ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

40. 真夏にゴスロリ

 タピオカミルクティーとヨスガが言ったので、僕は次の目的地まで教科書片手にウグイス色の電車に揺られる。長かった日本史という小説もいよいよクライマックスで、太平洋戦争で敗戦した日本が高度経済成長を経て復活を果たすまでの物語が綴られる。たった最後の数ページの出来事であるが、僕はおろか母さんや父さんでさえも生まれていない時代だ。ここまで壮大な日本の物語を読んできて、一文字も記録に残らないであろう僕の人生にちっぽけさを覚えた。終わりを気にしだし、ヨスガの話を思い出す。死とは何なのか、深く自問しはじめる。
 想像上で生きている存在が死んでいないのだとすると、僕の中で綾野先輩は生き続けていることになる。ヨスガの姿は綾野先輩という存在に、僕の先輩への愛が添加された権化のような存在なのかもしれない。そこまで考えて、ふと僕は胸に引っかかりを覚える。ヨスガの姿が僕の愛の権化だとしたら、彼女はなぜ中高一貫校の制服を着ているのだろうか。僕の中の綾野先輩はいつだってあの夏の小学生のままだ。ヘアピンこそ同じだが、白いパーカーにチェックのロングスカートが僕の頭の中の綾野先輩なのだ。この疑問が小さいながらも、異物として僕の胸に居座る。時間停止の観察官ヨスガ。はじめは人なのかも怪しかった彼女が徐々に肉付きをはじめ、人間らしくなった。本当にそうなのだろうか。もしも彼女がある一つの嘘をついていたとしたら――。


 そこまで考えながらページをめくっていると、電車の正面に座っているゴスロリに身を包んだ少女が僕を睨んでいることに気づいた。黒いフリルをあしらったスカートに、日傘を足の横に置いている。巻き髪に、高飛車そうに組んだ足、そして意外と大きな胸。


「あっ」


 僕は睨んでいる少女の正体に気づき、小さく声を漏らす。私服姿を見たのははじめてだったし、始業式以来だったので存在すらも忘れていた。


「おひさしぶりですわね」


 凋落優等生、波野原絵里香は嫌味そうにそう言った。さすがに電車の中なので僕は何も言わない。黙って彼女を睨み返す。よりにもよってこいつと再会してしまうとは。せめて夏休み明けであればまだよかったのだが。それにしても私服がすごいな……。
 タピオカを飲むために僕が次の駅で下車すると、絵里香も追いかけて電車を降りた。


「逃がしませんわ」


「やあ、波野原さん。ひさしぶり」


 絵里香は僕をホームの真ん中へ押しやると


「あなた前会った時、突然消えませんでした? 私、驚いてしまって腰を抜かしてしまいましたわ」


 そんなことがあったのか。僕は絵里香に対して申し訳ない気持ちになる。


「突然消えるなんてありえないよ。波野原さんの見間違いじゃない?」


「そんなわけないですわ」


と絵里香は悔しそうに唇をかんだ後


「まあいいですわ。前回の続きといきませんこと」


と続ける。
 せっかくヨスガとのデートなのにとんだ邪魔が入った。もちろん絵里香なんかのために貴重な砂を使う気にはなれない。


「保元の乱で崇徳上皇と皇位継承権で対立し、争った人物とは誰か? 前回と同じですわ」


 僕の返事を待たずして、絵里香が問題を開始する。


「後白河天皇」


 即答した僕に少し驚いたようだったが


「まだまだ、いきますわよ」 


といつものすました顔に戻る。絵里香の問題は日本史ばかりで、教科書を一周していたからか、不思議とすらすらと回答することができた。時間停止のために空いた時間を有効活用した成果だと思った。一連の応酬はしばらく続き、絵里香は疲れの表情を見せはじめる。真夏にゴスロリなんていかにも暑そうだ。


「はあはあ、20問連続正解。やりますわね」 


「これでカンニングじゃないと認めてくれるよね?」


「うぅ……」


 絵里香は不服そうに僕を睨みつける。


「ごめん波野原さん、人を待たしてしまってるから、僕そろそろいかないと」


 何も言わない絵里香にそれだけ言い残して改札へ急ぐと、後ろから大声で呼び止められる。


「佐々良くん! あなたの実力は認めてあげますわ。次のテスト絶対負けませんから、覚悟しておきなさい!」


 ホームにいる乗客が一斉に僕と絵里香に注目し、さすがの絵里香も控えめに口をすぼめる。


「ああ、もちろん。じゃあまた学校で」


 僕はそう言い残してホームを去る。面倒なライバルができた。でも僕は嫌な気持ちはない。少し前までいないものだった僕が、あの絵里香からついに認められた。ほかの教科にも熱が入る。だがその前に今日はヨスガだ。猛スピードで改札を抜け、日がかげり始めた街に出た。

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