ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

1.綾野先輩

 幼いころから僕はヒーローに憧れていた。
 世界の危機に駆けつけるヒーロー。チームのピンチに逆転満塁打を放つヒーロー。解けないと思われていた超難問に颯爽と答えを導き出すヒーロー。どんな姿でもいい。ヒーローはかっこいい。誰もがそんなヒーローに一度はなりたいなんて思ったことがあるはずだ。
 でも実際は誰もがヒーローになんてなれるはずもなく、大抵の人間は凡人のまま一生を終える。


「それでいいんだ」


 人生を知った気でいる大人は「みんなのヒーローではなく、誰か一人のヒーローになればいい」と得意げに言う。でも僕にはそれすら難しい。


☆☆☆


 僕はいつも誰かに助けてもらってばっかりだった。
 小学生のころから身長が低く、運動も苦手だった僕はよくいじめられた。小学時代のヒーローはスポーツ万能で話が面白く、いつもクラスの中心にいるような、そんな奴だった。


「おっせーぞ、ソウタ!」


 夕暮れ時の堤防で、僕はいじめっこグループ3人分のランドセルを持ちながら下校していた。体育の駆けっこで一番遅い奴が下校時にランドセルを運ぶ。そんなくだらない賭けに負けた僕は、下校時に3つもランドセルを受け取った。小学4年の春、学習量も増えて一冊一冊の厚みが増した教科書。それらを詰めこんだランドセルは華奢な僕にとって1つでも重いものだった。


「…………うっせえ、ばーか……」


 催促するいじめっこに僕は小さい声で歯向かった。すでに50メートル以上離れている3人には絶対聞こえない声だ。身体は小さくてもこの頃は人一倍負けず嫌いだった。大人になれば誰もが憧れるヒーローになれるのだと信じていた。


「はやくしろよ!」


 いじめっこたちは道で拾った木の枝を振り回しながら叫ぶ。3人とも3年生までは仲の良い友達だった。体格差がでて、女子を意識し始める頃、クラスの男子の中にカーストが生まれる。ただ所謂スクールカーストほど複雑なものではない。「普通の奴」と「嫌な奴」と「ダサい奴」だ。
 僕はもちろんダサい奴だった。でも絶対認めたくなかった。ダサくていじめられっこだなんて。
 だから強がってしまった。隣町の中学生と喧嘩したとか、兄ちゃんがヤンキーだとか。ありもしない自慢話をクラスで言いふらした。今思えば虚言癖も甚だしい。そんな僕を当時のクラスメイトたちがいじめから救ってくれるはずもなかった。


「……ちくしょう」


 腕の筋肉が限界を迎え、僕は両手に抱えたランドセルを地面に置いて仰向けに倒れこんだ。背中には自分のランドセルが。胸の前にはもう一つのランドセルが小さい体にのしかかる。


「おい! ソウタ何やってるんだよ!」


 いじめっこたちが駆け寄ってくるのが見えた。僕を心配しているのではなく、ランドセルを汚したことを咎めるために走ってきていることは表情でわかった。
 ああ、またいつものように殴られる。思わず目を瞑りかけた時、赤いランドセルを背負った大きな背中が僕の前に立ちふさがった。


「君たち何組? 先生に言いつけるよ!」


 いじめっこたちが動きを止めた。彼らよりも一回り大きい女子生徒が僕の前に立っていたからだ。彼女は僕の体からランドセルを取り上げるといじめっこたち一人一人に手渡しで返した。


「……ごめんなさい。悪かったなソウタ」


 上級生にびびったのか、先生に忠告されることにびびったのかはわからないが3人は素直に謝ると


「……いこうぜ」


とそそくさと帰っていった。僕はまだ仰向けに倒れたままだ。


「大丈夫? 怪我はない?」


 彼女はこちらを振り返った。さっきまでの威勢とはかけ離れた落ち着いた声だった。最高学年、6年生の証の名札に『綾野』と書かれている。同級生の女子とは明らかに違う大人っぽい服を着て、前髪を赤いヘアピンで留めていた。肩まで伸びた髪が風になびいている。
 僕がなかなか立ち上がらないので、手を差し伸べてきた。頬が緩んで笑窪ができている。綺麗な人だなと僕は初めて思った。


「……じぶんで立てます」


 また強がってしまった。先輩の手を握ることなく自力で立ち上がって、身体についた砂埃を振り払う。先輩と向かい合うと身長差が一回りくらい違った。僕の頭がちょうど先輩の胸くらいだ。


「オレ空手やってて、ケンカになればあんな奴らなんか」


口から出まかせが出てしまう。何としてもいじめられっこの扱いは受けたくはなかった。先生や先輩から守ってもらうなんてまっぴらだ。今思えばこの人はそんな僕の思いを察していたのだろう。


「ケンカはだめでしょ」


と優しく諭した後、


「君が強い子なのは見ててわかったよ」


と言い、しゃがみこんで僕と同じ目線に立った。


「ほんとうに強い子は弱い子には手を出さないもんね」


 先輩の頬にまた笑窪ができた。僕はその言葉に涙が溢れそうになる。綺麗な人の前では泣くもんか。ヒーローは決して女の人の前では涙を見せないんだ。
 僕は黙って頷いた。続いて先輩も頷く。


「私6年2組の綾野夏帆あやのかほ。君の名前は?」


「4年1組、佐々良蒼汰ささらそうた


「そっか、よろしくね。ソウタくん」


 綾野先輩が手を差し伸べる。今度はしっかり握り返した。初めて握った先輩の手は身長の割には小さく、僕の手と大して変わらなかった。


☆☆☆


 綾野先輩は僕にとってのヒーローだった。いや僕だけじゃない学校中の憧れの存在だったはずだ。児童会長で成績優秀、スポーツは平凡だけど足は速い。そして何よりも美人だった。6年生の中でも人気者に見えた。
 あの日以来、綾野先輩は僕を気にかけてくれるようになった。今思えば児童会長もやっていたくらいだ。もともと世話焼きなタイプだったんだろう。
休み時間には児童会の先輩たちと僕のクラスの前を通ったり、放課後には一緒に帰ろうなんて声をかけてくれるようになった。
 そんな綾野先輩のおかげでいじめっこ3人が僕に近づくことはなくなった。それでも僕は相変わらずダサい奴のままだった。言いふらしはしなかったが綾野先輩の友達であることに優越感に浸っていた。誰からも頼りにされたことはないのに教室ではヒーローになった気分だった。





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