ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

36. 時間停止の成果

 僕が病室に戻ると、沙綾がスマホをいじりながら尋ねた。


「詩帆先生と何話してたの?」


「僕が小学時代にお世話になった先輩が、詩帆先生の妹さんだったんだ」


 驚いたように沙綾がスマホから手を放す。


「そうなんだ。すごい偶然だね」


「うん、僕もびっくりした」


「でもその人、行方不明なんでしょ」


「え? なんで知ってるの?」


「詩帆先生、いつも妹さんのこと話してるもん。私たち聞き飽きちゃったよ。最近では学校の都市伝説にかこつけて幽霊だの生まれ変わりだのって」


「それってストロボの少女の話?」


 僕の問いかけに沙綾はくすくすと笑いだす。


「その話も聞いたんだ。先生、妹さんのことになると、どうかしてるよね。そんな荒唐無稽な都市伝説まで持ち出してさ」


 僕は少し乾いた笑いで沙綾の話を聞き流した。荒唐無稽か。確かに砂時計の存在を知らない人にとって、一瞬だけ現れて消える少女なんて馬鹿げた話に思えるかもしれない。でも今まで聞いた噂話たちが繋がり、ストロボの少女を一つの事実として僕は受け入れようとしていた。そしてその正体が綾野先輩であることも。


「たとえ荒唐無稽な話だったとしても、僕が先生の立場だったら信じてしまうかもしれないな」


「そうなの?」


「うん、正確には『信じたい』かもしれない。いなくなってしまった人に幽霊でも会えるのなら、会いたいでしょ?」


 沙綾は腕を組みながら難しい顔をする。


「うーん、それは微妙だな、幽霊は幽霊だし。そもそも幽霊なんて信じてないけど」


 そこまで話していると、看護師さんが昼食を持ってきた。僕と沙綾の問答が途切れる。この二日間で、沙綾の中に僕の居場所ができた。会話が途切れても、この話はまたいつかすればいい。そう思って僕は看護師さんにお礼を言った。僕と沙綾はこれからずっと仲の良い兄妹のまま、暮らしていくのだろう。この時はそう信じて疑わなかった。でも色が引くように、砂時計の砂が必ず落ちるように、静かにその時は近づいていた。


☆☆☆


 夏が終わる。次の日、その兆しを微かに感じながら、沙綾と僕は退院した。捻った右足に包帯を巻き、松葉杖をついた沙綾は、病室のクローゼットを開けて少し寂しそうな顔をした。あの日のままの通学リュックにカメラケース、それに三脚が悲惨な台風の景色を思い起こさせる。僕が心配そうに彼女を見つめると、前を向くように


「帰ったら洗濯しなきゃ」


と呟いた。続けて沙綾が部屋を出る時、看護師さんから着ていた制服を返された。こちらは洗濯をしてもらったみたいで、新品同様白く輝いていた。


☆☆☆


 高い空の下、3日ぶりに家に帰ると、自宅特有の生活臭を敏感になった鼻が感じた。病室の匂いに慣れてしまったせいで、家の匂いを忘れてしまったのだろう。沙綾と僕は退院時の後片付けを済ませてから、それぞれ自分の部屋へと向かった。
 僕は自室のベッドの上に腰掛けて、スマホを充電する。久しく触れていなかった液晶に触り、インスタグラムを開くと、通知の山に呆気にとられた。何か新しい投稿をしたわけではないので、過去の投稿へのいいねとコメントである。数日投稿がなかったところで僕を心配するようなコメントもDMも特にはない。当たり前か。彼らが必要なのは僕の写真であって、僕自身ではない。しかもその写真たちも世間の人々にとって退屈な日常生活に刺激を与える、ほんのエッセンスでしかない。あってもなくても変わらないのだ。
 僕は設定を開くと、インスタグラムのアカウントを削除する。砂時計を使い、ズルをして写真を撮ったところで得られたのは偽りの承認だけで、代わりに沙綾の心を深く傷つけてしてしまった。もしかしたら沙綾以外にも、僕の写真を見て自信を喪失した人がいるかもしれない。少なくとも僕のせいでまた一人、誰かを不幸にしてしまった。
 衝動に駆られるように、続けて僕はツイッターのアカウントも削除した。一通り作業を終えると、かつての花火大会の日と同じように、自己嫌悪に陥ったので深く目を瞑った。暗闇の中で居場所を求めて彷徨うと、沙綾や小林、そしてヨスガの姿が頭の中に浮かんできた。どこにも居場所がなかった僕が、砂時計のおかげで得られた繋がり。それは決してSNS上だけの偽りのものなどではない。その事実だけが、豪雨の中の合羽のように僕の自我を守っていた。



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