ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

23. 街の変化

 鈍色の空の下、今日も僕は写真撮影を口実にヨスガを連れ出した。まず目指したのは、初めて時間を止めて写真を撮ったドッグランのある大きな公園だった。電車で20分とちょっと。時間を動かし、二人分の傘を持って電車に揺られる。雨の日の空いている車内で僕は傘を足の間に挟むと、日本史の教科書を開いた。目的地に着くまでの車内は集中力を保つのに最適な環境だった。座席に腰掛け、ガタンゴトンと揺られながら日本史という小説の続きを読んだ。程よい揺れと雑踏が僕に時間を忘れされた。この勉強方法も、電車の中も僕に合っている気がする。


☆☆☆


 雨の日の公園はやはり空いていた。噴水の音が雨音と混じり、独特なリズムを奏でている。芝生広場のほうを見渡すと傘を差した人影が三つほど、緑の野に咲く花のようにぽつりと立っていた。こんな雨も風も強い日に公園に行こうなんて考える人間がいるのは少し意外だった。
 砂が溜まっているのを見つめながら、僕は時を止めた。例によって雨粒は空中で静止し、雨音と噴水が混じった独特なリズムも鳴りを潜める。ヨスガは僕の脇に立っていた。閉じられたもう一本の傘を、僕は彼女に差し出す。


「行こう」


「前にも来ましたね、ここ」


ヨスガは傘を開きながら言った。あの日とは随分と雰囲気が違うのに、僕はヨスガがすぐに再訪だと気づいたのに驚いた。


「よく覚えてるな」


「もちろんです。この公園、私のお気に入りですから。水飲み場の水が冷たくて美味しかったです」


☆☆☆


 僕とヨスガは傘を前に向け、以前二人で歩いたコースを散歩した。水飲み場やドッグランの横を、雨粒のカーテンを切り開きながら進んでいく。僕らの足音と傘の上で雨粒が潰れる音だけが耳に入る。


「ここ建て替えちゃうんですね……」


 ドッグランの横を通り過ぎた時、ヨスガがふと寂しそうな余韻を残してつぶやいた。よく見るとドッグランの入り口が封鎖され、簡易的なゲージで囲われた臨時のドッグランが隣にできている。老朽化による公園の改修工事の一環でここも作り直すらしい。


「まあこの辺りだと、まだ使えそうなのに建て替えるなんてさほど珍しくないさ」


 ヨスガの寂しそうな余韻を引き継いで、僕は答えた。この街は常にどこかを作り直している。直す必要なんかどこにもないはずなのに、少し見ない間に街の細部が、しれっと変わっていたりする。何かに追われるかのように街は変化を続けている。


「それはわかっているんですけど、なんか嫌なんですよね。この街は、まるで変わらないことが悪い事かのように、まだ使えるものを建て替えて常に変化を続けています。街並みだけじゃなく言葉も流行も、人の考え方でさえも時が流れれば変わっていきます。その流れについていくには自分自身も変わらなければいけない、でも私はそれが嫌いです」


 僕はヨスガの話を聞きながら、あの夏の日の綾野先輩の言葉を思い出していた。二つの「変化」。「変わる」と「変わっていく」。能動的な変化と受動的な変化だ。


「でもこの街で生きるためには、流れに合わせて変化を続け、居場所を作っていくしかない」


 ヨスガの言葉を反芻するように、そして自分自身に言い聞かせるように僕は言った。


「そうですよね。だから私はこんな仕事を選んだんだと思います」


 寂しさの余韻を残しながら落ち着いた声でヨスガは続けた。


「この仕事を続けている以上、私は私であり続けることができるんです。高校生だからこうありなさいとか、娘だからこうしなさいとか、今は真面目な話をする場だからとか。普通の人はそういった役割や空気感に合わせて、偽りの自分へと変わっていかなければなりません。しかし時間や社会から切り離された私は、変化することなく私であり続けることができます。まさに天職だと思っています」


 ヨスガもまた、僕と同じ考え方をしていた。自分を変えないまま、誰かから頼られたい。自分の居場所を作りたいのだと。
 同時に僕は、彼女が僕の助けを求めているという淡い期待を失った。無意識のうちに、僕はヨスガをこの呪われた時間停止の運命から解放してあげたいと思い始めていたのだ。もっともこの考えは彼女と一緒にいたいという僕のエゴから生まれたものだったのだが。ヨスガは現状に満足していた。


「ちょっとヨスガの仕事が羨ましく思えたよ。僕も居場所を求めて変化し続けるのはあまり得意じゃない」


「じゃあソウタさんも一緒に働きますか?」


 からかうような声でヨスガに言われて、僕は少し躊躇する。


「ふふふ、冗談ですよ。観察官の募集定員はもう埋まっちゃってます」


 僕が躊躇した間をヨスガが埋めた。その声は寂しくも悪戯っぽい。僕は今の質問に即答できなかった理由を必死に探していた。瞬時に沙綾の泣き顔と小林の笑顔が出て、言葉を飲み込むように納得した。





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