ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
37. 約束の日
ヨスガにはアカウントを消したことは黙っていた。そうしなければヨスガを様々な場所へ連れていく大義名分がなくなってしまう。時間停止という特異な能力を得て一か月。僕は能力のほとんどをヨスガのために使ってきた。自分のために使ったことといえば、カンニングを行い、誰にも撮れない写真を撮り、沙綾を救ったくらいだ。
沙綾は次の日も朝早くから部活に出かけて行った。下唇を噛み、自分を鼓舞するような横顔で椅子に座って、ポニーテールを結っていた。そんな様子を眺めながら朝食を食べていると沙綾と目が合ってしまった。
「なに?」
「いや、なんでもない。足、気をつけてな」
沙綾は松葉杖を抱えて立ち上がる。
「わかってる。いってきます」
不安げな声をして、それでも足に力をいれて歩き出す。僕は足が不自由な沙綾の代わりにドアを開け、家の前まで見送った。
玄関の前まで戻ると、一匹の蝉が地面に仰向けに転がっていた。まだ息があるようで、うるさく羽を震わせ、地面を滑るように動いている。しかしどんなに足掻いても、最期の時は必ず訪れてしまう。アトランダムに鳴る羽音が僕の焦燥感を掻き立てる。蝉が死を迎えつつあるということは、夏の終わりが近いことを意味していた。それは同時に能力の喪失、ヨスガとの別れを意味する。
☆☆☆
自室まで戻って砂時計を僕は見つめた。今日も良く晴れた。デートにはもってこいの日和だ。僕はリュックに教科書類とPASMOを入れて、誰もいない家の鍵を閉める。ポケットにはスマホを砂時計、薄青いシャツに黒のアンクルパンツで僕なりに精一杯におしゃれな格好をして街に繰り出す。さっきいた蝉は力尽き、軽くなった亡骸だけが玄関に横たわっている。うるさいほどの羽音が恋しい。
最寄り駅のホームで電車を待っていると、遠くの線路を陽炎が歪めませていた。僕はお盆が近くなると、陽炎が多くなる気がしている。小さいころ、まだ昼の間に戻ってきてしまった亡くなった存在が、うっすらと見えるのが陽炎の正体だと思っていた。今となっては馬鹿馬鹿しいが、時間停止だって実在していたのだ。実はあながち間違っていないのかもしれない。
陽炎に切り刻まれた電車の影が、人の疎らなホームに入る。風が抜け、電車に乗る。座席に腰掛けて、役目を失ったつり革が揺れるのを見る。スピードが上がって、街の景色と白い雲がどんどん遠くへ流れていく。僕はこれからヨスガとデートだというのになぜか浮かない気分になる。一定の間隔で現れる電車の架線の鉄柱が、僕の心に風穴を開けていく。
憧れていた綾野先輩はもういない。その悲しみだけがこの浮かない気分の原因ではない。それはわかっていたが、僕はそれ以外の感情を認めないことにした。言葉にしてしまっては答えが出て、より一層悲しくなる。今日はデートだ。待ちに待ったヨスガとのデートなんだ。リュックから教科書を取り出し、例によって読みふけった。
☆☆☆
気持ちが散って何重にもなったころ、僕は渋谷のスクランブル交差点まで来ていた。相変わらずすごい人で、各々の方向を目指して人が動いている。僕は交差点を歩きながら、砂時計を取り出した。もちろん家や最寄り駅で時間を止めてヨスガに会うことはできた。でも僕の小学時代からのプライドがそれを許さなかった。どうせなら形から入りたい。
スクランブル交差点が茜色に染まって、喧噪も雑踏もなくなる。別々の方向へ歩いていた人々も、その場に動きをとめ、森林の木々のように静まる。僕は交差点の真ん中で、あたりを見回してヨスガを探した。背の高い人間たちに間から、白いワンピースに身を包んだヨスガが現れる。綾野先輩と同じ赤いヘアピン。人影の間から縫うように現れたその姿はいつかのひまわり畑を髣髴とさせた。
「あ、ソウタさん」
「ヨスガ」
僕らは誰も動かない街の真ん中で、待ち合わせした恋人同士のようにお互いを見つける。
「この前は悪かった、なにも言わずに」
「いいんです。わかってます」
ヨスガは頬に笑窪を作って穏やかに笑った。その姿は、まさに綾野先輩そのものだった。僕だけの綾野先輩がここにいる。
僕は少し照れながら
「……約束を果たそうと思う」
と言ってヨスガを見る。ヨスガは嬉しそうに答える。
「まずはどこに連れていってくれるんですか?」
「そうだな。パンケーキを食べに行こう」
「ありですね」
僕らは交差点の真ん中から人ごみを掻き分けて、お店を目指す。あまりの人の多さに僕はヨスガを見失いかける。
「ソウタさん」
人ごみの陰から、ヨスガが僕を呼ぶ。花火大会の時のようだ。
「ごめん、ヨスガ」
僕は急いで彼女の下へ戻ると、ヨスガが僕に体を近づけ、手を握る。
「はぐれないように、しっかり握っててください」
身長の割には小さく、僕の手よりもはるかに小さい手を、僕はしっかりと繋ぐ。二人だけしか動かないのだ、声を出せば居場所なんてすぐわかる。それでもあえてこう言ったのはヨスガなりの照れ隠しだと僕は理解した。
「行こう」
思えば初めて女の子と手をつないで歩いたかもしれない。渋谷の真ん中で、本来なら喧噪で溢れかえっているはずの静謐な人ごみの森林を、僕はヨスガと手をつないで抜けていった。
沙綾は次の日も朝早くから部活に出かけて行った。下唇を噛み、自分を鼓舞するような横顔で椅子に座って、ポニーテールを結っていた。そんな様子を眺めながら朝食を食べていると沙綾と目が合ってしまった。
「なに?」
「いや、なんでもない。足、気をつけてな」
沙綾は松葉杖を抱えて立ち上がる。
「わかってる。いってきます」
不安げな声をして、それでも足に力をいれて歩き出す。僕は足が不自由な沙綾の代わりにドアを開け、家の前まで見送った。
玄関の前まで戻ると、一匹の蝉が地面に仰向けに転がっていた。まだ息があるようで、うるさく羽を震わせ、地面を滑るように動いている。しかしどんなに足掻いても、最期の時は必ず訪れてしまう。アトランダムに鳴る羽音が僕の焦燥感を掻き立てる。蝉が死を迎えつつあるということは、夏の終わりが近いことを意味していた。それは同時に能力の喪失、ヨスガとの別れを意味する。
☆☆☆
自室まで戻って砂時計を僕は見つめた。今日も良く晴れた。デートにはもってこいの日和だ。僕はリュックに教科書類とPASMOを入れて、誰もいない家の鍵を閉める。ポケットにはスマホを砂時計、薄青いシャツに黒のアンクルパンツで僕なりに精一杯におしゃれな格好をして街に繰り出す。さっきいた蝉は力尽き、軽くなった亡骸だけが玄関に横たわっている。うるさいほどの羽音が恋しい。
最寄り駅のホームで電車を待っていると、遠くの線路を陽炎が歪めませていた。僕はお盆が近くなると、陽炎が多くなる気がしている。小さいころ、まだ昼の間に戻ってきてしまった亡くなった存在が、うっすらと見えるのが陽炎の正体だと思っていた。今となっては馬鹿馬鹿しいが、時間停止だって実在していたのだ。実はあながち間違っていないのかもしれない。
陽炎に切り刻まれた電車の影が、人の疎らなホームに入る。風が抜け、電車に乗る。座席に腰掛けて、役目を失ったつり革が揺れるのを見る。スピードが上がって、街の景色と白い雲がどんどん遠くへ流れていく。僕はこれからヨスガとデートだというのになぜか浮かない気分になる。一定の間隔で現れる電車の架線の鉄柱が、僕の心に風穴を開けていく。
憧れていた綾野先輩はもういない。その悲しみだけがこの浮かない気分の原因ではない。それはわかっていたが、僕はそれ以外の感情を認めないことにした。言葉にしてしまっては答えが出て、より一層悲しくなる。今日はデートだ。待ちに待ったヨスガとのデートなんだ。リュックから教科書を取り出し、例によって読みふけった。
☆☆☆
気持ちが散って何重にもなったころ、僕は渋谷のスクランブル交差点まで来ていた。相変わらずすごい人で、各々の方向を目指して人が動いている。僕は交差点を歩きながら、砂時計を取り出した。もちろん家や最寄り駅で時間を止めてヨスガに会うことはできた。でも僕の小学時代からのプライドがそれを許さなかった。どうせなら形から入りたい。
スクランブル交差点が茜色に染まって、喧噪も雑踏もなくなる。別々の方向へ歩いていた人々も、その場に動きをとめ、森林の木々のように静まる。僕は交差点の真ん中で、あたりを見回してヨスガを探した。背の高い人間たちに間から、白いワンピースに身を包んだヨスガが現れる。綾野先輩と同じ赤いヘアピン。人影の間から縫うように現れたその姿はいつかのひまわり畑を髣髴とさせた。
「あ、ソウタさん」
「ヨスガ」
僕らは誰も動かない街の真ん中で、待ち合わせした恋人同士のようにお互いを見つける。
「この前は悪かった、なにも言わずに」
「いいんです。わかってます」
ヨスガは頬に笑窪を作って穏やかに笑った。その姿は、まさに綾野先輩そのものだった。僕だけの綾野先輩がここにいる。
僕は少し照れながら
「……約束を果たそうと思う」
と言ってヨスガを見る。ヨスガは嬉しそうに答える。
「まずはどこに連れていってくれるんですか?」
「そうだな。パンケーキを食べに行こう」
「ありですね」
僕らは交差点の真ん中から人ごみを掻き分けて、お店を目指す。あまりの人の多さに僕はヨスガを見失いかける。
「ソウタさん」
人ごみの陰から、ヨスガが僕を呼ぶ。花火大会の時のようだ。
「ごめん、ヨスガ」
僕は急いで彼女の下へ戻ると、ヨスガが僕に体を近づけ、手を握る。
「はぐれないように、しっかり握っててください」
身長の割には小さく、僕の手よりもはるかに小さい手を、僕はしっかりと繋ぐ。二人だけしか動かないのだ、声を出せば居場所なんてすぐわかる。それでもあえてこう言ったのはヨスガなりの照れ隠しだと僕は理解した。
「行こう」
思えば初めて女の子と手をつないで歩いたかもしれない。渋谷の真ん中で、本来なら喧噪で溢れかえっているはずの静謐な人ごみの森林を、僕はヨスガと手をつないで抜けていった。
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