楓と葉霧のあやかし事件帖〜そろそろ冥府へ逝ったらどうだ?〜

高見 燈

第26夜  マイナスじゃない

 ーー「この人は教師だ。この学園の。」
 葉霧はうっすらと目を開けた女性教師ーー佐倉を、見下ろしていた。

(あー。だから殺すな。か)

 楓は納得した。

「え……と……あたしは……」

 目を開けた佐倉は、呆っとしている。
 楓は直ぐに、身体から降りた。
 床に座る。

「あ……痛っ!」

 佐倉は起き上がったが、後頭部を押さえた。

「倒れた時に頭をぶつけたんです。大丈夫ですか?」

(楓が飛び掛かった。とは言えない)

 葉霧は佐倉の後頭部を覗きこんだ。
 佐倉は手を離す。

「大丈夫でしょ。血は出てないみたいだし……。それよりなんでこんな所で……」

 葉霧は身体を戻す。

「覚えてねぇのか?あんた……」

 葉霧が賺さず楓の口を押さえ込んだ。

「倒れてたんですよ。ここで。」
「!?」

(なに言ってんだ!? また!この男わっ! ムダに優しさバラ撒きやがって!! 罪を認めさせろ!オレを切りつけたんだぞ!! 殴らせろ!)

 じたばたと、暴れる楓を葉霧は睨みつけた。右頬には勲章の如く切り傷。血も滴る。


「黙ってろ」

 そう言ったのだ。
 とても低い声で。

「………」

 楓は仕方なく手をあげた。
 ホールドアップである。

 葉霧は楓から手を離した。

「あ……そうなの。大丈夫? その娘……。なんかとってもコワいんだけど……」

 佐倉は黙ってはいるがじ~~っと自分を睨みつける楓を見て、そう聞いたのだ。
 葉霧は微笑む。とても柔らかく。

「ええ。発作なんで。」
「へぇ………」

 佐倉は顔を引き攣らせていた。

(発作?? なにをぬかしてんだっ! この微笑み王子!!)

 キッーー!!

 楓は葉霧を睨みつける。

(睨むな)

 葉霧は佐倉を立たせる。

「ありがとう。そういえば貴方たち。演劇部の手伝いをしてるんだったわね?」
「ええ。佐倉先生はどうしたんですか? GWですよね?」

 佐倉はスーツを直す。ズレてしまったからだ。
 歩きながらジャケットを引っ張った。
 スカートも裾をぱんぱん。と、叩く。

「あたし……辞めるのよ。来月で。だから引き継ぎ資料をつくってるの。あれ? 上川先生いなかった?」

 デスクに向かって歩く佐倉の表情は見えない。葉霧からは。

「いませんでしたよ。」
「変ね~……。引き継ぎの話をしてた筈なんだけど。」

 首を傾げつつも明るめの声だ。

 佐倉は自分のデスクの椅子を引いた。
 座る。
 その表情は暗く沈んでいた。

「夕飯。一緒にどうですか? 演劇部で作ってますよ。」

 佐倉はペンを取るとキャップを外す。

「ん~~。有り難いけどそれまでには帰りたいかな。」

 ギッ。

 佐倉は椅子を動かし葉霧と楓の方を振り返った。柔らかな笑みを浮かべていた。

「ありがとう。玖硫くん。」

 そう笑った顔は、どこか哀しそうであった。

「いえ。終わらなかったら来てください。」
 葉霧はそう微笑む。

 ガムテープ二本。ビニールテープも二本。
 それを持って楓と葉霧は、職員室を後にした。

「なんかあったのか? あの先生。」

 楓は廊下を歩きながらそう聞いた。

「不倫……していたと、噂はあった。それが原因かどうかはわからない。」
「え? それってアレだよな。奥さんいんのに他のオンナと付き合うヤツ。だよな? なんで? ダメなのか?」

 楓はきょとんとしている。


(良く知ってるな。またテレビか。)

 葉霧は苦笑い。

「今の時代は駄目だ。すると厄介だ」
「ふ~ん。大変だな。あっちこっちにいけねぇのか。」

(男は一人の女じゃ我慢できない。って誰か言ってたよな~。誰だったかな? 平六だったか?? それともハチだったか?)

 楓は遠い昔に聞いた話を思い出していた。
 それは親しくしていた村人の名前まで思い出した。

「あっちこっちに行こうと思うのが、理解出来ない。」
「え? 葉霧ってそーなのか? 一人で満足??」

 楓はやっぱり目を丸くする。

「は? 何? その浮気して来い。みたいな言い方。」
「え? いや。男は我慢できねぇんだろ? だったらムリすることねぇよ。ってハナシなんだけど。」

(何だろう? 何か……すっごいムカつくんだけど)

 葉霧は思いっきり不機嫌になった。一瞬で。イラっとしていた。
 なので、楓を置いてさっさと歩いた。

「えぇっ!? 今のキレるとこあったか!?」

(えー?? なんでだぁ~~~)

 楓は頭を抱えた。

 ✣

 ーー葉霧は、椅子に座らせた楓の右頬にキズテープを貼り付けている。

 横一直線の切り傷。
 出血は止まったがその傷口はちょっと深い。

「大丈夫か?」
「ああ。大したことねぇよ。」

 ゴミを纏める葉霧を前に、楓は貼って貰ったキズテープを、親指でなぞった。

「傷だらけだな。」

 葉霧は楓の顔を見つめると少しだけ、哀しそうに笑う。楓は椅子を掴む。
 丸椅子だ。

「ん~? こんなんいつもだ。森に居た時なんかしょっちゅう。」

 プッ……。

 楓は思い出したかの様に笑う。

「皇子《みこ》にいつも言われた。お前は……傷の無い日があるのか? 綺麗な顔を見た事がない。って。呆れてたな。」

 葉霧は楓の懐かしそうな顔を見るとそっと……手を伸ばす。キズテープを人差し指の背で触れる。スッ……と撫でる様に。

「こうやって手当てをして貰っていたのか?」
「ん? ああ。オレが行くから。見てらんなかったんだろ。皇子も、優しかった。」

 楓は葉霧を見上げた。
 優しいその瞳を見つめる。

「葉霧みたいに優しかった。」

 葉霧は優しいその瞳が揺らぐ。表情は変わらないが、瞳は哀しそうに揺らぐ。

「そうか……。」

 その声は呟く様であった。

(大切……だったんだろう。でも……もういない。その時間を……過ごしてくれる暖かな人は……もういない。)

 葉霧はゴミと救急セットの入ったプラスチックケースを持つと楓から離れた。取っ手のついた透明なケースだ。

「なぁ? ここなんなんだ? ベッドとかあるけど。」

 楓は部屋の中を見回す。

「保健室だ。」

 ゴミ箱に纏めたゴミを捨てる。
 棚にケースをしまう。

 静けさに包まれた室内。電気は点けていないがカーテンが開いているので光が射し込む。べッドやデスク。

 面談などで使う白いテーブルに、パイプ椅子が四つ。

 楓は養護教諭の使うデスクの前にいる。


「雨だ……。」

 窓の外は雨。
 窓ガラスに水滴がついている。

「さっきから降ってるよ。」

 葉霧は棚のドアを閉めた。

「葉霧……。杉本は?」

 歩み寄る葉霧に、楓は視線を向けた。

「目を覚まさない。酷く……消耗したのかもしれない。鎮音さんも、寝かせておけ。と、言っていた。回復には時間が掛かるそうだ。」
「そっか……。憑き神が身体にいたんだもんな。あ。葉霧はどうなんだ? 大丈夫なのか?」

 葉霧は目を丸くした。

「何が?」
「いやいや……。身体だ。皇子も退魔の力、使ったりすると疲れる。って言ってたぞ? 万能じゃねぇんだ。人間は。」

 葉霧はきょとん。とするが顎に手をつけた。

「今の所は何ともないな。」
「ふ~ん。そうなのか。」

 葉霧は手をおろすと楓の頭にぽんっと、置く。手を乗せた。
 キャップを被ってるその頭に。

「そろそろ行くよ。」

 葉霧がそう言った時だった。

 ガタッ……。

 ドアを掴む様な音がした。

 楓と葉霧はその物音に、視線を向けた。

 保健室のドアに手を掛けたのは上川ーーであった。開けっ放しのドアに、手が掛かる。


 顔が青い。


「あ! お前!」

 楓は目を見開く。
 入ってきた上川の姿を見て。

「病院ーー行ったのかと。」
「行けるか。何て説明するんだ。不倫してた後輩に刺されたと言える訳がない。」



 葉霧が聞くと、ムッとした様な表情をした。

 上川は、右手も血だらけだ。傷口を抑えていたのだろう。出血はしていなそうだが、左手も血がついている。

 左腕の肘辺りのスーツが切れている。
 血が覗く。

 ふぅ……。

 葉霧は息を吐くと棚に向かった。

(仕方ないな)

 明らかにその表情は面倒臭そうだ。

「ジャケット脱いで座って下さい。手当てしますよ。」

 ケースを取り出した。

「え? ほっとけよ。こんな不倫男。」

 答えたのは楓だった。腕組んで、ジャケットを脱ぐ上川を睨む。

(さっきは肯定してたよな? 不倫。)

 葉霧は苦笑いしながらケースを手に戻ってくる。

 上川はワイシャツ姿で丸椅子に腰掛けた。楓の座っていた椅子だ。

 葉霧は養護教諭のデスクにケースを置くと

「楓。杉本の様子を見て来てくれないか?」

 と、そう言った。

「は?? なんで?」
「起きていて誰もいないと不安だろう?」

 
 葉霧はタオルを簡易キッチンで濡らす。
お湯だ。IHのコンロとシンクのある簡易的なものだ。


「わかったよ。」

 楓はぶすっとしたが、言うとおりにする。
保健室から出て行ったのだ。

 葉霧はタオルを持って上川の前に立った。

「どうにも……態度が悪いな。あの娘は。」

 上川は葉霧からタオルを渡されると血のついた手を拭いた。

 葉霧は上川を横目。ケースから消毒液や脱脂綿を取った。

 ーー教師上川 。三十三歳。

 至って真面目で温厚。授業も丁寧で、生徒たちからもそれなりに人気がある。数学教師。

 葉霧にとってはその印象程度。

 爽やかな好青年。左手の薬指には指輪。妻子持ちでーーデスクの上に家族写真を飾っているのを見掛けた。

 上川はテーブルの上にタオルを置くと、左腕のワイシャツを捲くろうとしていた。

「肘から腕に掛けて切られてますね。ワイシャツも脱いで貰えます? それとも……袖。切ります?」

 葉霧は養護教諭のデスクに置いてあるハサミに手を伸ばす。

「脱ぐよ。お前に刃物を持たれるのはトラウマになる。」

 上川は、顔を顰めた。

 細い身体ではあるがーーそれなりに筋肉はついている。普段はスーツやワイシャツを着ているから見る事は無いが、余分な脂肪の無い身体であった。


「先生。スポーツを?」
「走ってるだけだ。高校の時に陸上をやっていた。」

 葉霧は消毒液をたっぷりとつけた脱脂綿で上川の腕を拭いた。
 
 傷口付近の血の汚れを拭く。
血は止まっている。

「良かったですね? そんなに深く無いですよ。」

 葉霧は血を拭う。

 上川は丁寧にちょっと渇いてこびりついた血を丁寧に拭きあげる葉霧を、見ていた。

 時折……沁みるのか顔を顰めながら。

「さっきの……彼女か?」
「ええ。恋人です。」

 上川は目を丸くした。
 
 葉霧は腕から手を離すと、脱脂綿を取り消毒液をつける。ひたひたと。

 足元のゴミ箱に血のついた脱脂綿が転がる。

「恋人? 何だその……わざわざ訂正する言い方。拘りか?」

 葉霧は縦に切りつけられた傷口を押さえていく。

「彼女って言う表現が苦手なだけです。軽く聴こえる。」

 ははっ……

 上川は苦笑に近い笑いをあげた。

「拘りか。」
「イラつくだけです。」

 淡々と話す葉霧に、上川はやはりに苦笑。 
 
 だが、傷口にガーゼを当てて包帯を巻き始めた葉霧の手を見つめる。


「慣れてるな。」
「よく……怪我をする奴等が多いので。」

 楓だけではない。
 
 灯馬もそうだった。昔からーー。今は落ち着いているが……彼は少し荒れた時期がある。

「玖硫。」
「はい?」

 葉霧は包帯を留める。肘から腕の半分程度。包帯を巻いた。

「馬鹿にしてるんだろ? 不倫なんかする奴を。」

 上川は手が離れると左腕を眺めた。少し上下に動かす。

「そう見えます?」
「品行方正。生徒会会長で優秀……。不倫とは無縁そうだ。」


 上川はテーブルの上に置いたワイシャツに手を伸ばした。

 葉霧は、ケースに使った物をしまう。

「正直ーー理解は出来ないな。」
「だろうな。」

 上川は薄く笑う。ワイシャツを着ながら。

「魔が刺した……。後悔しているよ。こうなってやっとわかった。病院にも行けないんだからな。嫁にバレるのが怖くて……」
「それならやらなければいい。」
「言うと思ったよ。」

 
 上川はボタンを締めながら笑う。

 葉霧は、本日二度目。ケースを棚にしまった。

「彼女の退職はーー二人で決めた事だ。職員室でもかなりバレてたからな。でも……いい機会だ。これで終わりだ。彼女との関係も。俺は……アットホームなパパに戻る。」

 上川は椅子から立ち上がるとジャケットを着る。葉霧は上川を見据えていた。

 涼し気な表情で。

「お互い様だ。」

 上川は葉霧に視線を向けるとそう言った。その顔は、笑っていた。和やかに。

 葉霧は怪訝そうな顔をする。

「あの娘の事は言わない。その代わり……玖硫も今日の事は言うな。お互い様だ。」

 葉霧は……フッと笑う。

「俺は別に公言されても構いませんよ。楓は俺にとってマイナスな存在でもーー脅迫のタネでもない。先生と俺は対等じゃない。」

 上川は葉霧の強い眼差しを見つめるとーー笑う。嘲笑う。

「若いな。まあいいさ。手当てして貰った礼ってことにしとく。」

 上川は破けたスーツを着たまま保健室から出て行った。

 葉霧はその背中を目で追っていた。

(楓を行かせて正解。変に拗れる所だった……)

 楓を保健室から出したのは、面倒な感じになりたくなかったからだ。とにかく騒ぐし暴れるからだ。

 それに少しーー冷静でいられる自信も無かったのかもしれない


「あ。」

 上川は、保健室を出ると廊下に、しゃがみ込むその姿を見て、立ち止まった。

「終わったか。」

 楓だ。

 壁に寄りかかり座っていたのだ。保健室から少しーー離れた所に。


「どっか行ったんじゃなかったのか? 玖硫に言われて。」
「葉霧はオレを追い出したかっただけだよ。アンタに挑発されてムキになるからな。オレは。」

 楓は立ちあがる。

「それに……葉霧もそうだから。きっと。」

 楓はすたすたと、上川の横を素通りする。
 保健室に向かった。

「やっぱり苦手だな。玖硫もあの娘も。」

 上川はため息ついた。




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