五月の綿裏包針

紅城楽弟

四月二日から四月二十五日のプロローグ

■プロローグ
 ●四月二日に富美山楓太は姉と共に知らぬうちにチャンスを作る


 桜の花びらが舞い落ちる。
その美しい光景は、春の訪れとともに、新生活という物語の始まりを告げる役割を担っているに違いない。何故なら、あと数十分後の十七時にこの物語の幕が上がるからだ。
 物語の舞台となる美嶋学園高等学校(以下:美嶋高校)の校門前にある公道を、東へ少し進んだ先に喫茶店がある。店内は木目調のクラシカルなカウンター席とテーブル席が数席あるだけで、その洒落た雰囲気は、思春期の高校生が背伸びをするにはうってつけの場所だった。
 しかし、春休みのせいか学生の姿はなく、埋まっている座席は一席のみで、しかもその唯一の客である黒髪の姉弟は、昼前からずっと居座り続けており、端から見れば迷惑な客だった。
時間潰しでこの喫茶店に入った姉弟は、本来の用事はとうに忘れ、コントローラーと化した通信端末を操作して、テーブルの中央に立つ三次元の立体キャラクター操作していた。
弟が操作するのはチャイナドレスを着た豊満な身体つきの美少女キャラ、姉が操作するのが筋骨隆々としたムダ毛に塗れた男臭いプロレスラーキャラ。性別的に選択キャラが逆のようにも感じるが、姉弟はそんなことお構いなしに格闘ゲームに興じていた。
必死の形相で操作する弟に対し、姉は鼻歌交じりに……時には欠伸を交えながら余裕の表情で指だけを動かす。やがて姉のプロレスラーキャラが、右腕を大げさに振り回してラリアットを繰り出すと、直撃を受けた美少女キャラは吹き飛ばされ、何故かチャイナドレスが破れ散った。
弟の富美山楓太の眼前にLOSEという文字が浮かび上がる。
「ぐぬぬ……また負けた……これで……九十八連敗……」
楓太が悔しさを滲ませながらそう呟くと、姉の鬼龍院華音は絵に描いたようなドヤ顔で笑った。
「フッ! 楓太もまだまだね! ま、高校時代にレトロゲーム愛好会のエースだったこの鬼龍院華音様に勝とうなんて七年早いっての!」
「七年……なるほど! つまり俺ちゃんも姉ちゃんの歳になれば勝てるってことね!」
「そういうこと。って無理無理! アンタが二十三になれば、アタシも七年分成長しちゃうしね! その時は三十歳かぁ…………誰が三十路ババァだゴラァッ!」
急変して鬼の形相を浮かべた華音は、テーブルに片足を乗せて楓太の胸ぐらを掴んできた!
「言ってない! 言ってないよっ! 思っただけ!」
情緒不安定な姉に楓太は怯えながら訴える。しかし、華音の勢いは止まらなかった。
「思ってんじゃねーこのボケナス! こう見えてアタシは高校時代に美容研究部で」
「美肌ランキング一位になったんだよね!? うわぁ~っスゴイッ! さすがお姉たま!」
理不尽な仕打ちを受けても即座に対応する。そうでなければ彼女の弟は務まらない。
 楓太は一生勝てる気がしない姉を大げさに称賛すると、華音は満足気な表情に戻り、「分かればいいのよ」と言って腰を下ろした。そして、まるで何事もなかったかのようにコントローラーを操作して、九十九戦目のキャラクターに白髪でやせ細った老人を選択した。
「はぁ~(……情緒不安定な奴はこれだから)」
「あ?」
「な、何も言ってないよっ! さぁて!? 次はどのキャラにしようかなぁ~!?」
畏怖する姉の扱いに辟易しながら、楓太は先程と同じ美少女キャラを選択する。次は趣を変えてチャイナドレスからメイド服に変更すると、下着が見えそうなミニスカートの装いになり、姉への畏怖も忘れて楓太は鼻の下を伸ばした。
「ぐふふ! いいねぇっ! この引き締まった脚線美が堪らなぁい!」
次は超が付くほどの変態性を持った弟に若干の嘆きにも近い表情で華音が口を開く。
「相変わらず性癖が幅広いね。こないだはツルペタのロリ体型が良いって言ってなかった?」
「その時はね! 今は太ももの気分なのっ!」
キャラ選択を済ませた二人は体制を整えて机に目を落とすと再び戦闘モードに入る。
そして「GO!」の合図と同時に激しくコントローラーを操作し始めた。
「そういえばさ。アタシたち何しにここまで来たんだっけ?」
「えと! あれだ! 姉ちゃんが! 高校の! 近くにある! この店を! 教えるって!」
「そうだっけ? ま、美味しかったでしょ? ここのナポリタン」
「うんっ! 良いケチャップ! 使ってるねっ!」
「そうでしょ? まぁ冬に来るときは、グラタンも……食・べ・て・み・なっ!」
“食べてみな”に合わせた老人キャラの連撃が見事に決まる。そして美少女キャラは悲鳴を上げて吹き飛ばされ、やはりメイド服は破れ散った。
 勝敗カウンターに屈辱の九十九連敗の文字が浮かび上がる……楓太は血走った目でそのカウンターの先で倒れるあられもない美少女の姿を睨み付けると天を仰いだ。
「……負けて……悔い無し」
まるで天に還りそうな勢いの楓太とは対照的に、華音は欠伸をしながら関節を鳴らした。
「ふぁ~あ。さぁてそろそろ帰ろっか。アタシも明日からバックパッカー暮らしかぁ」
姉が自営の仕事を休み、長期旅行に出かけること思い出し、楓太は嘆くようにぼやいた。
「まったく父ちゃんと母ちゃんは三十五回目の復縁新婚旅行に行っちゃうし、ウチの家族はどうしてこう放浪癖があるんだか」
「あ~ら何言ってんの? おじいちゃんも言ってたでしょ? “可愛い子には旅と苦労をさせろ”ってね」
「(うっわ。自分で可愛いとか言っちゃったよ)」
「あ?」
「はぅ! な、なんでもないですぅ!」
ジト目に恐縮する楓太を見て、華音は満足気に笑った。
「まぁアンタを一人にすんのは忍びないわよ? そのお詫びもかねて今日は奢ったげる。あ、イイこと思い付いた! これを高校の入学祝いにしよう!」
満面の笑みでナポリタンとコーヒーの料金を確認する姉を見て楓太は驚愕する。
「え? 待って? こ、これだけで済ませんの? だ、だって昼飯代だけ」
「マスターご馳走様~」
狼狽する楓太を他所に、華音はそう言ってテーブルに設置されている機械に端末をかざすと、料金が精算され意気揚々と歩き出した。そんな姉を楓太は慌てて追いかける。
「え? ちょっとお姉さま? 本当にこれだけ? これで俺ちゃんの進学祝い……」
二人が店の扉を開けると、小さな春風が店内を揺らす。その柔らかな風は、楓太がテーブルに置き去りにした一枚の紙をひらりとなびかせた。
その紙……美嶋高校入学申込用紙には二人が忘れた用事が何だったかを物語っていた。
【美嶋高校入学申し込みの受付締め切り時間は、四月二日十七時迄とさせていただきます。(当日は時間厳守でお願い致します。公共機関の遅延であってもご配慮は致しかねます)】
店内には十七時を告げる時計の鐘が鳴り始めていた。


 ●四月七日のIDOBAでは高楊枝と枕草子とボウカンジャーは自らの首を絞めていた


 SNW、正式名称SOCIAL NETWORK WORLD
それは人類の二大発明の一つと言われ、意識のみが存在する電脳世界である。
SNWは好きなアバターとなって、仕事から遊びまで現実世界と全く同じことができる。実際に出来ないのは栄養補給と排泄、そして子作りだけと言われていた。(しかし、疑似の食事で味を知ることも出来るし、疑似の性行為で同じ快感を得ることは可能である)
 SNWの特異点の一つが、人々は好きなアバターとハンドルネームで過ごし、現実世界の自分の情報を開示できないことにある。遠い昔、匿名で特定人物への誹謗中傷を行った人間が、正体を晒され自殺した事件があったことを発端となっているらしい。なので、互いの正体を知るには現実世界で情報交換するしかなかった。
SNWでは多くのウェブスペース(インターネットでいうウェブサイト)が存在し、その中ではスポーツやゲーム、情報収集だけでなく、多くの企業が重要なビジネスの場として利用ている。世界中のものがすぐに買え、地球の裏側にいる人物ともすぐに会うことが出来る。そんなこともあって、SNWは第二の現実世界とも言われていた。その証拠に、現実世界の身体を捨てて脳を管理センターに預け、SNWでのみ生きる人間が世界中に多く存在した。
そんなウェブスペースにはアダルトスペースなどの年齢制限で立ち入ることが出来ないスペースも多く存在するが、意図的に一部の人間しか入れない限定スペースも無数に存在する。
そしてその数多くある限定スペースの一つが、美嶋校生専用SNW:IDOBAである。
IDOBAの中では、生徒たちが使用するカフェや、過去の授業風景を見ることができる自習スペース、県外在住や諸事情により自宅学習を望む通信課程の生徒用の学習スペースが存在した。
アバターが闊歩する大通りのスクリーンには、校内イベントのスケジュールや演劇部の次回公演の告知が表記され、時には映画研究部の映画が映ることもあり、様々なスペースのBGMには軽音部の作曲した音楽が流れていた。固い勉強だけでなく、娯楽スペースではゲーム制作愛好会の自主製作ゲームに興じたり、料理部の新作ケーキを食べたりできるその世界は、まさに年中文化祭という雰囲気を醸し出していた。
そんなIDOBAの中にある、一般生徒には発見できないであろう特別なチャットルームで、ボウカンジャーを名乗る髭もじゃの海賊は縁側に腰を下ろし、湯呑を啜っていた。
「そういえばさぁ。遠い昔は、チャットルームに文字しか無かったらしいねぇ? むぅ! このお茶、砂糖と蜂蜜が足りないよぉ!」
ボウカンジャーの急な話題に、彼の隣に座りながら日向ぼっこ(仮想ではあるが、脳機関には温かいと感じる)をしていたパジャマ姿のトラ猫の獣人、枕草子は補正を加えた。
「まぁメールと一緒だよねー」
「にゅふ! 意思疎通に文字だけって大変だねぇ~」
「そうは言ってもー未だにその手法を使ってる人もいるからねー。そうでしょー高楊枝君ー?」
彼女はそう言って話を振ると、宙に浮かぶ二次元のディスプレイに文字が浮かび上がった。
《違いねぇ。未だに使われてるモンを卑下すんのは、文明に驕って溺れてる証拠ってもんだ》
浮かび上がる文字を読んだボウカンジャーは「にゅふ!」と笑顔を作って答える。
「かといって頑なに文明の利器を使わないのも愚者のやることじゃないかぁい?」
《それも間違いじゃねぇな。ただ別に俺は好きで使わないねぇわけじゃねぇよ》
「そりゃあ確かにだねぇ。高楊枝っちのお家事情は理解してるよぉ」
《俺からすると中に入った瞬間オメェらみてぇな呼び名になっちまうのが笑えるぜ?》
「仕方ないでしょー? アバター使用者は完全匿名が常識なんだからー。脳内のシナプス処理でハンドルネームと現実世界の本名がリンクしていたらー自分では本名で呼んでるつもりでもー音声はハンドルネームに変換されてるんだよー。高楊枝君もー私のこと本名で呼んでるんだろうけどーこっちじゃ表示されないからねー」
《え? 枕草子って普通に呼んでんだけど?》
「ここじゃ文字変換されてるからねぇ。今高楊枝っちが枕草子っちって呼んでるつもりでも、こっちの文字じゃ枕草子っちって出て来てるってことさぁ。まぁ仮に高楊枝っちが枕草子っちの正体を知らなかったら本名で表示されるんだけどねぇ……ってこれ何度も説明したよぉ?」
《もう何言ってんのか分かんねぇよ。あ、そういや俺アイツのハンドルネーム聞いてねぇな》
高楊枝の文面に枕草子は思い出したように「あーそういえばアタシもー」と告げると、ボウカンジャーはまたしても「にゅふ」と奇妙な笑みを浮かべてから答えた。
「ここに来る三分前に聞いたよぉ。あとで二人にも教えるからねぇ。……それより二人とも見たかぁい? 彼のあのアバター」
ボウカンジャーはそう言ってゲラゲラ笑うと、枕草子も思わず笑顔を作った。
「見た見たー何か先にアバターを作ったんでしょー? あの子ホントにセンスないよねー」
《俺はあんなの御免だな。そういえばあの野郎……新入生名簿一覧大変だったぜ》
高楊枝の愚痴に二人も思い出したかのように口を開く。
「あー私もー! 手続き業者になかった不備を作ってーもう一回発注し直したんだよねー」
「ボクなんか直に改ざんだよぉ? これ私文書偽造とかになったら捕まっちゃうよねぇ」
三人は憤慨しながらそう告げると、それぞれの目の前に小さなウィンドウが広がる。
それは三人のチャットルーム内に入室希望を出したアバターを知らせる表示だった。
「んー? こんなハンドルネーム知らないけどー」
「あーこれが彼だよぉ。にゅふ! 自力でこのチャットルーム見つけるなんて中々やるねぇ?」
《入れてやれよ。三人で説教してやるしかねぇだろ》
高楊枝の承認と同時に二人も承認サインを出すと、部屋の一角が歪んで小さな扉が現れた。


 ●四月二十五日に車谷新之助の美嶋教員としての生活は最後を迎えた


 その日のスポーツバーは盛り上がっていた。
店の中央にある店内最大の立体映写機は、縮小したスタジアム全体を三次元で映し出し、実際のスタジアムの上階で選手たちの競技を間近で見ている気分にさせる。さらに今日は興奮を煽るのが、そこで行われているのがサッカーの代表戦だったことだ。普段は観戦する習慣がなくとも、いざ代表戦となると見てしまうこの国の国民性は、遠い昔から変わっていないらしい。
そして、その熱気にさらなる拍車をかける人物がその立体映像に映っていた。彼はオリジナルでありながらCB部門代表に招集され、今日の初試合で二得点という活躍を見せたのだ。
 CB、正式名称Cultured body
それは自らの遺伝子細胞を培養して創り上げる新たな身体である。そして、その身体に自らの脳を脊髄ごと移植することを、世間ではCB化と呼んでいた。(CB化していない人間はオリジナルと呼ばれている)本来、CBとは次々に生まれる病原体に対抗するワクチンを作るより、新たな健康な身体を作ってしまった方が早いという、医学の横着から生まれたものであり、発明された当時は、CB化というのは身体に後遺症が残るほどの外傷を受けた人間や、身体的障がいを持った人間だけで、健康体でありながらCB化するのは稀だった。
しかし、現代においてCBは一般人にも浸透し、一般生活でも大きな意味合いを持つものになっている。例えば、一から作るCBは、持ち主の希望に沿った外見に作り上げることが出来るため、外見に悩む人間が少なくなり、ストレス係数が大きく減った。(今では美容整形外科医はCBデザイナーと職を改めたそうだ)さらに、SNWへ意識を飛ばすには、脳へ送る電波がオリジナルの身体では耐えられないため、CB化していなければSNWにも行けなかった。
そして、近年ではスポーツの世界でもCBの存在は非常に大きくなっている。
CBはオリジナルと比較しても筋力や体力もつきやすいことが近年証明され、その証拠に各種スポーツの上位を占めるのはCB化した人間で埋め尽くされるようになっていった。おかげで、今ではプロのスポーツ競技ではオリジナル部門とCB部門で分けられるほどである。
 そして比較的豊かなこの国では、十五歳になると、国からCB化費用の給付金が支給されていた。(国際法により、病気や事故等の理由以外で十五歳未満のCB化は禁じられている)
 話は戻り、そんなスポーツバーの中はさらに熱気が溢れかえっていた。
先程説明したオリジナルの選手がハットトリックを達成したのだ。
「ぃよぉぉしっ! こりゃあ勝ちは堅いなっ!」
熱狂する店内で、美嶋高校の体育教諭、車谷はそう叫びながら瓶ビールをラッパ飲みする。
現時点での点差は五対一。後半のアディショナルタイムに入り僅かである。
 車谷は満足気にビールを飲み干すと、九本目を取りにカウンターに向かおうとした。
「本当に決まりですか?」
横から僅かに聞こえてきたか弱い声に、車谷は振り返る。
そこにいたのは陽気な人間の集うスポーツバーに似つかわしくない女だった。
女の顔は童顔なのだが、人よりも苦労が多いのかどこか疲れた雰囲気があり、気迫というものがない。おかげで盛り上がる店内で、彼女の存在は異彩を放っていた。
「この時間でこの点差ならもう決まりだなっ!」
車谷は無駄に暑苦しい笑顔で答えると、女は薄幸の笑みで再び尋ねた。
「へえ……すいません。私こういう場は初めてで……色々教えていただけますか?」
か弱い女性にそう言われて断るバカもいないだろう。何より、車谷は細かいことを気にしない単細胞だった。
「いいとも! 事細かく教えよう!」
「お願いします。こういう時体育の先生は頼りになりますね」
二人は残り少ない試合時間の間、立体映像に視線を送った。
「(ん? 俺は体育教師をやってるなんて言ったか?)」
車谷の頭に疑問符が浮かぶが、六点目のゴールが決まった瞬間、彼の頭から疑問は消え去った。

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