ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

18. ひまわり畑

 水族館からの帰り道。僕は砂時計を握りながら電車に揺られていた。あの告白の後、僕はもう一度時間を止めて、2人だけの水族館を楽しんだ。僕は表向きは写真撮影が目的なので昼前には切り上げて、どこか別の場所を目指すことにした。
 人のまばらな車内で、僕は砂時計を見つめた。ヨスガはこの間も時間に置いて行かれたまま、永遠とも思える時を過ごしている。砂が早く溜まればいい、なんて願いに反して砂は一粒ずつゆっくりと丸底に落ちていく。チャージの間だけ、僕は一人ぼっちに戻る。
 僕は砂時計から目を離し、車窓を眺めながら学校のことを思い出していた。夏休みが明ければ、僕はまた「いないもの」に戻るのか……。いや違う。僕は期末テストで絵里香を蹴落とし、秀才キャラになったんだった。
 秀才「キャラ」か……。二学期になれば夏休み明けの小テストもある。点数が大幅に下がれば前回のテストがカンニングだと疑われるのは明白だった。おまけに絵里香に会えば、彼女はまた難詰するだろう。今度は砂時計を使って逃げるわけにもいかない。
 これまで何の努力もせず、自分を変えることなくヒーローになることを夢見てきた僕が、人生で初めて変わろうとし始めた。秀才キャラではなく、本物の秀才を目指そう。少なくとも絵里香から詰められて答えられないのは避けよう。そうすれば僕は能力を失ってもクラスで居場所を失うことはない。自己保身からきた焦りもあったかもしれないが、僕はこの時、テスト勉強する決意を固めた。
 何気なく車窓を眺めていると、一面黄色に染まったひまわり畑が現れた。何度か使ったことのある路線だったが、こんな場所があるとは知らなかった。とりあえず今は学校のことは忘れよう。それよりもヨスガに見せたい景色がある。もう少しで砂のチャージが完了する。僕は次の駅で降りることを決めた。


☆☆☆


 背の高いひまわりが青空の下、あたり一面に咲き誇っていた。小さな駅と街だったが、このひまわり畑だけはそれなりに有名らしく、満開となった今は観光客であふれていた。都会と変わらない雑踏が本来静かであろう田舎の光景を穢していく。
 僕は畑の入り口で砂時計をひっくり返し、時間の速度を反転させた。途端に静寂が訪れ、本来の姿が戻ってきた。風の音すら聞こえないひまわり畑にヨスガと二人きりである。


「……こんな場所。あったんですね」


 ヨスガは咲き誇るひまわりを見て、僕と同じリアクションをした。


「奥までいこう」


 僕はヨスガを連れて、ひまわり畑へ入る。背の高いひまわりは僕らの姿を外から隠してしまう。畑の真ん中まで来ると周りをすべてひまわりに包まれる。
 僕はスマホを取り出すと、この美しい情景を撮りはじめた。青空にひまわりの黄色が映える。水族館とは違った趣がここにはある。ヨスガもスマホを出し、そんな僕の姿の撮影を始めた。風も音もない静謐な空間だったが日差しだけがやけに強い。正午を回った太陽は最強だ。時間を止めても気温だけは変わらない。暑さでどうにかなりそうだった。
 それはヨスガも同じように見えた。彼女もさすがに暑いのか中高一貫校のブレザーを脱ぎ、制服のシャツ一枚になっている。それでも膝下までのスカートは熱が籠って暑そうだった。Tシャツに七分丈のズボンという暑さ対策万全でここにいる僕は、そんなヨスガの姿が気になって仕方がない。これまで幾度となく時間を止めているが、ヨスガは常にあの制服を着ている。僕にはそう見えているだけで本当は別の姿をしていると頭の中で分かってはいたが、僕にはヨスガがあの制服を実際に着ているとしか思えてならない。


 予定変更だ。僕は時間を動かすとひまわり畑から数駅先のショッピングモールまで移動する。クーラーの効いた店内で砂時計を傾け、時間を止めた。


「あれ? ひまわりはもういいんですか?」


 場所がいきなり移動したので、ヨスガが不思議そうな顔で問いかける。


「うん、気が変わったんだ。ヨスガ、僕と取引しよう」


「取引ですか?」


ヨスガは怪訝そうな目で僕を見つめた。


「ああ、僕がヨスガに夏服を何着かプレゼントする。代わりに初めて会った日の、あの、『例の動画』を消してくれないか?」


こう言わないとヨスガは夏服に着替えてくれないような気がした。少し戸惑った後、ヨスガは頬に笑窪を作る。


「ふふっ、面白いですね。あの動画結構気に入っているんですが、いいですよ。取引成立です」


 ヨスガはすんなりと僕の取引を承諾した。ヨスガの姿は見る者によって変わるはずなのに、「着替える」というありえない行為に対して彼女は何も言わなかった。僕もその矛盾に対して、不思議に思いもしなかった。



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