悪役令嬢を目指します!

木崎優

第九話 「私を見捨てたこの世界に」

 私がすべてを思い出した――いや、知ったのは五歳のときだった。
 布団にくるまり、明日からも変わらない毎日が続いていくと、そう信じていた。だけど、眠りから覚めたときには一変していた。


 ただ夢を見ただけだったのに、それがただの夢ではないとすぐにわかった。夢で見たものは本当にあったことで、今ではない、はるか昔のものだということもすぐにわかった。


 夢で見た私は、姿も何も違っていたのに、間違いなく私だった。今世ではない記憶が三つ。常識も何もかもが違う記憶は、私を塗り替えた。




 一つは、この世界ではない、日本という国で生きてきたもの。
 一つは、前世の記憶を持ちながら、この世界で生きてきたもの。
 一つは、すべてを忘れてまた日本で生きたもの。


 今の私にとっての前世である日本で生きてきた記憶には、なんの不満もなかった。幸せな家庭で、幸せに生きて――そして死んだだけだった。
 前々世、この世界で生きてきた記憶が問題だった。


 激痛の中で、信じていたものに裏切られた苦しみの中で、惨たらしく死ぬだけの記憶。


 飛び起きた私は思わず首を押さえた。触ってわかるものではないが、鏡なんて上等なものはこの部屋にはない。ただひたすら、一緒に暮らす女性が起きてくるのを待ち続けた。


 起きたばかりの女性に、私は自分の首を確認してもらった。何もないとそう確信できるまで、何度も何度も聞いて、それでようやく安心できた。


 今回の私は――勇者ではない。
 その事実が、嬉しくてしかたなかった。




 前々世の私は勇者だった。竜を退治して、そして死ぬだけの、千年も前の勇者だった。


 なんの変哲もない村で生まれ、なんの変哲もない村娘と育っていただけの私は、ある日突然選ばれた。選ばれてしまった。
 首に女神から加護を受けた証である文様が浮かび、勇者に祭り上げられた私は当時の災厄を払うための旅に出た。当時の災厄は竜の形をしていたので、共に旅立てるような者もいない。それでも、私は頑張った。
 道中で竜を退治できそうな仲間を見つけ、竜の情報を追って色々なところを旅した。
 それまでは、まだ幸せだった。


 すべてが変わったのは竜を退治してからだった。
 加護から解放され、勇者でなくなった私を待っていたのは、耐えがたいのほどの激痛だった。体中が崩れていくような、中身が掻きまわされるような、声を出すことすらもできない激痛が昼夜問わず私を襲った。


 旅をしていたときには何も思わなかった。女神の加護がどういうものなのかとか、ただの村娘だったはずの私が大剣を扱えるのかなんて、不思議に思うはずがない。
 勇者だった私には日本で生きていた記憶があったから、なおさらそういうものだと思ってしまっていた。勇者だから当たり前。馬鹿な私は本気で、そう思っていた。


 馬鹿な私は痛みの中で、それでも信じ続けた。頑張ったのだから報われるはず。女神が助けてくれると、そう信じて祈り続けていた。


 それなのに、信じていたのに、裏切られた。


『おかしいと思わなかったの?』


 涙を流しながら、呻き続ける私にそう告げたのは当時一緒に旅をしていた仲間だった。


『ただの人間が竜とまともに戦えるはずないよね。女神の加護だっけ? あれは人間の体を変えるものだよ。強靭な肉体に、魔法を通さない肉体に、魔力を奪われない肉体にね』


『そんな怒らないでよ。知らなかったんだから。加護がなくなったから気づいたんだよ』


『それで、なんだっけ? ああ、痛みをなくす方法だっけ? そんなものはないよ。変わってしまった体を戻すことはできないし、変わり果てた体を制御していた加護がなくなったんだから、耐えられなくなるのはしかたないよね』


 一言一句、すべて覚えている。
 私が連れ出して、名前をつけて、一緒に旅をしてきたのに見捨てた彼らを私は覚えている。


『ならばせめて歌おうではないか!』


 苦しんでもがいている私の前で歌い続けたうるさい奴。


『あれがそういうのなら、俺にはどうすることもできん』


 そう言って、冷たい目で見降ろした冷血男。


 何も言わず、ただ見ていただけの奴もいた。いつの間にかどこかに消えた奴もいた。誰も、私を助けてはくれなかった。
 魔力しかない彼らには、私を殺すことも、傷つけることも、救うことすらできなかった。


 だから私は、一緒に旅をした唯一の人間に願った。
 ――殺して、と。




 そうして勇者から解放された私は、三つ目の生ではすべてを忘れていた。何も知らない子供で、ひとつ目と同じ平和な家庭で、ただ愛されながら生きていた。
 そして、あるゲームと出会う。どうしてあんなに気になったのか当時は不思議だったが、今ならわかる。
 あのゲームに彼らが出ていたからだって。


 何も知らなかった私は、すべて攻略して、続編も同じように余すことなく遊んだ。別に面白いとは思っていなかった。むしろつまらないというか、あまりにも悲惨すぎて何度も投げ出しそうになった。
 だけど耐えて、攻略し続けた。気になって気になってしかたなかったから。




 そして、今の私がいる。すべてを思い出して、痛みも苦しみも、恨みすらも思い出した私。どの生でも二十になる前に死んでいたが、たった五歳の私には三つもの記憶は多すぎた。
 何がなんだかわからなくて、勇者だったときの痛みを思い出しては泣き叫び、一緒に暮らす女性――母親ですら、親と思えなくなっていた。


 ふさぎこみ、布団から離れないかと思えば泣き叫ぶ。気が触れたとしか思えない娘に、女性は献身的に接してくれた。濡れた布で体を拭いてくれて、暖かい食事を与えてくれて、彼女はどこまでも私に優しかった。


「おかあ、さん」


 そう呼んだのはほんの気まぐれだった。それなのに彼女は泣いて、嬉しそうに笑って、私を抱きしめた。
 ああ、私はもう勇者ではない。この世界に生まれたからといって、勇者じゃない。痛みで苦しむこともない。この人は私を裏切らない。そう思えるほど彼女は暖かかった。




 だから、私はこの世界で今度こそ幸せに生きようと決めた。
 お母さんと二人で、いつまでもずっと、ただ穏やかに。




 そう決心してまず行ったのは、学園に侵入することだった。そのときには、私が続編の主人公だということをなんとなくわかっていた。名前も同じで、自分の中にある魔力を考えたら学園に入ることは間違いない。これで違うと考えられるほど、楽観的にはなれなかった。


 この世界には女神がいる。あの女神が、なんの意図もなく私を生まれ変わらせるわけがない。
 勇者として死ぬ間際、私は女神に会った。最後に見た夢の中で彼女はただ泣いて、謝って、元の世界に魂を返すとそう言っていた。
 だから、私がここに生まれたのは女神が何かしたに決まっている。


 女神の思惑どおりにならないように、ゲームのとおりにならないように、学園を探索した。迷子になるイベントもあったからだ。


 そして次に行ったのは、職を持つことだった。問題なく学園を卒業できたとしても、お母さんと暮らしていくためには働かないといけない。それなら学園に入る前から見つけておいたほうがいい。
 私には魔力があったので、それを使って働き口を見つけた。人前に出ることは少なく、ただ魔力を使って商品を開発するだけの簡単なものだった。


 一番最初のイベントを起こさないために宙に浮く練習もした。これには勇者だったときの記憶が役に立った。魔力だけなら一級品の彼らに教わった方法を取り入れて、間違っても転ばないようにと、風魔法を使って体を支えた。


 試験の点数を調整するために勉強までした。休日には部屋にこもりもした。


 すべて完璧のはずだった。


 ――それなのに、どうして、私はここにいる。




「クロエ、です。皆さまの邪魔にならないよう、頑張りたいと思います」


 目の前には関わりたくない奴らばかり。

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