悪役令嬢を目指します! 番外編集

木崎優

後日談 ローデンヴァルト4

 捜し人はすぐに見つかった。バルコニーで私を待っていたのは、外交官を務める方の妹で、私とは古い友人だった。


「エミーリア」
「私に用があると聞いたのだけれど」


 手を胸の前で固く結んでいる姿にわずかに顔が強張る。彼女は兄から溺愛されているので、本来知ってはいけない情報を聞いていることが多い。
 聞いてしまった情報を誰かに話すようほど浅はかではない。だけど、彼女の様子からして兄から聞いた話にまつわる用事なのだろうとすぐに想像がついた。


「本当は話すべきじゃないと、わかっているのよ。だけど……」


 口ごもりながら視線をさまよわせる姿にこちらも自然と背筋が伸びる。彼女が話そうとしている相手が友人である私なのか、それともこの国の王族である私なのかはこの段階ではわからない。そのどちらだとしても真剣に受け止めよう。


「あなたのお兄さん……ダミアン陛下が、あなたの嫁ぎ先を決めたそうよ」
「……問題は、そのお相手?」


 外交官である彼女の兄が携わるのであれば、他国の男性ということになる。だけどどれほど評判のよろしくない相手だとしても、それが国を繋ぐための政略であるのなら従うほかない。
 それなのにわざわざ忠告のようなことをするのは、友人としての情からかもしれない。


「ミストラル国の――」


 その言葉を最後まで聞く前に、私はバルコニーを飛び出した。


 私の父親、前代王はミストラル国の今は亡き王に自分の娘を嫁がせたがっていた。何かと父親に反発していた兄のことだ、父親が成し遂げられなかったことを代わりに行おうとしても不思議ではない。


 だけど、ミストラル国の王であるフレデリク様にはすでに妃がいる。側妃を娶らないとは思わないけど、まだ結婚して一年もしていない。しかも相手が女神の御使いであるクロエ様だ。
 夫婦としての仲を深めるべき期間に側妃の話を持ちかけるなんて、女神様に対する不敬と思われても不思議ではない。


 女神様を敬愛する身としても、女神様を崇拝している民を治める王族としても、兄の決定には従えない。


「そこを通してくださるかしら」


 会談の場である部屋を警護する騎士に毅然とした態度で立ち向かう。王に仕える彼らはたとえ王族であろうと王ではない私に従わないだろう。
 だけどそれでも、ここを通してもらい兄に直接――そしてフレデリク様に私の真意ではないとお伝えしないといけない。


「どなたも通すなと命じられております」
「この部屋の中で行われているのは、私の進退にも関わるお話です。当事者である私が不在のままお話が進められないとは思いませんか?」
「姫様の進退は陛下に一任されております」


 騎士とはいえ、魔法の腕は私に劣る。力技で突破しようと志す矢先、第三者の声が響いた。


「これは一体、どうしたのかな?」


 おっとりとした声色に首を動かして視線を巡らせると、この場にいないはずの人がいた。
 蜂蜜色の髪に穏やかな緑の目。本来王になるはずだった、お兄様。


「何か困ったことでも?」
「お兄様、静養中ではありませんでしたの?」
「弟に祝いの言葉をあげようと思ってね。親切な人が連れてきてくれたんだ」
「まあ、そうですの。それは……とても親切な方がいらしてくださったのですね」


 お兄様は外見もさることながらその内面も穏やかな人だ。そのせいで心労が重なり倒れることも度々。王になったら死んでしまうのではと危ぶんだ周囲と、その他様々な思惑が重なり玉座を譲った。


「それで、どうしたの?」


 第一王子でありながら玉座に座ることがなかったお兄様に事情を説明してもいいのだろうかと視線をさまよわせる。騎士は騎士の礼をお兄様に向けてからは、一言も発することなく扉を守っている。


「私はふがいないからね頼りにならないと思われるのもしかたないだろうし、王になることをやめたような男だ。……だけど、エミーリア。君の兄をやめたつもりはないから、困ったことがあれば頼ってもいいんだよ」


 大きな手が頭に置かれる。私はすでに二十になり、お兄様は三十を超えている。それなのにまるで幼少期に戻ったかのような錯覚に襲われた。
 私には三人の兄と二人の姉がいる。一人を除いて、皆私に優しくしてくれた。


「実は――」


 幼少期にも、困ったことがあればお兄様に頼ったことがある。たとえばそれは木に風船が引っかかったとか、お菓子を落としてしまったとか、そんなささいなことばかりだった。
 お兄様は木を登って風船を取ってくれたり、自分のお菓子を私にくれたりした。


 そんな思い出を思い出してしまったせいだろう。繊細なお兄様にすべてを話してしまったのは。


「うんうん、なるほど。それで、そこの君は通してくれるつもりはないと、そういうことかな」
「陛下のご命令ですので」


 凛と立つ騎士はお兄様の命令だとしても、それが王のものではないからと退くことはないだろう。王の命令を受けた騎士とはそういうものだ。
 それはお兄様もわかっているはずだ。


「ダミアンも困った子だ。縁を繋ぐという意味では間違った判断ではないのだろうけど、時期が悪い」


 そう、打診するにしてもせめて後数年は待つべきだ。こんな早くては女神の御使いを侮っていると思われても不思議ではない。


「戴冠式でそうとう経費を使っているんだよ。婚姻ともなれば輿入れ費用がかかることになるし、エミーリアが連れていく侍女の補填をするために新たな雇用も必要になる。他国に赴くことになる侍女に特別手当も必要になる」


 あれ、と首を傾げて指を折って何やら計算しているお兄様を見る。困ったなと苦笑を浮かべている姿は、優しく穏やかにしか映らない。


「それに比べたら君ひとりの傷病手当のほうが安くすみそうだ」


 穏やかな笑みはあまりにも自然すぎて、敵意も何もなかった。だから警護しているはずの騎士の反応は遅れ、突風が騎士の体ごと扉を押し開けた。


「傷病手当に特別手当……また経費がかかるな」


 胃を押さえ具合悪そうに呻く姿は、これまで何度も目にしてきた。


 この瞬間、美しく穏やかな思い出に空いた穴が埋まった。
 そうだ、お兄様は風船を取るときも、お菓子をくれた時も、経費を気にしていた。もしも使用人に取るように命じて怪我を負えば傷病手当が必要になると言って自ら木に登り、新しいお菓子を用意すればその分お金がかかるからと自分にくれた。


 繊細なお兄様は精神的な負荷に弱く――そして同時に守銭奴だった。




◇◇◇




「ふざけているのか」


 眉間に皺を寄せ、いつまで経ってもこちらを子ども扱いする愚かな男を睨みつける。隣に座る弟は何も言わないが、怒りを孕んでいることはその顔を見ればすぐにわかる。


 ローデンヴァルトの新しい王になった男の提案は、とうてい頷けるものではなかった。


「ふざけてる? とんでもない。これまでいがみあっていたのだから、王の代替りを機に関係を変えようと思っているだけだ」
「それでそちらの女性を妻に迎えろと? ああ、確かに政略的な理由で他国の姫君を娶ることもある。だがそちらの提案は度を超えている。どうして彼女をそちらにやらねばならない」
「ミストラル国の国民性に配慮したつもりだ。第二夫人を迎えることにいい顔をしない者もいるだろう? ならばこちらでよい夫を見繕い嫁がせ、エミーリアをそちらに嫁がせるのがもっともだと思ったのだがね」
「だから、それがふざけていると――」


 その瞬間、轟音が響いた。
 勢いよく開かれる扉と、勢いよく飛びこんでくる騎士。風が部屋の中を荒らし、机に置かれた書類が舞った。


「兄上……!」


 愚かな男の声が唸る風の中から聞こえてきた。彼が兄と呼ぶ相手はひとりしかいない。
 視線を巡らせると、そこには以前一度会ったことのある男とエミーリア姫がいた。


「やあダミアン。少しお邪魔するよ」
「どうしてこちらに」
「親切な人がいてね、連れてきてくれたんだ」


 風がやみ、王位から退き公爵位を賜ったアロイス卿が部屋の中に遠慮なく足を踏み入れる。


「ダミアン、エミーリアを他国に嫁がせるのは悪くない案だけど、今は時期が悪い。せめて次の収穫を待ってからでは駄目なのかな?」
「陛下、畏れながら進言させていただきますが御使いをすでに妃とされている方に第二妃として輿入れするには早すぎます」


 思い思いのことを口にする乱入者に愚かな男は額に手を当て溜息をついた。


 エミーリア姫は何か勘違いをしているようだし、アロイス卿はアロイス卿でのんびりとしている。ローデンヴァルトの王族は数が多いためか、どうにも癖の強い者が多い。


「兄上はともかくとして、エミーリア……お前が嫁ぐのはフレデリク王ではなく、その弟だ」
「ルシアン様に……? ルシアン様にはレティシア様がいらっしゃるでしょう?」


 頭上に疑問符を浮かべそうなほど目を丸くしているエミーリア姫の姿に、思わず苦笑が漏れる。彼女は甘やかされて育った王女らしく、とてもふわふわとした思考の持ち主だ。
 恋に浮かれて自国の情報を漏らすほど、ふわふわしている。


「ああ、そうだ。だからレティシア嬢にはこちらに嫁いでもらおうと……そう話し合っていたところだ」
「……ルシアン様がレティシア様を大切にされていることは陛下もご存じだと思っておりましたけど、どういうおつもりですか」
「互いに地位ある女性を交換するというのはそう珍しい話ではない。それにこちらに嫁がせることができる高位貴族の令嬢はレティシア嬢しかいないからな」


 王家も公爵家も男子ばかりなのは確かだ。だが交換する話はたまにあるが、多い話ではない。
 体のよい建前として用意していた台詞なのだろう。エミーリア姫は困惑顔でおろおろと隣に立つアロイス卿を見上げた。


「輿入れ費用に侍女の補填……そして新たな妃に勤める侍女を雇うとして、聖女の子ともなれば生半可な侍女では駄目だろうから、高位貴族の女性を宛がわないといけないし、高名な者を引き抜いてくる必要もある…………やはり再来年か、せめて来年ではいけないのかな?」
「そこまで待てば彼女は婚姻してしまうからな。今年中でないといけないんだ」
「おや、そうなのかい。お相手は……ああ、なるほど。そこの君か。おめでとう」


 のんびりと祝われたが、弟はそれに応えず厳しい目でエミーリア姫を睨みつけていた。


「エミーリア姫……レティシアは?」
「え、あ、申し訳ございません。お話をうかがったもので、ヴィルヘルム兄様にお任せいたしました」


 ローデンヴァルトの第五王子であるヴィルヘルムの噂は我が国にも届いていた。とても評判がよい人格者として知られている男だ。
 任せたとしても不都合が起きることはないと思える男のはずだった。だが、今このときばかりは都合が悪かった。


 弟が音を立てて椅子から立ち上がり、開きっぱなしになっていた扉から出ていく。エミーリア姫はぽかんと口を開いて瞬く間に消えていく弟の背を見送った。


「あの、どうされたのでしょうか」
「レティシア嬢の夫として名が挙がっているのが、そのヴィルヘルム卿だからだ」


 エミーリア姫の目が大きく見開かれ、アロイス卿が首を傾げた。


「ヴィルヘルムは妻を迎えないと公言していたはずだけど……命令でもしたのかな?」
「いいや。話を持ちかけたらすぐに頷いてくれただけだ。聖女の子だからな、断る理由はないと判断したんじゃないか」


 アロイス卿が訝しげに眉をひそめ、弟が消えた扉の向こう――廊下の先を見つめた。

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