悪役令嬢を目指します!
第十二話 王子の登場
悪魔召喚を目論んだ結果ライアーに殺されたのだとしたら、それは悪魔を召喚する方法ではなく、魔族を呼ぶものだったのかもしれない。
リリアはライアーに魔族に関する本を燃やすように頼んだ。そして、ライアーはそれをずっと――百年もの間守り続けていたのだろう。しかも本を燃やすだけでは終わらせなかった。
記憶を弄れる魔族は学園に潜んでいたので、ライアーを呼んだ者の記憶を消すことはできない。ならばどうしたのかは、ロレンツィ家にいた人が全員殺されたことからも簡単に想像がつく。
煩わしいものは殺せばいいと、ライアー自身が言っていたのだから。
殺したところで満足したのか、あるいは単純に気付かなかっただけなのか、ライアーに関する文献が残されていて、それがディートリヒの手に渡った。
考えうる限り最悪の展開だ。
「ライアーという名の魔族はいます」
ここで問題になるのは、クロエがロレンツィ家のことを知っているのかどうかだ。私の従者をしていたことは言わないとは思うが、肯定するようなことを言えばディートリヒの神経を逆撫でするかもしれない。
クロエに限って魔族を肯定することはないとは思うけど。
「魔族の中でも三番目に関わってはいけない者ですが……どうしてその名を知っているのですか?」
一番と二番は誰だろう。
「俺の母の縁戚にある家がそいつに殺されてるんだよ」
「それが先ほどおっしゃっていたロレンツィ家ということでしょうか」
「ああ。当主の妹の旦那の弟……嫌々ながら付き合いで悪魔召喚に参加した奴の日記にその名があった」
「……なるほど」
付き合いで悪魔召喚に参加しないといけないのか。親戚付き合いって怖い。
クロエは私の方を見ないようにしながら、慎重に言葉を選んでいる。ディートリヒの情報にどこまで精通しているかはわからないが、おおよそのことは察しがついたのかもしれない。
「親族が殺されたことは痛ましいことだとは思いますが、ライアーについて話せることはありません。私が知っているのは昔の彼らのため、今どこで何をしているのか知らないので」
そこで一度区切り、クロエはディートリヒとパルテレミー様を交互に見た。魔族について話せることは少ない。クロエが知っているのは千年前の彼らで、私が知っているのは百年前の彼らだ。
ライアーも今はどこで何をしているのかわからないし、下手な話をして魔族について調べようとしたら、危ないのはこの二人だ。
「魔族に関して気になるのはわかりますが、あまり探らないことをお勧めします。彼らは彼ら独自の考えを持っているため、何が琴線に触れるかわかりません」
「死にたくなければ忘れろと、そう言いたいんですか?」
「それが一番でしょう。普通に生きていれば早々関わらないと思いますし……学園にいる魔族は愛と音楽を貶めなければ安全ですので」
前世で貶めてしまった人はどうすればいいでしょう――とはさすがに聞けなかった。
納得のいっていないパルテレミー様とディートリヒだったが、クロエが解散を宣言すると大人しく従った。クロエは店でしないといけないことがあるからとそのまま留まることになったので、私は軽く店内を見ることにした。
催眠魔法が付与された魔道具が並んでいる。オルゴールもどきや万華鏡もどき、それ以外にも色々な商品があった。催眠魔法は危ないからとお兄様に止められたけど、クロエが管理しているお店のものなら一つぐらい買ってもいいのでは。
「やめておいた方がいいですよ」
何故か残っているパルテレミー様に止められた。ちなみにディートリヒはさっさと帰った。パルテレミー様も帰ればいいのに。
「催眠魔法だから?」
「催眠魔法を忌避している者は多いです。あなたがそれを買ったことをご家族が知ったらどう思うか……まあ、よい結果にはならないでしょう」
渋々とオルゴールもどきを棚に戻すことにした。リューゲがいなくなってからというもの、部屋が静かすぎるので欲しかったのだが、そう言われては諦めるしかない。
「パルテレミー様もそろそろ帰った方がよろしいのでは?」
「あなたを一人で帰すわけにはいかないので」
「私はクロエと帰るから平気よ」
「待つのに飽きて帰ろうとするかもしれませんからね。彼女の用事が終わり次第私も帰りますよ」
私はこれまでパルテレミー様の前で迂闊なことをした覚えはない。これがヴィクス様やルシアン様や私の家族ならともかく、パルテレミー様にまで過保護な扱いを受けるいわれはないはずだ。
「……それに、聞きたいこともありましたから」
じっとりとねめつけると、パルテレミー様は僅かに顔を逸らしてから苦笑を浮かべた。
「あなたの従者はロレンツィ家を名乗っていましたよね」
「……よく覚えているわね」
「忘れられるわけがないでしょう」
パルテレミー様がリューゲと会ったのは二回。数年前の茶会と、学舎裏にリューゲが迎えに来たときだけ。そして名乗ったのは一度だけだった。
「赤い髪の者に脅されましたから」
カウンターに座る従業員を気にしてか言葉を濁すパルテレミー様に、私は目を見開いた。赤い髪、と言われて連想する相手は一人しかいない。
「あなたの従者は先ほど話に出ていた方なのでは?」
「忘れろとクロエは言っていなかったかしら」
「忘れろと言われて忘れられるほど単純ではないので」
マドレーヌなんかは忘れろと言われたら忘れそうだ。単純だから、ではなくパルテレミー様の言うことだからという理由で。
パルテレミー様の眼鏡は特別製だ。リューゲが魔族だということはすでにわかっているのだろう。そして魔族に殺された家の名前を名乗っているとなれば、答えは一つしかない。
ディートリヒも疑ってはいるが、確たる証拠がないからか深く追求してこなかった。だけどパルテレミー様は納得いくまで追求してくるに決まっている。
まいった、どうやって誤魔化そう。
私は逃げ場がなくなるまで誤魔化し続ける主義だ。
表情に出さないように苦心しながら心の中でうんうん唸っていると、チリンと来客を告げる鈴の音が鳴った。
「――レティシア?」
噂をしていないのに現れたのは、ルシアン様だった。目を瞠るルシアン様に嫌な汗が出る。
これは、パルテレミー様に追及されるよりもまずい状況なのでは。私の横にはパルテレミー様がいて、店内に他にお客さんはいない。頼みの綱のクロエは奥に引っ込んでいる。
「ルシアン様、これは、えーと」
クロエを待っているだけだが、クロエとパルテレミー様の三人で出かける理由が思いつかない。やばい、詰んだ。
そう思っていたら、何故かルシアン様の方が目を泳がせていた。気まずそうに視線を逸らす姿にどうしたのかと首をかしげる。
「ルシアン殿下、どうされましたの?」
小鳥の囀りのような声がルシアン様の背後から聞こえてきた。
入口で立ち止まったままのルシアン様の背をぐいぐい押して顔を覗かせたのは、銀の髪に青い目をした編入生――モイラだった。
「あら、レティシア様ではないですか。それにシモン様も。仲がよろしいのですね」
ころころと鈴を転がすように笑うモイラにパルテレミー様の顔が引きつった。そしてルシアン様とモイラを交互に見てから、口元に苦笑いを浮かばせる。
「……編入生の案内を任せられるとは、ルシアン殿下は学園からずいぶんと信頼されているようですね」
「あ、ああ。そうなんだ……他に適任がいないと言われては断れず――」
パルテレミー様とルシアン様のやり取りを聞きながら、私はモイラの後ろにちらりと見えたヴィクス様に同情の念を抱いていた。顔を少し上げ、宙を見ている彼の顔は途方に暮れているように見えたからだ。
店内に入ることなく立ち止まっている二人を無理矢理押し込むこともできず、かといって路上に立ち止まったままなのも通行人の目が痛い、とでも思っているのだろう。
そして鳥が飛んでいるなとか考えて現実逃避をしているのかもしれない。私だったら間違いなくそうしている。
「だから、誤解しないで欲しいのだが、これは王族として当然の職務であって、おかしな理由があるわけではなくて」
言い募るルシアン様の目が私に向いていた。パルテレミー様と話していると思ったのに、いつの間にか私に矛先が移っていたようだ。
「ええ、わかっております」
よく知らない人の案内まで任されるとか、王子業は大変だ。
私には絶対真似できない。
わかっていると頷いたのに、ルシアン様はおろおろとし続けていた。これは、もしかしなくても「私というものがありながら、他の女性を連れているとはどういう了見かしら」と言い放つ場面だったのかもしれない。
悪役を目指していたときなら間髪入れず言えたのに、完全にタイミングを逃した。惜しいことをした。
悔しがったのは一瞬で、底意地の悪いリューゲを思い出してこれでよかったのだと自らに言い聞かせる。悪役を目指したらもれなく学園が炎上する。
ただなんとも悪役冥利につきそうな場面だったので、少し残念だっただけだ。
「そのようなところで止まっていては他の方の迷惑になりますので、中に入ってはいかが?」
主にヴィクス様に迷惑だ。
「あ、ああ」
いまだに挙動不審なルシアン様が店内に入り、モイラも続き、ほっとした表情のヴィクス様も入ってきた。
ヴィクス様はルシアン様大好きだから強く出れない。私も悪役を目指していたときならともかく、今の私ではルシアン様に強く出れないのでその気持ちはわかる。
「こんなところにまで立ち寄るとは、ずいぶんと細かく案内しているんですね」
「彼女たっての希望だっただけで、主に使いそうな店しか案内していないよ」
「ええ、こちらに変わった品を売っているお店があると聞いたもので、是非とも見てみたかったのです」
パルテレミー様が二人の相手をしてくれるようなので、私はまた商品を見る作業に戻ろう。催眠魔法を使っているものでなければ買ってもいいはずだ。
「あれ? なんか、増えてますね」
そう思った矢先、クロエが戻ってきた。仕方ない、魔道具を物色するのはまた今度にしよう。
「ルシアン殿下にヴィクス様に……それからモイラ、ですか。気に入ったものがありましたら、手に取ってみてください。壊した場合は弁償していただきますが」
「君もいたのか……これは、どういう組み合わせだ?」
クロエとパルテレミー様と私、接点なんてほとんどなさそうな三人組にルシアン様が首をかしげる。接点はあるにはあるが、廃品事件だからルシアン様にわかるはずがない。
「レティシアが魔道具を見たいとおっしゃったので、それで魔道具に詳しいパルテレミー様が解説役にということになりました」
「……マドレーヌ嬢抜きで?」
「マドレーヌは前回の試験で順位が落ちてしまったので、勉強しています」
さらさらと嘘をつく二人に思わず感嘆の溜息を零しそうになる。パルテレミー様のは嘘じゃないかもしれないけど。
「順位が落ちたのはシモンもだろう」
「マドレーヌは女子一位を取るのを目標にしていますので。私はそこまで順位に思い入れはありません」
嘘だ。
「それにしては結果が出たときに動揺していたように見えたけど」
「それはそうでしょう。上級クラスで私に勝る者がそういるとは思えなかったので」
パルテレミー様はクロエが一位だということを知っているのだろうか。クロエの様子を窺うと、素知らぬ顔をしていた。
「ヴィクス様、そちらの商品が気になるのでしたらこちらもいかがですか?」
それどころか営業を始めていた。
商売魂のせいか、いつもの小動物らしさが抜けているがいいのだろうか。
「レティシア様」
そしてあぶれたモイラがそそと私に寄ってきた。
モイラは金銭価値の高そうな服を着ている。それもそうだろう。ルシアン様とヴィクス様という二人と出かけるのだから、それ相応の装いをするのが普通だ。
「パルテレミー様とクロエとは親しいのですか?」
「……人並みじゃないかしら」
クロエはともかく、パルテレミー様と親しくなった覚えはない。むしろあまり関わると根掘り葉掘り聞かれそうなので親しくしたくないぐらいだ。
こちらの返答をどう受け取ったのか、モイラは口元に手を当ててくすくすと笑った。笑うようなことを言った覚えはない。
「ルシアン殿下はずいぶんとあなたを好いているようですね」
「まあ、そうね。知ってるわ」
「あなたは彼のことをどう思っていらっしゃるの?」
「それは……」
答えかけたところで、視線を感じて口を閉ざす。視線のする方を見ると、思いっきりこちらを凝視しているルシアン様と目が合った。そしてパルテレミー様とヴィクス様まで私を見ていることに気がついた。
「それは?」
「……あなたに答えるようなことではないわ」
こんな注目されている状態で言えるわけがない。逃げ出したい。
下がりそうになる足を頑張って止めていたら、ひんやりとした手が頬に触れた。驚いて目を瞬かせると、私の頬に手を当てているモイラが薄く笑った。
「モイラ」
だけどそれは一瞬のことで、すぐにクロエがモイラの襟首を掴んで引き剥がした。
ばくばくと鳴る鼓動が耳にまで届いて、煩い。
「そんなに怯えないでくださいな」
ころころと鈴を転がすような声で笑う彼女に頬が引きつった。
どうしてだろう、彼女が怖い。どうして怖いのかわからないけど、ただ怖い。
チリチリと脳が焼け付くような痛みと共に思い出したのは、焼かれた村の中で愉しそうに笑うライアーの姿だった。
リリアはライアーに魔族に関する本を燃やすように頼んだ。そして、ライアーはそれをずっと――百年もの間守り続けていたのだろう。しかも本を燃やすだけでは終わらせなかった。
記憶を弄れる魔族は学園に潜んでいたので、ライアーを呼んだ者の記憶を消すことはできない。ならばどうしたのかは、ロレンツィ家にいた人が全員殺されたことからも簡単に想像がつく。
煩わしいものは殺せばいいと、ライアー自身が言っていたのだから。
殺したところで満足したのか、あるいは単純に気付かなかっただけなのか、ライアーに関する文献が残されていて、それがディートリヒの手に渡った。
考えうる限り最悪の展開だ。
「ライアーという名の魔族はいます」
ここで問題になるのは、クロエがロレンツィ家のことを知っているのかどうかだ。私の従者をしていたことは言わないとは思うが、肯定するようなことを言えばディートリヒの神経を逆撫でするかもしれない。
クロエに限って魔族を肯定することはないとは思うけど。
「魔族の中でも三番目に関わってはいけない者ですが……どうしてその名を知っているのですか?」
一番と二番は誰だろう。
「俺の母の縁戚にある家がそいつに殺されてるんだよ」
「それが先ほどおっしゃっていたロレンツィ家ということでしょうか」
「ああ。当主の妹の旦那の弟……嫌々ながら付き合いで悪魔召喚に参加した奴の日記にその名があった」
「……なるほど」
付き合いで悪魔召喚に参加しないといけないのか。親戚付き合いって怖い。
クロエは私の方を見ないようにしながら、慎重に言葉を選んでいる。ディートリヒの情報にどこまで精通しているかはわからないが、おおよそのことは察しがついたのかもしれない。
「親族が殺されたことは痛ましいことだとは思いますが、ライアーについて話せることはありません。私が知っているのは昔の彼らのため、今どこで何をしているのか知らないので」
そこで一度区切り、クロエはディートリヒとパルテレミー様を交互に見た。魔族について話せることは少ない。クロエが知っているのは千年前の彼らで、私が知っているのは百年前の彼らだ。
ライアーも今はどこで何をしているのかわからないし、下手な話をして魔族について調べようとしたら、危ないのはこの二人だ。
「魔族に関して気になるのはわかりますが、あまり探らないことをお勧めします。彼らは彼ら独自の考えを持っているため、何が琴線に触れるかわかりません」
「死にたくなければ忘れろと、そう言いたいんですか?」
「それが一番でしょう。普通に生きていれば早々関わらないと思いますし……学園にいる魔族は愛と音楽を貶めなければ安全ですので」
前世で貶めてしまった人はどうすればいいでしょう――とはさすがに聞けなかった。
納得のいっていないパルテレミー様とディートリヒだったが、クロエが解散を宣言すると大人しく従った。クロエは店でしないといけないことがあるからとそのまま留まることになったので、私は軽く店内を見ることにした。
催眠魔法が付与された魔道具が並んでいる。オルゴールもどきや万華鏡もどき、それ以外にも色々な商品があった。催眠魔法は危ないからとお兄様に止められたけど、クロエが管理しているお店のものなら一つぐらい買ってもいいのでは。
「やめておいた方がいいですよ」
何故か残っているパルテレミー様に止められた。ちなみにディートリヒはさっさと帰った。パルテレミー様も帰ればいいのに。
「催眠魔法だから?」
「催眠魔法を忌避している者は多いです。あなたがそれを買ったことをご家族が知ったらどう思うか……まあ、よい結果にはならないでしょう」
渋々とオルゴールもどきを棚に戻すことにした。リューゲがいなくなってからというもの、部屋が静かすぎるので欲しかったのだが、そう言われては諦めるしかない。
「パルテレミー様もそろそろ帰った方がよろしいのでは?」
「あなたを一人で帰すわけにはいかないので」
「私はクロエと帰るから平気よ」
「待つのに飽きて帰ろうとするかもしれませんからね。彼女の用事が終わり次第私も帰りますよ」
私はこれまでパルテレミー様の前で迂闊なことをした覚えはない。これがヴィクス様やルシアン様や私の家族ならともかく、パルテレミー様にまで過保護な扱いを受けるいわれはないはずだ。
「……それに、聞きたいこともありましたから」
じっとりとねめつけると、パルテレミー様は僅かに顔を逸らしてから苦笑を浮かべた。
「あなたの従者はロレンツィ家を名乗っていましたよね」
「……よく覚えているわね」
「忘れられるわけがないでしょう」
パルテレミー様がリューゲと会ったのは二回。数年前の茶会と、学舎裏にリューゲが迎えに来たときだけ。そして名乗ったのは一度だけだった。
「赤い髪の者に脅されましたから」
カウンターに座る従業員を気にしてか言葉を濁すパルテレミー様に、私は目を見開いた。赤い髪、と言われて連想する相手は一人しかいない。
「あなたの従者は先ほど話に出ていた方なのでは?」
「忘れろとクロエは言っていなかったかしら」
「忘れろと言われて忘れられるほど単純ではないので」
マドレーヌなんかは忘れろと言われたら忘れそうだ。単純だから、ではなくパルテレミー様の言うことだからという理由で。
パルテレミー様の眼鏡は特別製だ。リューゲが魔族だということはすでにわかっているのだろう。そして魔族に殺された家の名前を名乗っているとなれば、答えは一つしかない。
ディートリヒも疑ってはいるが、確たる証拠がないからか深く追求してこなかった。だけどパルテレミー様は納得いくまで追求してくるに決まっている。
まいった、どうやって誤魔化そう。
私は逃げ場がなくなるまで誤魔化し続ける主義だ。
表情に出さないように苦心しながら心の中でうんうん唸っていると、チリンと来客を告げる鈴の音が鳴った。
「――レティシア?」
噂をしていないのに現れたのは、ルシアン様だった。目を瞠るルシアン様に嫌な汗が出る。
これは、パルテレミー様に追及されるよりもまずい状況なのでは。私の横にはパルテレミー様がいて、店内に他にお客さんはいない。頼みの綱のクロエは奥に引っ込んでいる。
「ルシアン様、これは、えーと」
クロエを待っているだけだが、クロエとパルテレミー様の三人で出かける理由が思いつかない。やばい、詰んだ。
そう思っていたら、何故かルシアン様の方が目を泳がせていた。気まずそうに視線を逸らす姿にどうしたのかと首をかしげる。
「ルシアン殿下、どうされましたの?」
小鳥の囀りのような声がルシアン様の背後から聞こえてきた。
入口で立ち止まったままのルシアン様の背をぐいぐい押して顔を覗かせたのは、銀の髪に青い目をした編入生――モイラだった。
「あら、レティシア様ではないですか。それにシモン様も。仲がよろしいのですね」
ころころと鈴を転がすように笑うモイラにパルテレミー様の顔が引きつった。そしてルシアン様とモイラを交互に見てから、口元に苦笑いを浮かばせる。
「……編入生の案内を任せられるとは、ルシアン殿下は学園からずいぶんと信頼されているようですね」
「あ、ああ。そうなんだ……他に適任がいないと言われては断れず――」
パルテレミー様とルシアン様のやり取りを聞きながら、私はモイラの後ろにちらりと見えたヴィクス様に同情の念を抱いていた。顔を少し上げ、宙を見ている彼の顔は途方に暮れているように見えたからだ。
店内に入ることなく立ち止まっている二人を無理矢理押し込むこともできず、かといって路上に立ち止まったままなのも通行人の目が痛い、とでも思っているのだろう。
そして鳥が飛んでいるなとか考えて現実逃避をしているのかもしれない。私だったら間違いなくそうしている。
「だから、誤解しないで欲しいのだが、これは王族として当然の職務であって、おかしな理由があるわけではなくて」
言い募るルシアン様の目が私に向いていた。パルテレミー様と話していると思ったのに、いつの間にか私に矛先が移っていたようだ。
「ええ、わかっております」
よく知らない人の案内まで任されるとか、王子業は大変だ。
私には絶対真似できない。
わかっていると頷いたのに、ルシアン様はおろおろとし続けていた。これは、もしかしなくても「私というものがありながら、他の女性を連れているとはどういう了見かしら」と言い放つ場面だったのかもしれない。
悪役を目指していたときなら間髪入れず言えたのに、完全にタイミングを逃した。惜しいことをした。
悔しがったのは一瞬で、底意地の悪いリューゲを思い出してこれでよかったのだと自らに言い聞かせる。悪役を目指したらもれなく学園が炎上する。
ただなんとも悪役冥利につきそうな場面だったので、少し残念だっただけだ。
「そのようなところで止まっていては他の方の迷惑になりますので、中に入ってはいかが?」
主にヴィクス様に迷惑だ。
「あ、ああ」
いまだに挙動不審なルシアン様が店内に入り、モイラも続き、ほっとした表情のヴィクス様も入ってきた。
ヴィクス様はルシアン様大好きだから強く出れない。私も悪役を目指していたときならともかく、今の私ではルシアン様に強く出れないのでその気持ちはわかる。
「こんなところにまで立ち寄るとは、ずいぶんと細かく案内しているんですね」
「彼女たっての希望だっただけで、主に使いそうな店しか案内していないよ」
「ええ、こちらに変わった品を売っているお店があると聞いたもので、是非とも見てみたかったのです」
パルテレミー様が二人の相手をしてくれるようなので、私はまた商品を見る作業に戻ろう。催眠魔法を使っているものでなければ買ってもいいはずだ。
「あれ? なんか、増えてますね」
そう思った矢先、クロエが戻ってきた。仕方ない、魔道具を物色するのはまた今度にしよう。
「ルシアン殿下にヴィクス様に……それからモイラ、ですか。気に入ったものがありましたら、手に取ってみてください。壊した場合は弁償していただきますが」
「君もいたのか……これは、どういう組み合わせだ?」
クロエとパルテレミー様と私、接点なんてほとんどなさそうな三人組にルシアン様が首をかしげる。接点はあるにはあるが、廃品事件だからルシアン様にわかるはずがない。
「レティシアが魔道具を見たいとおっしゃったので、それで魔道具に詳しいパルテレミー様が解説役にということになりました」
「……マドレーヌ嬢抜きで?」
「マドレーヌは前回の試験で順位が落ちてしまったので、勉強しています」
さらさらと嘘をつく二人に思わず感嘆の溜息を零しそうになる。パルテレミー様のは嘘じゃないかもしれないけど。
「順位が落ちたのはシモンもだろう」
「マドレーヌは女子一位を取るのを目標にしていますので。私はそこまで順位に思い入れはありません」
嘘だ。
「それにしては結果が出たときに動揺していたように見えたけど」
「それはそうでしょう。上級クラスで私に勝る者がそういるとは思えなかったので」
パルテレミー様はクロエが一位だということを知っているのだろうか。クロエの様子を窺うと、素知らぬ顔をしていた。
「ヴィクス様、そちらの商品が気になるのでしたらこちらもいかがですか?」
それどころか営業を始めていた。
商売魂のせいか、いつもの小動物らしさが抜けているがいいのだろうか。
「レティシア様」
そしてあぶれたモイラがそそと私に寄ってきた。
モイラは金銭価値の高そうな服を着ている。それもそうだろう。ルシアン様とヴィクス様という二人と出かけるのだから、それ相応の装いをするのが普通だ。
「パルテレミー様とクロエとは親しいのですか?」
「……人並みじゃないかしら」
クロエはともかく、パルテレミー様と親しくなった覚えはない。むしろあまり関わると根掘り葉掘り聞かれそうなので親しくしたくないぐらいだ。
こちらの返答をどう受け取ったのか、モイラは口元に手を当ててくすくすと笑った。笑うようなことを言った覚えはない。
「ルシアン殿下はずいぶんとあなたを好いているようですね」
「まあ、そうね。知ってるわ」
「あなたは彼のことをどう思っていらっしゃるの?」
「それは……」
答えかけたところで、視線を感じて口を閉ざす。視線のする方を見ると、思いっきりこちらを凝視しているルシアン様と目が合った。そしてパルテレミー様とヴィクス様まで私を見ていることに気がついた。
「それは?」
「……あなたに答えるようなことではないわ」
こんな注目されている状態で言えるわけがない。逃げ出したい。
下がりそうになる足を頑張って止めていたら、ひんやりとした手が頬に触れた。驚いて目を瞬かせると、私の頬に手を当てているモイラが薄く笑った。
「モイラ」
だけどそれは一瞬のことで、すぐにクロエがモイラの襟首を掴んで引き剥がした。
ばくばくと鳴る鼓動が耳にまで届いて、煩い。
「そんなに怯えないでくださいな」
ころころと鈴を転がすような声で笑う彼女に頬が引きつった。
どうしてだろう、彼女が怖い。どうして怖いのかわからないけど、ただ怖い。
チリチリと脳が焼け付くような痛みと共に思い出したのは、焼かれた村の中で愉しそうに笑うライアーの姿だった。
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