遠未来でアラサー女剣士の弟子になりました

藤 夏燦

衝撃の結末

 息を荒らげたシラスナは動かなくなった影の王をしばらく見つめていた。その勝利に弟子であるホージロも嬉々とした表情をみせ、


「やった! 勝った」


と小さくガッツポーズをするとシラスナの元へ駆け寄った。


「やりましたね、シラスナさん」
「これで一人片付いたわ」


 シラスナはほっと肩を撫でおろすと、食堂の入り口に今更入ってきたアルトを睨んだ。


「次はあなたの番よ」


 アルトは驚いたような素振りを見せると、小さく鼻で笑った。


「まだ終わってないけど」


 予想外のアルトの返答に、シラスナとホージロが振り返ると、壊れた冷蔵庫の前の影の王が立ち上がっていた。さっきシラスナが斬りつけた箇所から火花が出て、体中がボロボロになっている。もうスクラップ寸前といっても遜色のない状態だった。


「まだ立ち上がるのかしら、しぶとい男ね」
「……うるさい」
「鼓膜を破ったはずなのに、聞こえちゃっているわね」
「テレパシーだ」
「なにそれ。くだらない」


 影の王は何も言わなかった。ただその目だけが違っていた。これまでの緑色から赤く暗く輝いている。その目はもはや剣士のそれではない、獲物を狩る時の獣の目をしている。


「何度も言わせないでよ」


 シラスナがそう言って前に踏み出した時、影の王はもう目の前にいた。


(さっきまでの動きとまるで違う!)


 シラスナが剣を構える前に影の王の細い針剣は彼女を切り裂いていた。だがその攻撃は先ほどまでの腱を狙った規則的なものではない。それは無造作でとてつもなく速かった。シラスナの足の肉が抉れ、骨がむき出しになった時、彼女は悲鳴を上げる。


「し、シラスナさん!」


 ホージロは今まで聞いたこともないシラスナの痛々しい悲鳴を聞いて、必死に分裂した刃を影の王のまわりに飛ばすが、彼にはその程度の攻撃など全く効いていないようだった。


「これが俺の相棒の本当の姿さ」


 アルトは慌てふためくホージロをよそに小さく呟いた。影の王は普段は冷静な剣士で殺し屋なのだが、ひとたび傷をつけられると邪気を開放し殺人マシーンとしての自分が現れる。こうなってしまったら最後、シラスナには勝ち目はない。影の王の細長い剣は誰にも見えない速さで動き、シラスナを斬り続けた。ホージロはなんとか彼女を助けようと剣を構えて影の王に体当たりをする。


「ぐはっ」


 影の王がよろめき、後退した隙にホージロは傷だらけのシラスナを救出する。その体は血まみれで、自慢の巻き髪はボロボロになってしまっている。服も大きく裂け、胸元が露わになりそうだ。シラスナは口から血を吐くと、愛刀を支えに両足で立ち直った。今のところ命には別条はないらしい。


「……ゆ、油断したわ。い、痛っ」


 息も絶え絶えにシラスナは口元の血を拭った。身体のあちこちが悲鳴を上げ始める。戦闘で負傷した経験の少ないシラスナは斬られ慣れていないのだ。


「シラスナさん、すぐに手当てを」


 ホージロが駆け寄ってきて、胸ポケットから応急キッドを取り出す。しかしこの傷だ。まずどこから手をつければいいのだろう。


「それよりも敵に」


 シラスナは喉から声を振り絞り小さく叫んだ。敵に気をつけるの。注意を逸らして。言おうとしたその言葉は声になることはなかった。


「もらったぞ」


 ホージロが振り返るのとほぼ同時に影の王はホージロを斬りつけた。ホージロの索敵能力をもってしてもその速度に反応すらできなかった。ホージロの体から青い血がほとばしる。


「お前は邪魔だ、そっちで寝てろ」


 そのままホージロの小さな体は影の王によって投げ飛ばされ、厨房のコンロの上に激しい音を立てて倒れこんだ。ホージロも全身に傷を負わされたようで立ち上がることすらできない。
 シラスナはホージロが投げ飛ばされている間に体勢を立て直し、二、三歩だけ後ずさりをした。無理、ここにいては殺される。いったん退避してまず傷を治そう。そう考えたシラスナは右手に持った『見えない剣』を左手に持ち替え、右手で剣先あたりをなにか操作した。絶体絶命の際、この剣には退避のための切り札がついている。それはこの剣がジェットパックとなり、使用者が握ったまま剣の上に乗って、遠くに避難できる仕組みだ。ただし剣の定員は一名。つまりシラスナかホージロのどちらかは逃げることができない。


(悪いわね、ホージロ)


 シラスナは倒れたまま動かないホージロを一瞥した。もう答えは聞かなくても決まっていたかもしれない。ホージロを置いて自分が避難する、シラスナはそういう女だった。自分がいなければ共存軍は戦争に勝つことでできないだろう。だから仕方がないことなのだ。あまりにも無情な選択にシラスナ自身も躊躇しないわけではなかったが、何度も自分にそう言い聞かせて、結局ホージロを見捨てた。
 冷酷で残酷な司令官のシラスナが剣を頭上に振り上げた時、彼女はひじに痛みを覚え、するすると手元から剣を床に落としてしまった。焦りながらも剣を拾おうと下を見た瞬間、シラスナは言葉を失った。


(剣が……見えない……)


 咄嗟に鼻を拭ったシラスナは血まみれになった手のひらをみて首筋が凍るのを感じた。するとホージロを片付けた影の王が赤い目で言った。


「お前の剣、そしてお前。本当によくできたコンビだ。人よりも嗅覚が鋭いお前は臭いで剣の居場所を特定していた。だからお前の鼻を奪ってやった」


 シラスナは恐る恐る鼻下に手を伸ばした。かつて鼻だった場所の肉がえぐり取られ、血で濡れた窪みに変わってしまっている。


「な、なんでそれが……」


 シラスナの最大の秘密。それは鼻だった。彼女は生まれ持った特異体質で嗅覚がはるかに優れていたのだ。それを利用し、『見えない剣を見る』ための手段としていた。剣に独特の香水をふりかけ、その匂いから場所を確実に判別していた。視覚上も、聴覚上も消えてしまっているインサイドステルスの剣では、匂いを嗅ぐことが唯一存在を確かめる方法であった。誰にも暴かれたことのないシラスナの秘密はこの男の前にあっさりと知られてしまった。


「アルトだ」


 影の王はアルトをゆっくりとみた。二人が戦っている間、ずっとアルトはシラスナの癖を分析していた。彼女がよく鼻下を触り、辺りを見ているのを彼は見逃さなかった。


「俺たちの脳は繋がっていてね。お互いのことが手にとるように分かるのさ」


 これが影の王とアルト、二人が最強と言われる所以だった。シラスナは走って逃げようとしてバランスを崩し、尻もちをつく。すぐに焦って、まるで眼鏡を落とした人のように手元の剣を探すものの見つからない。当然、鼓膜を破った影の王には見えており、シラスナの剣を足で遠くに蹴飛ばした。


「あっ、いやっ。殺さないで!」


 シラスナはよろけて床にうつ伏せに倒れこむと、手を頭の上にあげて少女のように命乞いをした。もう共存軍最強剣士の面影はどこにもない。無様で惨めな有様だった。影の王はその光景を見て自然と笑みがこぼれる。


「無理だな」


 無情にも影の王はそう言い放つとシラスナのお腹を細い針剣で貫いた。すぐにシラスナは痛みを覚えたがこれまでと違い腹からは一滴も血は出ていない。次の瞬間、シラスナの体は宙を舞い、続けて影の王も空中へ飛び上がる。


「最後に教えておこう。お前が生気だと思っていたもの、あれは邪気だ。邪気使いの俺には分かる」


 ただ恐怖と痛みに耐えていたシラスナは生まれて始めて絶望を味わった。深く瞼を瞑り、この絶望が過ぎるのを願った。だがそれが終わることはなかった。影の王は針剣を構えると、シラスナの手首や足の関節、皮下脂肪などを次々に斬っていった。不思議なことに血は一滴も出なかったが、シラスナは永遠の苦痛と痛みを感じ続けた。そして死は確実に近づいていった。
 ホージロが目を開けた時、影の王はシラスナを切り刻むのをやめた。代わってアルトが空中に飛び上がる。そして軽く彼女の眉間を剣で突いた。


「さようなら」


 次の瞬間、シラスナは粉々に砕け散り、赤い粉となって厨房に舞った。





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