ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

6. ヒーローになるチャンス

 踏切を渡るたびに死を意識し始めたのはいつからだろうか。このまま立ち尽くして、警報機がなって、遮断機が下りて――。






 そんな妄想を頭に描きながらも、僕は今日も踏切を渡り切ってしまった。梅雨も明け、夏が近づいていた。「いないもの」の一日は今日も何もないまま終わろうとしている。
 いつも通り自宅の最寄り駅で降りて、踏切を渡りきると沙綾からLINEがきていた。


『ごめん今日部活の打ち上げがあって夕飯作れない』


『母さんと父さんも飲み会で遅くなるみたいだから、外でなんか適当に食べて』


僕は


『了解』


と返信する。打ち上げか、楽しそうだなと僕は思った。高校生っぽい。適当にコンビニでカップ麺でも買って家でアニメを見ながら食べようか。そう僕が思っていると、聞き覚えのあるようなセリフが耳をかすめた。


「おっせーぞ、ユウキ!」


 近所の小学生がランドセルを3つ持たされていた。少し先には何も持ってない三人の少年がいる。いつかの自分と同じような境遇だった。
 僕は一瞬、戸惑った。この子にとっての綾野先輩になれるチャンスが巡ってきたのだ。だが躊躇した。小学生を高校生が叱りつける。傍から見たら可笑しな光景に見えるかもしれない。少年に声をかけようか迷っていると


「おりゃーああ」


と大きな掛け声とともに、少年は3つのランドセルを抱えたまま僕の横を駆けていった。そうして何も持たない3人とじゃんけんをして、今度は別の少年がランドセルを持たされる係になる。
 そこにいじめがあったわけではなかった。少年たちの背中は今の僕には輝いて見えた。


 僕はふと彼らの後を歩いていた。自宅とは逆方向。小学校の校区のあるエリアで、もう何年も歩いていない。
 河川敷まで来ると、空が茜色に染まっていた。堤防の上に立って、河原を見下ろす。このあたりが僕があの日、綾野先輩が出会った場所だろうか。あの日となにも変わらない穏やかな光景が広がる。
 そうだ。小学校へ行ってみよう。そう思ってそのまま散歩を続けると、綾野先輩の家の前を通り過ぎたことに気づいた。先輩の家は学校と僕の家のちょうど間にあった。商店街を抜け、一戸建てが多く立ち並ぶ地域だ。
 何度も行ったし、目立つ場所に建っていたのですぐに思い出すことができた。だが僕は先輩の家を見て言葉を失った。


『売物件』


と書かれた黄色い看板が先輩の家の柵に貼られている。庭は手入れされておらず、草が生い茂っていた。


 綾野先輩は引っ越したんだ。
 僕は理解するまでに少し時間がかかった。僕にとってのヒーローだった綾野先輩。初恋の人だった綾野先輩。いつかこの人のヒーローになりたいと願った綾野先輩は、もうどこにいるかすら分からない遠い存在になってしまった。


 日が落ちて夜になるまで僕は先輩の家だった場所で立ち尽くした。少しでも長く一人でいたくなって、気づくと僕は日の落ちた街を彷徨い始めていた。自宅とは正反対の方角へ。どうせ家に帰っても誰もいない。遅く帰ったって大丈夫だ。
 綾野先輩のこと。ヒーローになれなかった挫折感。居場所を失った情けなさ。将来への不安。小林くん。マグロ。妹の沙綾。そのどれもが渾然一体となって包み込み僕を穢していく。
 僕の居場所はどこにもない。誰にも認められず、誰からも必要とされない僕に、生きている意味はあるのだろうか。そんな疑問が浮かんでは消えていった。


☆☆☆


 随分と遠くまで来た。電車で帰っても30分はかかるだろう。グーグルマップを見て思わず絶望した。よくこんな距離を歩けたものだ。
 夜の住宅街は人もまばらで少し気が紛れた。帰らなきゃと思い線路を探す。しばらく歩いたところに踏切があり、線路伝いに行けば駅までいけることがわかった。


 踏切までいくと、後ろから追い抜こうとした自転車とぶつかりそうになる。スーパーの袋を籠に乗せた50代くらいの女性だった。働いたあと、買い物をしてこれから夕食でもをつくるのだろうか。僕はふと家族のことが恋しくなった。
 その直後に踏切の警報機がなった。自転車の女性はそのまま踏切を渡っていく。よく見る光景だが本当に危ない。僕は踏切を渡らず線路伝いに駅を目指そうと、道を曲がろうとしていた。


――ガシャン!


 途端に大きな音がして僕は踏切を見た。自転車の女性が転んだのだ。踏切の真ん中で自転車のタイヤが空回りしている。女性は足を捻ったらしく倒れたまま起き上がらない。
 そんな状況の中で遮断機は無情にも下りていく。この路線は踏切の手前でカーブしていて、かなり近づかないと運転手から女性は見えない。
 僕の胸は今までに経験したことがないくらい高鳴っていた。このままでは女性が轢かれてしまう。あたりを見回したが、閑静な住宅街だ。助けられる人は僕しかいない。
 ヒーローのなる、ならない。の話ではなかった。気づくと体が勝手に動いている。遮断機の中に入り、倒れこんだ女性に


「大丈夫ですか?!」


と声をかける。女性は顔をゆがめながら


「……押して、押して」


と訴えかける。僕は女性が線路外に体を押し出してほしいのかと思い、倒れている彼女の体に自分の体を重ねて線路の外へと押し込む。


「何やってるのよ! ……ボタンよ!早く!押して!」


 僕ははっとした。非常停止ボタン。トラブルの際に運転手に事態を伝えるボタンが踏切には必ずついている。まずそれを押してから女性に駆け寄るべきだった。相変わらずダサい奴だ。列車の近づく音が聞こえてくる。僕の鈍足ではもうボタンを押したところで間に合わない。


 ボタンを押しに行って女性が轢かれるか。僕が女性をこのまま押し出して轢かれるかの選択を迫られる。電車のライトが僕を照らす。僕に迷っている時間なんて残されていなかった。
 電車のブレーキ音と女性の叫び声が、二つしかない耳にこれでもかと流れ込む。小さい体からすべての力を出し切って、僕は女性を線路の外まで押し出す。その時にはもう電車は目前に迫っていた。さすがに怖くて目を瞑る。
 あの夏の日、綾野先輩の家での一日が走馬燈のように流れていく。


「ありがとうソウくん。今日のソウくんは私のヒーローだよ」


 警笛、悲鳴、ブレーキ音。雑踏の中で、僕の耳には綾野先輩の言葉だけがはっきりと聞こえていた――。









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