悪役令嬢を目指します!
第四十六話 【効きすぎたかな】
リューゲがどうしてあんなことをしたのかはわかっている。本気でするつもりだったら、悠長にボタンを外したりしない。
だからといって怒っていないわけではない。私は夢見る少女でもあるから、あんな暴挙を簡単には許せない。
「……もう少しやり方ってものがあると思うのよね」
リューゲの運んできた朝食を食べながら、不満を漏らす。
「言葉で言ってもキミは聞かないでしょ」
「聞くわよ。当たり前でしょう」
何を食べるでもなくソファに座るリューゲが、何言ってるんだこいつみたいな視線を向けてきた。リューゲの言いたいこともわかるし、やりたいこともわかる。
私に危機感を持ってほしかったということは、十分わかっている。だからちゃんと真摯に話してくれれば、私だって聞いたはずだ。多分。
「悪役にならなくていいって優しく言われても聞かなかったキミが、王子に対して危機感を持てって言われても頷くわけないよね。優しいからそんなことしないって頑なに思いこんでるんだから」
「別に、思いこみじゃないわよ。殿下は実際に優しいもの」
どうしようもない婚約者を簡単に見放せないぐらいには優しい。
「襲われてた可能性もあるって言ってたのは?」
「それは考えすぎなだけよ。そんなことをする人じゃないわ」
「なんでキミがそんなにあの王子を信頼してるのか不思議なんだけど」
「なんでって……だって、六歳の頃から知ってる相手だもの。王太子殿下を支えるために頑張ってたことも知ってるし、そんな……外聞の悪いことをするはずないわ」
婚約者といえど無理矢理襲ったともなれば、評判はがた落ちだ。そんなことがわからないほど王子様は馬鹿じゃない。
それに王妃様は死に際に王子様に弟のことを頼んだ。第三王子の教育に悪いことを、王妃様大好きな王子様がするはずない。
「この国が愛に狂った国って呼ばれてるのは知ってる?」
「そうなの? 初めて聞いたわ」
「王は銀色の髪の女性を妃にして、死後も新たな妻を迎えない。貴族はたった一人の伴侶だけを愛し、不運に見舞われても後妻を迎えようともしないからね。他の国からしてみたら、愛に狂ってるとしか思えない国なんだよ」
「……でも、愛していた相手が失われたのなら、そうなってしまうのも仕方ないと思うわ」
「家の存続を守るのが貴族の役目なのに?」
でも、義務と愛だったら愛を選ぶ人がいてもおかしくはないはずだ。
「あの王子がキミに愛を抱いていたら、守るべき役目を放棄するかもしれないよ」
まるで私の心の内を読むように、笑みを深めながらそう言った。
だけどリューゲの主張は、王子様が私を愛している場合に限る。さすがにそこまでではない、はずだ。
昨日ヒロインから大根役者という事実を突きつけられたこともあり、休みたい休みたいと駄々をこねたのだが、部屋から放り出されたので渋々と学舎に行くことにした。
棒演技で大根役者――そこまで言われたら、これまで接してきた人と合わせる顔がない。しかも今日は勉強会もある。
一回サボっただけで隣国の王子に連れ去られたので、勉強会には欠かさず参加することにしていたのだが、正直行きたくない。部屋に引きこもりたい。誰とも会うことなく卒業したい。
だけど無情にも時間は経っていく。勉強会が刻一刻と迫ってくる。授業中は極力誰とも話さないようにして難を逃れていたが、勉強会となるとそうもいかない。
勉強会には否応なく王子様がいる。しかも同じ机でヒロインに勉強を教える。席順を一度ぐらい変えてもよさそうなのに、一度も変わることなくここまで来てしまった。
昨日の今日でどんな顔をして会えばいいのかわからない。すでに顔自体は教室で見てるけど、勉強会では教室よりも距離が近い。
王子様はそんなつもりじゃなかったと必死に自分に言い聞かせていたけど、いざ目の前にすると、もはやどうすればいいのかわからない。
だって、もしも本当にヒロインの言う通りなら、とか、どうしても考えてしまう。違う。ありえない。期待しない。
「何してるんですか」
図書室の前でうろうろとしていたら宰相子息が声をかけてきた。完全に不審者になっていた。
「なんでもないわ」
どう話せば大根役者にならずに済むのかわからないから、言葉少なに告げて図書室に入る。すでに中には私と宰相子息以外の全員が揃っていた。
王子様はちらりとこちらを見て、すぐに視線をヒロインに戻す。
ほっとするような、少し――残念になんて思っていない。そうだ、昨日がおかしかっただけで、私は絶賛避けられ中だ。だからそう、これが正常なんだ。
「遅かったね」
「ええ」
隣国の王子の横に座って、広げられた教科書に視線を落とす。邪念は捨てて勉強に集中しよう。
勉強を教えたり教わったりする声だけが聞こえる。そう、これでいいんだ。このぐらいで丁度いい。勉強会なのだから、勉強以外のことを考える方がどうかしている。
隣国の王子の解説を聞きながら地理の教科書を読み込んでいたら、目の前に紙の切れ端が出てきた。隣国の王子が教科書の上に滑り込ませた紙には『この間のことどうなった?』とだけ書かれていた。
そういえば、ロレンツィ家についてリューゲに聞くとか約束していた。完全に忘れていたので、聞いていない。
「まだ――」
まだ聞いていないと言おうとして、止められた。指先で私の口を押さえながら、隣国の王子は困ったように微笑んだでいる。そういえば人前でしたい話ではないと言っていたか。これは失敬。
いや、そんなことよりも、隣国の王子に触られている。
「……わ、私……資料を、取りにいくわ」
勢いよく立ち上がって、本棚が並ぶ場所に飛び込む。宰相子息が「静かに」とか言っていたが、今はそれどころではない。
ああああ、恥ずかしい。恥ずかしい。今さっきの私を穴に掘って埋めてそのまま花を植えたい。
昨日王子様は隣国の王子にどこを触られたかを気にしていた。それで今触られたのが唇だったから、意識して、思わず王子様を見てしまった。
だって、昨日の今日だ。それにヒロインにもあんなこと言われて、もしかしたらとか考えてしまって、自意識過剰にも程がある。そんなことありえないってちゃんとわかってたのに、ああもう、本当に恥ずかしい。
王子様は私の方なんて見ずにヒロインに勉強を教えていた。当たり前だ。ヒロインがいるのに私を見るはずがない。そんなことわかりきってたのに、ヒロインに言われたからなんて言い訳にならない。私は本当に馬鹿だ。
本を出したりしまったりを繰り返し、深呼吸を何度もして、なんとか落ち着こうと四苦八苦してるのだが、落ち着けない。今すぐ部屋に戻りたい。
リューゲのせいで意識しすぎたせいだ。泣き喚いて愚痴りたい。
「ねぇ」
手元に影が落ちる。振り返ると、隣国の王子が本棚に手をついて私を閉じ込めるように立っていた。
胡散臭い二枚目スマイルを浮かべながら。
「そんなに顔を赤くして……俺のこと意識してくれてるの?」
何を言ってるんだこの人は。
「まだ赤いね」
そう言いながら隣国の王子は私の頬に手を当てて、小首をかしげた。羞恥心から埋まりたくなっているのだから、顔の一つや二つ赤くもなる。そんな当たり前のこと、言われなくてもわかってる。
「あの――……やめて」
思わず嫌味を言いかけて、口を噤む。棒演技、大根役者。その二つの単語が寸でのところで私を踏みとどまらせた。あぶない、まだ棒演技を披露するところだった。
油断するとすぐに悪役語録から台詞を引っ張りそうになる。
これ以上恥ずかしい思いはしたくない。
「……それって、誘ってるの?」
隣国の王子の手が頬から顎に移動して、私の顔を持ち上げた。
拒絶したのにめげないとは、さすが不屈の精神の持ち主。これがリューゲの言っていたやめない奴か。嫌味なしにどうやってこの場を乗り切ればいい。
これまで散々嫌味に頼ってきて、そのたびに棒演技を披露していたのだとすると――もうやだ、引きこもりたい。
「何をしているんですか」
非難のこもった声に隣国の王子が視線を動かす。そこには図書室の主であり、図書室の風紀に厳しい宰相子息がいた。
「婚約者のいる方にみだりに触れるのはどうかと思いますよ」
「合意があればいいと思うけど?」
ちらりと宰相子息が私を見たので、首を横に振る。合意なんてしていない。
「どうやら違うみたいですね。勘違いされるのはそのぐらいにして、席に戻ったらどうですか」
はいはい、と言いながら隣国の王子が私を解放して戻って行った。
「資料は別の棚にあるので、案内しますよ」
そう言って踵を返す宰相子息の後を追う。どうやら棚の場所を間違えたと思って見に来てくれたらしい。
適当に飛び込んだだけだったけど、当たりの場所に飛び込まなくてよかった。
「あまり無闇に一人で行動しない方がいいですよ」
「……ごめんなさい」
宰相子息の小言に素直に頷く。二人きりは駄目と言われて、一人も駄目となるともはや部屋に引きこもるしかない。
「それと、ありがとう」
これまで散々悪役としての台詞しか吐いてこなかった。それをやめようと決めた途端、何を言えばいいのか、どう話せばいいのかわからなくて、隣国の王子に嫌味が言えなかった。
宰相子息が来てくれなかったらどうなっていたか。なにせ相手は遊び人だ。しでかしそうなことぐらいはわかっている。
「……いえ」
選んだ資料を手に席に戻ると、そわそわしている焼き菓子ちゃんがいた。宰相子息の姿を見つけるとすぐににこにこと笑顔になるあたりわかりやすい。
隣国の王子も何食わぬ顔で座っている。
「それじゃあ、続きをしようか」
「……ええ」
隣国の王子のおかげである程度平静を取り戻せた。感謝はしたくないけど。
「リューゲのせいよ」
「何、突然」
部屋に戻って、開口一番文句を言ったら眉をひそめたリューゲが出迎えてくれた。
ソファに体育座りで座って、膝に顔を埋める。ちゃんと靴は脱いだ。カチャカチャという音がするので、お茶の用意でもしてくれているのだろう。
「だって、リューゲがあんなことするから、殿下の顔をろくに見れなくなったのよ」
「それって何か困るの?」
自国の王子の顔を見られないのは十分困る。
「それに、何を話せばいいのかとわからないし」
「王子に対しての話?」
「違うけど……」
それは全般に対してだ。悪役としてしか行動していなかったから、どう喋ればいいのかわからない。
かといって大根だ棒だと言われてまで、悪役を続ける気にはなれない。
「それに、あんな、ありえないことを話して……ああもう、恥ずかしい」
図書室での出来事を思い出して、膝を抱えている腕に力をこめる。
カップを置く音が聞こえ少しだけ顔を上げると、リューゲが私の横に座っていた。
「恥ずかしいって、何かあったの?」
「何も……そう、何もなくて、だから恥ずかしいの」
「要領を得ないんだけど、何が言いたいの」
自分がいかに馬鹿だったのかを、普段馬鹿にしてくる相手に言うのは情けない話だ。だけど愚痴らないと気が済まない。
「……殿下は私のことを好きじゃないわ」
「うん。それで?」
「それなのに、あんな、あんな話するから変に意識しちゃって、違うってわかってたのに、もしかしたらとか考えて……やっぱり違って……」
いつものように気安く頭を叩かれた。
「キミはあの王子のことが好きなの?」
「……考えたことないわ」
誰かを好きになったりとかそういうのは、王子様との婚約がなくなってからと思っていた。
だから、王子様がどうこうとかは考えたことがない。
「まあ、たとえ好きだったとしても振り向いてもらおうと努力しないなら同じことだよね。キミが目指してた悪役と一緒で、全力を尽くす気がないならその程度ってことでしょ」
悪役だって、生半可な気持ちで目指していたわけではない。私は私なりに頑張っていたつもりだった。
だけど演技を批判されて、妥協するなら悪役ではないと否定された。
「それとも努力しなくてもいい相手かもしれないから、気にしてるの? 好きだって言ってくれるなら、王子じゃなくてもいいんじゃない?」
言葉の刃が突き刺さる。リューゲは昨日からずっと辛辣だ。いや、辛辣なのはいつものことだった。
だけど、そんなこと聞かれても困る。これまで誰も好きだなんて言ってこなかった。だから好きだと言われたらどうなのかとか、わかるはずがない。
ああ、だからか。だから王子様が私を好きかもしれないとか、そんな荒唐無稽な話を聞いて、必要以上に意識してしまったのか。
「たとえばボクがキミを好きだと言ったら、どうする?」
「それこそありえないわ」
「うん、そうだね」
さすがにそれはたとえ話とするには、ありえなさすぎる。
「なんにしても、キミが自分を好きだって言ってくれる人が好きってわけじゃないなら、王子が誰を好きかなんて考えるだけ無駄だよ。キミが誰を好きになるか次第なんだから」
返す言葉もない。
たしかに考えすぎてどつぼにはまるぐらいなら、考えないほうがいいのかもしれない。
「悪役をやめて、どう話せばいいのかわからなくなったのはどうすればいいのかしら」
「それは自分で考えてよ」
真剣に相談したのに突き放された。
だからといって怒っていないわけではない。私は夢見る少女でもあるから、あんな暴挙を簡単には許せない。
「……もう少しやり方ってものがあると思うのよね」
リューゲの運んできた朝食を食べながら、不満を漏らす。
「言葉で言ってもキミは聞かないでしょ」
「聞くわよ。当たり前でしょう」
何を食べるでもなくソファに座るリューゲが、何言ってるんだこいつみたいな視線を向けてきた。リューゲの言いたいこともわかるし、やりたいこともわかる。
私に危機感を持ってほしかったということは、十分わかっている。だからちゃんと真摯に話してくれれば、私だって聞いたはずだ。多分。
「悪役にならなくていいって優しく言われても聞かなかったキミが、王子に対して危機感を持てって言われても頷くわけないよね。優しいからそんなことしないって頑なに思いこんでるんだから」
「別に、思いこみじゃないわよ。殿下は実際に優しいもの」
どうしようもない婚約者を簡単に見放せないぐらいには優しい。
「襲われてた可能性もあるって言ってたのは?」
「それは考えすぎなだけよ。そんなことをする人じゃないわ」
「なんでキミがそんなにあの王子を信頼してるのか不思議なんだけど」
「なんでって……だって、六歳の頃から知ってる相手だもの。王太子殿下を支えるために頑張ってたことも知ってるし、そんな……外聞の悪いことをするはずないわ」
婚約者といえど無理矢理襲ったともなれば、評判はがた落ちだ。そんなことがわからないほど王子様は馬鹿じゃない。
それに王妃様は死に際に王子様に弟のことを頼んだ。第三王子の教育に悪いことを、王妃様大好きな王子様がするはずない。
「この国が愛に狂った国って呼ばれてるのは知ってる?」
「そうなの? 初めて聞いたわ」
「王は銀色の髪の女性を妃にして、死後も新たな妻を迎えない。貴族はたった一人の伴侶だけを愛し、不運に見舞われても後妻を迎えようともしないからね。他の国からしてみたら、愛に狂ってるとしか思えない国なんだよ」
「……でも、愛していた相手が失われたのなら、そうなってしまうのも仕方ないと思うわ」
「家の存続を守るのが貴族の役目なのに?」
でも、義務と愛だったら愛を選ぶ人がいてもおかしくはないはずだ。
「あの王子がキミに愛を抱いていたら、守るべき役目を放棄するかもしれないよ」
まるで私の心の内を読むように、笑みを深めながらそう言った。
だけどリューゲの主張は、王子様が私を愛している場合に限る。さすがにそこまでではない、はずだ。
昨日ヒロインから大根役者という事実を突きつけられたこともあり、休みたい休みたいと駄々をこねたのだが、部屋から放り出されたので渋々と学舎に行くことにした。
棒演技で大根役者――そこまで言われたら、これまで接してきた人と合わせる顔がない。しかも今日は勉強会もある。
一回サボっただけで隣国の王子に連れ去られたので、勉強会には欠かさず参加することにしていたのだが、正直行きたくない。部屋に引きこもりたい。誰とも会うことなく卒業したい。
だけど無情にも時間は経っていく。勉強会が刻一刻と迫ってくる。授業中は極力誰とも話さないようにして難を逃れていたが、勉強会となるとそうもいかない。
勉強会には否応なく王子様がいる。しかも同じ机でヒロインに勉強を教える。席順を一度ぐらい変えてもよさそうなのに、一度も変わることなくここまで来てしまった。
昨日の今日でどんな顔をして会えばいいのかわからない。すでに顔自体は教室で見てるけど、勉強会では教室よりも距離が近い。
王子様はそんなつもりじゃなかったと必死に自分に言い聞かせていたけど、いざ目の前にすると、もはやどうすればいいのかわからない。
だって、もしも本当にヒロインの言う通りなら、とか、どうしても考えてしまう。違う。ありえない。期待しない。
「何してるんですか」
図書室の前でうろうろとしていたら宰相子息が声をかけてきた。完全に不審者になっていた。
「なんでもないわ」
どう話せば大根役者にならずに済むのかわからないから、言葉少なに告げて図書室に入る。すでに中には私と宰相子息以外の全員が揃っていた。
王子様はちらりとこちらを見て、すぐに視線をヒロインに戻す。
ほっとするような、少し――残念になんて思っていない。そうだ、昨日がおかしかっただけで、私は絶賛避けられ中だ。だからそう、これが正常なんだ。
「遅かったね」
「ええ」
隣国の王子の横に座って、広げられた教科書に視線を落とす。邪念は捨てて勉強に集中しよう。
勉強を教えたり教わったりする声だけが聞こえる。そう、これでいいんだ。このぐらいで丁度いい。勉強会なのだから、勉強以外のことを考える方がどうかしている。
隣国の王子の解説を聞きながら地理の教科書を読み込んでいたら、目の前に紙の切れ端が出てきた。隣国の王子が教科書の上に滑り込ませた紙には『この間のことどうなった?』とだけ書かれていた。
そういえば、ロレンツィ家についてリューゲに聞くとか約束していた。完全に忘れていたので、聞いていない。
「まだ――」
まだ聞いていないと言おうとして、止められた。指先で私の口を押さえながら、隣国の王子は困ったように微笑んだでいる。そういえば人前でしたい話ではないと言っていたか。これは失敬。
いや、そんなことよりも、隣国の王子に触られている。
「……わ、私……資料を、取りにいくわ」
勢いよく立ち上がって、本棚が並ぶ場所に飛び込む。宰相子息が「静かに」とか言っていたが、今はそれどころではない。
ああああ、恥ずかしい。恥ずかしい。今さっきの私を穴に掘って埋めてそのまま花を植えたい。
昨日王子様は隣国の王子にどこを触られたかを気にしていた。それで今触られたのが唇だったから、意識して、思わず王子様を見てしまった。
だって、昨日の今日だ。それにヒロインにもあんなこと言われて、もしかしたらとか考えてしまって、自意識過剰にも程がある。そんなことありえないってちゃんとわかってたのに、ああもう、本当に恥ずかしい。
王子様は私の方なんて見ずにヒロインに勉強を教えていた。当たり前だ。ヒロインがいるのに私を見るはずがない。そんなことわかりきってたのに、ヒロインに言われたからなんて言い訳にならない。私は本当に馬鹿だ。
本を出したりしまったりを繰り返し、深呼吸を何度もして、なんとか落ち着こうと四苦八苦してるのだが、落ち着けない。今すぐ部屋に戻りたい。
リューゲのせいで意識しすぎたせいだ。泣き喚いて愚痴りたい。
「ねぇ」
手元に影が落ちる。振り返ると、隣国の王子が本棚に手をついて私を閉じ込めるように立っていた。
胡散臭い二枚目スマイルを浮かべながら。
「そんなに顔を赤くして……俺のこと意識してくれてるの?」
何を言ってるんだこの人は。
「まだ赤いね」
そう言いながら隣国の王子は私の頬に手を当てて、小首をかしげた。羞恥心から埋まりたくなっているのだから、顔の一つや二つ赤くもなる。そんな当たり前のこと、言われなくてもわかってる。
「あの――……やめて」
思わず嫌味を言いかけて、口を噤む。棒演技、大根役者。その二つの単語が寸でのところで私を踏みとどまらせた。あぶない、まだ棒演技を披露するところだった。
油断するとすぐに悪役語録から台詞を引っ張りそうになる。
これ以上恥ずかしい思いはしたくない。
「……それって、誘ってるの?」
隣国の王子の手が頬から顎に移動して、私の顔を持ち上げた。
拒絶したのにめげないとは、さすが不屈の精神の持ち主。これがリューゲの言っていたやめない奴か。嫌味なしにどうやってこの場を乗り切ればいい。
これまで散々嫌味に頼ってきて、そのたびに棒演技を披露していたのだとすると――もうやだ、引きこもりたい。
「何をしているんですか」
非難のこもった声に隣国の王子が視線を動かす。そこには図書室の主であり、図書室の風紀に厳しい宰相子息がいた。
「婚約者のいる方にみだりに触れるのはどうかと思いますよ」
「合意があればいいと思うけど?」
ちらりと宰相子息が私を見たので、首を横に振る。合意なんてしていない。
「どうやら違うみたいですね。勘違いされるのはそのぐらいにして、席に戻ったらどうですか」
はいはい、と言いながら隣国の王子が私を解放して戻って行った。
「資料は別の棚にあるので、案内しますよ」
そう言って踵を返す宰相子息の後を追う。どうやら棚の場所を間違えたと思って見に来てくれたらしい。
適当に飛び込んだだけだったけど、当たりの場所に飛び込まなくてよかった。
「あまり無闇に一人で行動しない方がいいですよ」
「……ごめんなさい」
宰相子息の小言に素直に頷く。二人きりは駄目と言われて、一人も駄目となるともはや部屋に引きこもるしかない。
「それと、ありがとう」
これまで散々悪役としての台詞しか吐いてこなかった。それをやめようと決めた途端、何を言えばいいのか、どう話せばいいのかわからなくて、隣国の王子に嫌味が言えなかった。
宰相子息が来てくれなかったらどうなっていたか。なにせ相手は遊び人だ。しでかしそうなことぐらいはわかっている。
「……いえ」
選んだ資料を手に席に戻ると、そわそわしている焼き菓子ちゃんがいた。宰相子息の姿を見つけるとすぐににこにこと笑顔になるあたりわかりやすい。
隣国の王子も何食わぬ顔で座っている。
「それじゃあ、続きをしようか」
「……ええ」
隣国の王子のおかげである程度平静を取り戻せた。感謝はしたくないけど。
「リューゲのせいよ」
「何、突然」
部屋に戻って、開口一番文句を言ったら眉をひそめたリューゲが出迎えてくれた。
ソファに体育座りで座って、膝に顔を埋める。ちゃんと靴は脱いだ。カチャカチャという音がするので、お茶の用意でもしてくれているのだろう。
「だって、リューゲがあんなことするから、殿下の顔をろくに見れなくなったのよ」
「それって何か困るの?」
自国の王子の顔を見られないのは十分困る。
「それに、何を話せばいいのかとわからないし」
「王子に対しての話?」
「違うけど……」
それは全般に対してだ。悪役としてしか行動していなかったから、どう喋ればいいのかわからない。
かといって大根だ棒だと言われてまで、悪役を続ける気にはなれない。
「それに、あんな、ありえないことを話して……ああもう、恥ずかしい」
図書室での出来事を思い出して、膝を抱えている腕に力をこめる。
カップを置く音が聞こえ少しだけ顔を上げると、リューゲが私の横に座っていた。
「恥ずかしいって、何かあったの?」
「何も……そう、何もなくて、だから恥ずかしいの」
「要領を得ないんだけど、何が言いたいの」
自分がいかに馬鹿だったのかを、普段馬鹿にしてくる相手に言うのは情けない話だ。だけど愚痴らないと気が済まない。
「……殿下は私のことを好きじゃないわ」
「うん。それで?」
「それなのに、あんな、あんな話するから変に意識しちゃって、違うってわかってたのに、もしかしたらとか考えて……やっぱり違って……」
いつものように気安く頭を叩かれた。
「キミはあの王子のことが好きなの?」
「……考えたことないわ」
誰かを好きになったりとかそういうのは、王子様との婚約がなくなってからと思っていた。
だから、王子様がどうこうとかは考えたことがない。
「まあ、たとえ好きだったとしても振り向いてもらおうと努力しないなら同じことだよね。キミが目指してた悪役と一緒で、全力を尽くす気がないならその程度ってことでしょ」
悪役だって、生半可な気持ちで目指していたわけではない。私は私なりに頑張っていたつもりだった。
だけど演技を批判されて、妥協するなら悪役ではないと否定された。
「それとも努力しなくてもいい相手かもしれないから、気にしてるの? 好きだって言ってくれるなら、王子じゃなくてもいいんじゃない?」
言葉の刃が突き刺さる。リューゲは昨日からずっと辛辣だ。いや、辛辣なのはいつものことだった。
だけど、そんなこと聞かれても困る。これまで誰も好きだなんて言ってこなかった。だから好きだと言われたらどうなのかとか、わかるはずがない。
ああ、だからか。だから王子様が私を好きかもしれないとか、そんな荒唐無稽な話を聞いて、必要以上に意識してしまったのか。
「たとえばボクがキミを好きだと言ったら、どうする?」
「それこそありえないわ」
「うん、そうだね」
さすがにそれはたとえ話とするには、ありえなさすぎる。
「なんにしても、キミが自分を好きだって言ってくれる人が好きってわけじゃないなら、王子が誰を好きかなんて考えるだけ無駄だよ。キミが誰を好きになるか次第なんだから」
返す言葉もない。
たしかに考えすぎてどつぼにはまるぐらいなら、考えないほうがいいのかもしれない。
「悪役をやめて、どう話せばいいのかわからなくなったのはどうすればいいのかしら」
「それは自分で考えてよ」
真剣に相談したのに突き放された。
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