ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
27. 沙綾の危機
「沙綾……!?」
僕は妹のこれまでに見たこともない表情を見て、彼女がこれから何をしようとしているか察した。一瞬で全身の血の気が引いていく。快速電車が止まらないこの駅では真ん中の線路は通過専用で、普通に各駅停車に乗るなら反対側のホームには立たないはずだ。しかも台風接近に伴い、今ホームには駅員も乗客も誰一人いない。
「何やってんだ、あいつ!」
僕は焦りながら立ち上がり、沙綾を見ながらドアをこじ開けようとする。しかし固く閉じられた扉は両手でこじ開けようとしても開かない。
「くそ! 開かない!」
ヨスガも立ち上がり、僕の腰に手を当てた。彼女も気が気ではない様子だった。
「ソウタさん、一旦落ち着きましょう。電車のドアは簡単には開けられません。それよりも時間を動かして、鉄道会社に連絡したほうがいいと思います」
ヨスガは僕と違って頭が回る。僕は以前の踏切の反省が生かせずに自己嫌悪に陥った。ここで無理にドアをこじ開けようとして砂が流れてしまうのを待つよりも、ヨスガの言うとおりにしたほうが確実だ。
「そうだな。ありがとうヨスガ」
「急いでください!」
僕はヨスガに言われて砂時計を一度ひっくり返す。時間が動き出して、チャージが始まる。一瞬にして雨が流れ、景色が流れる。今、命を絶とうとしている妹が目の前から無情にも流れていく。
「すぐに助けるからな……」
僕は人の疎らな車内でそう呟くと、すぐに人目もはばからず鉄道会社に電話をかける。耳元にあてたスマホからコール音が鳴り響く。心臓の鼓動と電車の鼓動が重なっていく。コール音の先をこれほど愛おしく思ったことなんて人生で初めてだ。しかしどれだけ待ってもコール音は止まず、電車は次の駅に差し掛かってしまう。
ヨスガの唯一の誤算は今日が台風接近に伴い、運休に関する問い合わせが鉄道会社や駅に殺到しているということだった。電話がなかなか繋がらないため、僕は快速電車を降り、反対方面の各駅停車に乗り換えることに決めた。その間も耳からスマホは離さない。慌てて電車から降りたため、二人分の傘を忘れてきてしまった。だがそんなこと、今はどうでもいい。
ホームに出て一度階段を駆け下り、また猛スピードで階段を駆け上る。こんなに走ったのは初めてかもしれない。とにかく沙綾を救うために夢中になる。僕がホームまで上がると、各駅停車が今まさに発車しようとするところだった。発車メロディーが鳴り響く。僕はスマホを片手に閉まるドアに駆け込む。
ギリギリ車内に滑り込み、僕は安堵する。すぐに電車が走り出す。幸いこの車両には僕以外乗っていなかった。
『駆け込み乗車は大変危険ですからおやめください』
自動アナウンスのあと、車掌さんが僕の行為を咎める。普段なら恥ずかしさで電車を降りたくなるだろうが、今は違う。車掌さんの言葉は耳を筒抜け、僕は一刻でも早く沙綾のいる駅へ急いでくれるよう願う。さっきまでと景色が反対向きに流れる。快速電車の車内から、置いてきぼりした沙綾の顔が頭をかすめる。僕より優秀で、僕に冷たくて、ついつい妬んでしまう沙綾。でも本当はストイックで、努力家で、兄貴思いの一面もある妹の沙綾。どうか神様、沙綾を助けてください。僕の人生なんてどうでもいいですから。
雨も風も一層強くなったころ、あまりにも長すぎる一駅間が終わった。
『この駅で快速列車の通過待ちをいたします。発車までしばらくお待ちください』
車掌さんのアナウンスのあと、扉が開いた。僕はホームに飛び降り、急いで沙綾を探す。ホームの先頭車側の一番端にぽつりと人影が見えた。沙綾に間違いない。僕は車両の後方側のホームから沙綾に向かって走り出す。
≪まもなく、2番線を快速列車が通過します。黄色い線までお下がりください≫
自動アナウンスが響くと共にホーム先頭の人影が黄色い線をまたぐのが見える。沙綾はこの電車に飛び込むつもりらしかった。僕の全力疾走も虚しく、快速電車がとんでもないスピードで駅に入ってくる。台風の影響で受けた遅れを一秒でも取り戻そうと必死なのだ。しかも強くなった雨と風で運転手からの視界は最悪だろう。鈍い轟音を掻き立てて僕の真横を走り抜けていく。
次の瞬間、沙綾はホームへと身を投げた。ブレーキ音が無人のホームにこだまする。僕は雨水に足を滑らせて転び、顔面を強打する。血の味の混じった雨水と若干の砂が唇から入ってくる。間に合わなかった。沙綾は電車に轢かれてしまった。
痛みと悔しさで声を上げた時、僕以外の音が聞こえないことに気づいた。顔を上げると砂時計が、目の前でひっくり返っていた。時間が止まったのだ。よく見ると電車はギリギリ沙綾のいた場所までたどり着いていない。僕は神様と砂時計に感謝した。僕にはまだボーナスタイムがある。
倒れたままの僕の横を、ヨスガが白いワンピースを雨粒で汚しながら全速力で駆けていった。
「何やってるんですか、急いでください!」
僕は砂時計を手に取って、起き上がるとヨスガを追いかけた。チャージに使った時間が短いため、すぐに時間が動き出してしまう。急がなくては。砂はもうほとんど丸底に落ちかかっている。
ヨスガと僕はホームの先頭に立ち、すぐに線路へと飛び降りる。横向きに倒れた沙綾が、枕木の上で最後の瞬間を受け入れるかのように目を固く瞑っていた。
「沙綾!」
僕は妹を見るなり思わず叫んだ。肩から下げた一眼レフはレンズが割れ、もう使い物にはならさそうだ。それでも沙綾は生きていた。顔は傷まみれで、びしょびしょに濡れていて、足からも血が流れている。それでも生きていた。僕は嬉し涙を流しながら、沙綾の肩に腕も通して持ち上げる。ヨスガも沙綾の足を持ち、2人で隣の線路まで運んだ。その時だった、砂がすべて丸底に落ち切ったのは。
途端に爆音が響いて隣の線路を重い車輪が貫いていった。僕は体中の力をすべて出し切り、さらに隣の線路からホーム下の退避スペースまで沙綾を運んだ。ヨスガはもういない。僕の腕だけで沙綾を雨の当たらない場所まで引き入れる。
安全になったところで、僕は沙綾を抱きしめていた。
「沙綾! よかった、本当によかった……」
沙綾が静かに目を開ける。
「……あにき?」
僕を見てそう呟いたあと、安堵とも絶望ともとれる顔をして
「なんで? なんでよ」
と優しく僕に抱き着いた。沙綾の涙腺が静かに崩れていく。大雨の中、2人だけの退避スペースで、僕ら兄妹はしばらく抱き合って大声で泣いた。何年間にもわたる確執も、昨日の喧嘩の傷もこの雨と涙がすべて洗い流してくれるような気がした。
☆☆☆
どれくらい経ったかはわからない。駅員さんの
「大丈夫ですか?」
の声と懐中電灯の明かりで僕らは我に返った。体中汚れまみれで、切り傷もところどころにあったが、僕と沙綾は台風が接近したその日、奇跡の生還を果たした。僕の足元には横倒しになった砂時計が転がっていた。
僕は妹のこれまでに見たこともない表情を見て、彼女がこれから何をしようとしているか察した。一瞬で全身の血の気が引いていく。快速電車が止まらないこの駅では真ん中の線路は通過専用で、普通に各駅停車に乗るなら反対側のホームには立たないはずだ。しかも台風接近に伴い、今ホームには駅員も乗客も誰一人いない。
「何やってんだ、あいつ!」
僕は焦りながら立ち上がり、沙綾を見ながらドアをこじ開けようとする。しかし固く閉じられた扉は両手でこじ開けようとしても開かない。
「くそ! 開かない!」
ヨスガも立ち上がり、僕の腰に手を当てた。彼女も気が気ではない様子だった。
「ソウタさん、一旦落ち着きましょう。電車のドアは簡単には開けられません。それよりも時間を動かして、鉄道会社に連絡したほうがいいと思います」
ヨスガは僕と違って頭が回る。僕は以前の踏切の反省が生かせずに自己嫌悪に陥った。ここで無理にドアをこじ開けようとして砂が流れてしまうのを待つよりも、ヨスガの言うとおりにしたほうが確実だ。
「そうだな。ありがとうヨスガ」
「急いでください!」
僕はヨスガに言われて砂時計を一度ひっくり返す。時間が動き出して、チャージが始まる。一瞬にして雨が流れ、景色が流れる。今、命を絶とうとしている妹が目の前から無情にも流れていく。
「すぐに助けるからな……」
僕は人の疎らな車内でそう呟くと、すぐに人目もはばからず鉄道会社に電話をかける。耳元にあてたスマホからコール音が鳴り響く。心臓の鼓動と電車の鼓動が重なっていく。コール音の先をこれほど愛おしく思ったことなんて人生で初めてだ。しかしどれだけ待ってもコール音は止まず、電車は次の駅に差し掛かってしまう。
ヨスガの唯一の誤算は今日が台風接近に伴い、運休に関する問い合わせが鉄道会社や駅に殺到しているということだった。電話がなかなか繋がらないため、僕は快速電車を降り、反対方面の各駅停車に乗り換えることに決めた。その間も耳からスマホは離さない。慌てて電車から降りたため、二人分の傘を忘れてきてしまった。だがそんなこと、今はどうでもいい。
ホームに出て一度階段を駆け下り、また猛スピードで階段を駆け上る。こんなに走ったのは初めてかもしれない。とにかく沙綾を救うために夢中になる。僕がホームまで上がると、各駅停車が今まさに発車しようとするところだった。発車メロディーが鳴り響く。僕はスマホを片手に閉まるドアに駆け込む。
ギリギリ車内に滑り込み、僕は安堵する。すぐに電車が走り出す。幸いこの車両には僕以外乗っていなかった。
『駆け込み乗車は大変危険ですからおやめください』
自動アナウンスのあと、車掌さんが僕の行為を咎める。普段なら恥ずかしさで電車を降りたくなるだろうが、今は違う。車掌さんの言葉は耳を筒抜け、僕は一刻でも早く沙綾のいる駅へ急いでくれるよう願う。さっきまでと景色が反対向きに流れる。快速電車の車内から、置いてきぼりした沙綾の顔が頭をかすめる。僕より優秀で、僕に冷たくて、ついつい妬んでしまう沙綾。でも本当はストイックで、努力家で、兄貴思いの一面もある妹の沙綾。どうか神様、沙綾を助けてください。僕の人生なんてどうでもいいですから。
雨も風も一層強くなったころ、あまりにも長すぎる一駅間が終わった。
『この駅で快速列車の通過待ちをいたします。発車までしばらくお待ちください』
車掌さんのアナウンスのあと、扉が開いた。僕はホームに飛び降り、急いで沙綾を探す。ホームの先頭車側の一番端にぽつりと人影が見えた。沙綾に間違いない。僕は車両の後方側のホームから沙綾に向かって走り出す。
≪まもなく、2番線を快速列車が通過します。黄色い線までお下がりください≫
自動アナウンスが響くと共にホーム先頭の人影が黄色い線をまたぐのが見える。沙綾はこの電車に飛び込むつもりらしかった。僕の全力疾走も虚しく、快速電車がとんでもないスピードで駅に入ってくる。台風の影響で受けた遅れを一秒でも取り戻そうと必死なのだ。しかも強くなった雨と風で運転手からの視界は最悪だろう。鈍い轟音を掻き立てて僕の真横を走り抜けていく。
次の瞬間、沙綾はホームへと身を投げた。ブレーキ音が無人のホームにこだまする。僕は雨水に足を滑らせて転び、顔面を強打する。血の味の混じった雨水と若干の砂が唇から入ってくる。間に合わなかった。沙綾は電車に轢かれてしまった。
痛みと悔しさで声を上げた時、僕以外の音が聞こえないことに気づいた。顔を上げると砂時計が、目の前でひっくり返っていた。時間が止まったのだ。よく見ると電車はギリギリ沙綾のいた場所までたどり着いていない。僕は神様と砂時計に感謝した。僕にはまだボーナスタイムがある。
倒れたままの僕の横を、ヨスガが白いワンピースを雨粒で汚しながら全速力で駆けていった。
「何やってるんですか、急いでください!」
僕は砂時計を手に取って、起き上がるとヨスガを追いかけた。チャージに使った時間が短いため、すぐに時間が動き出してしまう。急がなくては。砂はもうほとんど丸底に落ちかかっている。
ヨスガと僕はホームの先頭に立ち、すぐに線路へと飛び降りる。横向きに倒れた沙綾が、枕木の上で最後の瞬間を受け入れるかのように目を固く瞑っていた。
「沙綾!」
僕は妹を見るなり思わず叫んだ。肩から下げた一眼レフはレンズが割れ、もう使い物にはならさそうだ。それでも沙綾は生きていた。顔は傷まみれで、びしょびしょに濡れていて、足からも血が流れている。それでも生きていた。僕は嬉し涙を流しながら、沙綾の肩に腕も通して持ち上げる。ヨスガも沙綾の足を持ち、2人で隣の線路まで運んだ。その時だった、砂がすべて丸底に落ち切ったのは。
途端に爆音が響いて隣の線路を重い車輪が貫いていった。僕は体中の力をすべて出し切り、さらに隣の線路からホーム下の退避スペースまで沙綾を運んだ。ヨスガはもういない。僕の腕だけで沙綾を雨の当たらない場所まで引き入れる。
安全になったところで、僕は沙綾を抱きしめていた。
「沙綾! よかった、本当によかった……」
沙綾が静かに目を開ける。
「……あにき?」
僕を見てそう呟いたあと、安堵とも絶望ともとれる顔をして
「なんで? なんでよ」
と優しく僕に抱き着いた。沙綾の涙腺が静かに崩れていく。大雨の中、2人だけの退避スペースで、僕ら兄妹はしばらく抱き合って大声で泣いた。何年間にもわたる確執も、昨日の喧嘩の傷もこの雨と涙がすべて洗い流してくれるような気がした。
☆☆☆
どれくらい経ったかはわからない。駅員さんの
「大丈夫ですか?」
の声と懐中電灯の明かりで僕らは我に返った。体中汚れまみれで、切り傷もところどころにあったが、僕と沙綾は台風が接近したその日、奇跡の生還を果たした。僕の足元には横倒しになった砂時計が転がっていた。
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