悪役令嬢を目指します!

木崎優

第十一話 『素晴らしい時間のはじまりだ』

 翌日、私はぼんやりと授業を聞いていた。昨日は結局そろそろ教室行けよーと教師に声をかけられるまで議論が続いた。そして残る一科目を受け終わった私は、急いで部屋に戻りヒロインが来るのを待ち続けたのだが、来なかった。
 そして、何事もなく朝を迎え――今にいたる。


 一日で行われる授業科目は三つ。午前で一科目、午後で二科目。一科目につき三十分の休憩込みで二時間行われる。昨日は算術と魔法学と地理で、今日は歴史と魔法学と芸術。
 上級クラスでは魔法学がほぼ毎日、中級クラスでは魔法学を二回行ったら礼儀作法一回。下級クラスでは魔法学と礼儀作法が交互となっているらしい。


 下級クラスに所属しているヒロインは下級クラスが魔法学のときだけ上級クラスに来る――ということを先ほど教師から聞いた。


 今日もヒロインに会えるとわくわくしていたのに、完全に出鼻をくじかれた。意気消沈した私は、女神様の奇跡がどうこうと話している教師の言葉を聞き流しながら空を眺めている。


 ちなみに二日に一度しか来ないヒロインが魔法学でついてこられるように、礼儀作法があった日は補講を行うことになっているとか。これは「あら、たまにしか来ないだなんて。それでわたくしたちについてこれるのかしら」と本人がいないのに嫌味を言ったクラリスのおかげでわかった。


 だから今日は放課後待ち伏せしたとしても、会える可能性は低い。補講が終わるまで学舎に残れるような言い訳も思いつかない。
 というかヒロインだけスバルタ仕様になっている気がする。これが主人公補正というものなのか。


「――ということで、今教えたことを念頭に置いておくように」


 女神様講義が終わったようだ。次は各自で伸ばしたい魔法を発動させ、注意点などを教師が個別に教えてくれるらしい。
 私が駄目なところはわかってる。女神様を信じきれないところだ。




 なんとも微妙な表情をした教師に教わっていたら、授業終了の鐘の音が鳴った。


「なんか、こう、違うんだよなぁ」


 ぼやいていた教師は鐘の音を聞き終わると解散の合図を出した。
 次は芸術の授業で、前半が絵画鑑賞、午後が音楽鑑賞となっているため専用の教室に移動しないといけない。授業と授業の間には三十分の休憩時間が設けられているが、初めて行くところなので迷わないように早めに行くことにしよう。


 入学式でもらった見取り図を片手に歩いていると、廊下の先にきらきらと輝く金髪を見つけた。あれは、間違いない。ヒロインだ。




「あら、奇遇ね」


 逃してなるものかと走らない程度の早足でヒロインのもとに駆けつける。窓の外を眺めていたヒロインは私の出現に目を見開いた。


「は、はい。えと、私にご用でしょうか」
「そうね。丁度いいところにいたわ。あなた、美術室まで案内なさい」
「私が、ですか?」
「たしか下級クラスでは昨日芸術の授業があったはずよね。美術室の場所はわかっているでしょう」


 ヒロインの瞳が微かに揺れる。こんなことを想定していたわけではないけれ、魔法学の休憩中に教師から下級クラスと中級クラスの時間割りを聞き出しておいてよかった。


「でも、地図をお持ちなんですよね。でしたら私の案内なんていらないのでは」
「私に地図を見ながら歩けと言うつもり? 案内できる者がいるなら、案内させるに決まっているでしょう」


 言葉に詰まりながらも、ヒロインは頷いてくれた。よし、これでとりあえずヒロインにちょっかいをかける時間を作れた。
 美術室はこの先の階段を降りたところにあるので、そこまで遠くない。時間との勝負だ。




「そういえば、あなた珍妙な礼をしていたわね。あれは平民の間で流行っているのかしら」
「え、あ、あー……あれは昔知り合いに教えてもらって、それで馴染んだだけで、流行っているわけではないです」
「あらそうなの。ずいぶんと変わった動きだったから、平民特有のものかと思ったわ」




 知り合いからか。その言葉を信じるなら、その人は私の前世と同郷の可能性が高い。ハートフルラヴァーをやっていたかどうかはわからないけど、少なくともヒロインは影響を受けていると考えてよさそう。
 ゲームでのヒロインはここまでおどおどしていなかったし、逃げる隙を探ったりしていなかった。


「あの、ここを降りたらすぐですので、私はここで失礼します」
「まあ、私からの命令を放棄するつもりなの。教室の前まで案内しなさい」
「いえ、でも、私も次の授業の準備があるので……」
「算術よね。準備しないといけないものがあるとは思えないけど」
「私、算術が得意ではないので、その、予習とかをしたいなぁ、なんて思いまして」


 なるほど。それはよい心がけだ。ヒロインには勉強してもらって、未来の王妃になってほしい。
 ならばよしとばかりに頷いて、私はヒロインを解放することにした。


 ついでにいいことを思いついた。








「さて、諸君。君たちには芸術とはなんたるかを存分に味わってもらいたい」


 大仰な振る舞いの芸術の教師は挨拶もそこそこになんか語りだした。
 壁一面に張られた絵画の数々は、確かになんかすごい感じがする。審美眼を持ち合わせない私には、綺麗くらいの感想しかないけど。


「この絵画一枚一枚には愛がこめられているのだよ。わかるだろう。この風景を愛し、一枚の絵に収めんとした芸術家たちの愛が!」


 愛愛愛愛うるさい授業は音楽鑑賞でも同様で、その日聞いたのは愛の歌だった。
 愛がゲシュタルト崩壊してくる。




「すごかったですわね」


 授業が終わり、ふらふらとした足取りのクラリスがぼんやりとした目で虚空を眺めている。とてもやばそうな雰囲気だ。


「とても素晴らしかったですわ。愛とはこれほどまでにすごいものなのですね!」


 目を爛々と輝かせた焼き菓子ちゃん。頬がほんのりと赤くなっている。
 それ以外の面々もどこかふらつきながら教室を出ている。確かに、あれはすごかった。一曲終わったらまたすぐに別の愛の歌を歌いはじめていた。肺活量とか喉の強さとか、レパートリーの豊富さとか。愛の歌ってあんなにあるんだと感心すらした。


 でもさすがに、何十分も歌を聞き続けるのは疲れた。週に一度しかない科目とはいえ、これが毎回かと思うと今から億劫になる。


 しかし、あそこまで愛だなんだと言われると思わず考えてしまう。愛とは何か。私が誰かを愛する日は来るのだろうか。
 とりあえず、王子様との婚約をどうにかしないことには、愛を誰かと囁き合うことなんてできそうにもない。






 熱に浮かされたようなふらついた足取りで部屋に戻ると、何故かリューゲに頭をはたかれた。


「何してんの」


 それはこっちの台詞だ。主人の頭をはたく従者がどこにいる。ああ、私の目の前にいるか。


「ほら、これでも飲みなよ」


 そう言って差し出された暖かい紅茶を飲み干すと、頭がすっきりしてきた。机の上には相変わらずリューゲ用と思われるカップが置かれている。
 どうやらこいつは私がいない間、悠々自適に過ごしていたようだ。

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