢してね。ごめんなさいね」
リヴィラはじっとフィリアを見つめてそう告げた。すると、フィリアが困ったように眉を寄せる。
「本気でやるんですか? 私、やっぱりあまり気が進まないのですけど……」
「やるったらやるの。うまくすればあちらの家から今回の話しはなかったことにって申し出てくるはずなんだから」
リヴィラはぐっと拳を握りしめた。
ルギーレイド家との結婚の話しをなくすためにリヴィラが考えた計画はこうだ。
ルギーレイド家は強い魔力を持つリヴィラを欲している。
リヴィラはルギーレイド家の人間と会ったことがない。まず最初にリヴィラが使用人として入り込み、セイクがどういった噂通り部屋にこもりっぱなしの人物かどうかを見極める。
その通りだった場合、数日後にフィリアをリヴィラの替え玉としてルギーレイド家に送り込むのだ。
リヴィラが婚約者として選ばれたのは強い魔力の保持者だからだ。
しかし、魔力のないフィリアが婚約者として現れれば彼らは驚くはずだ。
「そして、婚約破棄を申し出てくるに決まってる」
「そんなにうまくいくとは思えないんですけど……」
「いいえ。大丈夫よ。完璧だもの。うまくいくわ」
あまり乗り気ではないフィリアの言葉にリヴィラはそう返すと立ち上がった。
「だって、やっぱり噂通り部屋から一歩も出ないのよ。しかも長い前髪で顔の半分を隠してるからなにを考えてるかわからないし……。あんな人とうまくなんてやっていけないわ」
「でも、心根は優しい方なんじゃないですか?」
「――……それは、まあ、態度とか物言いとかは嫌な感じじゃなかったけど……」
「人を見かけで判断なさってはいけませんよ」
もっともなフィリアの言葉にリヴィラは唇をとがらせる。
「でも――」
「もう少し一緒に過ごしたらなにか変わるかもしれませんよ」
「変わらないわ。私は絶対この結婚をなくすんだから!」
リヴィラは大きく頷いて決意を固めると、フィリアから外套を受け取り、来たときと同じようにフードを目深に袖を通した。
「宿の主人に多めに料金を渡しておくから、食べたいものがあったら遠慮なく頼みなさいね」
「まあ! 私は充分満足してますのに……。ありがとうございます」
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「ご一緒に途中まで行きます」
「だめよ。誰かに見られたらまずいもの」
あとをついてこようとしたフィリアを制し、リヴィラはきびすを返すと部屋をあとにした。
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