悪役令嬢を目指します!
第四十八話 「これは、好転なのか……?」
幼子のように手を引かれながら歩いている間、ただひたすら違う、これは違うと自分に言い聞かせていた。
つい最近もしかしてと思って打ちのめされたばかりだ。それなのにまた同じことを繰り返そうとしている。
そもそも王子様に手を繋がれるのはこれが初めてではない。入学式の日だって遅刻しそうだからと手を引かれていた。王子様にとってはこのぐらいなんてことのないことで、私が意識してしまうのもヒロインに言われたからなだけだ。
そう、だから王子様は何も変わっていない。私に王妃様を重ねていたときと変わっていない。
ただ王子様の怒りに触れてしまったから、過剰に意識してしまうだけだ。王妃様との違いを見せられて冷たくなった王子様が、以前と変わらず優しくしてくれるから勘違いしてしまいそうになるだけだ。
「――どこに行きたい?」
不意にかけられた声に顔を上げる。気付けば学園を抜けて大通りに出ていた。こちらを見下ろす王子様の目は暖かい。生がついていないことを祈ろう。
「え、と」
「行きたいところはある?」
上の空だったのを察してくれたのか、再度質問を繰り返してくれた。
だが困ったことに私に行きたいところはない。リューゲと共に多少見て回ったが、この辺りについて詳しいわけではない。どこと言われても答えようがなかった。
「ルシアン様は、どこに行きたいですか?」
それに王子様とどう話せばいいのかもわからない。
普段通りの口調で話せば悪役語録が火を噴きそうになる。そもそもあの口調自体悪役を志してから練習したものだ。
かといって五歳以前の口調で話すというわけにもいかない。口調一つで悩むようなこの状態で、どう口を開けばいいのか。
こんなことなら相槌だけで済ませず、クラリスたちと頑張って話しておけばよかった。
「私はレティシアの行きたいところでいいよ」
「いえ、その……あまり詳しくないので、お任せします」
棒演技にならないように気を付けて――だけどこれも演じていることになるのではと不安になる。
どこからどこまでが棒演技なのか自分では判断がつかない。今の私はちゃんと喋れているのだろうか。
王子様の視線が虚空を彷徨い、ぴたりと私に止まった。なんだろうか。やはりどこかおかしかったのか。なんともいえない視線にさらされて心持ち身を固くする。
「レティシア? 今日はどうしたの?」
ああ、やはりどこかおかしかったのか。
「何が、でしょうか」
「いつもよりも元気がないし、喋りにくそうにしてるから……何かあった?」
大根役者の棒演技という現実を突きつけられました、とはさすがに言えない。
「あの……少し、自分を顧みて、言葉が過ぎたと思い……それで、反省を」
「レティシア」
繋いだ手はそのままに私に向き合うと、王子様は少しだけ寂しさを含んだ眼差しを向けてきた。
「私はね、君とたくさん話がしたいんだ。だからレティシアの喋りやすいように話してくれていいよ」
だから、どうしてそう甘い言葉を吐く。そういえば王太子も自然に女性を褒めていた。王家ではそういう教育でもしているのか。甘い言葉で女性を誘惑する教育――普通にありそうなのが怖い。
「たとえば――そう、家族と話すような気安さでいいよ。敬語だっていらない。レティシアが思っていることを教えてほしいんだ」
それはちょっと無理かもしれない。思っていることをそのまま口にするのは恥ずかしい。それとも騎士様の言う通り被虐趣味で、辛辣な言葉をぶつけられたいということか。だとしたら、その期待には残念ながら応えられそうにない。
それに私は家族にも悪役口調を馴染ませるために、敬語で話していた。
気安く、敬語を使わず話す相手といえば――リューゲか。魔族相手に悪役らしさを出しても鼻で笑われるだけだから、気負うことなく喋っていた。
嫌味を口にすることも何度かあったが、棒演技にはなっていなかったと思う。
なにせ高笑いの練習を見て爆笑した男だ。棒演技を見せた日には散々馬鹿にしたはず。
ここはリューゲの意地悪さを信じよう。
ちらりと王子様を見て、それから恐る恐ると口を開く。
「……注目されてるのが恥ずかしいから、もう行きたいわ」
「ん? ああ、そうだね」
ここは学園都市で今日は休日だ。出歩く生徒の数も多く、足を止め話し込んでいる王子様に視線を向けてくる者も多い。
立ち止まる者もいれば、思わずといった感じでちらりと見てくる者もいる。
そしてその視線は手を繋がれている私にも向けられる。小心者の私には耐えられない。
「レティシアは変わらないね。昔から注目を集めるのが苦手だった」
「だって、慣れないんだもの」
何が面白いのか王子様はくすりと笑ってから歩きはじめた。
もしかして、いやもしかしなくても誕生祝のことを思い出しているのかもしれない。注目を集めた結果王子様の足を何度も踏んだ、苦い思い出だ。
「……うん、やっぱりそっちの方がいいよ」
「それって、今までの私は駄目だったということ?」
「ああ、いや、そういうわけじゃないよ。でも、今のレティシアの方が……その、親しい感じがするというだけで」
それもそうだろう。棒演技と比べたらどんな喋り方だろうと親しみを感じるはずだ。
ああ、いや、それだけではないのかもしれない。
悪役を目指していた私は、どうせいつか交流のなくなる相手だからと壁を作っていた。王子様に今のように言われても「あらあらご冗談を」と言って流していたはずだ。
これからも交流できる相手かもしれない――と意識したわけではないが――心の片隅でそう考えて無意識に壁を少しだけ取り除いていたとしても、不思議ではない。
だからヒロインと友達になりたいと思って、友達を作りたいと考えたのかもしれない。
王子様とお店を回るのは普通に楽しかった。どこぞの魔族と違って早く帰りたいオーラを出していないからかもしれない。
あれは何? これは何? と聞く私に王子様は根気よく答えてくれて、色々なものに目移りしてはちょろちょろ歩き回る私についてきてくれた。
「ねえ、あれは何?」
店先に並ぶ小瓶を見て首をかしげる。中には乾燥した何かが入っているのだが、何を乾燥したものなのかがわからない。
「リーベの花を使ったお茶だね。あまり出回らない珍しいものだよ」
あれが宰相子息の言っていた飲む機会に恵まれないお茶か。
少しだけ買って、帰ったらリューゲに淹れてもらおう。
「気になるの?」
「そうね。香りがよいとパルテレミー様に教えてもらったから、飲んでみたいわ」
「そう、シモンに……最近、仲がいいみたいだね」
「マドレーヌに誘われて図書室で本を読んでいるだけよ」
たまに講義が始まるが、それ以外では普通に大人しく本を読んでいる。騒いだりしたら宰相子息に叱られる。でも講義は問題ないらしい。解せぬ。
それから花を象った砂糖菓子を買ったりもした。花のお茶を飲みながら花の形をした茶菓子を食べようと思ったからだ。
それにしても王子様は博識だ。何かと問われても間髪入れず答えられるだけの知識を有している。その知識量は図書室の主をしている宰相子息と張り合えそうだ。
「ルシアン様は行きたいところはないの?」
ここまで散々連れ回しておいて今更だが、歩く辞典扱いしているのを少しだけ申し訳なくなって聞いてみた。
「レティシアが楽しそうにしているのを見ているだけで十分だよ」
聞かなければよかった。
「ね、ねえ、あれは何?」
今の一件は忘れることにして、向いにあるお店に並ぶものを指さした。王子様もそれ以上何か言うことなく私の疑問に答えてくれる。
楽しい、楽しいのだけど、心臓に悪い。
王子様は何も特別なことはしていない。私が勝手に反応しているだけだ。
今は怒っていないというだけで、私は王子様を怒らせた。もしかしたらと期待して、失望されたくない。もう王子様の冷たい目は見たくない。
王子様が私の目を覗き込んでくるたびに胸がざわつく。どうして私の目は王妃様と同じ青色なのだろう。いや、いっそ婚約者でなければ王妃様と比べられることはなかったはずだ。
――王子様に失望されないような関係だったらよかったのに。
王子様と婚約しようと王城に乗り込んだのは私なのに、思わずそんなことを考えてしまう。
「今日は、その、付き合ってくれてありがとう」
太陽が傾きはじめ、寮の前まで帰り着いた私はお礼の言葉を口にした。
「私も楽しかったから、また誘ってくれる?」
またこうして一緒に出かけることはあるのだろうか。またすぐに私は王妃様との違いを王子様に見せつけて失望されるかもしれない。
私と王妃様は違いすぎる。しかも王子様から話を聞いてはいても、本人をよく知っているわけではない。
王妃様になりたくても、私にはなれない。
「あ、あの、ルシアン様」
帰ろうとする王子様を思わず引きとめる。王子様は振り返って、柔らかく微笑んだ。
「どうしたの?」
優しい瞳が失望に染まるのは見たくない。だから、いっそ王妃様と比べられる関係でなくなればいい。
今更な願いではあるが、もしかしたら今からでも変えられるかもしれない。
「わ、私と、その……友達になってくれますか」
婚約者としては負担でしかないし、王妃様のようにもなれない。
だからせめて――
「友達?」
――だけどその浅はかな考えはすぐに砕かれた。
一瞬で熱を失う王子様の瞳に息を呑む。冷ややかな視線にさらされて、泣きそうだ。
ああ、そうだ、私はまだ婚約者で、王妃様を重ねている相手だ。王妃様はお友達になりましょうだなんて幼稚なことは言わないはず。
だからまた、失望された。
「誰が誰と、友達だって?」
責めるような声に何も答えられない。
「どうして私と友達になれるなんて、そんな馬鹿なことを考えたの?」
優しかった王子様の冷たい目に耐えられなくて、王子様の私を呼ぶ声を無視して女子寮に飛び込んだ。
王子様は王妃様の選んだ相手だから無下に扱えなくて、王妃様を重ねた相手だから優しかっただけだ。それなのに王子様の優しさに甘えようとした。甘えすぎだと思ったのにまた同じことを繰り返して、怒らせた。
王子様が怒っていたのだって私が甘えすぎたせいだったのに、本当に反省しない。
リューゲにだって言われたじゃないか。友達は対等な関係だと。
私と王子様のどこが対等だ。私が一方的に甘えてぶら下がっているだけだ。しかも辛辣な言葉を何度も吐いて逃げ続けた相手と、誰が友達になりたいなんて思う。
「どうしたの?」
出迎えてくれたリューゲの声に、堪えていた涙が零れた。
前に大泣きして以来、どうにも涙腺が緩い。あの時宰相子息は王子様のせいかと聞いていたが、違う。王子様のせいではなく、私のせいだ。
婚約者でなくても、王妃様に似ていなくても一緒にいたいと思ってしまった。王子様からしてみればずいぶんと都合のよすぎる言い分だ。
散々無下に扱っておいて、今更そんな浅はかな思いを抱いてしまった自分が情けなくて、涙が止まらない。
「何が――」
そう言いながら扉を開けたヒロインは室内を少しだけ見回してから、気まずい表情でそっと扉を閉めた。
止まらないと思っていた涙が一瞬で引っ込む。
「顔を洗ってくるから、彼女を部屋に上げてちょうだい」
リューゲに抱きついて子どもみたいにぴーぴー泣いているところを見られた。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。だけど部屋の外に置いておくわけにもいかない。
私は急いで洗面所に向かい、勢いよく流れ出る水で顔を洗った。目も赤いし頬も赤いし、なんかもう色々赤い。
「すみません、ノックを忘れていました」
ヒロインは私が戻ってくるなり頭を下げた。リューゲはお茶を淹れる準備をはじめている。
「いえ、いいのよ。ええ、忘れてくれればそれでいいわ」
「はい、忘れます。忘れました」
ソファの端に座って、肘掛けに肘を置き頬杖をつく。気まずすぎてヒロインと顔を合わせられない。
「それで、何か用かしら」
「あ、あの……先ほど、殿下と一緒にいるのを見て、何かあったのかと思い、それでついノックを忘れるほど慌てて」
「ノックについては言わなくていいわ」
「あ、はい。そうですね。それで何があったのか聞こうと思ったのですが、聞いてもいいことでしょうか」
「殿下に友達になりたいと言って断られただけよ」
そう、それだけの話だ。傍から見たらなんでもないことだ。そもそも自国の王子と友達になりたいだなんて、あまりにもおごかましい話で、断られて当然の話でもある。
「……どうしてそうなったんですか」
「どうしても何も、断られて当然の話だわ」
「そうじゃなくて、なんで友達になりたいだなんて思ったのかって聞いてるんでしょ」
お茶の入ったカップを並べ終えると、リューゲは正面のソファに座った。
どうしてと聞かれても言えない。情けないし、恥ずかしすぎる。自分が浅はかな人間だと公言するようなものだ。今更かもしれないが。
何も言わずそっぽを向いたままの私に業を煮やしたのか、トントンと指で机を叩く音がした。ちらりと視線を向けると、リューゲが不機嫌な顔で私を見ている。
そういえば最近のリューゲはだいぶ表情豊かになった。少し前までは飄々としていたのに、こうして不機嫌を露わにすることが増えた。
「で、どうして?」
「……友達なら失望されないと思ったから……」
威圧感を前にひれ伏した私は正直に白状することにした。もはや質問ではなく詰問だ。
リューゲがゆっくりと首を傾け、横に座るヒロインから一瞬緊張が走る。なんだなんだと思っていると、リューゲの口から思ってもみなかった質問が飛び出した。
「キミはあの王子が好きなの?」
それはつい最近聞かれて、答えたはずの問いだった。
そのときにはわからないと答えたけど、今日一日でわかったことがある。
「そうね」
少なくとも愛ではない。愛とは執着だ。執着しているのなら、失望されても仕方ないと諦めたりしないだろう。
だけど失望されたくないと思い、触られると過剰に反応し、甘い言葉一つで容易く心が揺り動かされる。そして一緒にいたいと思い、どんな形でも傍にいられたらと願った。
散々な扱いをしておきながら、もしかしたらと王子様に甘えて縋って、なんとも稚拙でさもしい願いだろうか。
だからそう、この感情に名前を付けるのなら、愛情よりも恋情の方が相応しい。
「そうかもしれないわ」
たった一日出かけただけで恋に落ちるとは、ずいぶんとちょろい女だと自分でも思う。
なんの気なく出かけた王子様にはとんだ災難だ。失望し果てた先で恋情を抱かれるとは思いもしていないだろう。もはやどちらが被虐趣味なのやら。
若干の照れ隠し混じりの思考が思わぬところに飛びかけて、慌てて引き戻す。私は間違っても被虐趣味ではない。被虐趣味であれば冷ややかな視線を前に歓喜したはずだ。だから私は違う。
「そう。まあいいんじゃない」
思考にふけっていたらリューゲのその一言で話は締めくくられ、ヒロインは何かあったら頼るようにと言って帰って行った。
そしてこの日の出来事が思わぬ展開を生んだ。
休みが明けると、私がヒロインの机に廃品を詰め込み、それを王子様に咎められたという噂がまことしやかに囁かれていた。
つい最近もしかしてと思って打ちのめされたばかりだ。それなのにまた同じことを繰り返そうとしている。
そもそも王子様に手を繋がれるのはこれが初めてではない。入学式の日だって遅刻しそうだからと手を引かれていた。王子様にとってはこのぐらいなんてことのないことで、私が意識してしまうのもヒロインに言われたからなだけだ。
そう、だから王子様は何も変わっていない。私に王妃様を重ねていたときと変わっていない。
ただ王子様の怒りに触れてしまったから、過剰に意識してしまうだけだ。王妃様との違いを見せられて冷たくなった王子様が、以前と変わらず優しくしてくれるから勘違いしてしまいそうになるだけだ。
「――どこに行きたい?」
不意にかけられた声に顔を上げる。気付けば学園を抜けて大通りに出ていた。こちらを見下ろす王子様の目は暖かい。生がついていないことを祈ろう。
「え、と」
「行きたいところはある?」
上の空だったのを察してくれたのか、再度質問を繰り返してくれた。
だが困ったことに私に行きたいところはない。リューゲと共に多少見て回ったが、この辺りについて詳しいわけではない。どこと言われても答えようがなかった。
「ルシアン様は、どこに行きたいですか?」
それに王子様とどう話せばいいのかもわからない。
普段通りの口調で話せば悪役語録が火を噴きそうになる。そもそもあの口調自体悪役を志してから練習したものだ。
かといって五歳以前の口調で話すというわけにもいかない。口調一つで悩むようなこの状態で、どう口を開けばいいのか。
こんなことなら相槌だけで済ませず、クラリスたちと頑張って話しておけばよかった。
「私はレティシアの行きたいところでいいよ」
「いえ、その……あまり詳しくないので、お任せします」
棒演技にならないように気を付けて――だけどこれも演じていることになるのではと不安になる。
どこからどこまでが棒演技なのか自分では判断がつかない。今の私はちゃんと喋れているのだろうか。
王子様の視線が虚空を彷徨い、ぴたりと私に止まった。なんだろうか。やはりどこかおかしかったのか。なんともいえない視線にさらされて心持ち身を固くする。
「レティシア? 今日はどうしたの?」
ああ、やはりどこかおかしかったのか。
「何が、でしょうか」
「いつもよりも元気がないし、喋りにくそうにしてるから……何かあった?」
大根役者の棒演技という現実を突きつけられました、とはさすがに言えない。
「あの……少し、自分を顧みて、言葉が過ぎたと思い……それで、反省を」
「レティシア」
繋いだ手はそのままに私に向き合うと、王子様は少しだけ寂しさを含んだ眼差しを向けてきた。
「私はね、君とたくさん話がしたいんだ。だからレティシアの喋りやすいように話してくれていいよ」
だから、どうしてそう甘い言葉を吐く。そういえば王太子も自然に女性を褒めていた。王家ではそういう教育でもしているのか。甘い言葉で女性を誘惑する教育――普通にありそうなのが怖い。
「たとえば――そう、家族と話すような気安さでいいよ。敬語だっていらない。レティシアが思っていることを教えてほしいんだ」
それはちょっと無理かもしれない。思っていることをそのまま口にするのは恥ずかしい。それとも騎士様の言う通り被虐趣味で、辛辣な言葉をぶつけられたいということか。だとしたら、その期待には残念ながら応えられそうにない。
それに私は家族にも悪役口調を馴染ませるために、敬語で話していた。
気安く、敬語を使わず話す相手といえば――リューゲか。魔族相手に悪役らしさを出しても鼻で笑われるだけだから、気負うことなく喋っていた。
嫌味を口にすることも何度かあったが、棒演技にはなっていなかったと思う。
なにせ高笑いの練習を見て爆笑した男だ。棒演技を見せた日には散々馬鹿にしたはず。
ここはリューゲの意地悪さを信じよう。
ちらりと王子様を見て、それから恐る恐ると口を開く。
「……注目されてるのが恥ずかしいから、もう行きたいわ」
「ん? ああ、そうだね」
ここは学園都市で今日は休日だ。出歩く生徒の数も多く、足を止め話し込んでいる王子様に視線を向けてくる者も多い。
立ち止まる者もいれば、思わずといった感じでちらりと見てくる者もいる。
そしてその視線は手を繋がれている私にも向けられる。小心者の私には耐えられない。
「レティシアは変わらないね。昔から注目を集めるのが苦手だった」
「だって、慣れないんだもの」
何が面白いのか王子様はくすりと笑ってから歩きはじめた。
もしかして、いやもしかしなくても誕生祝のことを思い出しているのかもしれない。注目を集めた結果王子様の足を何度も踏んだ、苦い思い出だ。
「……うん、やっぱりそっちの方がいいよ」
「それって、今までの私は駄目だったということ?」
「ああ、いや、そういうわけじゃないよ。でも、今のレティシアの方が……その、親しい感じがするというだけで」
それもそうだろう。棒演技と比べたらどんな喋り方だろうと親しみを感じるはずだ。
ああ、いや、それだけではないのかもしれない。
悪役を目指していた私は、どうせいつか交流のなくなる相手だからと壁を作っていた。王子様に今のように言われても「あらあらご冗談を」と言って流していたはずだ。
これからも交流できる相手かもしれない――と意識したわけではないが――心の片隅でそう考えて無意識に壁を少しだけ取り除いていたとしても、不思議ではない。
だからヒロインと友達になりたいと思って、友達を作りたいと考えたのかもしれない。
王子様とお店を回るのは普通に楽しかった。どこぞの魔族と違って早く帰りたいオーラを出していないからかもしれない。
あれは何? これは何? と聞く私に王子様は根気よく答えてくれて、色々なものに目移りしてはちょろちょろ歩き回る私についてきてくれた。
「ねえ、あれは何?」
店先に並ぶ小瓶を見て首をかしげる。中には乾燥した何かが入っているのだが、何を乾燥したものなのかがわからない。
「リーベの花を使ったお茶だね。あまり出回らない珍しいものだよ」
あれが宰相子息の言っていた飲む機会に恵まれないお茶か。
少しだけ買って、帰ったらリューゲに淹れてもらおう。
「気になるの?」
「そうね。香りがよいとパルテレミー様に教えてもらったから、飲んでみたいわ」
「そう、シモンに……最近、仲がいいみたいだね」
「マドレーヌに誘われて図書室で本を読んでいるだけよ」
たまに講義が始まるが、それ以外では普通に大人しく本を読んでいる。騒いだりしたら宰相子息に叱られる。でも講義は問題ないらしい。解せぬ。
それから花を象った砂糖菓子を買ったりもした。花のお茶を飲みながら花の形をした茶菓子を食べようと思ったからだ。
それにしても王子様は博識だ。何かと問われても間髪入れず答えられるだけの知識を有している。その知識量は図書室の主をしている宰相子息と張り合えそうだ。
「ルシアン様は行きたいところはないの?」
ここまで散々連れ回しておいて今更だが、歩く辞典扱いしているのを少しだけ申し訳なくなって聞いてみた。
「レティシアが楽しそうにしているのを見ているだけで十分だよ」
聞かなければよかった。
「ね、ねえ、あれは何?」
今の一件は忘れることにして、向いにあるお店に並ぶものを指さした。王子様もそれ以上何か言うことなく私の疑問に答えてくれる。
楽しい、楽しいのだけど、心臓に悪い。
王子様は何も特別なことはしていない。私が勝手に反応しているだけだ。
今は怒っていないというだけで、私は王子様を怒らせた。もしかしたらと期待して、失望されたくない。もう王子様の冷たい目は見たくない。
王子様が私の目を覗き込んでくるたびに胸がざわつく。どうして私の目は王妃様と同じ青色なのだろう。いや、いっそ婚約者でなければ王妃様と比べられることはなかったはずだ。
――王子様に失望されないような関係だったらよかったのに。
王子様と婚約しようと王城に乗り込んだのは私なのに、思わずそんなことを考えてしまう。
「今日は、その、付き合ってくれてありがとう」
太陽が傾きはじめ、寮の前まで帰り着いた私はお礼の言葉を口にした。
「私も楽しかったから、また誘ってくれる?」
またこうして一緒に出かけることはあるのだろうか。またすぐに私は王妃様との違いを王子様に見せつけて失望されるかもしれない。
私と王妃様は違いすぎる。しかも王子様から話を聞いてはいても、本人をよく知っているわけではない。
王妃様になりたくても、私にはなれない。
「あ、あの、ルシアン様」
帰ろうとする王子様を思わず引きとめる。王子様は振り返って、柔らかく微笑んだ。
「どうしたの?」
優しい瞳が失望に染まるのは見たくない。だから、いっそ王妃様と比べられる関係でなくなればいい。
今更な願いではあるが、もしかしたら今からでも変えられるかもしれない。
「わ、私と、その……友達になってくれますか」
婚約者としては負担でしかないし、王妃様のようにもなれない。
だからせめて――
「友達?」
――だけどその浅はかな考えはすぐに砕かれた。
一瞬で熱を失う王子様の瞳に息を呑む。冷ややかな視線にさらされて、泣きそうだ。
ああ、そうだ、私はまだ婚約者で、王妃様を重ねている相手だ。王妃様はお友達になりましょうだなんて幼稚なことは言わないはず。
だからまた、失望された。
「誰が誰と、友達だって?」
責めるような声に何も答えられない。
「どうして私と友達になれるなんて、そんな馬鹿なことを考えたの?」
優しかった王子様の冷たい目に耐えられなくて、王子様の私を呼ぶ声を無視して女子寮に飛び込んだ。
王子様は王妃様の選んだ相手だから無下に扱えなくて、王妃様を重ねた相手だから優しかっただけだ。それなのに王子様の優しさに甘えようとした。甘えすぎだと思ったのにまた同じことを繰り返して、怒らせた。
王子様が怒っていたのだって私が甘えすぎたせいだったのに、本当に反省しない。
リューゲにだって言われたじゃないか。友達は対等な関係だと。
私と王子様のどこが対等だ。私が一方的に甘えてぶら下がっているだけだ。しかも辛辣な言葉を何度も吐いて逃げ続けた相手と、誰が友達になりたいなんて思う。
「どうしたの?」
出迎えてくれたリューゲの声に、堪えていた涙が零れた。
前に大泣きして以来、どうにも涙腺が緩い。あの時宰相子息は王子様のせいかと聞いていたが、違う。王子様のせいではなく、私のせいだ。
婚約者でなくても、王妃様に似ていなくても一緒にいたいと思ってしまった。王子様からしてみればずいぶんと都合のよすぎる言い分だ。
散々無下に扱っておいて、今更そんな浅はかな思いを抱いてしまった自分が情けなくて、涙が止まらない。
「何が――」
そう言いながら扉を開けたヒロインは室内を少しだけ見回してから、気まずい表情でそっと扉を閉めた。
止まらないと思っていた涙が一瞬で引っ込む。
「顔を洗ってくるから、彼女を部屋に上げてちょうだい」
リューゲに抱きついて子どもみたいにぴーぴー泣いているところを見られた。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。だけど部屋の外に置いておくわけにもいかない。
私は急いで洗面所に向かい、勢いよく流れ出る水で顔を洗った。目も赤いし頬も赤いし、なんかもう色々赤い。
「すみません、ノックを忘れていました」
ヒロインは私が戻ってくるなり頭を下げた。リューゲはお茶を淹れる準備をはじめている。
「いえ、いいのよ。ええ、忘れてくれればそれでいいわ」
「はい、忘れます。忘れました」
ソファの端に座って、肘掛けに肘を置き頬杖をつく。気まずすぎてヒロインと顔を合わせられない。
「それで、何か用かしら」
「あ、あの……先ほど、殿下と一緒にいるのを見て、何かあったのかと思い、それでついノックを忘れるほど慌てて」
「ノックについては言わなくていいわ」
「あ、はい。そうですね。それで何があったのか聞こうと思ったのですが、聞いてもいいことでしょうか」
「殿下に友達になりたいと言って断られただけよ」
そう、それだけの話だ。傍から見たらなんでもないことだ。そもそも自国の王子と友達になりたいだなんて、あまりにもおごかましい話で、断られて当然の話でもある。
「……どうしてそうなったんですか」
「どうしても何も、断られて当然の話だわ」
「そうじゃなくて、なんで友達になりたいだなんて思ったのかって聞いてるんでしょ」
お茶の入ったカップを並べ終えると、リューゲは正面のソファに座った。
どうしてと聞かれても言えない。情けないし、恥ずかしすぎる。自分が浅はかな人間だと公言するようなものだ。今更かもしれないが。
何も言わずそっぽを向いたままの私に業を煮やしたのか、トントンと指で机を叩く音がした。ちらりと視線を向けると、リューゲが不機嫌な顔で私を見ている。
そういえば最近のリューゲはだいぶ表情豊かになった。少し前までは飄々としていたのに、こうして不機嫌を露わにすることが増えた。
「で、どうして?」
「……友達なら失望されないと思ったから……」
威圧感を前にひれ伏した私は正直に白状することにした。もはや質問ではなく詰問だ。
リューゲがゆっくりと首を傾け、横に座るヒロインから一瞬緊張が走る。なんだなんだと思っていると、リューゲの口から思ってもみなかった質問が飛び出した。
「キミはあの王子が好きなの?」
それはつい最近聞かれて、答えたはずの問いだった。
そのときにはわからないと答えたけど、今日一日でわかったことがある。
「そうね」
少なくとも愛ではない。愛とは執着だ。執着しているのなら、失望されても仕方ないと諦めたりしないだろう。
だけど失望されたくないと思い、触られると過剰に反応し、甘い言葉一つで容易く心が揺り動かされる。そして一緒にいたいと思い、どんな形でも傍にいられたらと願った。
散々な扱いをしておきながら、もしかしたらと王子様に甘えて縋って、なんとも稚拙でさもしい願いだろうか。
だからそう、この感情に名前を付けるのなら、愛情よりも恋情の方が相応しい。
「そうかもしれないわ」
たった一日出かけただけで恋に落ちるとは、ずいぶんとちょろい女だと自分でも思う。
なんの気なく出かけた王子様にはとんだ災難だ。失望し果てた先で恋情を抱かれるとは思いもしていないだろう。もはやどちらが被虐趣味なのやら。
若干の照れ隠し混じりの思考が思わぬところに飛びかけて、慌てて引き戻す。私は間違っても被虐趣味ではない。被虐趣味であれば冷ややかな視線を前に歓喜したはずだ。だから私は違う。
「そう。まあいいんじゃない」
思考にふけっていたらリューゲのその一言で話は締めくくられ、ヒロインは何かあったら頼るようにと言って帰って行った。
そしてこの日の出来事が思わぬ展開を生んだ。
休みが明けると、私がヒロインの机に廃品を詰め込み、それを王子様に咎められたという噂がまことしやかに囁かれていた。
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