ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

12. 沙綾

 その日の夕食も沙綾と二人きりだった。チャージが完了した砂時計を見つめて、僕がリビングのソファーで考えを巡らせている間に沙綾が生姜焼きを作ってくれた。


「……できたよ」


 ソファーで寝そべる僕に沙綾がボソッと声をかける。怠惰な兄を軽蔑するような声にも聞こえる。食卓には4人分の生姜焼きが並ぶ。うち二つはラップがかけられていた。


「「いただきます」」 


いつも通りの気まずい沈黙が流れる。 僕は沈黙に耐えられず、無意識にテレビをつける。芸能人を落とし穴に落とすというくだらないバラエティ番組。こんな低俗な番組、きっと沙綾には合わないのだろう。見向きもしないで、スマホに夢中になっている。


「チャンネル変えていい?」


沙綾はスマホを持ったまま、リモコンに手を伸ばす。僕に拒否権はない。


「うん」


俗な笑いは鳴りを潜め、知的なナレーションとBGMが現れる。


《……環水平アーク。先月下旬、都内で初めて目撃されました》


どうやら虹の種類やメカニズムを解説する教養番組らしく、環水平アークや下部ラテラルアークといった聞きなれない言葉が流れる。僕には何が何だかさっぱりわからない。
沙綾は画面に釘付けになり、熱心にスマホでメモを取っている。食卓には教養番組の退屈なBGMだけが流れる。


「……勉強熱心だな」


僕は思わず呟いた。悪意は全くなかったが、まるで皮肉を言ったようなってしまった。
沙綾が無言で僕を見た。そして再びメモを取り始める。またやってしまった。僕が後悔していると、沙綾が口を開く。


「写真を撮るのに必要なの。虹って好きな時に好きな場所に出てくれるわけじゃないから、こうやって観測条件をメモしておいて、現れそうな天気の日に出かけて待ち構えなきゃいけないの」 


僕は素直に感心した。沙綾はやっぱり努力家なのだ。


「この環水平アークってやつが現れた時、カメラ持ってたのに一枚も写真撮れなくて、それが悔しくて」 


今日初めて沙綾は僕と目を合わせる。沙綾は続けた。


「写真って、撮りたいと思った時にはもう撮りたい画がなくなってしまうことが多いから。私は待ってみることにした」


沙綾の目には情熱と野心が宿っていた。僕はその瞬間はっと気づいた。そうだ。「写真」だ。写真家がシャッターを切る「一瞬」も、時間を止めてしまえば「永遠」になる。様々な角度からより良い瞬間を吟味することができる。それにマジックやスポーツなんかと違って、写真は作品として形が残る。能力を失っても、良い作品を残せれば僕の一枚は永遠に評価されることになる。誰かを不幸にすることもない。


「そっか、頑張れ」


 沙綾の情熱に感心しつつ、僕が素っ気ない返事をすると


「……兄貴も頑張ってよ」


と沙綾が小さく呟く。僕は聞こえなかったふりをすると、食事が終わるまで沈黙がおりた。


☆☆☆


 自室に戻ると僕はさっそく写真の基礎を学ぼうと思った。だが沙綾から直接教えてもらう気にはなれない。時間を止めて、沙綾の部屋に侵入し、写真関連の本を拝借しようと考えた。
 部屋のベッドに座り、砂時計をひっくり返すと茜色の光とともにヨスガが現れた。僕は一瞬驚く。すっかり忘れていたが、これからは能力を使うたびに綾野先輩こいつが現れるんだった。
 僕はベッドの前に立つヨスガを凝視する。まるで綾野先輩が僕の部屋にいるみたいだ。別人だと分かっていても気分が落ち着かない。するとヨスガが


「……何見てるんですか?」


と僕を睨みつけた。


「あっ、いやなんでもない……」


照れを隠しながら、僕は妹の部屋へ向かった。ヨスガが後からついてくる。僕は横目でヨスガを見ながら、自分の綾野先輩への思いを恨んだ。よりによってなんで綾野先輩の姿なんだ。あれがマグロだったら、僕は全く気にすることなく時間を止められるのに。
 沙綾の部屋のドアノブをつかんで僕は少し考えた。思えば妹の部屋なんてもう何年も入っていない。写真関連の本はリビングでよく読んでいるので存在だけは知っている。だがどこにあるのかはわからない。いろいろ探しているうちに僕は見つけたくもないものを見つけてしまうのが怖くなった。たとえば彼氏からの手紙とか……。


 思考を巡らしていると、背後にいるヨスガが軽蔑の眼差しを向けていることに気づいた。絵里香の時と同じ眼だ。僕が可愛い妹に手を出すとでも思っているのだろうか。
 視線は気になるがとりあえず無視して、沙綾の部屋に入った。インテリアが黒系でまとめられた落ち着いた部屋だった。壁には現像された彼女の写真が飾られており、とても女子高生の部屋には見えない。デザイナーさながらである。
 沙綾はデザイナーが使うような大きめの勉強机に伏して眠っていた。英語の教科書とノートが開きっぱなしだ。きっと勉強中に寝落ちしてしまったんだろう。秀才は陰ながら凄まじい努力をしている。
 本棚もかなり整頓されており、お目当ての本たちをすぐに見つけることができた。僕は写真の入門書3冊を手に取り、部屋をあとにする。沙綾を起こさないように忍び足になったが、今は時間が止まっているのだ。彼女が起きるわけがない。


 ふと沙綾の机の上を見ると、お気に入りの写真たちが額に入って飾られているのが目についた。コンクールで賞を獲った写真。中学の部活メンバーとの写真。虹や花火の写真もある。僕はその真ん中に古い写真が飾られていることに気づいた。
 幼いころの僕と沙綾の写真だった。公園の砂場だろうか。泥だらけになりながら二人でピースしている。お互い肩を寄せ合い、仲睦まじい兄妹の姿が額縁の中にある。
 僕はそれを見ると、沙綾のベッドの上にあったブランケットを手に取り、眠っている妹の肩にかけた。そうして彼女の頭を優しく一度だけ撫でる。ヨスガの視線が気になったので、そのままそそくさと部屋を出て、時間停止を解除した。ヨスガがついてきたかはわからない。ただ今すぐにでも一人になりたかった。





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