悪役令嬢を目指します!

木崎優

第三十二話 子爵家の子

 ――ああ、やっぱり。


 一番最初に抱いたのはそんな感想だった。


 ルシアンですら久しぶりに会ったら誰と思ってしまった私が、この子のことだけは、子爵家の男の子だとすぐにわかった。たった一度しか、しかも十歳のときにしか会っていない相手を。
 そして、ディートリヒに勧誘まがいのことをされたときに発動された水魔法。あのとき、この子は「口は出していない」と言っていた。
 本当に、口は出していなかった。詠唱すらも。


 魔法に詠唱が必要だということはこの世界の常識だ。魔法に精通している魔族やそれに連なる者から教わっていない限りはできない。
 しかも、詠唱を必要とすると思って育っている場合、無詠唱に挑戦するときにためらいが生まれる。
 少しでも疑えば、魔法は発動しない。だから無詠唱を会得するためには、魔法を習うときに無詠唱を教わってないといけない。
 そんなのは、貴族の常識としてありえない。




 だから、もしかしたらと考えていた。




「なんなんだよ、お前」


 ディートリヒの声に思考が引き戻される。
 バチバチと火花が散るような音が聞こえる。視界の端に光の筋のようなものが走ったように見えた。


 地面が水浸しな状態で雷魔法なんて使ったら、大惨事間違いなしだ。


 思いっきり頭を上げてディートリヒの顎を打つと、火花の音が消え、後ついでにディートリヒもよろめいた。
 そして水球がディートリヒの頭に直撃する。


「あぶなっ」


 倒れそうになったディートリヒを支えたが、私の体は同年代の男性を支えられるほど頑丈にはできていない。そのまま倒れそうになったのを壁が支えてくれた。
 ディートリヒの様子をうかがうと、完全に気絶していた。
 重いし仕方ないので、地面に転がすことにしよう。


「大丈夫ですか?」
「え、ええ。助かったわ」


 今しがた人を一人気絶させたとは思えないほどあっけらかんとした様子で話しかけられ、思わずどもってしまった。
 もしかしたら、と思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。ディートリヒという例外もいたし、考えすぎだったか。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 口を突いて出てしまった言葉に、子爵家の男の子がぽかんと口を開いた。


「……リリア?」


 あ、よかった。合ってた。




「え、嘘。本当にリリア? そっくりさん?」
「そっくりさんではあるけど……ええと、リリアの記憶を持っているレティシアです」
「え? あー、うん、そっか。私と同じなんだね。そっかぁ」


 なるほどなるほど、と言うように頷く子爵家の男の子――と呼び続けるのもどうかと思って名前を聞くと、困ったように笑われた。


「リュカって名前はあるけど……弟のだから、私の名前はないんだよね」


 詳しく話を聞くと、またもや双子として産まれ、十歳まで放っておかれたので名前を付けてもらったことがなかったらしい。
 弟――つまり、私が誕生祝で会った子爵家の男の子はあの後に殺されたそうだ。


「だから私のことはフィーネでいいよ。お姉ちゃんでもいいけど」
「さっきは思わず呼んじゃっただけで、普段からそう呼ぶのは色々誤解が生まれそうだからやめておくわ」
「そう? 残念」


 肩をすくめるフィーネ。
 ちなみに、人前ではリュカと呼ぶつもりだ。


「……あなたに言っておきたいことがあったのよ」


 二人になる機会があれば教えておこうと思っていたことだ。
 まあ、わざわざ呼びにいくほどでもないのでこれまで放置していたことだけど。


「あなた、まだ狙われてるわよ。フィーネだとわかったら攫われると思うわ。……男の身であいつに囲われるのは色々きついと思うから、注意しなさい」
「え? 私、男じゃないよ?」


 きょとんとした顔で首をかしげたフィーネにつられて、私も首をかしげる。


「でも、双子の弟がいたのよね? それに、どう見ても男じゃない」
「んー、よくわからないけど、ちゃんと女の子として産まれたよ」




 女神の理から外れた存在は、魔族と似ていて魔力によって形成される。魔族と違うのは、すべてが魔力によって作られる、というわけではないことだ。
 生き物から産まれるところも違う。


 もしかしたら魔力が前世の記憶に合わせたのかもしれない。


「でも、そっかぁ。リリアだったからライアーがいたんだ」
「……そういえば、あのとき呼びに行ったのはあなただったわね」
「呼びに行ったらライアーが出てきたから、驚いたよ」
「驚いたって……それだけ?」


 フィーネはライアーに殺されている。自分を殺した相手が目の前にいたら驚いた、だけでは済まないはずだ。
 私は教皇が目の前に現れたら思わず攻撃する自信がある。


「見つかったら連れ戻されそうだから、隠れようとも思ったよ」
「……恨んでないの?」
「恨む? どうして?」


 綺麗で優しいお姉ちゃん。


 リリアはそうフィーネのことを評していた。
 同じように育って、同じ名前を分かち合った間柄なのに、リリアはフィーネを一歩引いたところから見ていた。


「だって、殺されたのよ? 覚えてないの?」
「覚えてるよ。熱かったし痛かったけど――でも、今は生きてるんだからそれでいいじゃない」


 恨みを抱き続けたリリアと、恨みを抱かないフィーネ。
 あまりにも考え方が違う。


 リリアはフィーネとこういう話をしたことがなかった。誰かを恨むとか憎むとか妬むとか、その手の話を避けていたのは、相容れないと本能的にわかっていたからか。


 同じ容姿なのに綺麗と評するのは少しおかしいと思っていたけど、もしかしたらそこには心が綺麗とか、綺麗事ばかり言うとか、そういう意味も含まれていたのかもしれない。


「……そういえば、どうしてここにいるの?」


 これ以上このことについて話すのは、リリアの記憶が色々と蘇りそうなのでやめておこう。
 多分何を話しても平行線だ。


「ここに水の結界が張られてることに気づいたのと、その前に魔力で作られた雨が降ったから、もしかしてって思ったの。目眩しの効果もあったから、多分レティシアの護衛をまくためだったんだろうね」
「護衛?」
「うん。顔のいい男性で……多分だけど闇属性が得意そうな人」


 心当たりは、ある。
 いや、でも、もしもそうだとしたらまずい。色々まずい。


「――急用を思い出したわ。ディートリヒのことは任せたわよ。一応治癒魔法をかけてあげてね」
「うん。わかった」


 またね、と手を振るフィーネを尻目に、私は全力で学園に戻ることにした。






「レティシア!」


 学園には戻れなかった。大通りに出たところで、ルシアンに見つかった。
 何食わぬ顔で寮にいたらごまかせると思ったのに、失敗だ。


「あら、ルシアンじゃない。どうしたの?」


 とりあえず何食わぬ顔で散歩してました風を装う。水の結界が張られていたということは、私の位置はこれまでルシアンに特定できていなかったはず。
 いや、特定できないからこそ必死に探していたのかもしれない。ルシアンの息が少し上がっている。


「……買い物に来ただけだよ。君を見つけたから一緒にどうかなと思って」


 優しく微笑むルシアンに、どうしたものかと頭を悩ませる。
 この嘘に乗っかることは簡単だ。


 だけど、さすがに秘密裏に護衛を付けられていたことは見過ごせない。


「ええ、それは構いませんけど……その前に、アドルフについてお話しましょうか」
「アドルフがどうかしたの?」
「どうかしたから言ってるのよ。私に内緒で護衛にするだなんて、何を考えているの」


 ルシアンが目を見開いてから、ぱちぱちと数度瞬きした。


「護衛を付けるのなら私ではなくあなたにでしょう」
「……私は自分でどうにでもできるけど、レティシアは違うだろう?」
「森でもそうだったけど、自分が王子だということをわかっているの? 私よりも自分の身を守ることを優先しないでどうするの」
「いや、しかし」


 言いよどむルシアンに思わず眉をひそめかけるが、そういえば私は聖女の子だった。私に傷がつくと色々うるさい国が多いことも、さっきディートリヒに聞いて知った。
 そう考えると、私に護衛を付けるのは妥当なのかもしれない。


「……私が聖女の子だから守らないといけないのはわかるわ。だけど――」
「レティシア」


 無断で護衛を用意するのはやめろ、と言いたかったのだが思いっきり阻まれてしまった。


「私は君が聖女の子だからとかは関係なく、君に傷ついてほしくないから護衛を用意しただけだよ」


 だけ、で済むような話ではないのだが、真剣な眼差しと台詞に何も言えなくなる。
 どうしてルシアンは一々恥ずかしい台詞を口にするんだ。


 それにほだされる私も私だけど。

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