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ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

2. 二つの「変化」

 綾野先輩は僕のことを弟のように可愛がってくれる。だけど決して保護者扱いはせず、時には子供同士思いっきり遊んだ。
 忘れもしない、あれは夏休み初日、僕は初めて綾野先輩の家に呼ばれた。緊張しながらインターホンを押すと、綾野先輩は笑顔で僕を迎えてくれた。


「あ、ソウくんいらっしゃい」


ランドセルも名札もつけていない先輩はいつもより大人びて見える。白いパーカーにチェックのロングスカートを穿いていた。肩までの伸びた髪とトレードマークの赤いヘアピンは変わらない。


「お、おじゃまします」


綾野先輩の家はなんてことない普通の一戸建てだったが、僕は胸が跳ねるのを感じていた。リビングに入ると先輩の匂いがした。


「今日はお母さんも姉さんも出かけてるの」


 僕は少しドキッとする。そしてそのままリビングのカーペットの上に腰掛ける。


「麦茶かジュースでも飲む? 暑かったでしょ?」


「うん。麦茶がいい」


 少しすると先輩が二人分の麦茶をもってきた。初夏にしては暑い午後だった。でも綾野先輩の部屋はクーラーが効いていて涼しかった。
 僕が麦茶を飲み終えるのを待ってから


「ゲームでもしよっか!」


と先輩が誘った。
 家でゲームをして遊んだのも、部屋中クーラーがガンガン効いていたのも体の弱かった僕に対する気遣いだったのだろう。そんなことを当時は気づくはずもなく、ただただ2人きりで遊べる事が何よりも嬉しかった。
 僕と先輩はニンテンドーWiiの出たばかりのソフトで遊んだ。綾野先輩はゲームがあまり得意ではなく、僕のキャラが先輩のキャラを助けてばかりだった。いつもと立場が逆だ。


「ソウくんありがとう、助かったよ」


 綾野先輩に言われて思わず嬉しくなる。
 ついにラスボスまで来た。僕の家にもこのシリーズのゲームソフトがあり、それなりにやりこんでいたから、僕にとっては結構楽勝だった。綾野先輩のキャラを助けながら僕のキャラはラスボスを倒し、ゲームの中でヒーローになった。僕は世界を救い、そして綾野先輩を救った。


「やった!! 初クリアだ!!」


 大人びた風貌からは想像もできないくらい、綾野先輩は子供のように喜んだ。


「ソウくんのおかげだよ! ありがとう!」


「……へへへ楽勝だよこれくらい」


 僕は鼻をさすりながら答えた。
 この時の心地よさを一生超えることはないだろう。僕は今でもそう思っている。それまで助けられてばかりだった「ダサい奴」の僕が、憧れの先輩から感謝されたのだ。ゲームの世界の話でもこれは本当に嬉しかった。
 ただこれが最初で最後の経験になるとはこの時僕は思いもしなかった。大人になったらゲーム以外でもこの人に頼られたい。そんな思いを抱いていた。


☆☆☆


 ゲームをやめて二人だけの時間が来た。落ちてきた太陽が楽しい一日の終わりを告げていた。
 僕はこの時、綾野先輩に3つの思いを打ち明けることを決めた。一つは初めて出会ったときに助けてもらったことへの感謝。二つ目は先輩に頼らず強く生きていく決意。そして三つめは淡い恋心だった。
 僕が一つ目のありがとうを伝えると綾野先輩は黙って頷いてくれた。


「オレ、強くなりたい。誰からも頼られる強い大人になりたい」


 弱かった僕の大きな目標だった。それは決して強がりなんかではない。


「もし先輩が困ったら今度はオレが助ける」


それを聞いて綾野先輩は笑った。


「ありがとうソウくん。今日のソウくんは私のヒーローだよ」


冗談交じりではあったが、今でも僕の胸を貫き続けている一言だった。あまりの衝撃にしばらく沈黙がおりる。


「……でもソウくんは今でも十分強い子だよ、だって泣いてるところを見たことがないんだもん」


 沈黙を遮って綾野先輩が言った。強がっていた僕は涙を見せまいと必死にこらえることが多かった。でもこの時ばかりは嬉し涙が出そうになった。この人は本当に僕を認めてくれる。そう思った。


「オレ、先輩と離れたくない」


様々な思いが巡って、僕の口から弱音めいたものが自然と出てしまった。


「え?」


思わず先輩が聞き返す。


「……だって先輩、来年には卒業しちゃうんでしょ?」


「まあそうだけど、まだ早いよ、まだ7月だよ」


 8か月なんてあっという間だ。僕はそう思った。


「……私がいなくなったらまたいじめられるんじゃないかって不安なの?」


しばらく間があって先輩が聞き返した。語尾に笑いが混じっている。それもあるかもしれない。自分を守ってくれている憧れの先輩が小学校を卒業してしまったら、僕はまた一人ぼっちになってしまう。
 そんな不安な気持ちが綾野先輩への恋心の上に覆いかぶさる。「好き」という気持ちが繭に隠れて曖昧になる。それが嫌で


「そんなんじゃないけど」


と強がる。でもその先が出てこない。


「大丈夫だよ」


僕の言葉を遮って綾野先輩が言った。


「ソウくんにはちょっと難しい話になっちゃうだろうけど、人間ってさ、変われる生き物なんだ。ソウくんもこの数か月でとっても強くなったと思う。五年生に上がればもっと身長も伸びて強くなれるよ」


優しい声で先輩は続ける。


「それにね、変わっていくのはソウくんだけじゃない。同じクラスの子たちだって中学生に近づいていく。勉強もどんどん難しくなって、後輩もたくさんできて、大切なものや友情の形がちょっとずつだけど変わっていく。
 ソウくんみたいな子をヒーローだと慕ってくれる子が必ず現れる。だから心配しなくても大丈夫」


 先輩はこの時二つの「変化」を話した。「変わる」と「変わっていく」 同じように見えて全く違う二つの違いが僕はこの時わからなかった。
 今思えば、先輩は


「変わっていくクラスに合わせて、自分も変わっていく。そうすればみんなからは無理でも、誰かから頼りにされるヒーローになれる」


そんなことが言いたかったんだと思う。
 先輩自身も児童会活動や僕みたいな下級生を助けて、自分の居場所を作るために必死に頑張っていたのだろう。憧れの先輩は僕には見えないところで人知れず努力をしていたんだ。
 これは今思い出して初めて気づいたことで、この時の僕には何もしなくても誰かからは頼られる。そんな未来が約束されたと思い込んでいた。
 綾野先輩は大人だった。でも今から思えばただの子供だったのかもしれない。勘のいい子供。対して僕は今でも愚かな子供のままだ。


 5時のチャイムが鳴って僕は先輩の家を後にする。まだ日の明るい玄関で


「バイバイ、ソウくん。また遊ぼうね」


と頬に笑窪を作って先輩は笑った。


「うん、バイバイ綾野先輩」


 僕は手を振った。先輩への淡い恋心も、自分自身の身長が伸びて強いヒーローになれることも、時がたてば自然に叶う気がしていた。でもそれは永遠に叶うことはなかった。



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