ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
21. 長い一日の終わり
夏の長い昼が終わり、ちょうど夜が訪れた時刻だった。僕は小林と別れると、最寄り駅の改札から家へ向かって駆けだした。帰宅ラッシュの時間帯ということもあり、駅前は混雑している。早く人から見えないところまで行って、時間を止めてヨスガに会わなければ。人の流れに飲み込まれて、足が少し遅くなる。空が紫色に染まり、街灯が光始める。
急いで早歩きになっていた僕の横を、さらに急いで歩いていく人影が追い抜いた。見慣れない名門高校の夏服にポニーテール、両脇にはカメラと三脚を抱えている。沙綾だ。僕は無視を決め込んでいたが、沙綾の頬に涙が流れているのを見てしまった。悔しそうに顔を歪ませ、人目を気にすることなく泣きながら歩き去る。僕は居ても立っても居られなくなって沙綾を呼び止めた。
「おい、沙綾、大丈夫か? どうしたんだ?」
沙綾は一瞬振り返って僕を見た。そして見られたと言わんばかりの顔をすると、僕に返事をすることなくそのまま走り出した。沙綾のあんな顔、僕は初めて見た。きっと尋常じゃない事態に違いない。僕は走る沙綾を追いかける。
「ついて来んなよ!」
人影が少なくなった路地裏まで行き着くと、沙綾が泣きながら小さく叫んだ。そして足を止める。
「ごめん……」
僕は戸惑って沙綾に歩み寄る。こんな強い言い方をされたのは初めてだ。涙で震える肩には名門校の制服は似合わない。
「ほんと肝心な時には来ないくせに、こういう時に限って……」
涙をすすりながら、沙綾は微かに呟いた。「限って」の先は声が掠れて聞こえなかった。
「昨日は悪かった。ほんとごめん」
僕が謝ると、沙綾は振り向くことなく歩き出した。
「それは別に怒ってない」
早足になって僕も追いかける。
「じゃあどうしたんだ?」
「言いたくないし、話したところでどうにもならないから言わない」
いつもの僕ならここで引き下がっただろう。だが今日はヨスガに頼られて、小林と話し込んだことで無駄な自信がついていた。泣きじゃくる妹に小学生以来の「兄貴面」をする。
「どうにもならないかなんてわからないだろ。僕は沙綾の力になりたいんだ」
「こんな時にだけ兄貴面しないでよ!」
今度は大きな声で沙綾が叫んだ。僕は驚いて足を止めた。
「兄貴には絶対私の気持ちなんかわかんない。いつも遊んでばっかりで、部活も勉強も何一つ努力しない。今日だってこんな時間まで何してたの? 受験生でしょ」
これが沙綾の本音かと僕は思った。兄妹間の不和が一気に爆発した気がした。沙綾の言っていることは正論でしかない。僕は駄目な兄だ。そんなこと言われなくたってわかっている。
「僕だって頼られるために必死になって頑張ってるんだ。お前はいいよな、優秀でさ! どうせ僕のことを見下してるんだろ」
ついかッとなってダサい部分が出てしまう。沙綾が陰ながら努力していることを思い出し、すぐに後悔をした。もし砂時計が時間を止めるのではなく、戻すことができたならば僕は迷わずここで使っただろう。沙綾は何か言おうとして、そのまま走り出した。僕はもう追いかける気力をなくしていた。初めての兄妹喧嘩。心にぽっかりと穴が開き始める。その穴がどんどん深く大きくなっていく。どうして僕はいつまで経っても出来損ないなんだろう。沙綾はもう遥か先へ走り去ってしまった。時間を止めればこの差は埋められる。だが僕には使う気にはなれなかった。
☆☆☆
僕が家に帰るころには、沙綾は部屋に籠ったようだった。妹の涙の理由を僕が知るのはもう少し先である。両親は明らかに沙綾を心配していた。特に母は泣きながら帰ってきた優秀な妹に気が気ではない様子で、珍しく母が沙綾の部屋に入っていくのを見た。
食事を済ませ、シャワーを軽く浴びて自室に戻った。僕は部屋の明かりも点けずにベッドに横になる。充実した一日が、さっきの一件で変わってしまった。僕は心に空いた穴を埋めるため、今日撮った写真たちをインスタとTwitterに上げた。真っ暗な部屋にスマホの画面だけが煌々と光っている。イルカショーに回遊魚、ひまわり畑。どれも自信作ですぐにいいねやリツイートが集まった。画面を埋めていく通知をしばらく何も考えずに眺めた後、僕はスマホを手放した。代わりにズボンのポケットから砂時計を探り出す。
ヨスガの顔が一瞬浮かんで、砂をチャージしたまま枕の脇に置いた。時間を止めてヨスガに会おうと思っていたが、気分が沈んでいたのと疲れから僕は時間を止められなかった。無意識のうちに僕は眠りについていた。
☆☆☆
その日の夜、こんな夢を見た。茜色の光に僕が目を開けると、白いワンピースを着た少女がベッドのわきに座り込んでいる。顔は見えないがヨスガだとわかった。僕は寝ている間に砂時計を誤って倒してしまい、誤作動で時間が止まったのだと思った。何か話そうと思ったが、ヨスガはスマホに向かって文字を打っているようだったのでやめた。特に話すこともないし、疲れが限界に来ていてとにかく眠い。僕はそのまま目を瞑り、眠りについた。
暗い瞼の奥で、綾野先輩の匂いがして目が覚めた。ヨスガではない。それは確かに綾野先輩の匂いだった。目を閉じたままでいると、音を失った世界で微かな吐息だけが聞こえてくる。それに混じって
「……ソウくん」
と綾野先輩の声で呼ばれた。そうして誰かが僕の手を握った。身長の割には小さく、僕の手よりもはるかに小さい手に思えた。
急いで早歩きになっていた僕の横を、さらに急いで歩いていく人影が追い抜いた。見慣れない名門高校の夏服にポニーテール、両脇にはカメラと三脚を抱えている。沙綾だ。僕は無視を決め込んでいたが、沙綾の頬に涙が流れているのを見てしまった。悔しそうに顔を歪ませ、人目を気にすることなく泣きながら歩き去る。僕は居ても立っても居られなくなって沙綾を呼び止めた。
「おい、沙綾、大丈夫か? どうしたんだ?」
沙綾は一瞬振り返って僕を見た。そして見られたと言わんばかりの顔をすると、僕に返事をすることなくそのまま走り出した。沙綾のあんな顔、僕は初めて見た。きっと尋常じゃない事態に違いない。僕は走る沙綾を追いかける。
「ついて来んなよ!」
人影が少なくなった路地裏まで行き着くと、沙綾が泣きながら小さく叫んだ。そして足を止める。
「ごめん……」
僕は戸惑って沙綾に歩み寄る。こんな強い言い方をされたのは初めてだ。涙で震える肩には名門校の制服は似合わない。
「ほんと肝心な時には来ないくせに、こういう時に限って……」
涙をすすりながら、沙綾は微かに呟いた。「限って」の先は声が掠れて聞こえなかった。
「昨日は悪かった。ほんとごめん」
僕が謝ると、沙綾は振り向くことなく歩き出した。
「それは別に怒ってない」
早足になって僕も追いかける。
「じゃあどうしたんだ?」
「言いたくないし、話したところでどうにもならないから言わない」
いつもの僕ならここで引き下がっただろう。だが今日はヨスガに頼られて、小林と話し込んだことで無駄な自信がついていた。泣きじゃくる妹に小学生以来の「兄貴面」をする。
「どうにもならないかなんてわからないだろ。僕は沙綾の力になりたいんだ」
「こんな時にだけ兄貴面しないでよ!」
今度は大きな声で沙綾が叫んだ。僕は驚いて足を止めた。
「兄貴には絶対私の気持ちなんかわかんない。いつも遊んでばっかりで、部活も勉強も何一つ努力しない。今日だってこんな時間まで何してたの? 受験生でしょ」
これが沙綾の本音かと僕は思った。兄妹間の不和が一気に爆発した気がした。沙綾の言っていることは正論でしかない。僕は駄目な兄だ。そんなこと言われなくたってわかっている。
「僕だって頼られるために必死になって頑張ってるんだ。お前はいいよな、優秀でさ! どうせ僕のことを見下してるんだろ」
ついかッとなってダサい部分が出てしまう。沙綾が陰ながら努力していることを思い出し、すぐに後悔をした。もし砂時計が時間を止めるのではなく、戻すことができたならば僕は迷わずここで使っただろう。沙綾は何か言おうとして、そのまま走り出した。僕はもう追いかける気力をなくしていた。初めての兄妹喧嘩。心にぽっかりと穴が開き始める。その穴がどんどん深く大きくなっていく。どうして僕はいつまで経っても出来損ないなんだろう。沙綾はもう遥か先へ走り去ってしまった。時間を止めればこの差は埋められる。だが僕には使う気にはなれなかった。
☆☆☆
僕が家に帰るころには、沙綾は部屋に籠ったようだった。妹の涙の理由を僕が知るのはもう少し先である。両親は明らかに沙綾を心配していた。特に母は泣きながら帰ってきた優秀な妹に気が気ではない様子で、珍しく母が沙綾の部屋に入っていくのを見た。
食事を済ませ、シャワーを軽く浴びて自室に戻った。僕は部屋の明かりも点けずにベッドに横になる。充実した一日が、さっきの一件で変わってしまった。僕は心に空いた穴を埋めるため、今日撮った写真たちをインスタとTwitterに上げた。真っ暗な部屋にスマホの画面だけが煌々と光っている。イルカショーに回遊魚、ひまわり畑。どれも自信作ですぐにいいねやリツイートが集まった。画面を埋めていく通知をしばらく何も考えずに眺めた後、僕はスマホを手放した。代わりにズボンのポケットから砂時計を探り出す。
ヨスガの顔が一瞬浮かんで、砂をチャージしたまま枕の脇に置いた。時間を止めてヨスガに会おうと思っていたが、気分が沈んでいたのと疲れから僕は時間を止められなかった。無意識のうちに僕は眠りについていた。
☆☆☆
その日の夜、こんな夢を見た。茜色の光に僕が目を開けると、白いワンピースを着た少女がベッドのわきに座り込んでいる。顔は見えないがヨスガだとわかった。僕は寝ている間に砂時計を誤って倒してしまい、誤作動で時間が止まったのだと思った。何か話そうと思ったが、ヨスガはスマホに向かって文字を打っているようだったのでやめた。特に話すこともないし、疲れが限界に来ていてとにかく眠い。僕はそのまま目を瞑り、眠りについた。
暗い瞼の奥で、綾野先輩の匂いがして目が覚めた。ヨスガではない。それは確かに綾野先輩の匂いだった。目を閉じたままでいると、音を失った世界で微かな吐息だけが聞こえてくる。それに混じって
「……ソウくん」
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