悪役令嬢を目指します!

木崎優

第九話 剣はこの後回収しました

「女神様、どうか私たちをお守りください」


 魔王の脅威が去ってからすでに八年が過ぎた。でも魔王がいなくなっても、魔物や魔族との戦いは終わっていない。今もどこかで、誰かが戦っている。
 一対の羽を模した彫刻の前で膝をつき、手を組み合わせて祈りを捧げるのは、もはや習慣と化している。


「いつも熱心だね」


 優しい声に顔を上げると、柔和な笑みを浮かべた神父さまと目が合った。


「女神様もきっと応えてくれるよ」


 目尻を下げて穏やかに微笑む神父さまに、私は曖昧な、困った笑みを返す。


 私たちが生まれ暮らしていた村は六年前に魔物に襲われた。それまで魔物の報告もなく、これといって目立った特徴もなかったため、救援が来るのが遅れた。生き延びていたのは、私と妹の二人だけ。


 両親を失い、住む場所も失った私たちは近くの町にある孤児院でお世話になることになった。


 生きていられたのは女神様のおかげで、生き続けることができたのは神父さまのおかげ。
 だからこれ以上女神様が何かしてくれるとは、私には思えなかった。十分すぎるほど女神様には与えられている。


「お姉ちゃん、神父さま、ご飯ですよー」


 教会の奥にある扉から明るい声が聞こえてきた。


 聞き慣れた声に私は自然と頬が綻ぶのを感じた。
 いつもと同じ明るい笑みをたたえながら、私の妹が姿を見せる。早く早く、と急かす妹に同調するように、夕食時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。




 教会の裏手には私たちがお世話になっている孤児院がある。
 こぢんまりとはしているが暖かな雰囲気のある孤児院の中で、子どもたちと食事が私たちを待っていた。


 遅い、お腹空いた、と口々に不満を漏らす皆を窘めながら椅子に座る。食卓の上に並んでいるのは野菜の切れ端が入った水のように薄いスープと固いパンだけ。
 質素な食事には慣れているけど、育ち盛りの子どもたちに満足に食事を与えられないことが申し訳なくなる。


 魔王の脅威が去った後、王様は冒険者組合を設立した。魔物の報告を受けたら確認し、討伐できそうなら討伐を、難しそうなら騎士団に報告を上げ、安全を確保することを目的としたものだったはずが、設立から七年した今では行き場のない人たちの最後の拠り所になっている。


 魔王との戦いで家屋や職を失った人が多く、冒険者組合はその受け皿となってしまった。王様はそれでも組合を解散させるつもりはないようで、維持するための税金を課すことに決めた。
 貴族も貧民も関係なく、本来除外されてもおかしくないはずの教会や孤児院までもが対象とされている。


 冒険者には報奨金が与えられているのに、魔物によって親を失った子どもたちへの援助は微々たるもの。この孤児院がなんとかやっていけているのは、孤児院を出て冒険者になった人や、職に就いた人からの支援金があるおかげだ。




「ここを出て私たちに行くところはあるのかな」


 私たちは今年で十六になった。十六歳は成人で、本当ならもう孤児院を出ていないといけない年齢だ。こうして留まっていられるのは、神父さまのおかげ。
 もしも仲の良い男性がいたら嫁ぐこともできるけど、私にはそんな相手はいない。それでも、近いうちにここをでて自活しないと、孤児院の負担が増していく。


「お嫁さんになりたいけど難しいからなぁ」


 寝台に転がりながらうーんと唸る妹に首をかしげる。妹は明るくて皆に慕われているから、お嫁さんにほしいと言ってくる人もいると思う。
 だけど私は違う。私は村が襲われたときに傷を負い、片目を失った。わざわざそんな娘を嫁にもらいたい人はいない。


 ずっと一緒だった妹と離れ離れになる不安に少しだけ視線を落とすと、明るい声が降ってきた。


「じゃあ、冒険者になろう」


  荷支度をはじめる妹に、私はぽかんと口を開いてから、またいつものように、困ったような笑みを浮かべた。


 離れ離れになる未来は想像できない。私たちはいつだって一緒だった。








◆◆◆








「こんにちは、ライアー」


 むすっとしているライアーににこやかに挨拶すると、一瞬目を見開いてから、顔をしかめた。


 初めて会ったときは流しているだけだった髪は一つに結ばれて、笑っていた顔は不機嫌なものになっている。ここまで彼をわかりやすくしたのが誰なのかを思うと、自然と笑みが零れてしまう。


「……フィーネ」
「うん。そうだよ。元気だった?」
「ボクたちが体調を崩すことはないからね」
「それならよかった!」


 ライアーの顔がむっとしたようなものに変わる。ひそめられた眉に、嫌悪を灯した瞳。私を殺したときと同じような顔に、ぱちくりと目を瞬かせる。
 どうやら一度殺しただけでは怒りが収まらなかったみたい。


「何それ」
「ん? 何が?」


 首をかしげると、ライアーはじろじろと私を見て、馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「似合わない」
「そうかなぁ?」
「自分でわかんないの? 無理があるって」
「そんなことないよ」


 だって私はずっと見てきた。
 ころころと表情が変わって、どんな相手にも果敢に立ち向かって、王様相手にも気後れしない――そんな妹の側にいた。


「私たちは二人で一人だったんだから」


 そしてそれが私たちだった。








『やはり幼稚になっていないか?』


 王都に戻る少し前、ノイジィが首をかしげながら私に聞いてきた。
 私にはわからないけど、もしかしたらそうなのかもしれない。


 だって私には、フィーネが覚えている記憶しかない。忘れた記憶や、忘れてしまった記憶はない。人は日々の積み重ねで成長するのに、断片しか持たない私がフィーネなのかと言われると多分違う。
 それにフィーネが最後に願ったのは、妹の代わりになることだった。


『ふむ、お前が望むのならすべてを思い出させてやろうか』


 記憶を取り戻したとしても、何かが変わる気はしない。妹の代わりに世界をよくするのに、フィーネの記憶は必要ない。
 瞬きする私に、ノイジィは返事を待たずに畳みかけてきた。


『いつ必要になるかわからんだろう。何、お前が望まぬ限りは思い出せないようにしてやるから安心しろ。だがその代わり俺の友との間に何かあれば勇者――クロエを頼れ。あれは俺らに詳しい。何かしらの打開策を見出してくれるだろう』


 言いたいことだけ言って、さっさと魔法をかけて、用は済んだとばかりに追い出されたのはちょっと不満だったけど、もしかしたらノイジィはこの事態を予測――はしてなかったと思う。
 もしも知っていたらまず真っ先に逃げてたはず。


 そんな感じでほぼ押し売りみたいにかけられた魔法だったけど、今は感謝している。フィーネの忘れていた記憶には、忘れたらいけないものもあった。


「ねえライアー。私、聖女になったよ」
「キミが聖女? 人間の目はとんだ節穴だね」
「そんなことないよ。だって今の私は聖女の生まれ変わりだもん」


 レティシアは妹をいらなさそうだった。
 だから、私がもらうことにした。


 二人で一人、それから一人ずつになって、今度は一人で二人をこなすことにした。




「だからね、ライアー。私は聖女としてあなたと戦うよ」
「キミがボクに敵うわけないでしょ」
「そうかもね。でも、私は一人じゃないよ」


 見えない刃がライアーのいた場所を通過する。不意打ちならいけるかもと思ったけど、そこまで甘くはなかったみたい。
 ライアーの視線が周囲を巡り、火球がいくつも出現した。私はそれをかき消そうと生み出した水球をぶつけていく。


「水魔法、ね」
「ライアーは水と氷だけは使わないよね」


 属性相性が悪いのか、それを使う魔族が苦手だからかはわからないけど、ライアーは他の魔族と違って遠慮なく色々な属性を使う。でも水の魔法と氷の魔法を使うところだけは見たことがなかった。


「苦手なのかなって思ったんだけど、当たり?」
「さあ、どうだろうね」


 水属性は認識をずらすことができる。隠匿魔法のかかっている刃は視認できないはずなのに、難なく躱しているのは培われた感性のせいなのかもしれない。
 あるいは、気配に敏感だからわかるのかな。もしもそうだとしたら手の打ちようがない。


「ライアー」


 ――今までの私だったら。


 忘れてしまった記憶が今の私にはある。
 彼と出会った瞬間も、村が燃えていく光景も、両親の最期も。全部全部、私は思い出した。


「どうして村を燃やしたの?」


 私の言葉にライアーの体が一瞬だけ強張った。




 ディートリヒ君はありとあらゆる武器に詳しい。ローデンヴァルトの王様はディートリヒ君にすべてに触り、習い、身に着けることを要求してきたらしい。その教育方針についてはちょっとよくわからないし、ディートリヒ君本人も「結局どれも極めるほどはできなかたけどな。器用貧乏なんだよ」と笑っていた。


 だけど――腕はともかくとして――鍛錬を積んできたことは無駄じゃない。ディートリヒ君はほんの少しの隙を見逃さなかった。


「――っ」


 でも刃はライアーの体に達することはなく、代わりに彼の長い髪を切り落とすことしかできなかった。
 地面に落ちる髪に、これはまずいと慌ててディートリヒ君を呼び戻す。ライアーは自分の髪を大切にしているわけじゃない。彼が大切にしているのは、髪を結んでいる紐の方だ。


 長くて鬱陶しいと妹が押し付けただけの紐を、ライアーはずっと大切にしていた。


「キミの村を燃やした理由? そんなもの忘れたよ。それよりもさ、さっきからちょろちょろ鬱陶しいんだけど……ここら一帯を火の海にでも変えればいいのかな? キミの村を燃やしたときみたいに」


 焼け付くような熱気に空気が揺れる。水で防護壁を張るけど、いつかは押し切られる。
 ライアーが本気になる前にどうにかしてあげたかったけど、こうなったら仕方ない。


「あれは無理だな」


 ディートリヒ君の声がすぐ近くから聞こえる。隠匿魔法を解くと、顔をしかめていた。
 戻ってくるときに邪魔になったのか、少し離れた場所に剣が捨てられている。


「気は済んだ?」
「まだだけど、諦めた。一人でどうこうできるような相手じゃない」
「そっか。わかった」


 頷いて、それから完全に怒ってるライアーに向き合う。


「ねえライアー」
「何?」
「その紐、私のために作ったものの失敗作なんだよ」


 今度は私の番。
 別にライアーに傷をつけたいとか、そう思ってるわけじゃない。ただちょっと怒ってるだけ。


「ちゃんと話し合ってたら、ライアーのためだけに作ってくれたかもね」
「……それが? 別にどうでもいいよ」
「よくないよ」


 私はいつも妹を見ていた。楽しそうに笑う妹の目が翳るのは、ライアーと接するときが多かった。
 ライアーが妹のそんな様子に気がついていないはずがない。気がついていて放置していたライアーに私は怒ってる。


「だってあの子が死んだのはあなたのせいでしょ?」


 そして、妹に何もしてやれなかった私のせいだ。


 全部任せないで手助けしてあげてたら妹は死ななかったかもしれない。ひどい目に合うこともなかったかもしれない。
 どうなったかなんて誰にもわからないけど、私の中にある後悔をなんとかするためには、私が最後に願ったことを叶えないと、私も前に進めない。


「私はあの子の代わりに世界をよくするよ」


 ライアーに怒っていた妹はもういない、私が怒ってもライアーは聞いてくれない。
 だから、話ができる人を呼ぶのが一番だ。


 それに、クロエさんに魔族について相談したら案を二つ提示された。
 一つは好きなものを与えて気を逸らす方法。


 もう一つは――


「あなたは怒ってる人とちゃんと話すことを覚えようね」


 魔族同士でぶつけること。


「ルースレス、私はここにいるよ」




 うだるような暑さが一気に冷え込み、地面に霜が降る。目の前に現れた顔は昔と同じ、何を考えてるのかわからない仏頂面。こんなときぐらい笑えばいいのに、本当にこの人は変わらない。だから私も、いつものように困った笑みを浮かべる。


「あのさ、こいつと会話ができると思ってるんだとしたら、ずいぶんと甘いよ」


 顔をしかめて今にも舌打ちしそうなライアーの言葉に、ルースレスを見上げる。


「……話せるよね?」
「ああ」


 ほら大丈夫。
 それにこのあたりは荒野だから、多少暴れても被害が出ないことは確認してある。一番近い村の人も避難済みだ。


 私はルースレスにライアーを任せて、ディートリヒ君と一緒にその場を離れることにする。うっかり巻き込まれたら大変だから。
 ものすごく何か言いたげなディートリヒ君だったけど、結局口を開くことなく、大人しくついてきてくれた。

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