悪役令嬢を目指します!

木崎優

第一話 置物の中身

 生あるものが足を踏み入れることのない場所で、少女は熱心に糸を編んでいた。退屈だからという理由で編まれた糸は、もういくつも形になり、山のように積まれている。
 煮えるような音の中に足音を見つけ、少女は顔を上げた。


「あら、お久しぶり」


 近づく見慣れた姿に少女は自然と笑みを零していた。


「何か面白い話でももってきてくれました?」


 編まれた糸の山から適当に引き抜いて敷き布代わりに勧めると、男は大人しくその上に座った。どこか不機嫌な顔に、少女の笑みがより深まる。


「さあどうぞ、話してくださいな」


 普通ならば茶の一つも出すところだが、生憎ながらこの場にそういったものは存在しない。喉を焼くものならばあるが、掬える椀もなければ飲みたい者もいない。
 少女は糸を編む手を止めることなく、男が話すのを待った。


 そして語られる話に、少女は目を見開き、かと思えば楽しげに笑い、しまいには編んでいた糸を放り投げて手を叩いた。


「なんとも数奇なこと。お話だけでは満足できそうにはありません」


 ころころと鈴の鳴るような声で笑うと、男の顔がわかりやすく歪んだ。その様子に少女の機嫌がさらに上がる。


「意地悪だなんてそんな、しませんとも。でもねえ? 私の大切な勇者さまとご友人になられたのでしょう? でしたら私が見て差し上げないといけないでしょう?」


 うっとりとした顔ではるか遠くを眺める少女の瞳には、今はもう失われた情景が浮かんでいる。その様子に男はただ苦笑を返した。


「それに勇者さま。もうお会いできないと思っていたのに……ああ、またお会いできるのならこの身など捨ててもいいと思っていた甲斐があったというものです。――あら、祈りなんてそんな、あの女神に祈るような心は持ち合わせておりませんもの」


 頬に手をあて体をくねらせる姿は、見る者によっては恋する乙女の所作にも映っただろう。
 だがこの場には少女と男しかいない。そして少女の抱く思いが恋などとはほど遠いことを、どちらもよく知っていた。


「そうと決まれば準備しないといけませんね」


 もはや糸の存在は頭にないのか、立ち上がった膝から糸の塊が転げ落ちた。男は塊を手に取ると山の上に無造作に置き、最後の用件を口にする。


「――まあ、ずいぶんとお優しいこと。でもわかりました。そのときがくれば、尽力いたしましょう」


 そして少女の姿が消えると、男は山のように詰まれた雑多なものを前に溜息を零した。少女がいなくなれば、さほど時間がかかることなくこの山は尽きるだろう。


 男はため息を零しながら雑多なものたちと共に姿を消し、煮える音だけがその場に残された。






















 はるか昔、忌み子と呼ばれた子どもがいた。
 その子どもに誰もが畏怖の念を抱いていた。名を与えることも、話しかけることもなく、ただ必要最低限の食事と衣服だけを与え、近づこうとはしなかった。


『ねえ、変なことが起きる子どもってあなた?』


 そうして子どもが少女へと成長した頃、話しかける者が現れた。


『んんん、もしかして喋れない?』


 その者は金色の髪を乱暴にかき混ぜると、後方に待機していた集団に助けを求めた。
 少女はただ成り行きを見守るだけで、去ることもしなければ、近づくこともしなかった。


『話せなかったらとか考えてなかった』
『必要と思うのなら連れていけばいいだけじゃないですか』
『いや、そんな単純な話じゃないから。んー……もしよかったら私たちと一緒に来る? 村の人たちに聞いたら好きにしろとしか言われなかったんだけど、あなたがどうしたいかも聞きたいんだ』


 災厄と呼ばれる竜と戦うこと、道中は安全だということ、三食昼寝付きで力の使い方や言葉と文字も教えることができること、嫌になったらいつでも帰っていいと、そう語りながら少女に向けて手を差し伸べた。


 そして少女はその手を取り、名を与えられた。




 それから千年の時が流れた。


「ああ、勇者さま、勇者さま。またお会いすることを、あなたのくれた名で呼んでくれることを、ずっとずっとお待ちしておりました」


 少女は与えられた名の代わりに、魔女と呼ばれるようになっていた。








◇◇◇






 おかしいな、と首をひねる。


 私は今学園に向かうための馬車に乗っている。光の月土の週光の日に入学式が行われるので、去年はその前日から学園都市入りしていた。正式な授業開始は空の週からで、それはどの学年も変わらない。


 だが二年生以降は光の週から学園に入ることが許可されている。理由は単純――社交のためだ。
 休みが明け、学年が上がることもあり、学友と語らう時間が必要だろうという学園からの有難くない計らいなのだが、社交性に乏しい人間にはどうでもいい話だった。


 土の週命の日に来ても、光の週光の日に来ても、私のすることは変わらない。わざわざ交流するような相手もいなければ、友人も少ない。
 そのため、期間ぎりぎりまで家でごろごろしようと思っていたのだが――何故か私は今、光の週光の日に馬車に乗っている。




 いや、何故かはわかっている。私の横に座って本を広げている人のせいだ。




 どうしてこうなったのかと頭を巡らせるか、どう考えても最後の三週間に入る前に起きたことが原因だろう。いつも通り書庫で本を読んでいたところにルシアン様が来て、勢いに圧された。


 あそこで首を振り続けることは難しかった。
 臆面もなく恥ずかしいことをすらすらと言うルシアン様に、小心者の私が勝てるはずがない。


 眠りの週が終わると、ルシアン様は以前のように足繫く通うようになった。教材を持って。


 そして今も馬車の中で教材を広げている。


 教材とはいっても、学園で習うような学問の類ではない。貴族の名が並び、どことどこが縁続きで、どこが反目しているのかとかをまとめた資料だ。それを一つ一つ丁寧に解説してくる。


 交友関係が寂しい私を光の日に連れ出したのも、学園での交流の幅を広げるためだと言われた。


 やばい、本気だ。本気で色々私に教え込む気だ。


 資料から視線を上げると、ばっちりと目が合った。


「どうした?」


 ゆるく首をかしげられ、慌てて資料に目を落とす。


「わからないことがあったらいつでも言って」
「……はい」


 この状況がわかりません。


 気付かれないようにルシアン様を見ると、とても穏やかな顔をしていた。私に対して怒っていたのが嘘のようだ。実際、あれはまやかしのようなものだったから当然といえば当然だけど。


 ルシアン様がどうやら本気で私を想ってくれていることはよくわかった。わからないのは、どうしてそうなったか。想いを寄せられるようなことをした覚えもなければ、愛されるようなことをした覚えもない。
 ルシアン様の口から愛しているという単語が出たときは、どこかの魔族のせいかと疑いすらした。だけどあの魔法はすでに解かれている。だからまあ、あれはルシアン様の本音というわけで、つまり、ルシアン様の頭はどうかしている。


 いっそのこと十歳の頃の思い出を引きずっているだけだと切り捨てたい。だって、そうじゃないと説明がつかない。私はこれまでずっと嫌われるようなことしかしていない。


 まさか本当に被虐趣味の持ち主なのか。冷たくされるほど盛り上がるのか。


 また少しだけ視線を上げると微笑まれたので慌てて戻す。


 しかしそれにしては、こうして一緒に過ごすのを楽しんでいるようにも見える。そういった特殊性癖について私は詳しくないから、被虐趣味なのかどうか判断がつかない。
 放置されることに喜びを見出す人もいると聞いたことはあるが、少なくともルシアン様にはそういった嗜好はなさそうだ。


 被虐趣味ですか? と本人に問いただすことはできない。
 かといって、どうして私を好きなのかと聞くこともできない。


 どちらも聞くには少し恥ずかしい。小心者の私には無理だ。


「それで、ブルナン家は畜産業に力を入れていて――」


 領地の説明をしてくれているルシアン様には申し訳ないけれど、私は今絶賛混乱中だ。でも幸い、陰険な魔族のせいで記憶力は抜群にいい状態だ。今こうして右から左に流れている解説も、後で思い出すことができる。
 忌々しい魔法だけど、混乱しながらも学習できるというのは便利だ。


 混乱しないのが一番だけど、無理だ。意味がわからなさすぎて、ついていけない。


「レティシア?」
「――はい、なんでしょうか」
「考えごと?」
「え、いえ、そういうわけでは……」
「困ったことがあればいつでも言っていいんだよ。力になるから」


 ルシアン様は優しい。だからこそ、どうして私なのかと聞きたくなる。
 王妃様に似ていなくてもいいと言われた。聖女の血も関係ないと言われた。その二つが関係ないのなら、私よりもよい相手はいくらでもいる。こうして時間を割いて教えこむ必要がない相手を選べばいいのに、どうして私なんだ。


「最近布産業にも手を伸ばそうとしているけど、ドラノア家からの妨害がしているらしいね」
「でもドラノア家が扱っているのは絹でしょう? 同じ絹製品を扱うのならともかく、それ以外ならわざわざ対立するほどではないのでは?」


 絹は高級品だ。羊毛や麻とは格が違う。そもそも客層すら違う。


「新しい生地を見つけたとかで……このあたりは発売されるまでのお楽しみかな」
「お蔵入りとならないといいですけれど」


 ブルナン家は伯爵家でドラノア家は侯爵家だ。圧力に負けないことを祈ろう。


「ブルナン家もそう簡単に引き下がりはしないと思うよ。二年前の地震でだいぶやられたようだから、資金繰りに苦労しているらしいからね」
「……それは私が聞いてよいお話なのでしょうか」
「レティシアは誰かに言いふらしたりしないだろう」


 言いふらせるような相手もいない。




 二年前の地震というと、リューゲに連れられてアンペール領にお邪魔したときのあれか。そういえばあのとき生まれた魔族がどうなったのか私は知らない。
 魔王が来ていたことを考えると、連れて帰った線が濃いけど、魔王は魔族を集めて何か狙っているのだろうか。残念なことにリリアは魔王に直接会ったことがない。
 魔族を通じてやり取りをしていただけだ。出自などは判明していたから、ある程度見た目の予想はつくけど、その性格や考えていることは人づてにしか知らない。
 たまに遊びに来る勇者が愚痴っていたが、人格破綻者としか思えない内容だった。


「それで――」


 ルシアン様が解説を再開していた。せっかく教えてくれているのだからちゃんと聞かないとと思っているのに、どうしても思考が明後日の方向に飛んでしまう。


 この馬車に乗っているのは私とルシアン様だけではない。それなのに蚊帳の外にしてしまっていることを、少し気まずく思っているせいかもしれない。
 対面の座席に座る見慣れない青年は、馬車に乗り込んでからここまで瞬きする以外で動いていない。


 全身甲冑に身を包んでいた置物の化身が、甲冑を脱ぎ捨てて学園に向かう馬車に乗っている。なんかもうそれだけで、色々考えてしまう。
 なんでいるのかとか、甲冑がなくても置物のようなのかとか、普通に座って普通に挨拶してしまったせいで深く突っ込めない。


「……アドルフがどうかした?」
「え、ええと、アドルフ様は本日はどうされたのかな、と」


 そして挨拶のときからここまで一切話さなかったアドルフ様が「従者です」とよくわからないことを言い出した。
 どういうことだとルシアン様を見ると、少しだけ困ったように笑っていた。


「アドルフは今期私の従者として学園に行くことになったんだよ」
「……アドルフ様は騎士だったような」
「うん、まあそうなんだけど……」


 ルシアン様によると、王城勤めの使用人の間で病が流行っているのか体調不良で休む者が続出し、王城は今人手不足に悩んでいるらしい。そして一緒に学園に行く者として、幼いころから知っているアドルフが選ばれた。
 妻帯者でもないので、長期間家を空けても大丈夫というのが決め手になったとかなんとか。


「アドルフと」
「え?」
「従者なので」


 くぐもって聞こえていた声が普通に聞こえるというだけで、違和感がある。しかも言葉少ななので何を伝えたいのかいまいちわからない。


「今回は騎士としてでなく従者としての付き添いだから、敬称はいらないって」
「ああ、なるほど」


 騎士が使用人の真似事をするのは本人的にどうなのだろうと思い、アドルフ様改めアドルフをまじまじと眺めたけど、表情からは不快も快感も見いだせなかった。
 快感を見いだせなくてよかった。もしもそう感じていたら、多分引いていた。


 そうやって顔を見ていたら、引っかかるものがあった。十歳の頃よりも前、もっと幼いときに会ったことがある。


 ああそうだ、森の中で歌を歌っていたお兄さんだ。


 ということは三十間近か、少し超えているぐらいのはず。それなのに妻帯していないとは珍しい。
 アドルフの見目は悪くはない。甘く幼い顔立ちは二十半ばにも見えるし、あの歌声で愛の歌の一つや二つ歌えば落ちる女性も多いだろう。


 彼の歌はすごく上手だった。吟遊詩人もどきとは比べ物にならないぐらいに。


「騎士よりも吟遊詩人の方が合いそう」


 リュートの一つでも持てば、どこかの胡散臭い魔族よりも吟遊詩人らしくなりそうだ。


「吟遊詩人?」


 珍しくアドルフの表情が変わった。目を丸くして、ぱちくりと瞬きをしている。いつも顔は甲冑で隠されていたので、本当に珍しいのかどうかは知らない。


「歌がお上手でしょう? その道でも大成されたのではないでしょうか」
「そういえば子どもの頃は、催しによく呼ばれるほどの歌声だったそうだね」


 そこまでなら、実際剣の道ではなく歌の道を選ぶこともできたのではないだろうか。それでも騎士になったということは、騎士になることが夢だったのかもしれない。
 そうすると吟遊詩人の方が、というのは軽率すぎる発言だった。


 失礼を詫びると、アドルフは「いえ」とだけ言って黙り込んだ。


「ポーランジェ家は代々騎士を輩出している家で――」


 そしてアドルフ経由からポーランジェ家の解説が始まった。


 騎士に思い入れがあるのなら、常日頃から全身甲冑でいるのも頷ける。甘い顔立ちと言えば聞こえはいいが、なよなよしく見える顔立ちでもある。あなどられないように甲冑で隠すのは理に適っている。
 私なら絶対にやらないけど。

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