五月の綿裏包針

紅城楽弟

五月十二日

 ●それでも富美山楓太は長峰美里に利用され続ける


 疲れが少し取れていた。いや、心の方はまだ少し辟易していた。
初対面の女性にあんなことをするのは楓太としては心外だったし、ある種後悔もしていた。
「(そんな俺ちゃんの心を癒すには……そう! これしかない!)」
楓太は意気揚々と待ち合わせの屋上に繋がる階段踊り場に行くと、彼女はその場で立っていた。
 下から見ても僅かに届かないスカートの中身に焦らされ、楓太は興奮気味に声を上げる。
「(むふふ! もうすぐあの、あの太ももから!)なっがみっねちゃーん!」
股間の膨らみを隠すことなく楓太は駆け寄ると、美里は有無も言わさずに冷徹な言葉を連ねた。
「富美山君。ごめんなさい。貴方に下着はあげられないわ」
「……はい?」
挨拶もなく急な展開に理解が及ばず、楓太は両手を広げたまま硬直する。すると、美里は楓太に今まで見せたことがない少し頬を紅潮させた表情で語り始めた。
「あのね、富美山君。私昨日、運命の……ふふ。こうやって口に出すと気恥ずかしいわね。でもそうとしか思えない素敵な人に出会ったの。あの人は私には及びつかないような考えと感性を持っている。何って言ったらいいのかしら……そうね……初、恋……してしまったの。そして決めたわ。あの人の為に綺麗な身体で居続けるって。いつあの人に会ってもいいように清廉潔白で居たいの! そのためにはもう富美山君の性のはけ口になる訳にはいかない……あ、でも私を自慰のネタにすることはいいのよ? 当然よ。だって私たち友達じゃない。そしてだからこそ私の気持ちは分かってくれるわよね? そして、富美山君なら私のこの恋を応援してくれるよね? そう! 本当!? ありがとう! やっぱり富美山君は最高の友達だわ! じゃあそう言うことだから! あ、この前のチョコバーのお代はまた今度で良いから!」
 言うだけ言って美里はスキップ交じりで意気揚々と階段を駆け下りていく。
そんな彼女の方を振り返ることなく、楓太は固まっていた。
そして彼女が恋愛モードに入ると饒舌になるということを楓太は初めて知った。


 ●橘騎壱は今日も悠々自適な生活を送る


 よく学園ドラマで屋上のシーンが出てくるが、実際は立ち入れないのがほとんどであり、美嶋高校も文化祭等のイベントを除けば例外ではない。
しかし、総務委員に伝手を持っている騎壱は、いつものように鍵を借りて出入りしていた。
そして、誰も来ないその一角は彼にとって貴重なプライベートスペースにもなっていた。
 心地よい日差しの中、アイマスクをして横になる昼下りは堪らない。
それは輝壱にとって大きな憩いの時間だった。
「優雅なもんね」
そんな憩いの時間に告げられた声に、輝壱はアイマスクを額に上げる。そこにはおおよそ先輩には見えないツインテールの似合う美少女、真理子が立っていた。
「あれ? 佳苗ちゃん先輩じゃないですか~?」
輝壱はニコニコしながら体を起こすと、彼女は不愉快そうに端末情報を見せつけてきた。
「何です? これ?」
そこに映し出されていたのは、美嶋高校からやや離れた町にある古びたマンションで起きた事件のニュースだった。不法滞在者、ホームレス、不良の溜まり場となっていたその場所で、大きな破裂音があり、最上階の六部屋の壁が貫通したように穴が開くという事件があったそうだ。
「貴方がやったの?」
真理子の問いに輝壱はケラケラ笑う。
「こんなこと俺が出来るわけないじゃないですか~」
「そう? ニュースの続きにはこうあるわ。現場に残されていたのは気絶した一人の女性。壁にもたれかかりながら倒れていた彼女の頭の上数cmを掠めるように穴が開いていた。幸い女性は無傷だったが、何も覚えておらず、記憶から完全に消去されるほどの衝撃を受けた可能性が高い。目撃者はマンション内を徘徊していた男性が一名。見慣れない男子高校生がいたという証言を残している。ですって」
真理子から改めて向けられる疑いの目に騎壱ははぐらかすように笑う。
「だからって何ですかぁ~? 男子高校生なんてこの国に何人いると思ってんですか~?」
「でも心当たりくらいあるんじゃないの?」
真理子のその言葉に、騎壱はニヤリと笑う。
「(まぁ一人だけ……あ、でも足立南斉って子を入れれば二人か。妹子ちゃんもお転婆だねぇ)」
騎壱はそれ以上その件を真理子に言うつもりはない。義理も義務もないからだ。彼は話したい相手に話したければ話すが、そのどれか一つでも欠ければ話す気などないのだから。
「それはそうと、佳苗ちゃん先輩だってあるでしょ~? IDOBAの中だけだけど仲良くしてた文化部筆頭部長が辞任するって聞いたけど、何かあったんですかね~?」
騎壱はお返しと言わんばかりにそう告げると、彼女は何も言わずにその場を去っていった。
 真理子の足音が遠のく中、騎壱は一つだけ純粋な質問を投げかけた。
「あ、佳苗ちゃん先輩。一個聞きたいんですけど、先輩って潤滑部?」
ストレートな質問に彼女は足を止める。そして一陣の風が吹くと、彼女のスカートが翻り、最早下着として機能していないような布が露わになった。
「てへっ! 違うよ? ちょーっとお手伝いはしてることになるけどね?」
彼女の嘘にまみれた笑顔を見て、騎壱は美嶋に入学したことを心から喜んだ。
 ●こうして四十物将生に心酔する者がまた増えた


 文芸部室の中では花子の嗚咽が入り混じった声が響いていた。恐らくIDOBAの中で生中継を見ている高岡と南砺も感無量の思いだろう。
「ひぐっ……うぅ……うぇ~ん」
「花ちゃん! 鼻水が出てる! 可愛いのが台無しだよ!」
隣に座る硝子からハンカチを受け取った花子は、涙を拭って鼻をかもうとしたが、そこまでお約束な展開をする前に理性が働いた。
彼女はテーブル上のティッシュを手にとると「チーン」と音を立てて鼻をかむ。
 二人が眺めるタブレットには生徒会長の四十物将生による会見映像が流されていた。僅か一学年違いにもかかわらず、その堂々とした姿は正にこの学園の皇帝に相応しかった。
「凄いねー四十物会長って。私も超常の力にさえ目覚めればきっと、そうだ、あの力をかけ合わせれば、でも待って? 無理な融合は空間に歪みを……」
「うん! ……うん!」
中二病の世界に入った硝子を気にも留めず、花子は未だにティッシュで鼻をすすりながらディスプレイの将生の言葉に大きく頷いていた。
          ◇
 約十分前、会見の始まりに広報委員の蜜柑=フランソワ・中橋という放送部の女子生徒がガチガチの口調で行った質問はいきなりのクライマックスのようだった。
「ぶ部費の削減はどうなるんんでひょか?」
噛みまくりのその質問に将生は彼の外見通りのよく通る勇ましく雄々しい声で答えた。
「削減はねぇっス。今回の事件で鏑木元生徒会副会長が損失させた部費については、生徒会の臨時特別予算から抽出するんで」
将生の回答を聞いて場内は騒つくと、新聞部の男子が挙手して質問を叫んだ。
「待ってください会長。そんな予算があるのなら何故初めから言わなかったのですか?」
彼の質問を皮切りに、記者に扮する美嶋の広報系を担当する生徒たちは一様に声を上げた。
「そうだ。今までの出来事は茶番じゃないか」
「まさか鏑木元副会長を生徒会から追い出すために今回の件を黙っていたんじゃないですか?」
「尾島会計の辞任届けも会長が誘導したなんて話もね」
会見場であるプレイルームと呼ばれる多目的教室内は今までになく騒めき、シャッター音が響き渡った。後で加工する機能がある為普段は無いのだが、写真部のこだわりから放たれるフラッシュのせいで将生は思わず目を細める。
 司会を務める広報委員会の生徒は狼狽えるばかりで、放送部や新聞部の記者たちはもはや司会など関係なしに質問を繰り出し続けた。
「四十物会長。まずはね。今回の一件が何故起こったかというのが問題なんですよ」
「生徒会に対する不信感が大きくなっているとは思っていますか?」
「これは我々が思う以上に大きな事件ですよ? 車谷元教諭が名誉棄損で訴えれば不利になるのは明らかにウチの高校でしょう?」
統率を失った記者たちはまるで雛鳥のようにまくしたて上げる。
 「落ち着いてください!」と叫ぶ司会を差し置いて、怒号交じりの声を上げる記者達の姿を見ていた将生は、頭をポリポリ掻いて溜息をつきながらスッと立ち上がると、急に自らの前にあった演説台に足を当て、音もたてずに天井近くまで蹴り上げた!
 時が止まったようだった……何しろ記者達から見れば、将生の前に置かれていた演説台が音もたてずに急に宙を舞ったのだから。
会見場は静まり返り、まるでスローモーションのように宙を舞う演説台を誰もが目で追っている。舞い落ちてきた演説台を将生は無重力空間のように音もたてずに掴み取った。
記者や会見を見ていた生徒たちの視線が演説台から将生の方に移ったことを確認すると、彼は手慣れた様子で演説台を元の位置に置き直し、ジャケットのボタンを外した。
「あーワリィワリィ。演説台の位置がズレていたもんでさ」
将生はそう言って数秒の沈黙ののち、フーッと息を吐き、周囲を見回して再び口を開いた。
「んじゃ、順番に答えっから。まず、そこの新聞部の野口琢磨の質問な」
将生はそう言って質問者に手のひらを差し出すと、野口琢磨はギョッとしながら将生を見つめ返した。その驚愕の表情を気にすることなく将生は答弁に入る。
「今回の特別予算を何で初めから言わなかったか。簡単な話だ。この予算つーのは長年の生徒会予算の中で先人の先輩連中が節約を重ねた結果生まれた非常時用の予算なんだよ。今回の事件の背景がハッキリするまではこの予算を使う気は俺にゃ無かった。もしも本当に部活動内での問題だったら、部活動用予算で賄うのが基本だからな。つまりハッキリ言っとくとすりゃ、何か問題があればすぐに予算を捻出してやるほど俺たち生徒会は甘くねぇってことだ。んなことをすりゃ無限に予算を割き続けることになるからな。……んんっ! ちょい待ってな」
首が締まって喋りづらかった将生は、そこまで言って制服のネクタイを緩める。
さらにワイシャツの第一ボタンを外したところで「次は、そこの放送部の早風睦美ちゃんな」と言って先程の野口同様に驚愕する早風を尻目に将生は再び答弁を続けた。
「鏑木元副会長を追い出すために動かなかったのかって質問だけど、んなわきゃねぇ。口がワリィ言い方になるが俺ぁお宅らの誰よりもカブさんのことを尊敬してたんだ。あの人との生徒会は面白れぇんだぜ? 仮に追い出そうとしていたらなら、尻尾を掴んだ段階で即刻クビにしてるって話だ。そんで、そっちの放送部、池田優子ちゃんは尾島さんについてだったな。その件は最後の質問と一緒に答えっからもうちょい待っててくれ」
将生の質問者一人一人を聞き分け、さらに質問者の名前も全て記憶しているという芸当を見せつけられた瞬間に、誰もが黙って彼の言動を眺める側に回っていた。しかし、彼のそんな記憶力以上に、彼自身が放つカリスマ性という名のオーラが皆を黙らせていたのかもしれない。
 将生はそんな彼らから目を離すことなく次に答弁に移った。
「んでSNW研究会の浜田雄一かな。何で今回みてぇな事件が起こったか、それに関しちゃ俺。つまり四十物将生って人間の信用性の問題だ。俺が生徒会役員の中……ひいて言やカブさんの信用に値しなかったのかもしれねぇ。だからあの人は今回の件を引き起こしたとも言えんだろ。つまり今回の原因は俺だ。でも先に言っとくが俺は辞任する気はねぇ。まだ生徒会長になって二ヵ月しか経ってねぇが、俺は決して手を抜いたことはねぇ。それだけは自信持って言える。もしもそれでも納得が出来ねぇなら、生徒のみんなが不信任案を総務委員に提出してくれ。ここまでで放送部の中居聡の質問だった他の生徒たちの不信感の高まりに対する回答てことにする。で、最後は放送部の片桐洋一の車谷さんの対応なんだがな……俺は尾島さんに事後処理を一任しようと思ってる」
将生は一気に話し終えると、床に置いていたボトルを拾い上げ一口水を飲むと、再びシャツの第一ボタンを留め、ネクタイを締めなおした。
「他に質問ねぇか?」
将生のまくしたてるような答弁、そして何を聞いても言い訳する気のないような威風堂々とした姿に黙り込んでいた。
記者たちを見回すと、将生はジャケットを整えて最後のように口を開いた。
「さて、偉そうな物言いになってすまねぇ。大体今回の件は全部俺たち生徒会の責任であることにゃ変わりねぇんだからな。生徒のみんなを不安にさせたこと、特に……こいつは個人的なアレかもしれねぇんだが。俺も毎年読んでる大文化祭で発売される文集“一滴”の紙媒体販売の危機にさらした文芸部のみんなには特に詫びを入れてぇ。本当に申し訳なかった」
将生はそう言って深々と頭を下げた。
          ◇
 将生が頭を下げるその姿を見た花子の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、それはとどまることを知らなかった。花子が声を上げる以前に、将生は “一滴”の危機について気付いてくれていた。この大きな学園の生徒会長が僅か三名で弱小の文芸部のことを理解してくれていたのだ。
「……あの人は、グヒッ……生徒会長だよ……誰が何と言おうと私の生徒会長だよ」
涙を流し続ける花子の横で硝子は「また鼻出てるよ!」と言ってティッシュを差し出してきた。


 ●殿山壮士を勇気付けたことを西村織江と佐藤博はある種懺悔する


 壮士はクラスメイト四人と共に、教室の大型ビジョンで将生の雄姿を眺めていた。
彼の演説を見ながら、壮士は後ろに座る日向の顔を横目に見るが、彼女は将生の演説にそれほど興味を示すことなく、手持ちのタブレットで何やら調べていた。
「立派なもん……っていうか間違いなく偉人になるね。この四十物将生君って」
そう言って壮士の前に座るクラスメイトの西村織江が感心しながら言葉に出すと、彼女の隣に座る佐藤博もスナック菓子を頬張りながら同意した。
「本当だよなぁ。何で俺にはコイツみたいなカリスマ性とかねーんだろ?」
「佐藤にそういうのあったらそれはもう佐藤じゃないよね」
「あれ? 今俺馬鹿にされなかった?」
笑い合うクラスメイトの二人を眺めていると、壮士はふと思い出して一つの疑問を口に出した。
「そういえば……東条那由香書記補佐の暴行未遂事件はどうなったんでしょうか?」
すると博は壮士の方に振り返り、笑いながら答えた。
「何言ってんだよ壮士? お触れが出てたじゃん。なんだっけ? 一人で帰んなとか?」
「しかし、それでは抜本的な事件解決になっていなくはありませんか?」
壮士の最もな意見に次は織江が茶化しだす。
「あれ? もしかして殿山は東条那由香ファン? あの子可愛いもんね~? でもそういうのは天道寺の前では言わない方が良いんじゃない?」
「なななな何を!」
織江のからかいに壮士は慌てて日向の方を見ると、彼女は三人の視線に気付いて耳のイヤホンを取り除いた。
「んー? なーに? 何かあったー?」
壮士はホッとしながら座り直すと、織江はさらに茶化すように次は日向に尋ねた。
「ねぇ天道寺ー。東条那由香の暴行未遂事件はどうなったの? ほら、あの子可愛いから気になる人もいるんじゃないかなぁって思ってさー! にしし!」
織江はそう言っていたずらな笑みを浮かべながら壮士の方をチラリと見るが、彼はその視線に気付かない振りをすることで平静を保っていた。
 そんな見えない攻防など知る由もなく、日向はタブレットをテーブルに置くと大きく背伸びをしながら答えた。
「んー。そーねー。まぁ自作自演ってとこじゃなーい?」
「え? 何それ?」
「詳しく教えろよ日向!」
三人で日向な方に歩み寄ると、彼女は自分で言っておきながら面倒くさそうに答えた。
「えー? まーあれでしょー? 古君に予算削減認めさせるためにそうやったんじゃなーい?」
「何でそこで古市の名前が出てくんの?」
織江の質問に日向はサラッと答えた。
「あー。あの事件で東条君を襲ったの古君だからねー」
「「「えぇッ!」」」
三人は一様に驚きの表情を浮かべると、日向は一瞬「しまった」というような表情を浮かべていた。そして何か自分を誤魔化すかのように付け加える。
「あーこれさーとある筋から聞いた極秘情報だから内緒でねー。まぁみんな軽そうに見えて口は堅いから大丈夫だろうけどー」
「待て? 予算削減認めさせるって何で? 東条那由香って康太郎派だったってことか?」
「あ、そういえばこの会見場にも東条那由香いないね!」
博の疑問と織江の指摘に日向は続いて半ば呆れたように笑っていた。
「何でそうなんのー。ほら、この状況見てみれば分かんなーい?」
日向はそう言って壮士たちの方にタブレットを向けると、そこには異様に盛り上がるIDOBAの状況が映し出されていた。


『いやー四十物会長大勝利! さすが! 一枚上手だった!』
『特別予算隠すなんて粋だったな。このイイ意味でのどんでん返しは好感度たけぇよ』
『一生四十物派宣言。っていうかずっと私の王子様』
『多分四十物会長は鏑木に改心してほしかったんだろうね。そういうところも素敵!』
『持ち上げ解釈しすぎだろ。四十物会長はいいけどファンのそういう心理が理解出来ん』
『鏑木って去年の四十物会長の教育係だろ? 弟子に光の速さで抜かれたねー』
『まぁ最後の最後で逆転ホームランだもんな。美嶋は四十物の為にあるのか!』
『それ何の実況だっけ? まいいや。とりあえず四十物政権続くからしばらく安泰だな』


今回の件で生徒会が蓄えた特別予算案から部費を捻出するという行動に誰もが心打たれていた。自らの身を削って生徒に潤いを与えるとは、これぞ正に彼が皇帝と認められる所以だろう。
 IDOBAの賛辞を見て壮士は息を呑みながら日向に尋ねた。
「では……東条書記補佐は今回の一件がこのような大逆転劇になると予測して、その為にまず鏑木たちの策に乗る為に自ら暴漢に襲われたと?」
「まぁ東条君がーここまでの真相までは気付いてたとは思えないけどねー。この逆転劇のためにピンチを演出したんでしょー。そーすれば将君の株も上がるしねー」
「ん~? 何で東条那由香が四十物の株上げる必要があんの?」
博のその疑問には壮士が答えた。その行動理念は恐らくこの中で彼が最も理解できたからだ。
「想い人のためというやつですかな……」
壮士の回答に日向は肩をすくめながら呆れたように告げた。
「まー将君みたいに学校全体ならわかるけどねー将君個人の為にそこまで身を削るとわー。あの東条君の気持ちはよく分かんないわー」
日向の言葉に同調するように織江と博は頷く。
「確かに。そういえば四十物は尾島に事後処理させるって言ってるけど、辞任するんでしょ?」
「そりゃあきらも康太郎抜きで生徒会には残れねーだろ」
「ねぇ。尾島がゲイって噂本当だったのかなぁ?」
「どうなんだろうなぁ? でももしそうならCB化の時点で女の身体にしてんじゃねーの?」
「馬鹿だねぇ? 女性になりたいゲイと男性でいたいゲイはまた違うんだよ」
「? んー? 二人ともさっきから何言ってんのー?」
織江と博、そして二人の会話に疑問符を浮かべる日向の会話を聞きながら、壮士は窓から外を眺めた。徐々に日が傾きつつある。少し雲が出てきたせいか、いつもと比べて暗いような気がしていた。そしてそれは自分の気持ちの落ち込みが原因のような気もしていた。
 どこか遠い目で外を眺める壮士に日向はキョトンとしながら尋ねた。
「殿君ー? どしたのー?」
「え? あ、あぁ」
壮士はそう言って少し口元を抑えてからまるで語り部のようにゆっくりと答えた。
「東条書記補佐も尾島会計も……根底にある物はきっと同じでしょう。そしてその気持ちが自分にはよく分かります。もし条件が違えば、自分も彼らと同じような行動をしたでしょう」
「何それ? どうゆうこと?」
「人にはそれぞれそういうものがあるのです」
壮士はそう言いながら完全な夜へと変わっていった外を遠い眼で眺めた。その愁いを帯びた表情はどこか儚げで絵になっている。
 そんな壮士の姿を見て博と織江は再びからかうように彼の耳元で囁いた。
「(殿山! 今のアンタなら行ける! 天道寺を誘ってみなよ!)」
「(同意だ! 俺も今の壮士になら抱かれてもいいぜ!)」
「(えぇッ? い、いや! しかし!)」
二人に急かされて狼狽する壮士は息をのんだ。三年生であり、モラトリアムの時間はもうすぐ終わりを迎える。そうなる前にやっておかなければならないことがある、それをしなければ、きっと後悔することだろう。壮士は二人の言葉は未来の自分の言葉であるような気がした。
 意を決して立ち上がろうとした矢先に、日向が先に「よっこらせ」と言って立ち上がった。
「あーごめーん。ちょっと用事できたから行くわー」
「え?」
一人で盛り上がった壮士の気持ちを知る由もなく、日向は鞄を手に取ると「んじゃ」と片手を上げて教室から出て行った。
 振り上げた拳の下ろし所に困った表情を浮かべる壮士を、後ろで見守っていた博と織江は、先程と一転して憐みの表情で壮士を見つめた。


●神薙平八は罪を重ね続ける


 美嶋高校の食堂は実に充実している。古今東西、和洋折衷の料理が揃っており、夜には料理部がレストランとして営業することもあった。
基本的に授業中以外は誰かしら人がいる食堂だが、レストラン開店日の放課後は、仕込みも兼ねて一般生徒は立ち入り禁止となる。
 開店日である今日、無人のはずの食堂に、何故か五人の人影があった。高校の食堂には似つかわしくない座敷の個室に入った五人はそれぞれの席に腰を下ろした。
「いやぁ。とりあえずみんな。念願の新入部員だよぉ! さぁ高柳っち! 挨拶挨拶!」
美形でありながら妙なテンションの平八に促されて、桜は渋々といった感じで立ち上がった。
「えーっと。高柳桜でーす。まぁよろしくでーす」
彼女はそう言ってぶっきらぼうに座ると、平八は「それだけかい?」「もっとあるだろぉ?」などと茶々を入れたが、呂美緒は彼を無視して自己紹介を始めてしまった。
「俺は西園寺呂美緒。アンタでしょ? 新入生名簿一覧を復元したの(質問)」
「だったら何?」
「何その態度……(不快)」
何故か早くも一触即発の二人の間に南斉は割って入ると、無理矢理笑顔を作っていた。
「あ、えぇと! 僕は足立南斉です。基本実践担当です。宜しくおねが……」
「……ッチ……」
桜のあからさまな舌打ちと睨みつける眼光に、南斉は何も言えずにそのまま口ごもっていた。
 平八は面白がって一年生のやり取りを見ていると。続いて流星が笑顔で口を開いた。
「さて、私は……」
「越路流星先輩ですよねっ! 私大ファンなんです!」
最初の二人とは真逆に桜は目を輝かせて彼女に詰め寄ると、両手で流星の手を取った。
「昨年の文化祭の“恋人たちの予感”観ました! あ、あと全国高等学校演劇大会での“ボディガード”! もう本っ当に素敵でした!」
目をハートにして詰め寄る桜に流星は慣れた様子で応えていた。
「ありがとう。でも、騒ぎすぎるのはよしてくれる? 処女膜が唸ってるみたいで耳障りよ」
「(にゅふ! はたしてこれにはぁ?)」
流星の思いがけない返答に桜の表情は一瞬固まっている。そのリアクションを確かめながら平八はワクワクしていると、桜の表情は徐々に恍惚とした表情へと切り替わっていった。
「イヤン……毒舌でドSな流星様も素敵……濡れちゃう……」
「あら? ドМなの? アブノーマルな女は婚期が遅れるわよ」
南斉と呂美緒を置いてけぼりにする二人に平八は満面の美しい笑顔で告げた。
「にゅふ! 今日は歓迎会だから奢っちゃうよぉ! さぁみんな食べて飲んでねぇっ!」
平八がそう告げて手を叩くと個室の襖が開き、料理人の装いをした青年が現れた。
「どうも。本日皆様のお料理を担当させていただく料理部副部長、三木原健斗だ」
落ち着いた雰囲気の健斗は簡単な自己紹介を済ませると、今日のおすすめが書かれたメニュー表を配り始めた。
「いやぁ三木原っち! 今日は楽しみにしてるよぉ!」
「任せとけ……(それで神薙……例の件)」
「(にゅふふふ! 大丈夫。ちゃぁんと発注しておいたよぉ? 高級食材ツバメの巣!)」
「(よし……これで中華にも挑戦できる)」
ヒソヒソ話す平八と健斗だったが、潤滑部の面々は気にすることなく早速注文に入りだした。
「とりあえず一番高い奴(高級)」
「あ、僕は肉系をお願いします」
「ぬぅ! 二人とも! 先輩の手前もっと遠慮するべきじゃないのかい!」
「部長さんのこと尊敬してるんで」
「遠慮するのも失礼かと(適当)」
「ならよし!」
平八のいつもの締めで潤滑部の歓迎会は幕を開けた。
 やがて料理が届き、机いっぱいに最高級料理が並ぶ。
毒舌を吐き続ける流星と、恍惚の表情を浮かべる桜、黙々と食べる呂美緒とみんなのグラスが空いていないかチェックする南斉という不思議な絵が出来上がった。
その光景を眺めた神薙は小さく微笑むと、「でゅふふふ! おしっこに行ってくるよ!」と食事中にもかかわらず無駄に元気な声で座敷から出て行った。
          ◇
 レストランとして開店した食堂の中で料理部の新入生、髙田優里は、来客のテーブル案内を担当していた。まだ新入生であり調理師免許(仮)もない為、まだ調理場には入れないのだ。
彼女が立つ校内のレストランと言えど、おかしな客どこにでもいる。現に優里は今も騒ぎ立てる目の前の生徒に彼女は四苦八苦していた。
「頼む! ほんの少しでいい! あとはここだけなんだ!」
「ですからもう他にお客様がいらっしゃるので……」
「そこを何とか! お願いします!」
無駄に大きな体をした生徒が頭を下げてくる。何やら物を失くしたらしく、それを探して毎日遅くまで学校中を探しているというのだ。
「じゃあ調べてくれ! 旧式のメモリーカードなんだ! もう今では全然見ないような!」
「ですからそういった落し物は届いていないんですよ」
「だから俺が自分で調べるって言ってるんだろ! 頼む! 少しでいいんだよ!」
もはや泣き出しそうにすがるその声は、食堂の中にまで届いているようで、中では怪訝な表情を浮かべる人が何人か見て取れた。
このままではせっかくの食事が台無しになってしまう。
優里がそんな不安に駆られた時、白馬に乗った王子様は現れた。
「にゅふふ。キミィ? 食事の席で騒ぐのは感心しないよぉ?」
「あ、何だよアンタ! こっちは!」
もはや余裕がない大柄な青年は、まるでモデルのような美青年に食って掛かるが、彼は物怖じすることなく告げた。
「そんなにメモリーカードが欲しいならねぇ。ほぉらっ! あげるよぉ」
美青年はそう言って青い旧式のメモリーカードを取り出すと大柄な生徒の目の色が変わった。
「あ、アンタ! これどこで!」
「にゅふふ! さっき廊下で拾ったんだよねぇ。君のなら総務委員に届ける手間が省けたよぉ」
美青年の言葉に大柄な生徒は泣きながら土下座を始めた!
「ありがとう! 本当にありがとう……ございましたっ!」
「そんな気にしないでぇ? さぁ何かに使うんなら急いだほうがいいんじゃないのかぁい?」
「本当に! 本当に!」
大柄の生徒は何度も頭を下げ、そして歓喜の声を上げながら廊下を走り去っていった。
 一難が去ったことに優里はホッとしていると、美青年は誰もが振り返るような眩しい眼差しで「お疲れだねぇ?」と告げる。その美しさに優里は思わず頬を染めた。
「あの! 私からもお礼を言わせていただきます! あ、ありがとうございました!」
「にゅふふ! 構わないよぉ? 別に大したことじゃないしねぇ」
大柄な生徒が走り去った廊下を美青年はどこか可笑しそう笑いながら見つめていた。
「カードの色が変わっているのに……うっかりさんだねぇ……にゅふふふふ!」
その美しい外見とは真逆の気色悪い口調と笑い声も届かない。優里は今日恋をした。


 ●鏑木康太郎は四十物将生の偉大さを雄弁するが単純なことには気付かない


 鏑木がこの時期に「通信課程に切り替える」と言っても両親は何も言わず、彼が生徒会をやめた理由も受験に専念するためという言葉であっさりと納得してくれた。
無関心のように感じるが、彼の両親はごくごく一般的な大人であり親だったし、鏑木の自主性を重んじてくれる人だった。
 そんな両親に感謝しながら、鏑木は買い替えたPCを眺める。そこには彼のこれまでの美嶋でのデータはほとんどと言っていいほど残っていなかった。
 彼は美嶋高校の中である意味死んでしまった存在なのかもしれない。
鏑木はそう自嘲しながら、自分の部屋で通信課程のプログラムを今一度読み直していた。
出席という概念がない通信課程は、IDOBAか授業進行の映像を見て授業を受けるのが通例である。鏑木をオリジナルだと認識していた担任教諭は、当然彼にタブレットで見る通信授業を勧めた。しかし、それは間違いであり、彼はIDOBAで授業を受けることも可能だった。
彼はCB化していながらも自らをオリジナルだと偽っていたからだ。
「……IDOBA内ではアバターの姿だから楽だしね」
鏑木は放課後のIDOBAの状況を見ようと、PCに浮かぶ自らのアバターを見た。
金髪モヒカンのアウグストスというハンドルネームのアバターは、自らとは対照的な姿である。まさかこんなアウトローな姿をしたアバターが鏑木だと誰も気付かないだろう。
 鏑木がIDOBAにアクセスするためにベットに寝ころんだ時だった。
……ピンポーン
自宅のインターフォンが鳴り響き、彼は思わず体を起こし上げた。
「(……嫌がらせに自宅まで来るとは思えないけどなぁ……)」
彼はそう思いながら自室の壁に備え付けられたモニターを起動させると、そこには見慣れた顔が浮かび上がった。
「あきら……」
『康太郎、入れて……もらえるかい?』
「もちろん。ちょうどよかったよ」
鏑木はそう言うとゆっくりと起き上がり、自室から出て階段を降りて行った。
 玄関の扉を開けると、そこには私服姿の尾島あきらの姿があった。
「や、やぁ」
尾島のリアクションはどこかよそよそしかった。
それはきっと昨日の件が起因になっているのだろうと鏑木は推測して、彼を招き入れた。
「よく来てくれたね。というか自宅に来るのは久しぶりじゃないかい? さぁあがってよ」
鏑木は笑顔でそう告げるが、尾島はどこか腑に落ちない表情を浮かべた。しかし、しばらくしてすぐに「お邪魔します」と一言置いて家の中に足を踏み入れた。
 鏑木は尾島をリビングに通して「座ってくれ」と告げてお茶を準備すると、ソファに腰を下ろした尾島の正面のテーブルにグラスを一つ置くと、自身は正面のスツールに腰を下ろした。
「あきら、私服ということは今日は学校に行かなかったようだね?」
「あ、ああ。そんな気になるわけがないだろう……」
「まぁ君の成績ならば問題は無いだろうけど、出席日数が足りなくなるのは避けた方がいいと思うよ。明日からは授業に出たほうがいい」
「あ、ああ。いや、通信課程に移行するつもりなんだが」
尾島の言葉に鏑木は少し呆れたかのようにかぶりを振る。
「何言ってるんだよ。君は僕の指示に従って合法的なことしかしていないじゃないか。それは実証されているはずだし、せっかく普通課程で通ったんだからこのまま卒業すると良いよ」
彼がそう告げると、尾島は両ひざの上に置く拳を強く握りしめていた。
          ◇
 鏑木はどんな時も弱みを見せない男だ。
だが、あれだけのことがあって十代の高校生が傷つかずに毎日を平然と過ごせるわけがない。それでも普段と変わらない鏑木を見て尾島は悲しかった。
親友と呼んでくれるならば、自分にくらいは多少の弱さを見せて欲しかったのだ。
 気が付くと尾島の目には涙が浮かんでいた。
「……康太郎……」
「どうしたんだよ? 何で泣いているんだ?」
「康太郎……すまなかった」
尾島は力ない声で謝罪すると、鏑木は少し呆れたように苦笑していた。
「どうして君が謝るのさ?」
「私が……もっとしっかりしていれば……」
その言葉に鏑木は苦笑したままかぶりを振る。そんな彼の優しささえも尾島には辛かった。
「謝るのは僕の方だよ。実害が出ないように取り計らったとはいえ、結局僕の右腕という校内の認識のせいで君まで巻き込んでしまったんだから。何より色々手伝わせてしまったしね。ほら、新入生名簿一覧の奪取だとかね」
鏑木はまるで思い出を語るかのようにそう告げるが、尾島の目から涙は止まらなかった。
「……君を守り切れなかった……すまない」
握り締める拳に涙がこぼれ落ちる。自分の悔しさではない。友人の無念がこれほど悔しいとは尾島は知らなかった。そんな尾島の拳の上に鏑木の手がそっと重なる。
「あきら。君に感謝しているんだよ。そして僕は君を誰より信頼している。だから……だからこそ君に頼みたいことがある」
「え?」
尾島が涙で溢れた顔を上げると、鏑木は立ち上がってポケットから端末を取り出すと、あるデータを浮かび上がらせた。
 鏑木の端末から浮かんだのは、軽音部からの依頼にあった文化祭の特設ステージ建設計画書だった。そこには建設予定地の第三グラウンドの利便性から、予算の最低限の見積もりまでが完璧に記されている。
 鏑木は生徒会の時以上に輝いた眼で説明を始めた。
「昨晩考えたもののだかまだ簡単な資料なんだけどね? あ、ああまず最初から行くよ。すっかり忘れていたが、軽音部に頼まれていたことを思い出してさ。プロのミュージシャンにはなれないけど最後に大きなステージでメンバーと演奏したいという要望があったんだよね」
少し興奮気味に語る鏑木の姿を見て尾島はどこか懐かしく感じた。それはここ数カ月の肩ひじを張った彼ではなく、小学生の頃から見てきた彼に近いものを感じていた。
「……ああ、覚えているよ……私もその時隣にいたじゃないか」
尾島がそう告げると、鏑木の笑顔はさらに華やいだ。
「君の記憶力は素晴らしいね。じゃあ話は早い。君へのお願いっていうのは……これを四十物君に渡してほしいんだ。そして何とかこの軽音部の依頼案を通してあげてほしい」
「ま、待ってくれ! それは無理だ!」
尾島は思わず立ち上がって、初めて鏑木に反論した。
「康太郎。申し訳ないが私も同じだ。すでに辞意を表明している!」
「表明しただけだろう? 四十物君が承認したりするもんか。もしかしたらもう既に君に厄介事を任せようとしているかもしれないよ?」
「あの男が認めなくても私は生徒会をやめる! 君が居なければあんな所に居る意味が!」
「……あきら」
尾島の言葉を遮るように鏑木は低い声でそう告げるとかぶりを振っていた。
まるでそれは尾島を戒めるような雰囲気で表情も険しくなっている。
「生徒会を侮辱するような発言は良くないよ。あそこは美嶋の頭脳であると同時に心臓なんだ。そんな聖域をあんな場所と呼ぶのは美嶋に籍を置く学生の言葉じゃない。少なくとも、僕の友人尾島あきらはそんな奴じゃないと思っているよ?」
尾島は呆然としながらもどこか彼のその信念に感動した。彼は生徒会を追いやられ、通信課程に転科してなお学園のことを考えている。その姿は今でも間違いなく生徒会役員の姿だった。
「康太郎……こんな私にどうしろと言うんだ」
尾島は再びソファに腰を下ろして力なく項垂れると、鏑木は前乗りになって答えた。
「言ったとおりだよ。君は生徒会に残って、四十物君をサポートしてあげて欲しい」
「何故だ! 何故敵であるあの男を!」
「それが君と僕の唯一の違いだ。四十物君も僕も生徒会内に敵がいるなんて思っちゃいない」
鏑木はそう言うとスツールの座面に手を置き、そこにもたれ掛かる体制で力なく微笑んだ。
「あきら。記憶力が良い君なら覚えているだろう? 入学した時、僕は学園の生徒会長を目指すと言った」
尾島は黙って頷いた。忘れるわけがなかった。その目的を果たすためにこれまで必死に動き回って来たのだ。鏑木は尾島の頷きを確認して再び続けた。
「だが、その夢は果たせなかった。しかし、それはそれで良いことだったんだよ。入学した時、僕はこの学園をより良くするために生徒会長を目指した。先代の綿貫生徒会長も素晴らしい人だったけど、それでも僕の方が情熱も実力もあると自負していた。時期生徒会長の座の対抗馬は天道寺さんだけだと思ってたくらいさ。そんな彼女も今期から生徒会に出馬しないと宣言して、僕の会長の座は確実だと思った。でも、生徒会長の座に就いたのは僕ではなく四十物君だった。僕が教育係を務め、さらに僕と違い本物のオリジナルである後輩が僕を差し置いて生徒会長の座に座る。端から見れば痛快だったかもしれないね。プライドが傷ついた……でも、それは本当は喜ばしいことでもあったはずなんだ。僕が生徒会長になれないということは僕以上に相応しい存在が現れたこと、それは僕が最初に思っていたこの学園を良くするということに繋がるんだからね」
鏑木の独白を初めて聞き尾島は俯く。彼はそのまま話し続けた。
「分かるだろう? 四十物将生という男は、あの学園に必要な男なんだ。そして彼は僕なんかよりも生徒会長という席の意味を理解している。まぁそれは当然か。今回の件でそれがよく分かった。そしてそれが恐らく僕が彼から教わる最初で最後のことだったのかもしれないね」
「……教わる……?」
尾島の力ない問いに鏑木は微笑みながら答えた。
「生徒会長というのは……地位じゃない。あくまで学園をより良くする為の武器の一つでしかない。そしてそれは会長という役職だけでなく生徒会全てを指している。だから彼は生徒会長の座にこだわらない。彼にとって大事なのは生徒会長の椅子ではなく、どうやってこの学園を楽しくするかということだけだった。ふふ。どうだい? 地位にこだわる僕とはスケールが違うだろう? 勝てるわけないはずさ……生れて初めてだよ。人間としてこうも完敗したと思ったのは。そのせいかな? 今は清々しい気分だ。そして思うんだ。彼のような人間の下で働きけたらなって」
尾島は鏑木から目を離さない。そして彼の気持ちを悟った。これは鏑木の願いなのだ。
それを叶えるのは自分しかいない。その為に彼の言動を見逃すまいとその目で追い続けた。
「だが、もうそれは叶わない。僕はもう生徒会どころかあの学園に足を踏み入れる資格さえ失ってしまったようなものだし。だからこそ君に頼みたいんだ。僕の代わりに四十物君のサポートを、そして彼の向かう先を見てきてほしい。それに、いくら四十物君でも役員が二人も抜けるのはきついだろうしね」
鏑木が言葉を終えても尾島は何も言えなかった。そんな尾島を見て鏑木は微笑むと、ゆっくりと立ち上がってグラスを流し台に持って行った。
 じっと考える尾島に鏑木は改めて申し訳なさも込めて告げた。
「頼むよ……君は僕の中にあった唯一の宝なんだ。クサイ台詞かもしれないけど……幼少期から築いてきた男同士の友情って奴を信じさせてよ」
鏑木の笑顔に尾島はただ黙って頷いた。
          ◇
 鏑木の家を後にして、尾島は一人帰路についた。
彼の姿を最後の姿を見て、尾島はようやく心の中に終止符を打った。
鏑木は負けたのだ。
それはすなわち、尾島自身の敗北でもある。それを受け止めた時、尾島は一つの決意を固めた。
「私にできるのはそれだけか……そして……結局言えなかったな」
尾島はそう言ってポケットから生徒手帳を取り出すと、宙に浮かび上がるデータを眺める。
並んだ多くの項目のうち、性別の欄の男性が霞み、女性と表記し直される。もう隠す必要がない。そう思いながらデータを閉じると、尾島は大きく息をつき……そして笑った。
「康太郎……君の言うことはもっともだ。君は少し鈍感だね。これでもまだ気づいていないんだから」
尾島あきらはそう言ってロングスカートを翻して歩き出した。


 ●天道寺日向が多くの人に支持される理由はここにある


昨日の練習、そして今日の練習だけでパーフェクトゲームは三九回、昨日からの通算ゲーム回数で言えば、ミスをした回よりをパーフェクト回の割合が超えていた。
 ボウリング部の大会はメジャーな部活動から日程が少しずれて再来週になる。
宮原は自分こそが今大会の主役になるのだと自分を鼓舞していた。それでも時より襲ってくる不安をかき消すために、こうやって反復練習を繰り返すのだ。
 十九時を回り、当然のごとく外が暗くなってきた時だった。
本日何投目かの投球でピンが全て弾き飛ばされると同時に、宮原は背後の気配を察して振り向くと、見覚えのある同級生の顔があった。
「あ、天道寺さんじゃないか」
「こんちわー。飽きもせずよく投げ込めるねーふぁーあ」
日向は制服のジャケットのポケットに手を突っ込み、欠伸をしながらそう告げると、宮原はいつもの童顔から生まれる無垢な笑顔で答えた。
「うん。大会が近いからね……今年こそ優勝したいんだ……」
宮原はそう告げると、戻って来たボールを手に取る。再びレーンの前に立ち、助走に入ろうとした時だった。彼は思わず助走を中止した。助走位置に日向が立っていたからだ。
「て、天道寺さん! ビックリしたなぁ。そこは危ないよ?」
宮原は困ったような笑顔でそう告げるが、日向は髪を靡かせて振り返り口を開いた。
「宮君さー。しょーもない嘘はやめた方がいーよー?」
彼女の言葉に宮原はキョトンとしたような……それでいてどこか険し気な表情を浮かべると、ボウリング場内は一瞬静寂に包まれた。
 宮原は無表情から「はは」と小さく笑うと、笑顔に戻して日向に尋ねた。
「えぇと、何のことかな? 一から説明してほしいんだけど……」
彼の言葉に日向は溜息をつく。それは宮原でも分かるほどに明らかに面倒くさそうだった。
「はぁ~……じゃーハッキリ言うよー? CB化してるのにオリジナルの大会に出んのはしょーもないよー? っていうかセコイかなー?」
日向の言葉は静寂のボウリング場にさらなる静けさを齎した。
 宮原は静寂の後、先程とは若干違う笑顔ではなく苦笑を浮かべると、かぶりを振る。
「あの? 何を言ってるのかな? あ、天道寺さんって神薙君と知り合いだよね? 彼にないか言われた?」
宮原が言う神薙という名前に混乱したらしい日向は、一瞬怪訝な表情を浮かべると、至極単純な整理をして頷いた。
「神薙? ああ、平君ねー。苗字は慣れてないから一瞬分かんなかったー。まーあの子からは最近通販で買ったっていう新製品……あの~掌からデータが浮かぶ奴ー? それを宮君に見せたら驚いてたってことは聞いたよー。いや、でもまーそれ以前にここまでの経緯見てれば宮君の所に着くでしょー」
宮原は平八が右掌からデータを浮かび上がらせた現象を思い出す。確か最新のCBに備わっているものだ。しかし、今はそんなことは関係ない。宮原は不思議そうに尋ねる。
「え? じゃあ何の話かな? あ、噂に聞く天道寺産の推測? オリジナルの僕には分からないけど、CB化って一応身体に関わるデリケートな問題なんじゃないの? そういうのを推測で聞くのはよくないと思うけど」
宮原が女子である日向に対して、まるでフェミニストのようなことを言うのは少し皮肉っぽく感じたのだろう。彼女は笑っていた。そして笑いながらも追及をやめなかった。
「まーとにかくさー。このまま普通にCB化部門に出ればー?」
「あの……だから僕はオリジナルで……あ! じゃあ診断書を……」
「いや、完璧に偽装した診断書なんでしょー? それ見せられてもねー」
鞄から診断書を出そうとした宮原を余所に、日向は美しい黒髪をなびかせてレーンの奥に並ぶピンを眺めていた。
「勘で言うんだけどさー。こんなこと言われたの私で二人目くらいー? 多分一人目は車谷先生だと思ってんだけどー?」
「……車谷先生……淫行事件……いや、あれ間違いだったんだよね……僕ももっとあの人のことを信用すればよかったよ……。でも! あの人は色々生徒の自主性に茶々を入れる人だったから……僕も今も信用しきれないんだ」
「あのさー面倒くさいから質問に答えてねー。車谷先生にもCB化してることバレたんでしょー? そんで邪魔になったんでしょー?」
日向の言葉に宮原はただ黙って彼女の顔を見据えていた。
          ◇
宮原が答えないので、日向は説明の面倒くささを紛らわすため、二つのレーンの間を平均台のように歩く。一度に二つのことをすれば飽きが来ないという彼女ならではの発想からだ。
「腑に落ちないことがあったんだよねー。鏑君は何でわざわざ車谷先生を使って今回の件を引き起こしたのかーって。だってそうじゃーん? 別にー車谷先生を使わなくてもー別の案件をでっち上げることができたはずでしょー? にもかかわらずー宮君と手を組んだー。それで分かったんだよねー多分鏑君は宮君に同感していたんだー。同じオリジナルコンプレックスを持つ者同士だと思い込んでー」
日向の説明の最後に出てきた言葉……オリジナルコンプレックスと言う言葉に宮原は過剰に反応を示していた。
「オ、オリジナルコンプレックス? 確かCB化した人が自分以上の力を持つオリジナルの人に抱く劣等感だよね? あの、何度も言うけど僕はオリジナルだよ? それに鏑木君も……」
宮原の指摘に日向は「あはは」と小さく笑ってから答えた。
「私さーその人見てたらオリジナルかCBかどっちか分かるんだよねー」
「え、えぇ?」
「私さーCB化してるけど顔だけは変えてないんだー」
日向はそう言って振り返ると、宮原は可愛げのある童顔ではなく、口をポカンと開けた間抜けな童顔をしていた。日向は再び奥に向かって歩き始める。
「私ねー双子の妹が居たんだー。でもその子は生まれつき脳の病気でさー私が小学生の頃死んじゃったんだよねー。それでーその子が大人になった時の顔を残してあげたいと思ってー顔だけは変えなかったんだー。でもまぁ可愛い顔に憧れはしたよー? 顔変えないって決意するまで理想のパーツで顔を選んでたしねーまぁCB化しちゃった後もーそうやって理想の顔データをたまに眺めたりしてたらさーオリジナルの顔とーCBの顔の違いがー何んとなーく分かるようになったんだよねー」
日向は奥まで辿り着くと、ヒョイとレーンを飛び越えて隣の隙間に立つと、復路と言わんばかりに宮原の方に戻り始めた。
「まーその観点から言わせてもらうとー鏑君もCB化してるよー? オリジナルでー後輩でーしかも自分が教育した子にー選挙で負けるのはしんどいでしょー? 将君への対抗意識から鏑君は隠してたんだろうねー。でー同じコンプレックスを持つ人ってー同じような人を見るとー。同感するか嫌悪するかどっちかなんだってー鏑君の場合は同感するタイプだったんだろーねー」
「……」
宮原はただ黙っていた。
日向は転びそうになり「ととと!」と少し慌てながらも、何とか転ばずに体制を戻す。そして、またゆっくりと宮原の方に向かって歩き始めた。
「尾島ちゃんや鏑君に相談する振りしながらー利害を一致させてー。二人の方から動くように仕向けたんだよねー? せいぜいお互いに邪魔な存在がいるねとか言ってー。ぜーんぶ宮君の計算通りってわけだー」
日向はそこまで告げるとレーンを渡り切り、助走するスペースにピョンと飛び降りた。
ボウリング場内の空気が張りつめる。
そこには二人しかいないのだから二人が動かず話さなければ静寂に包まれるのは当然である。しかし、それ以上の静寂が場内を包んでいた。
 宮原の表情からはいつもの笑顔が完全に消えていた。しかし、彼は決して認めないだろう。
日向は何となくそう思いながら、まるで彼をあざ笑うかのように告げた。
「ま、全部私の勝手な推測なんだけどねー」
日向は徐々にケラケラとして笑顔を作ると、宮原も少し驚いてから徐々に笑顔を作った。
「……ははは……ははは!」
宮原が笑うと日向もケラケラ笑い続けた。
二人は顔を見合わせて笑うと、宮原はかぶりを振って口を開いた。
「もう! ボクをからかいに来たんだね! 面倒くさがりなのにこんなことするなんて!」
「あれー? 心外だなぁー。私は面白いことに限っては面倒くさがらないんだよー?」
日向は笑顔でそう告げると「んじゃ」と言って出入り口の方に向かって歩き始めた。
「あれ? 行っちゃうの?」
「うん。練習頑張ってねー」
日向はそう告げると、「あ、そーだ」と言って振り返った。
「宮君さー。私もビックリしたんだけどー、さっき言ってた平君の掌からデータを出すの凄いよねー?」
日向の質問に宮原はいつも通りの可愛げのある笑顔を取り戻して頷いた。
「ああ、うん! 凄いねCB化は。生で見たけど見やすいデータだったよ!」
「うん。まーあれは現実世界じゃなくてSNWでしか使えない機能なんだけどねー」
笑顔の日向と宮原の間には先程同様の静寂が再び張り詰めていた。

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