ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

28. 深夜の病室

 すぐに救急車が駅に来て、僕らは病院に運ばれた。大雨の中、傘もささずに街を彷徨い歩いたという沙綾の体は予想以上に衰弱しきっていた。僕らは傷の手当を受け、沙綾はその後医師の診察を受けた。幸い妹の足の怪我は、捻った程度で大したものではないらしかった。しかし疲労による高熱を出していたため、沙綾はそのまま2、3日入院することになった。


☆☆☆


 真っ白な病院のベッドで沙綾は仰向けになって眠っていた。外は相変わらずの強風と大雨だったが、僕らだけの病室で沙綾の寝息だけが静かに聞こえてくる。僕はベッドの横の椅子に座り、妹の手を握っていた。安らかな寝顔が僕に安堵と充実感を与える。
 しばらくすると看護師さんが現場で見つかった沙綾の荷物を届けてくれた。風雨で汚れてしまった通学リュックにカメラケースと三脚。そしてボロボロになった一眼レフだった。こんな有様のカメラを見たら沙綾はショックを受けるだろうと思った僕は、看護師さんにお願いしてクローゼットの端にしまってもらった。
 僕は砂時計を病室の机に置いたまま、再び妹の手を握りながら横に座った。砂が溜まったらヨスガにお礼を言いたい。彼女がいなければ沙綾は間違えなく助からなかっただろう。そんなことをぼんやりか考えていると、疲れと安堵感から眠気が襲ってきた。


☆☆☆


 どれくらい眠ったのだろうか。僕は母さんの


「ソウタ、沙綾!」


という声掛けで目を覚ました。振り返ると両親が揃って病室に入ってきた。二人ともずぶ濡れで、目には涙を浮かべている。


「父さん、母さん」


「良かった。2人とも無事なのね」


 母さんは真っ先に僕を見て、それからすぐに抱きしめてくれた。続いて沙綾のもとに駆け寄る。母さんは沙綾の手を握りながら


「ごめんね。沙綾、こんなになるまで、辛かったよね」


と声をかけた。目を覚ました沙綾が答える。


「ううん。こちらこそごめん。心配かけさせちゃって」


母さんは沙綾の声に涙を浮かべていた。まだ声に疲れが残っている感じだった。


 横から見ていた父さんが僕を見て言った。


「ソウタが沙綾を助けたんだってな」


僕が黙って頷くと、父さんは僕の頭に手をのせた。


「俺の自慢の息子だ。よくやった」


それを見ていた沙綾も僕を見つめた。


「ごめんね。お兄ちゃん、ありがとう」


僕は改めて沙綾を見た。


「こちらこそ今までごめん。無事で本当に良かった」


☆☆☆


 台風が近づく中、沙綾は再び寝入った。僕は父さんと母さんに事故の経緯を説明した。沙綾がなぜ線路に飛び込んだのか。詳しく詮索するのは今はやめることにした。僕が話したのは、偶然にも快速電車から沙綾を見つけ、引き返したこと。沙綾が飛び込み、僕も彼女を助けるために飛び込んだこと。もちろん砂時計のことは言わなかった。
 2人は僕の行動を勇敢そのものだと再三再四、褒めたたえた。そして同時に僕ら兄妹の無事を喜んだ。つい最近まで家族のお荷物だった僕が、今こうして家族から感謝され居場所ができている。僕は家族のヒーローだ。
 そう感じながら、本当は砂時計とヨスガのおかげだとも思った。できることなら沙綾と両親にヨスガを紹介したい。ヨスガも交えて沙綾の無事を祝い、助けてもらったことに感謝したい。妹を救ってくれたのは、この時間停止の観察官の少女なんです。病室に呼んで、僕は家族に向けてそう言いたかった。


☆☆☆


 その夜、僕は明日も仕事がある父さんと母さんを家に帰して、沙綾と二人で病院に泊まった。深夜になって台風が再接近し、窓の外は物凄い雨と風である。僕は病室明かりを消し、ソファーを寝具代わりに目を瞑っていた。だがいつもと環境が変わるためなかなか寝付けない。時間を止めてヨスガにも会いたかったが、両親がいたのと沙綾が気がかりでなかなか時を止められなかった。まあ明日、余裕があるときに時を止めよう。僕はそう思って、とりあえず横になった。


「ねえ、おに……あ、兄貴、起きてる?」


この時間になって熱の引いた沙綾が、雨風の音だけが聞こえる病室で囁いた。


「うん。起きてる」


「電車の警笛音が聞こえた時、なぜだかわからないけど兄貴の顔が浮かんでさ。神様、ごめんなさい。やっぱりまだ死にたくないですって思って、来るはずもない兄貴に助けを求めてた。そしたら本当に兄貴が突然現れるんだもん。偶然だとは思うけれど、すごく嬉しかった」


「僕も偶然、電車の中で沙綾を見つけてさ。本当に奇跡だと思ってる」


 熱も引いて涙も枯れた沙綾は、僕に初めて心を開いてくれた。


「私さ、不器用なんだよね。周りの人たちとうまく距離をとって、付き合うことができない」


 意外だった。沙綾は小学時代から友達に囲まれている人気者のイメージがあったからだ。


「ねえお兄ちゃん。私の話、聞いてくれる?」


 その刹那、雨風が止んだ。台風の目がこの街に差し掛かったのだ。その静けさは、まるで深雪の降り続く夜のようだった。







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