ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

44. 夏の終わり

 その女性は谷川紀美子たにかわきみこと名乗った。50代前半で、僕と同い年の息子と中学生の娘がいる母親だった。谷川さんの夫は3年前に亡くなり、女手一つで二人の子どもを育てている。近くにあったスターバックスで、谷川さんは僕にソイラテを奢ってくれた。木目調のテーブルをはさんで、向かい合って座る。


「あの時あなた突然いなくなってしまうんだもの、私ひやひやしたわ。警察の方にも、幻を見たんじゃないかしらってからかわれてしまう始末だし。でもね、私はっきりと警察の方に伝えておいたわ。確かに勇敢な高校生の男の子が、鐘の鳴る踏切に飛び込んで私を助けてくれたのってね」


 谷川さんはコーヒーを片手に事件の顛末と家族の境遇を語った。白髪交じりの短髪が苦労を物語る。


「はは、わざわざありがとうございます」


「こちらこそ、本当にありがとう。こんなものじゃ足りないくらいあなたには感謝してるわ」


「とんでもないです。ただあの時は咄嗟に体が動いて」


「それができる人なんてなかなかいないんだもの。自信もっていいわよ」


「そうですかね……」


 自信を喪失していた僕には思いがけない言葉だった。ソイラテの優しい味が虚しい胸に染み渡る。


「どうしたのよ? 浮かない顔をして」


 いつまでも暗い顔のままだった僕に、谷川さんは明るく問いかけた。少し迷ったが、僕はこの人に素直に今の悩みを打ち明けることに決めた。谷川さんは飾り気のない話しやすさを持っている。それに僕のことを認めてくれている。


「僕は今、悩んでいるんです。助けたい人がいるんですが、その人が僕を頼ってくれないんです。僕の人生はずっとこういう事の繰り返しで、頼られたいと思っていても周りは頼ってくれない。この先、僕は誰のためにどう生きればいいのか分からないんです」


 谷川さんは小さくため息を吐いて笑った。


「なんだそんなこと。あなたは深く考えすぎなのよ。周りから頼ってほしいんだったら、相手に対してできることを探すんじゃなくて、自分にしかできないことを見つければいいの。困っている人がいたら、この人が何を望むかを考えるんじゃなくて、この人のために何ができるかを考えるの。そうすれば信頼関係が生まれて、自然とあなたを頼ってくれるようになるわ」


 僕ははっとして昔の話を思い出した。綾野先輩が言った「二つの変化」、受動的と能動的な変化。僕はずっと能動的な変化をはき違えてしまっていた。周りに合わせて自分を変えるのではなく、自分という存在がぴったりはまるピースを見つければいい。谷川さんの言うように、僕にしかできないことを見つける。そうすることが誰かのヒーローになる近道だったのだ。
 暗雲が立ち込めていた心の空に少しだけ晴れ間が見えた。僕は谷川さんにお礼を言って、スターバックスをあとにした。日が短くなった夏の宵を、路傍に落としてしまった砂時計を探すために歩く。記憶を頼りに探し回ると、先ほど谷川さんと出会った道路脇で横になったままの茜色を見つける。僕にしか見えないんだ、誰かに拾われたり壊されたりはしない。僕は砂時計を掴むと、右手で砂利や汚れを払い落とした。夏が終わる前に、最後にどうしても確かめなきゃならないことがある。


☆☆☆


 沙綾がどうやって喧嘩した部員たちと和解をしたかは知らない。心に仮面をつけたままだったのか、それとも仮面を外して本音で話し合えたのかは、沙綾しか知りえない。ただ一つだけ確かなことは、沙綾があの日以来、今まで通り部活に行けているということだ。壊れてしまった一眼レフの代わりにスマホのカメラを使い、松葉杖をつきながらではあるが。


 お盆が来て、僕ら家族は父さんの実家に帰省した。実家と言っても所謂「空気が綺麗な田舎」ではなく、地方都市の郊外にあるチェーン店で溢れた幹線道路の脇に立つ小さな家である。排気ガスも東京よりここのほうが多いかもしれない。
 僕はお盆が好きだが、帰省は好きではない。渋滞に巻き込まれながら、退屈な景色の場所に行き毎年同じことをする。祖父の墓参りに、祖母や叔父夫婦との談話。それも専らの話題は僕や沙綾の成績のことだ。いとこはいないため、窮屈な大人たちに囲まれての生活になる。しかも最悪なことに彼らは僕と沙綾をよく比較する。


「兄貴、写真撮りに行こうよ」


 そんな僕の実情を察していたかはわからないが、沙綾が助け船を出してくれた。墓参りから帰ってくると、リビングで高校野球を流しながら、叔父夫婦や祖母が両親と語らうのが毎年恒例となっているのだ。例の一件があったからか、沙綾も居心地が悪くなったのかもしれない。僕は賛同し、沙綾と一緒に実家の近所を回る。


「こんなところに写真にとるほどの景色があるのか」


「なにその言い方、せっかく助けてあげたのに。それに何でもない住宅街でもフォトジェニックなものって結構見つかるの」


 虹や花火ばかり追いかけていた妹が、こんな辺鄙な場所でスマホを構えるなんて変わったなと思った。しばらく歩いていくと住宅街を抜け、大きな川の河川敷に出た。堤防の脇に小さな彼岸花が二輪咲いている。一面、若草色の夏の堤防に、差し色のような赤い花が映えていた。沙綾は彼岸花の前に行ってしゃがみ、スマホの小さなレンズに収めた。


「まだ時期じゃないのに、綺麗だね」


 僕も沙綾の真似をして、しゃがんでスマホのシャッターを切る。


「夏も終わるな」


 独り言のように呟くと、沙綾が僕のスマホを覗く。


「どう? 綺麗に撮れた?」


「まあまあかな」


 沙綾と僕は立ち上がって肩を寄せ合い、お互いの写真を見せあった。さすがに沙綾だけあって構図がちゃんとしている。僕の写真は上から俯瞰で撮ってしまっているため、素人同然に見える。


「ねえ沙綾、見てほしい写真があるんだ」


「えっ、なになに?」


 僕はそう言ってスマホを操作しながら、ある一枚の写真を画面に出す。それはあの日、夕暮れの霊園で撮ったヨスガの姿だった。


「この写真、何に見える?」


「ん? 誰これ、女の子?」


「もっと詳しく言ってほしい、どんな服を着てて、どんな顔なのか?」


「え? 白いワンピースだよね、フリルのついた。それにスニーカーに赤いヘアピンをしてる。顔は小学生くらいで、でも大人っぽいっていうか。なんか雰囲気が詩帆先生に似てるね」


 沙綾ははっきりと写真に写った人物の特徴を述べた。それはまさに僕が普段見てきたヨスガの特徴と一致していた。


「てかこの子誰? 兄貴の彼女? もしかして兄貴ってロリコン……」


 沙綾はぶつぶつと呟くように言った。僕は自分に言い聞かせるように、若草色の差し色を見て言った。


「ううん、違うよ。僕が小学時代にお世話になった憧れの先輩。詩帆先生の妹さんだよ」





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