悪役令嬢を目指します!
第四十四話 『思わぬ方向に転がったものだな』
これまで何度も、王子様とヒロインが話しているところに乱入してきたが、その逆をされたことはなかった。この場合、どうするのか悪役として正解なのだろうか。
「彼女から離れてください」
「……どうして?」
ヒロインからしてみると、私と王子様の逢瀬の場に出くわしたようなものだ。自分を慕う者が他の女性とこっそり会って身を寄せているともなれば、独占欲の一つぐらい沸いてきても不思議ではない。
さすがにそう考えるのは無理があるか。不思議しかない。ヒロインの眼中に王子様がいないことはよくわかっている。王妃様大好きな王子様は好みではないとはっきり言っていた。
「合意の上とは思えないからです。無理矢理に自分のものにしても、後で後悔するだけですよ」
「手に入るのなら後悔なんてしないよ」
「……ではせめて今だけでも、協力した私に免じて彼女を離してください」
つまりそれは、王子様の王妃様大好きなところが少しでも和らげばいいのではないか。この間王城に行ったときには王妃様の話をあまりしていなかったし、少しずつ王妃様離れをしているのかもしれない。
ヒロインの目が王子様に向く日も遠くなさそうだ。
「……レティシア」
名前を呼ばれて、現実逃避していた思考が引き戻される。
「残念だけど、邪魔が入ったから今日はここまでにしようか」
そう言って、最後に私の髪に唇を落とすと王子様はいなくなった。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫よ」
死にそうだったが死んではいない。だから大丈夫だ。死なない限りは大抵のことは大丈夫で片付けられる。
ヒロインは私の元に駆け寄ると、王子様に捕まれていた手首を見て眉をひそめた。何かと思い私も視線を落とすと、手首が赤くなっている。鍛えているのだから力加減には注意してほしい。
「……寮に戻って手当てしましょう」
「傷がついているわけではないわよ」
「いいから」
きつく言われて、仕方なく私はヒロインに従った。王子様とのことがあったので、反論したり反抗したりするだけの余力はない。
ヒロインが勢いよく私の部屋の扉を開ける。扉の向こうにいたリューゲがぎょっとした顔をしていた。私も自分が部屋の中にいたら驚いていたと思う。
「何? どうしたの?」
「彼女に治癒魔法を使え」
なんで? なんで? と煩いリューゲの前に私を引っ張り出して、赤くなっている手首を晒した。
「治癒魔法使うほどの怪我じゃないと思うんだけど」
「女性の肌に痕が残ったらどうする。お前に責任が取れるのか」
「えぇ、なんでボクが取らないといけないのさ。いや、まぁ取れっていうなら取るけど」
ぶつぶつと文句を垂れながらも歌のような呪文を唱える。赤かった肌がすぐに白さを取り戻した。
リューゲが大人しく言うことを聞くとは珍しい。やはり一緒に旅した仲なだけあって、ヒロインはともかくとしても、リューゲはリューゲなりにヒロインを慕っているのかもしれない。
「それで、何があったの?」
何と聞かれてもどう答えればいいのか悩む。私にもよくわかっていない。
「……殿下が無理矢理迫っているように見えましたが、合っていますか?」
「迫って、はいないと思うわ。謝ろうと思っていたらああなって……だから、意趣返し……?」
リューゲは聞いておきながらお茶の準備を始めている。とんでもなく自由人だ。ヒロインもヒロインで私をソファに誘導して座らせてくるし、誰がこの部屋の主人なのかわからなくなってくる。
「何を謝ったんですか?」
「ディートリヒ王子と逢引のような場面を見られたことが……ほら、私と殿下とディートリヒ王子がいたところにあなたが来たことがあるでしょう? あのときのことを謝ろうと思ったのよ」
「ああ……あのときの」
お茶を置かれたので、一口啜る。ほどよい甘みが口の中に広がる。
リューゲも対面のソファに腰かけてお茶を飲みはじめた。ヒロインは誘導した流れからか私の横に座っている。
「それからも色々あって、怒りが臨界点を突破した殿下がおかしくなっただけね」
ヒロインもお茶を飲んで一息つくと、私に向き直った。
「怒っているからといって、あのような暴挙に出るとは思えませんが……心当たりは?」
「あなたとの逢瀬を邪魔されたくなかったのではないかしら」
辱めを与えれば私が近づいてこないと思ったのかもしれない。その線は十分ありえる。か弱い令嬢だったら、あんなことをされてはおいそれと近づけなくなるはずだ。
「そういえば、そのことについても聞きたかったんです。どうしてあなたはまだ悪役を続けようとしているんですか」
「……だって、その方がいいもの」
「あなたは――いえ、前お話したときにはっきりと言わなかった私が悪いですね」
深いため息をついた後、ヒロインが真っ直ぐに私を見据えた。何を言われるのだろう。これ以上衝撃的な何かはいらない。
「いいですか、あなたは悪役に向いていません」
「そんなことないわよ」
「そんなことあります。あなたはあまりにも……そう、あまりにも演技が下手です。率直に言って大根役者です」
大根。おでんに入れると美味しい大根。そういえばどうして大根役者なのだろう。人参役者では駄目なのだろうか。
「あなたをあまり知らない人なら騙されるかもしれません。そういう棒のような喋り方をする人なのかな、といった感じで」
それは騙されているのだろうか。
「ですが、親しい人からすれば唐突に棒演技をしはじめる人にしか見えません。悪役を演じているときと、そうでないときの差が大きすぎます」
「そ、そんなことないわよ。だって、誰もそんなこと、言わなかったもの」
「殿下は理想の令嬢像があるみたいだと言っていましたね」
言葉に詰まる。
「それに演技が下手ですだなんて誰が言えるんですか。子どものお遊戯を見て、頑張ってるなぁと思いはしても、下手だと注意する方はそういないと思いますよ」
「子どもの……お遊戯……」
「それに、私を叩いたときもそうです。叩くなら叩くで最後まで演技を貫き通しなさい。叩いた後に心配そうな顔をしては演じていることが丸わかりです」
舌を噛んでいないだろうかと心配したが、そうか、顔に出ていたのか。
そもそも、どうして叩いた私が叩かれたヒロインに演技の注意を受けているのだろう。ちょっと色々おかしいと思う。
「――は?」
そして、チリッと焼け付くような空気が部屋の中に充満する。
「何、叩いたって。そんな話聞いてないけど?」
「私を見捨てたお前にとやかく言う資格はない」
ばっさりと切り捨てられて、リューゲが不機嫌そうに頬杖をついた。焼け付くような空気もいつの間にか消えている。
「その、叩いてごめんなさい。痛かったでしょう?」
「体を引き裂かれるような痛みや仲間だと思っていた者に見捨てられることに比べれば、あんなものささいなことです」
比較対象が凄まじい。それと比べると、大抵のことがささいなことになってしまう。
ああ、だから死骸が机に詰め込まれても些事だと切り捨てていたのか。
「でも……」
「悪いと思うのでしたら、悪役をやめてください。あなたの性根は悪役に向いていません」
大根役者で、悪役に向いていない性根。
そこまで私の悪役はひどかったのだろうか。五歳からずっと頑張ってきたのに。
「あなたは悪役になる必要なんてないんです」
五歳のときに悪い魔女になることを知った。なるんだと泣いてわめいて、最終的には開き直った。なっちゃうのなら、仕方ない。悪い末路ではないから、潔く受け入れようと思って、それで悪役になろうと頑張った。
「私は悪い魔女になるのよ」
「それは本来のレティシアです。あなたではありません」
それなら私がしてきたことは――
「キミのしてきたことは無駄だって、前にも言ったよね?」
歯に衣を被せないリューゲの言葉が突き刺さる。
「それに子どものお遊戯のような悪役を演じていただけなんでしょ? それってなおさら無駄な十年だったってことだよね」
「だから、お前は少しは言葉を選べ」
言葉の刃が痛い。
ヒロインの言う通りなら、クラリスもマドレーヌもアドリーヌも王子様も宰相子息も騎士様も隣国の王子も、私の知っている全員が棒演技を披露する姿を見て、理想の令嬢像になるために頑張ってるんだなぁと暖かい目で見守っていたということになる。
――それは、あまりにも、恥ずかしすぎる。
土を掘って埋まりたい。引きこもりたい。
「ああ、そうだ。夕食を持ってくるけど二人分でいいかな」
空気を読まない魔族が時計を見てなんか言い出した。
「あ、うん、じゃあ私もここで」
まさかここで夕食について聞かれるとは思ってもいなかったのだろう。ヒロインが思わずといった風に頷いている。
そして二人だけになった空間に気まずい沈黙が落ちる。
「あー、えと、その……そこまで気落ちしないでください。ほら、学園生活は後二年もあるんですから、今までのことは忘れて楽しめばいいじゃないですか。ほら、喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言いますし」
「……皆と会わせる顔がないわ」
「顔は交換できませんので、そこは諦めましょう」
顔以外なら交換できるのか。
「どうしても無理だって言うなら、催眠魔法が得意な魔族が昔いたので、彼に頼んで皆さんの記憶をいじりますか? 生きているのかどうかもわからないので、確約はできませんが」
「青色の髪の……?」
「知っているんですか?」
「夢の中でちょっと」
聖女様が国を分けるために洗脳が得意な魔族を魔王から借りていた。催眠魔法が得意ということは、きっとヒロインの言っている人物もその魔族のことなのだろう。
そして夢に出てきたのは魔族は三人。リューゲと極悪非道魔族と、青い髪の魔族だけだった。だから青い髪の魔族が借りてきた魔族なのだろうと思って聞いてみたのだが、どうやら当たっていたようだ。
「そうですか、夢で。……それで、どうしますか? どうしても無理なら、そういう手もありますよ」
「……いえ、いいわ」
さすがにそこまでするのはどうかと思う。聖女様は国を分けるために使っていたが、私のは個人的なものだ。ただ私が恥ずかしいというだけで記憶をいじるのは、非道すぎる。
「そこで頷けないから、あなたは悪役に向いていないんですよ」
「さすがに私、そこまでの悪役は目指してないわ」
「悪役にそこまでもここまでもないですよ。持てる力をすべて使って、敵対する者を叩き潰す努力をするのが悪役です」
ヒロインの悪役像がすごい。悪役に何か思い入れでもあるのだろうか。
「そのうえでヒーローに負けるのは、力が足りなかっただけです」
そうでもなかった。あっさりと言い切っている。
「そこまでしなくてもと思ってしまうのでは、悪役になんてなれません」
「……耳が痛いわ」
あっさりばっさりと、これまでの十年間を切り捨てられていく。
しかし、悪役になれないと言われても悪役になることしか考えてこなかった。悪役ではない自身を想像できない。
「無理に何かになろうなんて思わなくていいんです。ゲームのレティシアではなく、あなただけのレティシア・シルヴェストルになりましょう」
「私だけの……?」
私が私として行動したらどうなるかなんて、もうわかっている。
「それでは家族に迷惑がかかるわ」
「悪役になる時点で迷惑ですよ。悪評から王子に捨てられた娘のいる家なんて評判がついて喜ぶ人がどこにいるんですか」
正論すぎて何も言えない。
それは悪役になろうと思ってからずっと目を瞑ってきていたことだ。奇行ばかり繰り返していた頃に比べたらマシだろうと勝手に決めて、他の人にとってもプラスになることだからと目を背けた。
「まあ、目に余る行いがあれば注意しますけどね」
「……どうしてあなたがそこまでするの? 私はあなたに相当迷惑をかけたわ」
「そうでないと私が困るからですよ」
それはどういう――
そう聞くよりも先に、扉の開く音がしてリューゲが夕食を持って部屋に入ってきた。
戻ってきたリューゲはあからさまに不機嫌だった。食事中も、食後のお茶を飲んでいるときも足を組んでじっと私を見ていた。気まずすぎてヒロインに何か聞くことも言うこともできず、時間だけが過ぎていく。
ヒロインに切り捨てられていたが、やはり私に対して思うところがあるのだろう。憮然とした顔で私を睨みつけている。これはあれだ。ヒロインが帰ったら怒られるやつだ。
「……それでは、私はこのあたりで」
お茶を飲み終わったヒロインが席を立つ。もう遅い時間だからヒロインが帰ろうと思うのもわかる。
「あの! 今日は泊まっていかないかしら。話したいことはまだまだあるわ」
だが帰すわけにはいかない。リューゲと二人だけになって叱られたくない。今日はもう誰かに怒られるのはこりごりだ。せめて明日にしてほしい。
「消灯時間に部屋にいなくては怒られます」
「そこは……ほら、リューゲがなんとかしてくれるわ」
魔族の不思議パワーできっとなんとかしてくれるはず。方法は思いつかないが。
「キミはボクをなんだと思ってるの」
「便利道具」
深すぎるため息が返ってくる。便利な魔族だと常々考えていたせいで、思わず正直に答えてしまった。
「いえ、なんとかしてくれるって信頼してるのよ」
「取り繕っても一度言ったことは覆せないよ」
もう一度ため息をついてから、愉しそうな笑みを向けてきた。悪い予感しかしない。
「なんとかしてあげてもいいよ。ボクの質問に答えてくれるならね」
「いえ、やっぱりいいわ」
意地悪な魔族のことだからろくでもない質問をするに決まっている。ならば質問される前に撤回するのが一番だ。
だが無情にもリューゲは聞こえていない振りをした。この距離で聞こえていないはずがないのに。
「どうしてキミはあの王子からの好意に気付いていない振りをしてるの?」
やはりろくでもなかった。
「彼女から離れてください」
「……どうして?」
ヒロインからしてみると、私と王子様の逢瀬の場に出くわしたようなものだ。自分を慕う者が他の女性とこっそり会って身を寄せているともなれば、独占欲の一つぐらい沸いてきても不思議ではない。
さすがにそう考えるのは無理があるか。不思議しかない。ヒロインの眼中に王子様がいないことはよくわかっている。王妃様大好きな王子様は好みではないとはっきり言っていた。
「合意の上とは思えないからです。無理矢理に自分のものにしても、後で後悔するだけですよ」
「手に入るのなら後悔なんてしないよ」
「……ではせめて今だけでも、協力した私に免じて彼女を離してください」
つまりそれは、王子様の王妃様大好きなところが少しでも和らげばいいのではないか。この間王城に行ったときには王妃様の話をあまりしていなかったし、少しずつ王妃様離れをしているのかもしれない。
ヒロインの目が王子様に向く日も遠くなさそうだ。
「……レティシア」
名前を呼ばれて、現実逃避していた思考が引き戻される。
「残念だけど、邪魔が入ったから今日はここまでにしようか」
そう言って、最後に私の髪に唇を落とすと王子様はいなくなった。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫よ」
死にそうだったが死んではいない。だから大丈夫だ。死なない限りは大抵のことは大丈夫で片付けられる。
ヒロインは私の元に駆け寄ると、王子様に捕まれていた手首を見て眉をひそめた。何かと思い私も視線を落とすと、手首が赤くなっている。鍛えているのだから力加減には注意してほしい。
「……寮に戻って手当てしましょう」
「傷がついているわけではないわよ」
「いいから」
きつく言われて、仕方なく私はヒロインに従った。王子様とのことがあったので、反論したり反抗したりするだけの余力はない。
ヒロインが勢いよく私の部屋の扉を開ける。扉の向こうにいたリューゲがぎょっとした顔をしていた。私も自分が部屋の中にいたら驚いていたと思う。
「何? どうしたの?」
「彼女に治癒魔法を使え」
なんで? なんで? と煩いリューゲの前に私を引っ張り出して、赤くなっている手首を晒した。
「治癒魔法使うほどの怪我じゃないと思うんだけど」
「女性の肌に痕が残ったらどうする。お前に責任が取れるのか」
「えぇ、なんでボクが取らないといけないのさ。いや、まぁ取れっていうなら取るけど」
ぶつぶつと文句を垂れながらも歌のような呪文を唱える。赤かった肌がすぐに白さを取り戻した。
リューゲが大人しく言うことを聞くとは珍しい。やはり一緒に旅した仲なだけあって、ヒロインはともかくとしても、リューゲはリューゲなりにヒロインを慕っているのかもしれない。
「それで、何があったの?」
何と聞かれてもどう答えればいいのか悩む。私にもよくわかっていない。
「……殿下が無理矢理迫っているように見えましたが、合っていますか?」
「迫って、はいないと思うわ。謝ろうと思っていたらああなって……だから、意趣返し……?」
リューゲは聞いておきながらお茶の準備を始めている。とんでもなく自由人だ。ヒロインもヒロインで私をソファに誘導して座らせてくるし、誰がこの部屋の主人なのかわからなくなってくる。
「何を謝ったんですか?」
「ディートリヒ王子と逢引のような場面を見られたことが……ほら、私と殿下とディートリヒ王子がいたところにあなたが来たことがあるでしょう? あのときのことを謝ろうと思ったのよ」
「ああ……あのときの」
お茶を置かれたので、一口啜る。ほどよい甘みが口の中に広がる。
リューゲも対面のソファに腰かけてお茶を飲みはじめた。ヒロインは誘導した流れからか私の横に座っている。
「それからも色々あって、怒りが臨界点を突破した殿下がおかしくなっただけね」
ヒロインもお茶を飲んで一息つくと、私に向き直った。
「怒っているからといって、あのような暴挙に出るとは思えませんが……心当たりは?」
「あなたとの逢瀬を邪魔されたくなかったのではないかしら」
辱めを与えれば私が近づいてこないと思ったのかもしれない。その線は十分ありえる。か弱い令嬢だったら、あんなことをされてはおいそれと近づけなくなるはずだ。
「そういえば、そのことについても聞きたかったんです。どうしてあなたはまだ悪役を続けようとしているんですか」
「……だって、その方がいいもの」
「あなたは――いえ、前お話したときにはっきりと言わなかった私が悪いですね」
深いため息をついた後、ヒロインが真っ直ぐに私を見据えた。何を言われるのだろう。これ以上衝撃的な何かはいらない。
「いいですか、あなたは悪役に向いていません」
「そんなことないわよ」
「そんなことあります。あなたはあまりにも……そう、あまりにも演技が下手です。率直に言って大根役者です」
大根。おでんに入れると美味しい大根。そういえばどうして大根役者なのだろう。人参役者では駄目なのだろうか。
「あなたをあまり知らない人なら騙されるかもしれません。そういう棒のような喋り方をする人なのかな、といった感じで」
それは騙されているのだろうか。
「ですが、親しい人からすれば唐突に棒演技をしはじめる人にしか見えません。悪役を演じているときと、そうでないときの差が大きすぎます」
「そ、そんなことないわよ。だって、誰もそんなこと、言わなかったもの」
「殿下は理想の令嬢像があるみたいだと言っていましたね」
言葉に詰まる。
「それに演技が下手ですだなんて誰が言えるんですか。子どものお遊戯を見て、頑張ってるなぁと思いはしても、下手だと注意する方はそういないと思いますよ」
「子どもの……お遊戯……」
「それに、私を叩いたときもそうです。叩くなら叩くで最後まで演技を貫き通しなさい。叩いた後に心配そうな顔をしては演じていることが丸わかりです」
舌を噛んでいないだろうかと心配したが、そうか、顔に出ていたのか。
そもそも、どうして叩いた私が叩かれたヒロインに演技の注意を受けているのだろう。ちょっと色々おかしいと思う。
「――は?」
そして、チリッと焼け付くような空気が部屋の中に充満する。
「何、叩いたって。そんな話聞いてないけど?」
「私を見捨てたお前にとやかく言う資格はない」
ばっさりと切り捨てられて、リューゲが不機嫌そうに頬杖をついた。焼け付くような空気もいつの間にか消えている。
「その、叩いてごめんなさい。痛かったでしょう?」
「体を引き裂かれるような痛みや仲間だと思っていた者に見捨てられることに比べれば、あんなものささいなことです」
比較対象が凄まじい。それと比べると、大抵のことがささいなことになってしまう。
ああ、だから死骸が机に詰め込まれても些事だと切り捨てていたのか。
「でも……」
「悪いと思うのでしたら、悪役をやめてください。あなたの性根は悪役に向いていません」
大根役者で、悪役に向いていない性根。
そこまで私の悪役はひどかったのだろうか。五歳からずっと頑張ってきたのに。
「あなたは悪役になる必要なんてないんです」
五歳のときに悪い魔女になることを知った。なるんだと泣いてわめいて、最終的には開き直った。なっちゃうのなら、仕方ない。悪い末路ではないから、潔く受け入れようと思って、それで悪役になろうと頑張った。
「私は悪い魔女になるのよ」
「それは本来のレティシアです。あなたではありません」
それなら私がしてきたことは――
「キミのしてきたことは無駄だって、前にも言ったよね?」
歯に衣を被せないリューゲの言葉が突き刺さる。
「それに子どものお遊戯のような悪役を演じていただけなんでしょ? それってなおさら無駄な十年だったってことだよね」
「だから、お前は少しは言葉を選べ」
言葉の刃が痛い。
ヒロインの言う通りなら、クラリスもマドレーヌもアドリーヌも王子様も宰相子息も騎士様も隣国の王子も、私の知っている全員が棒演技を披露する姿を見て、理想の令嬢像になるために頑張ってるんだなぁと暖かい目で見守っていたということになる。
――それは、あまりにも、恥ずかしすぎる。
土を掘って埋まりたい。引きこもりたい。
「ああ、そうだ。夕食を持ってくるけど二人分でいいかな」
空気を読まない魔族が時計を見てなんか言い出した。
「あ、うん、じゃあ私もここで」
まさかここで夕食について聞かれるとは思ってもいなかったのだろう。ヒロインが思わずといった風に頷いている。
そして二人だけになった空間に気まずい沈黙が落ちる。
「あー、えと、その……そこまで気落ちしないでください。ほら、学園生活は後二年もあるんですから、今までのことは忘れて楽しめばいいじゃないですか。ほら、喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言いますし」
「……皆と会わせる顔がないわ」
「顔は交換できませんので、そこは諦めましょう」
顔以外なら交換できるのか。
「どうしても無理だって言うなら、催眠魔法が得意な魔族が昔いたので、彼に頼んで皆さんの記憶をいじりますか? 生きているのかどうかもわからないので、確約はできませんが」
「青色の髪の……?」
「知っているんですか?」
「夢の中でちょっと」
聖女様が国を分けるために洗脳が得意な魔族を魔王から借りていた。催眠魔法が得意ということは、きっとヒロインの言っている人物もその魔族のことなのだろう。
そして夢に出てきたのは魔族は三人。リューゲと極悪非道魔族と、青い髪の魔族だけだった。だから青い髪の魔族が借りてきた魔族なのだろうと思って聞いてみたのだが、どうやら当たっていたようだ。
「そうですか、夢で。……それで、どうしますか? どうしても無理なら、そういう手もありますよ」
「……いえ、いいわ」
さすがにそこまでするのはどうかと思う。聖女様は国を分けるために使っていたが、私のは個人的なものだ。ただ私が恥ずかしいというだけで記憶をいじるのは、非道すぎる。
「そこで頷けないから、あなたは悪役に向いていないんですよ」
「さすがに私、そこまでの悪役は目指してないわ」
「悪役にそこまでもここまでもないですよ。持てる力をすべて使って、敵対する者を叩き潰す努力をするのが悪役です」
ヒロインの悪役像がすごい。悪役に何か思い入れでもあるのだろうか。
「そのうえでヒーローに負けるのは、力が足りなかっただけです」
そうでもなかった。あっさりと言い切っている。
「そこまでしなくてもと思ってしまうのでは、悪役になんてなれません」
「……耳が痛いわ」
あっさりばっさりと、これまでの十年間を切り捨てられていく。
しかし、悪役になれないと言われても悪役になることしか考えてこなかった。悪役ではない自身を想像できない。
「無理に何かになろうなんて思わなくていいんです。ゲームのレティシアではなく、あなただけのレティシア・シルヴェストルになりましょう」
「私だけの……?」
私が私として行動したらどうなるかなんて、もうわかっている。
「それでは家族に迷惑がかかるわ」
「悪役になる時点で迷惑ですよ。悪評から王子に捨てられた娘のいる家なんて評判がついて喜ぶ人がどこにいるんですか」
正論すぎて何も言えない。
それは悪役になろうと思ってからずっと目を瞑ってきていたことだ。奇行ばかり繰り返していた頃に比べたらマシだろうと勝手に決めて、他の人にとってもプラスになることだからと目を背けた。
「まあ、目に余る行いがあれば注意しますけどね」
「……どうしてあなたがそこまでするの? 私はあなたに相当迷惑をかけたわ」
「そうでないと私が困るからですよ」
それはどういう――
そう聞くよりも先に、扉の開く音がしてリューゲが夕食を持って部屋に入ってきた。
戻ってきたリューゲはあからさまに不機嫌だった。食事中も、食後のお茶を飲んでいるときも足を組んでじっと私を見ていた。気まずすぎてヒロインに何か聞くことも言うこともできず、時間だけが過ぎていく。
ヒロインに切り捨てられていたが、やはり私に対して思うところがあるのだろう。憮然とした顔で私を睨みつけている。これはあれだ。ヒロインが帰ったら怒られるやつだ。
「……それでは、私はこのあたりで」
お茶を飲み終わったヒロインが席を立つ。もう遅い時間だからヒロインが帰ろうと思うのもわかる。
「あの! 今日は泊まっていかないかしら。話したいことはまだまだあるわ」
だが帰すわけにはいかない。リューゲと二人だけになって叱られたくない。今日はもう誰かに怒られるのはこりごりだ。せめて明日にしてほしい。
「消灯時間に部屋にいなくては怒られます」
「そこは……ほら、リューゲがなんとかしてくれるわ」
魔族の不思議パワーできっとなんとかしてくれるはず。方法は思いつかないが。
「キミはボクをなんだと思ってるの」
「便利道具」
深すぎるため息が返ってくる。便利な魔族だと常々考えていたせいで、思わず正直に答えてしまった。
「いえ、なんとかしてくれるって信頼してるのよ」
「取り繕っても一度言ったことは覆せないよ」
もう一度ため息をついてから、愉しそうな笑みを向けてきた。悪い予感しかしない。
「なんとかしてあげてもいいよ。ボクの質問に答えてくれるならね」
「いえ、やっぱりいいわ」
意地悪な魔族のことだからろくでもない質問をするに決まっている。ならば質問される前に撤回するのが一番だ。
だが無情にもリューゲは聞こえていない振りをした。この距離で聞こえていないはずがないのに。
「どうしてキミはあの王子からの好意に気付いていない振りをしてるの?」
やはりろくでもなかった。
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