ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

38. チョコとべリーソース

 デートには違いなかったが、当然ながら時間が動き出せば僕は一人だ。さっきまであれほど沈黙していた街並みが、ダムが決壊するかの如く溢れ出す。僕は慣れない渋谷の街を、スマホを片手に人ごみを縫うように歩いていく。
 もちろん誰も僕のことなんて気にも留めなかった。時が流れていれば、人々はみな各々のことで手一杯だ。残暑の中、坂を上りお目当てのパンケーキ屋を目指す。しばらく歩くと道端に立て看板が見えて、僕は店内に入った。ポケットに入れた砂時計を僕はヨスガを愛おしがるように優しく撫でる。
白を基調とした店内は、明るい照明とフローリングの優しい色合いが映えていた。ここは初めて来る場所だったが、一人席もあるため入りやすい。店内は若干混雑しており、僕は少し待たされることになった。


「一名様ですか?」


 何も知らない店員さんが僕に尋ねる。一人扱いで入っても良かったが、ヨスガのために二人席を用意しなければならない。僕は勇気を出して


「二人です。もう一人は後からきます」


と伝えた。恥ずかしさよりもヨスガの笑顔のほうが大切だ。
 程なくして僕は二人掛けのテーブル席に案内された。白いテーブルに木目調の椅子。僕は何もない空間と向かい合う。砂時計を取り出して茜色の砂が溜まるのを待つ。今日は頻繁に時間を止めなくてはならない。砂のチャージの時間配分をしっかりとしておく必要がありそうだ。幸い今は、ここに来るまでに砂がかなり溜まっていたので、僕はすぐにヨスガに会うことができた。


「綺麗でおしゃれな内装ですね」


 シックで落ち着いた店内に、驚くほどヨスガはマッチしていた。やはり大人っぽい顔立ちの綾野先輩はこういう場所のほうが似合う。もう見た目の年齢的には僕のほうが年上なのだが。


「うん、なににしようか?」


 誰も微動だにしない店内で、僕らはメニューを開いて見合った。普通のパンケーキに、フルーツの載ったもの、ベリーソースやチョコソースのかかったもの、人生で初めてパンケーキ屋さんに来たがこんなにも種類があるなんて知らなかった。豊富なメニューを前に、まるで宝石を吟味するかのようにヨスガは目を輝かせる。


「ベリーソースもいいけど、普通のも捨てがたいなあ……。なんかいっぱい種類があって迷っちゃいますね」


「そうだね、僕もこんなに種類があるなんて知らなかった」


「決めました、ベリーソースにします。ソウタさんは?」


「僕はチョコにしようかな」


 注文するパンケーキが決まったところで僕は時間を動かし、店員さんを呼ぶ。一人で二人分の注文をする僕を、店員さんが不思議そうな目で見つめた。恥ずかしさを押し殺して、僕は平静を装う。お水はセルフサービスらしく、僕は立ち上がって二人分のグラスに水を注ぎ、ヨスガが座るであろう空虚の前に置く。向かいの私服で来ていた女子高生二人組が、一瞬だけ僕を怪訝そうな目で見たが、僕が見つめ返すと彼女たちは向き合って自分たちの世界へと戻った。
 料理を待つ間、2人だけの話に花を咲かせる。彼女たちのように僕とヨスガもしてみたかった。でも砂の時間配分の関係上、絶対にできないのが少し残念に思えた。待つという共通の理由を持った二人が、その時間を埋めるため必死に言葉を練りあう。あっても、無くてもいい時間。どちらかというと相手によっては無い方がいい時間。でもその時間を埋める努力が、時として二人の距離感までも埋めることもある。
 甘い匂いが香って、二人分のパンケーキが運ばれてきた。ベリーソースのかかったパンケーキに、チョコソースにバナナの載ったパンケーキ。二人掛けテーブルに、二つのパンケーキを並べる、一人の冴えない男子高校生に、向かいの女子高生たちが一瞥し、くすくすと笑う。そんなことお構いなしに僕は脇に置いた砂時計を傾け、ヨスガのいる世界に飛ぶ。


「いい匂いですね。すごく美味しそうです」


 さっきまで誰もいなかった椅子に腰かけるヨスガは、ベリーソースに興味津々だ。そんなヨスガに僕はナイフとフォークを差し出す。


「さあ食べよう」


「そうですね。いただきます」


 チョコソースに浸された生地に、慎重にナイフを入れる。生地が割れて大きな滝のようにソースが隙間に流れていく。一口、口に入れると甘さと温かさを持った生地がクッションのように舌の上で跳ねる。パンケーキってこんなにも美味しかったんだ。僕が何か言う前にヨスガが声にならない感嘆をあげる。


「最高です……こんなに美味しいもの初めて食べました」


 僕は彼女の感激っぷりに思わず笑みがこぼれる。チョコのソースを絡めながら、甘い塊を何度も口へ運んでいるとヨスガが


「ベリーも食べてみますか?」


と僕のほうを向いていった。


「うん、食べていたい」


 そういってヨスガは僕の口元にべリソースの塊を運ぶ。ベタなシチュエーションだが、男女だったら恋人同士しかできないやつだ、特にパンケーキでは。チョコとは違った酸味ががった甘さが口中に広がる。


「ベリーソースすごく美味しい」


 僕の賞賛を見て、ヨスガが頬に笑窪を作る。


「じゃあチョコのお返しをください」


「うん、もちろん」


 一口サイズに切ったパンケーキをヨスガの口へと運んでいく。


「こっちも甘くて美味しいです」


 ヨスガは頬に手を当てて、悶絶するように歓喜する。本当に嬉しそうな笑顔だ。二つの意味で甘い時間は一瞬で終わり、二人そろって手を合わせる。


「「ごちそうさまでした」」


「喜んでもらえたようで良かった」


「パンケーキももちろん美味しかったですけど、ソウタさんと食べたので余計に美味しかったです」


 その一言に僕は顔中が熱く火照った。何も言えなくなった僕を流し目でみながら、ヨスガは紙ナプキンをとると僕の口元に近づく。ふわっとした綾野先輩の匂いが微かにする。


「え?」


「チョコソース、ついてましたよ。ソウくん」


 ヨスガは僕の口元のチョコをふき取って、自分の椅子に座る。そこで何かに気づいたようにはっとして顔を赤くする。


「あ、ソウくんって言っちゃいました。ごめんなさい」


 『ソウくん』の発音もアクセントも、綾野先輩そのもので僕はむしろもっと聞きたくなる。


「ソウくんでいいよ。いつまでも『さん付け』なんて堅苦しいし」


「ふふ、ありがとうございます。じゃあいっぱい呼びますね、ソウくん」


 こんなこと言われたものだから火照りが最高潮に達してしまう。僕がヨスガを見ようとすると、時間が戻り彼女は時の狭間に消える。
 僕がお水を一杯飲んで落ち着いていると、向かいの女子高生二人が呆気にとられたような顔をして、お互い顔を見合わせた。時間が動いている彼女たちには、僕の前のパンケーキ二つが一瞬で消えたように見えたのだろう。困惑した表情で口元を抑えている。
 それを見て、僕の中で恥ずかしさよりも誇らしさが勝った。いいじゃないか。僕の彼女はストロボの少女。一瞬の間にしか、僕の前に現れてくれない。そんな女の子を僕は恋人にしている。



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