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紅城楽弟

【プロローグ 3352年 ダンジョウ編】

【帝国歴3352年 星間連合帝国 準惑星セルヤマ】

 ――皇后の崩御から12年の歳月が流れた。
 
 シャインが率いていた皇后直轄護衛騎士団は、皇后の死により存在意義がなくした。
それによって彼女の肩書は騎士団団長から帝国監査軍諜報部第七特別諜報部隊隊長に変わった。

 帝国監査軍諜報部第七特別諜報部隊の表向きの任務は国内外の諜報活動と銘打っているが、その部隊に所属するのはシャイン1人である。

「うん。もうすぐセルヤマ星に着くよ。そっちは任せきりで悪いね」

シャインはセルヤマ星に向かう宇宙船の中で、ケイスガという名称の通信端末で連絡を取りながら窓の外に広がる漆黒の宇宙空間を眺めていた。

『大丈夫だヨ。私はシャインちゃんが過労で倒れないかの方が心配ヨ』

「それこそ無駄な心配だね。アタシは体力と頭と芸術的センスと美貌にだけは自信があんだから」

『アハハ。それ完璧じゃン。……ところで片割れの皇子様は元気?』

「あーもう無駄にね! アンタも会ったらびっくりするよ? あんな可愛かった赤ちゃんが融通の利かないバカになってんだから」

シャインはゲラゲラ笑いながら近況を説明する。
彼女には国内外の情報収集という任務のほかにセルヤマ星に送られた片割れの皇子の護衛という任務があったのだ。

 当初、シャインは最高上官である執政大臣ベルフォレスト・ナヤブリからセルヤマへ星へ赴任して付きっきりで皇子の護衛に当たる様にと指示を受けていた。

言わば、彼女は左遷を通告されたのだ。

それはベルフォレストを初めとした皇族派上層部が持つ将来の不安材料……底知れない実力を持つシャインがいずれ自身やその後継者らの地位を脅かすかもしれないというくだらない小事が招いたことだった。
しかし、彼女ほどの人材がセルヤマという辺境の観光準惑星に左遷するという行動を起こせば、宰相派などの敵対勢力に勘繰られる可能性がある。
そんな上層部の将来と現在の不安材料を一斉に処理するため、彼女は普段ヴァルキノスで諜報員として活動しながら、月に数度セルヤマに向かうという二重生活を送る羽目になったのだ。
もちろん、不安材料の処理だけでなく、シャインにそのような激務を強いることによって、彼女の動きを封じるという上層部の狙いもあったのだろう。

ただ2つ、皇族は上層部は重大なミスを犯していたことに未だ気付いていなかった。

1つはシャインを過小評価していたこと、もう1つは彼女を1人で行動させたことである。

 普段の諜報活動と皇子の護衛……この重大な2つの任務を、シャインは余裕をもってこなしていた。帝国でも随一の実力者である彼女の力をもってすれば大抵の諜報活動はすぐに完遂できる。
それに加えて彼女のタイムスケジュールに対して的外れな指示を出す直属の上司や足を引っ張る無能な部下がいなかった事も大きな要因だった。

おかげで彼女は仕事に忙殺されているような素振りを見せながら、自らの進めている計画を着々と進めていたのだ。
何より、諜報という仕事の性質のおかげで様々な星に行くことが可能だったことも大きいだろう。

『でも、シャインちゃんにとっては弟みたいなもんでしョ? 可愛くてしょうがないんじゃなイ?』

通信先にいる妹分……マーガレットの言葉にシャインは黙って微笑む。
予想外の出来事により時間の融通が利かなくなる時は稀にだがある。しかし、たとえどんな状況でも彼女は月に4回のセルヤマ星への来星を決して欠かすことはなかった。

「ま、見た目的には本当に姉弟に見えるかもね。いや、兄妹かな?」

『……本当ニ?』

シャインはふざけたつもりでそう告げるがマーガレットからのツッコミはない。
何故なら彼女は25歳になっても見た目は13歳の頃の童女のままだったからだ。

 やがて、セルヤマ星への着陸準備を告げるアナウンスが流れる。
一旦通信が途切れるようにケイスガからはノイズ音が流れると宇宙船の窓が閉鎖され始めた。
やがて大気圏に突入すると、数秒で体に重みを感じるようになっていく。
成層圏を超えたアナウンスと共に窓が解放されて外の様子がシャインの目の前に広がる。
そこには星全体が常夏の気候を保った美しい情景が広がっていた。

「あーアタシもバカンスしたい……」

『雪だらけのヴィーエス星と比べたらそうなるだろうネ』

繋がった通信先から聞こえる声にシャインは微笑んだ。

ここセルヤマ星の前に寄っていたヴィーエス星は雪に覆われ研究施設だけが存在する極寒の惑星である。
彼女はそこで、かつての部下に依頼している起動兵器のテストをしてからやって来たのだ。

『とりあえず、こっちは順調だかラ。シャインちゃんも皇子をよろしくネ』

「うん。あぁあと、ヤシマタイトの件は……」

『大丈夫。グランパに頼んでおくかラ』

「そっか。くれぐれもあのクソ叔父には見つからないようにね」

『分かってるヨ。じゃあね』

 シャインはケイスガの通話を切ると、改めて窓から眼下を見下ろした。

宇宙へと飛ばすマスドライバーの先端が近づいている。
やがて、宇宙船は無事に離着陸場へ着陸した。



 宇宙港を出ていつものようにタクシーエアカーを止めると、観光惑星らしい出稼ぎのスコルヴィー人の運転手が真っ赤な肌で笑顔を向けてくれる。
神栄教の分派であるタルゲリ教の教会へと進む道すがらシャインはこの12年の月日を振り返った。

 皇后の崩御により宰相派の権力はますます拡大した。
現皇帝ゼンジョウ=カズサ・ガウネリンの意識は未だ戻らず、ただ時間だけが過ぎて彼の肉体は日に日に衰弱している。
ベルフォレスト執政大臣は皇族派の有力者を取りまとめようと奮起しているが宰相派の方が数枚も上手であり、宰相派はすでに多くの権力者をその傘下に置いていた。
聞けば、各惑星の知事筆頭であるクリフォード・ストラトスや、皇族でもある現皇帝の甥にあたるザイク=モウト・イルバランも宰相派に付いているという話だ。(ザイクの父は財閥の頭取を務めている)

 ベルフォレストという男は無能というわけではない。
だが、自らの保身と若者軽視という概念を持っているということは否定できない
現にここ最近シャインは皇族派議会にも呼ばれることはなく、ベルフォレストから徹底して排除される形になっている。
先にも言ったように、シャインが議会に出続ければ彼の地位を脅かすと思っているからだろう。

 そんなベルフォレストの唯一賢しいところは、シャインが皇后への義理を通すために皇族派を裏切らないという事実を理解していることにあった。

「(……まさか皇后様への忠義がネックになるとはなぁ)」

 シャインはエアカーから外を眺めてため息をつく。
彼女にはもう一つ気がかりなことがあったのだ。
ここセルヤマ星ではなく、帝星ラヴァナロスで暮らす皇后のもう1人の忘れ形見である。

 ラヴァナロスに暮らす皇太子とシャインが最後に会ったのは、まさに双子を分けた日だった。
それ以降ベルフォレストからは皇太子との接触を禁じられ、彼女はもう1人の皇后の息子……つまり真の兄君とは会えていなかったのだ。

「(これだけは予想外……執政大臣がちゃんと育ててくれてればいいけど……)」

遠回しに自らのかつての部下2名を皇太子の護衛に付けるように根回しはしていたが、その後、シャインは彼らとも完全に連絡が取れなくなっていた。
そのせいで皇太子の現状をシャインは全く理解できていなかったのだ。

「お嬢ちゃん。着きましたよ」

運転手の声にシャインは顔を上げる。

気付けば辺りは田畑に囲まれた森に入っており、この12年間訪れている見慣れた教会が目前にあった。

「神栄教じゃなくてタルゲリ教とはお嬢ちゃんもニッチだねェ!」

「はは。まぁそんなところです」

シャインは料金を支払ってエアカーから降りると、教会まで続く草木に囲まれた一本道を歩き始めた。

 弟君をこの教会に預けたのには理由がある。
今や孤児院のような施設はほとんどが神栄教の傘下にあり、教会に関してもほとんどに神栄虚の手は伸びているのだ。

そんな中でタルゲリ教は神栄教の分派とはいえ、800年程前に神栄教との対立紛争が起きた曰く付きの宗派だった。
その紛争のきっかけはタルゲリ教と神栄教によって女神メーアの教えに関する食い違いがあった。……と、世間には流れていたが、実際はタルゲリ教が神栄教からの完全独立を目指したものだったという。
その宗教紛争はタルゲリ教の降伏という形で平和的に収まったが、負けたタルゲリ教からすればその時の感情は今も間違いなく残っている。
つまり彼らは神栄教に対して少なからず不信感を抱いていることは間違いない。
帝国の上層部と深く関わる神栄教からも身を隠すにはここタルゲリ教が最も最適だったのだ。
 
 なぜそんなことを利用してまで神栄教から弟君の存在を隠すかと言えば理由は1つ。
神栄教の枢機卿にはあの男……コウサ=タレーケンシ・ルネモルンがいるからである。

 コウサは神栄教内でさらに勢力を強め、枢機卿内でも最古参のマーガレット・フロー枢機卿と勢力を二分するまでに権力を得ている。
先日の帝国評議会では神栄教の管轄惑星の治安維持と称し、聖堂騎士団なる武力化の許可まで議会で下りているのだ。
これによりコウサは権力だけでなくこれで武力も得た。シャインが見据える未来の中では、ベルフォレスト等など比較にならないほど、こちらの方が重大だったのだ。

「はぁー……そんな問題が山積みだってのに」

 シャインは歩きながら、再び大きなため息をつく。
目の前にある教会からは僧官たちの騒ぎ声が聞こえてきたからだ。
彼女の頭の中にはその騒ぎの原因として261通りの予測を立てることができたが、その全ての項目であのガキが関わっているという答えが導き出されていた。

「こんにちは。僧官。何かあったの?」

 教会を走り回る僧官の姿が見え、シャインは何かあったことなど分かっていながら尋ねると彼は顔を真っ青にして叫んだ。

「おお! これはこれはシャイン殿! 実は」

「あー言わなくて大丈夫……大方脱走でしょ?」

「はい! しかも書置きが残されておりました!」

「ふーん。なんだって?」

「く、詳しくは司祭様に!」

走り去っていく僧官を見送りシャインはポリポリとこめかみを掻いた。

「(アイツ……どうせすぐ捕まって、お仕置きされるって分かんないかね?)」

シャインは心の中で学習能力のない“彼”に呆れたようにうんざりして教会に足を踏み入れる。
そして司祭室を訪ねると、まるでこの世の終わりのごとく嘆いている司祭がいた。

「おお! シャイン様! メーア様はついに我らを見放しに」

「いいから書置きってのを見せて」

シャインは司祭の嘆きを聞き終える前に遮ると、彼から残されていたという書置きを受け取った。


――――――――――――――――――――――――

お前らへ

なんといおうとおれはじゆうに生きる。
おれはそのためだからここにはいれない。

あばよ。

――――――――――――――――――――――――


「……字が汚い。漢字も少ない。文法がおかしい。クッキーの食べカスが挟まってる……うん。間違いなくあのガキだね」

シャインは納得と確信をしながらそう告げると司祭は嘆きながら告げた。

「シャイン様。このような失態……面目次第もございません! つきましては私目の命で償いを!」

発想が飛躍する司祭をよそにシャインは書置きを丸めると、ノールックで背後に放り投げた。書置きからゴミと化した紙は奇麗な弧を描き屑籠の中に飛び込むと、シャインはもう何度目か分からないため息をついた。

「はぁ~……アタシさ。明日休み取ったから今晩から時間あるんだよね」

彼女は自らの不遇とそれを止めることができない自らの性格に嘆きながら司祭に視線を送る。司祭は話の先が見えずにキョトンとしていた。

「な、何の話ですかな?」

「別に……ただ同世代の子は休日にバカンスや自分磨き。方やアタシはガキの子守かと思っただけ」

星間移動してきたばかりだというのに休む時間もないらしい。
彼女は右手で後頭部をポンポンと叩くと、ギアを入れ替えるかのように顔を上げた。

「とりあえず連れ戻してくるね。あ、帰って来た時にする稽古の準備だけお願い」

「は? お、お稽古ですか……?」

「そ。言ったでしょ? アタシ今晩から時間に余裕があんの」

シャインはまるでこれから性犯罪を犯そうとする異常者のように微笑むと司祭室を後にした。



 少女は紙の匂いが好きだった。
しかし、ただの紙ではない。新品の真っ新な紙から微かに感じる木の香りだけでなく、彼女は少し年季の入った……人の手垢やカビといった年月を重ねた紙の匂いがたまらなく好きだったのだ。

「(うん……内容も臭いも申し分なし)」

立ち読みしていた本をパタンと閉じると少女は大きなハードカバーを両手で抱えながらカウンターに向かって歩き始める。
といっても狭い店内はそこまでの距離があるはずもなく、少女は僅か数歩でカウンターに座る老人の前に辿り着く。そして自分の背よりも高い位置にあるカウンターにハードカバーを持ち上げた。

「これお願いします」

「はいよ。いつもありがとね」

老人はそう言って少女から本を受け取ると、カウンターテーブルに羽目殺しで備え付けられている機械を操作する。すると少女の目の前にディスプレイが浮かび上がった。

フィーネ・ラフォーレ

少女は宙に浮かぶディスプレイに指でなぞりながら名前を書くと、カウンターに座る老人から本を受け取った。

「まぁ分かってるだろうが一応規則だから言っておくと、期間は一週間ね」

「うん」

フィーネは頷いてもう一度ハードカバーを開く。
教借りた本は女神メーアが世界を救ったという神話の原文である。
ここに書かれている文字は古代文字であり現代では使われることはない。今でこそ帝国に限らず全惑星で言語は統一されているが、女神メーアがいた時代(本当にいたかどうかは定かではないが)は各惑星によって言葉は違い、スコルヴィー星の人々は奴隷として扱われていたという。

 とはいってもフィーネは別に考古学に興味があるわけではない。
翻訳することで、自分自身の解釈が欲しいと感じただけなのだが、それでも彼女の探求心は目を見張るものがあると言えるだろう。

「お嬢ちゃんも変わりもんだねぇ。そんなに紙の本が良いかい?」

三日月形のメガネを鼻先に乗せる老人は物珍しそうにそう告げる
確かに電子書籍が普及する中、わざわざ読みづらく持ち運びも手間のかかる本を選ぶのは効率的ではなかった。
フィーネが神の本を選ぶの理由は、紙の匂いのほかにも貸本屋でレンタルをすることで金銭の節約をするという側面があった。
しかし、フィーネの中には自らが回答する行動以上の疑問が生まれ思わず首を傾げた。

「うん……というかお爺さんもそうだから貸本屋さんなんてやってるんでしょ?」

フィーネの問いに老人は少し面食らう。そして参ったと言わんばかりに微笑みながら話を続けた。

「そりゃあそうだなぁ。しかし私のような老いぼれならいざ知らず、お嬢ちゃんの齢で紙の本なんて読む子はいないだろう?」

「んーそれはそうかも。そもそもみんな本に興味がないんだよね」

「そうなのかい? 電子書籍でも読む子は少ないかい?」

「ううん。電子書籍で読んでる子はいるよ? でも何て言うか……私からすると電子書籍を読んでる人は本を読みたいんじゃなくて情報を得たいだけだと思うんだよね」

「道楽よりも情報か……ありえなくもない推測かもしれんねぇ」

 子供の本離れは着実に進んでいる。
その証拠にこの小さな貸本屋の中にはフィーネと老人しかいなかった。
しかし、それは恐らくこの世界の取っ手は素晴らしいことなのだろう。
フィーネのように本に夢中になるというのは空想の世界への逃避を無意識に求めているからとも言えなくはなかったし、何よりも本を読む以上に楽しいものであふれているならばそれはそれでいいことだという少女はおおよそ子供らしくない達観した思いを持っていたからだ。

「さてと。じゃあ行くね」

「ああ。またおいで」

 フィーネが貸本屋から出ると、外はまるで蒸籠の中のように蒸し返していた。
焼けるような海陽の光は暴力的なまでにフィーネの肌に降り注ぎ、汗腺から汗を噴出させて体力を奪っていく。
フィーネは長つばのハットを被ると本を読みながら歩き始めた。

空調の行き届いた涼しい部屋で読んだ方が文脈も頭に入るのだが、彼女は少しせっかちな性格をしていたので、どうにも気になっていた本の続きが読みたくてしょうがなかったのだ。

「(家にある解読の本がなくてもある程度は翻訳できるかな?)」

フィーネは持ち前のせっかちさと探求心を抑えきれずにすぐさま本の世界の没頭する。

 本を読みながら歩くという愚行が彼女の運命を変えることになっていく。



 快晴という言葉がピッタリな空の下で草木を布団代わりに寝そべる。
それは何物にも代えがたい心地よさがあるものだ。

「さて……これからどうすっかな」

息苦しい孤児院から脱走した少年クロウは、草原で寝そべりながら足りない頭でこれからの算段を整える。
夏の匂いが入り混じる乾いた風が彼の髪を揺らし、クロウは深紅の瞳で空を見上げた。
その先に広がる青空にはここセルヤマ星に引かれる2つの衛星ジキルとハイドがまるで目前に迫るかのような大きさで浮かんでいた。

「おーい! クローウ!」

突如届いた同世代と思しき少年の声にクロウは振り返る。
すると、髪を短く刈り上げた同級生のタクミは走り寄った。

「おータクミ。どうした?」

まるでいつものごとく飄々とした様子でクロウは微笑む。
そんな彼を見てタクミは釈然としない笑みで彼を咎めた。

「どうしたじゃないよ。みんな血眼になって君のことを探してるよ」

「あん? 何だよ? 置手紙誰も見てねぇのか?」

「だからだよ! それでみんな探しるんだろ!」

クロウの天然ボケにタクミは息を切らせながらツッコむ。

 タクミはクロウと同じ孤児院に暮らす少年である。
ただ違うことがあるとすれば、タクミは多忙な母による妙な教育方針(心身共に鍛え早めに親離れする)によって孤児院に預けられていた。
その証拠に彼は季節の変わり目にある学校の長期休暇の際は、決まって母星であるヴァルキノス星に帰っている。
タクミの母は帝国内でもトップクラスの会社の取締役であり父はその会社の社長である。
両親はすでに離婚していたが、病弱な父に代わり母が経営の舵を握っており2人は現在良きビジネスパートナーとして支えあっているらしかった。

 そんなタクミにとってクロウという存在は共同生活を共にする友人であり、ほとんど会うことのない両親以上に家族という認識が強い厄介な存在だった。
厄介というのは彼の行動力のせいだ。
彼の通算数十……いや、百数回目の家出により孤児院である教会は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、その都度タクミはこうして誰よりも早く彼を見つけ出すのだ。

「じゃあオメーから言っとけ。もう帰る気はねぇから探すんじゃねぇって」

ぶっきらぼうな言葉を吐き捨てるクロウにタクミは自らの交渉術で彼に歩み寄る。

「そうはいかないだろう? 僕だって君がいなくなると寂しいじゃないか」

クロウは純真な少年だ。
彼はそれゆえに彼には嘘が通じない。
だから彼と交渉するときは腹を割って話すほかないのだ。

 タクミの本音にクロウは呆れたように笑う。

「カカカ! 何言ってんだ? 別にこの星から消えるわけじゃねぇんだからいつでも遊べるだろ?」

「いや、そういう問題じゃなくてね?」

「とにかく帰る気はねぇよ。しばらくはクラスの連中の家を回るつもりだ」

「友人たちはともかくご家族が君を泊めるかな?」

クロウの算段にタクミは水を差す。
そしてそんな彼の意見は最もでもあった。
周囲の大人はクロウに対して妙な疑惑を勝手に持っていたからだ。

 クロウの持つ深紅の瞳はラヴァナロス人特有のものである。
ラヴァナロスといえば皇帝が居を構える帝国最大の惑星であり、当然その星で暮らす人々は上流階級の人間というのはいうまでもない。
もちろん、帝国内での各惑星間移動が自由に行われている現在において、ラヴァナロス星に他惑星の人々が多く暮らしている。
だからこそ、純血のラヴァナロス人はこの帝国では高貴な存在として知られていたのだ。
さらに付け加えるなら、ラヴァナロス星から他の惑星に暮らす人間など、この帝国ではいよう筈がないということもある。
ラヴァナロス星は帝国随一の豊かさと安全さを持つ星であり、この星に住むことはある種帝国民のステータスですらあったからだ。
これらのことを踏まえれば、何故この純血のラヴァナロス人であるクロウが辺境にある準惑星の……ましてや神栄教ですらないタルゲリ教の教会で孤児として暮らしているのか不審に思うのも頷けるだろう。
百歩譲ってそのことを認めたとしても、本来なら彼のような純血が孤児となれば、多くの貴族や豪族が養子として欲しいと手を上げる筈なのだ。
なのに彼は12歳にして貰い手がつかず未だに孤児院暮らしを続けている。
これらの疑問は不審に変わり、やがて差別や侮蔑へと変貌していく。

――あの少年には何かある。

そう感じた大人たちは子供たちにクギを刺し、いつしか大人の前で彼と話す子供はいなくなっていた。

……が、それは建前のことだ。
子供には子供の世界があり、どれだけ大人が言っても聞き入れないことがある。
それは夜の繁華街や大人の店に出入りしようとする子供の深層心理であり、大人がダメと言えば反抗したくなるものなのだから。
そんな子供らの反発心、そしてクロウの持つ公平性、明るさ、リーダーシップは大人の声をかき消すものだったのだろう。
彼の周りには多くの友人がおり、何かあれば互いに助け合う関係性があったのだ。

 そんな彼には彼なりに作戦があったのだろう。
クロウは得意気にこれからのプランをタクミに披露しだした。

「大人の目掻い潜るなんざ楽勝だ。フィルの部屋は家の二階だけど梯子は準備済みだ。あとゲイブの部屋は家の離れにあるからすぐ入れる。それとミーナの家は」

「ちょちょちょちょっと待ってくれ!」

高説の途中でタクミは口を挟む。
聞き逃すことのできない名前が今耳に入ったのだ。
聞き間違いであることを祈りながらタクミはさらに続けた。

「じょ女子の! し、しかもミーナさんの部屋にまでイ、イ、イ、イクつもりかい!?」

「あ? 何だよ? ミーナが「ウチに来ていいよ」って言ってくれたからな。まぁ一晩だけだよ」

「ひひひひ一晩限りのつもりかいっ!」

普段は冷静沈着なタクミも、その本性は思春期の少年である。頭の中は卑猥な妄想で溢れかえり、彼の口から出た「行く」は「イク」になっていた。
そんなタクミにクロウは下衆な笑みを浮かべてくる。

「あーん? 何だ? オメーもしかして? そうかそうか! そいつは悪かった。ミーナん家はやめといてやるよ。俺もこの年で父親になるわけにはいかねぇからな」

「ななな何を! はははは破廉恥な! きき君はじょじょじょ常識というものが!」

「冗談だよ。ったく、オメーはもう少し母ちゃんを見習えよ」

「母を反面教師にしたんだよ!」

タクミの母は非常にフランクな人だった。
以前の長期休暇で帰る際に知ったことだが、現在母には48人の恋人がいるらしいのだ。
その帰省時にタクミはクロウを同行させ母を紹介したが、タクミが見る限り彼の母とクロウはどこかウマが合うようだったのだ。

「まぁオメーの母ちゃん美人だからしょうがねぇよ。この前会った時は俺もあと10年経ったら相手にしてくれるってよ」

「まさか君は母にまで!」

さらに加速するタクミの妄想にブレーキをかけるようにクロウはケラケラと笑う。

「だから冗談だっつーの! いちいち本気にすんな! あと“まで”ってなんだ! 誰にも手ぇ出しちゃいねぇよ!」

次はタクミの天然にクロウがツッコみをいれる。
タクミがホッとしたような表情を浮かべたのを見届けると、クロウは再び寝そべりだした。

「とにかくよ。もう何つーかあの孤児院は嫌なんだよなぁ。妙に仰々しいっつーか、俺のことを腫れ物扱うみたいにしやがってよ。保護者連中よりもアイツらの方がよっぽど気分悪いぜ」

クロウなりの本音を聞きながら冷静さを取り戻したタクミは彼の隣に腰を降ろした。

「僧官とは得てしてそういう者じゃないかな? 僕にだって妙に礼儀正しいしね」

「そりゃオメーはお坊ちゃんだからしょうがねぇだろ? 俺はフツーの孤児だぞ?」

「じゃあ差別しないということじゃないか。むしろ褒めるべきか所のような気がするけど?」

「ん? まぁそうだな? あーつまりあれだ! 俺はあーいう雰囲気が気に入らねぇってこと!」

「相変わらず話をまとめるのが下手糞だな」

タクミの苦言にクロウは笑って誤魔化す。
すると、本日2度目の大声がどこからともなく響き渡った。

「クローーーーーーーーウ!!!!!!」

その大声に次はクロウだけでなくタクミも振り返る。
そこには見慣れたクラスメイトが息を切らせながら走る姿があった。

「おう! どうした? オメーん家に泊まらせてもらうのは来週の……」

「そうじゃない! アイツが! ビスマルクが来やがった!」

少年の言葉にクロウは無言で立ち上がる。

 ビスマルク・オコナー。
それは2人が暮らす地区の隣地区で暮らす少年の名前である。
ビスマルクは一目で分かるほど子供らしからぬ長身を持っており、生まれた時のB.I.S検査においては体力値の評価がAランクだったという噂が流れていた。
そしてその噂を証明するかのように、彼はその長身に見合った腕力で隣地区の子供グループを支配する名の知れた悪ガキだったのだ。

「そうか。ついにこっちにも来やがったか」

クロウは少し困ったように……そして何か決意したように顔を上げる。
そんな彼の顔を見てタクミの顔は青褪めた。

「お、おいクロウ! まさか行く気かい!?」

「そりゃあな。向こうはどんな塩梅だ?」

クロウがそう尋ねると走ってきた少年は頷いた。

「う、うん。何か「さっさと探してこい」って子分に言ってたよ。で、これは他の地区の従兄に聞いたんだけど、ビスマルクってのは、まず町のリーダーを探してそいつと一騎打ちするらしいんだ。だから……多分クロウのことを探しているよ」

少年の返答にクロウはまるで臨戦態勢に入るかのようにストレッチを始めた。

「んじゃ、俺の方から出向いてやるか。向こうの出方次第じゃやるしかねぇな」

「何を言ってるんだ! 喧嘩なんて一度も勝ったことがないくせに!」

もはや戦う気満々のクロウにタクミは呆れたようにツッコミを入れる。

「勝ったこともねぇけど負けたこともねぇ! 俺は負けたことを認めてねぇからな!」

タクミの言う通り、クロウは喧嘩に限らず運動も勉強もからっきしだった。

 同じ孤児院で育ったタクミは僧官らの話でクロウはB.I.S検査で類稀にみる高数値を出したと聞いていたが、実際に一緒に生活してみると彼はまるで何の才能も持っていなかった。
彼が持っていたのは天性のリーダーシップとそこからくる妙なカリスマ性だけである。
そんな彼が隣地区のガキ大将と喧嘩をして勝てるはずもない。
下手をすれば本当に殺されるのではないかという危機感がタクミの中にはあった。

 そんなタクミの心配をよそにクロウは彼を呼びに来た少年に向き直り妙な自信を持ちながら指示を出した。

「とりあえず行くぜ! オメーは他のみんなにも声をかけといてくれ!」

「わ、分かった!」

クロウの指示に少年は急いで走り出すと、続いてクロウはタクミの方に振り返った。

「タクミはどうする? 一緒に来るか?」

「僕だって君ほどじゃないけど喧嘩なんてできないんだ。行っても役には立てないよ。ただ、交渉なら僕の方が上手だ。君も別に自分から喧嘩を吹っ掛ける気はないんだろう?」

タクミが確認を取るとクロウはニヤリと微笑みながら頷いた。

「そりゃそうだろ。俺のモットーは全員日々平穏だぜ?」

「本当だろうな?」

「あたりめぇだ。何事も平和的解決が一番だろうが」

「約束できるかい?」

「あのな? 俺が約束破ったことあるか?」

「278回ほど」

「カカカ! 数えられるうちは破ったに入んねぇよ!」

クロウはニッコリと笑う。
その笑顔は妙に安心感と期待感を膨らませ、多くの同世代が彼に惹きつけられる一因でもあった。この笑顔にやられてタクミはこれまで散々彼の行動に付き合ってきたのだ。
そして、今回もそうなることをタクミ自身も理解していた。

 クロウの微笑みに応えるようにタクミはゆっくりと立ち上がる。

「分かった。じゃあ僕も行くよ。交渉なら少しは役に立てそうだ」

タクミは両手でお尻についた泥を払うと、一つ咳払いをしてまるで警告するかのように目を閉じながらクロウの方に振り返った。

「その代わり! これが終わったら一緒に帰るんだよ!」

タクミがそう告げて目を開く。
しかし当の本人ともいえるクロウは聞く耳を持たぬと言わんばかりに両手で耳を塞ぎながら走り出していた。



 「あ、暑い!」

フィーネはいつのまにか自身の顔が汗にまみれていることに気が付いた。

 炎天下の中で本を読みながら歩いていた彼女は、思いのほか古代文字の翻訳ができることに歓喜し、歩くことをやめて道端に座り込んで本を読んでいた。
そこまではよかったのだが、問題は春から夏への季節の変わり目だったことだ。
現地の人からすれば暖かい気候は雪国生まれの彼女にとって夏真っ盛りの気温に相違ない。
その証拠にフィーネが額の汗を拭うと、彼女の腕には額からなのか腕からなのか分からないほどの量の汗が付着していた。

 フィーネは本を閉じて左手で抱え込み、右手で自らの顔を煽ぎながら立ち上がる。
そして大きく息をつくと家路に付き始めた。

「うーん。やっぱり家の中で読んだ方が効率的だよね」

今更になってからそんな当たり前のことを確信し彼女は歩き出す。
フィーネの中にはこんな状況を生み出したのは自身のせっかちさであると反省する感情と、自らの探究心を掻き立てるほどの魅力を持つこの世界のせいだという感情が彼女の中を駆け巡っていた。

「(いや……魅力的すぎだって安い恋愛小説の一説じゃないんだから)」

自身の責任転嫁に思わず小さく笑ってしまう。
だがそれも別にいいだろう。誰に迷惑をかける訳でもないのだから。

「それにしてもあっついなぁ……」

汗をかいたせいでフィーネの首や肩には髪がまとわりついていた。
どれだけ乾いた気候でも、彼女の毛量の中では一瞬で湿度に塗れた灼熱地獄になる。
あまりの暑さにクラクラしながら、フィーネは帽子を一度取るとウェーブ掛かった髪を束ねる。
乾いた風が解放された首筋に降りかかる。
その心地よさは今までに味わったことのないような快感だった。

「はぁ~」

 フィーネは目を閉じて全身で風を感じていると妙な気配を感じ取った。
いや、嫌な予感と言ってもいい。
彼女は恐る恐るゆっくりと目を開けると、進行方向から恐らく同世代であろう少年たちが歩いてくる姿が小さく映った。

「(あ……ガラが悪い)」

子供ながらにフィーネは少年らがあまり良くない子であると察した。
この地に引っ越してきて日が浅い彼女にとってみれば知らない顔があっても不思議なことはない。それでも、見た目で近づいていい人間と近づかない方がいい人間は区別できるものだ。そして目の前に近づきつつある少年らは明らかに後者だった。

 フィーネが歩を進めるごとに前の集団との距離は必然的に縮まっていく。
案の定、彼らはフィーネの前で足を止めるとニヤニヤしながら話しかけてきた。

「おーこっちの地区は可愛い子が多いじゃん」

「俺たちと遊ばねぇか?」

絵にかいたような言葉の羅列にフィーネは少し笑いをこらえる。
こういう陳腐なセリフを言うのは三下と相場が決まっているのだ。彼らは自らの価値を自らの言動で下げていることに何故気付かないのかと不思議に思うくらいだった。

「やめろ。怖がらせる必要はない」

三下と思しき少年らを遮るように低い声が唸る。
その声の持ち主を見てフィーネはさすがに息を呑んだ。
エアバイクに乗っていたらしく気付かなかったが、立ち上がった声の主はフィーネはおろか周囲の少年らと比較しても頭一つ抜きんでた長身だったのだ。

 今まで見たことがないような衝撃にフィーネは固まっていた。
おかげで洞察力の鋭い彼女が見落とすはずがないであろう少年が乗っていたエアバイクに張られた『児童用』のステッカーに視線が届くこともなくフィーネはただ茫然と少年の顔を見上げていた。

「よよ良い天気……ですねぇ」

「は?」

唐突な会話にフィーネは思わず疑問符を浮かべるが、目の前の長身の少年はたどたどしく続けた。

「い、いやぁ。あ、あふ、あとぅ、暑い、ですよねぇ? そ、その、どうです? こ、このたとお茶でも?」

吃音と噛み噛みの言葉にフィーネはますます呆然とする。
どうやらこれはこの少年なりのナンパのようなものなのかもしれない。

「す、すぎゅそこに、よよ良いぷん囲気のお店が……」

「あ、結構です」

フィーネはそう告げて足早に去ろうとすると、先程の三下連中が彼女の前に立ちはだかった。

「そんなこと言わないでさ。うちのリーダーと遊んであげてよ?」

「30分でいいから!」

どこか必死な形相で嘆願する姿を見ると、恐らくこの三下少年らは無理やりこの長身の少年に着いてこさせられただけなのだろう。
恐らくフィーネが知らないところで男子児童同士の上下関係や服従関係が存在するのかもしれなかった。

「っごご御本がががしゅ、趣味なんで、すかな?」

へこたれることなく歩み寄ってくる長身の少年にフィーネは恐怖した。
これは男子には中々理解しえない自身の貞操への危機感だった。

 長身の少年は息を荒げながらフィーネに歩み寄ると彼女の持つ本に手を伸ばす。
フィーネは思わず「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて一歩後ずさりしようとするが、背後に立っていた三下少年たちによって退路は断たれていた。

「みみみ見せてくださいよ? いいいいいい一緒しょしょにに! よよ読みまっそゆ?」

荒ぶる鼻息と最早聞き取れない言葉の羅列にフィーネは恐怖心と共に力が徐々に抜けていく。

 彼の手が本を掴み力をなくしたフィーネの手から奪われた瞬間だった。

「げふっ!!」

長身の少年は横から飛んできた何かに突き飛ばされ、フィーネの本を持ったまま地面に横転した!

「あっ! え、えぇとリ、リーダー!」

三下少年らが一応の忠誠心を見せるかのように駆け寄る。
フィーネはというと、先程感じた貞操を奪われるかもしれないような恐怖と目の前にいた少年が急に吹っ飛ぶという不可解な現象を目の当たりにして腰が抜けていた。
混乱する頭を整理しようと試みる中、聞きなれない声が耳に届く。

「一歩遅かったか。うちの地区の……しかも女子に手ェ出すとはな」

フィーネは声の方に振り返る。
そこには輝く海陽を背にした深紅の瞳を持つ少年が立っていた。

「おーい! 何でこういう時だけ足が速くなるんだ君は!」

 誰もが呆然とする中、彼の背後から刈上げ頭の少年が息を切らしながら走ってくる。
刈上げの少年はゼェゼェ息を荒げながら膝に手をつきながら俯いていたが、まるで子供のいたずらに嘆く母親のように顔を顰めながら顔を上げた。

「到着早々279回目の嘘をついたな! 何が全員日々平穏だっ!」

刈上げの少年は怒りと絶望が入り混じった声で叫んでいた。



 ビスマルク・オコナーという少年にはB.I.S値において体力値はAランクという噂があったが、それは事実だった。
Aランクと言えば、将来的にはスポーツ選手か軍の上層部にまで上りつめる可能性を持った非常に大きな素質である。
その分、彼は知能値においては知的障がいの基準値となる一歩手前のDランクというのも事実である。
その証拠にビスマルクは勉強の方はからきしだったが、運動においては同級生はおろか上級生にも引けを取らない。

 しかし、彼にとって自らの知能の低さは大きなコンプレックスでもあった。
それもこれも彼の母方の祖父がフマーオス星人だからに違いないと彼は思っていた。
しかし、彼は決して勉学に対して無関心だった訳ではない。
言葉の意味が理解できなければ、持ち前の体力で実際に見たり聞いたり試すという彼なりのやり方で多くのことを理解してきた。

そして今彼が理解しようとして行動しているのが“支配”である。

 彼は持ち前の腕っぷしの強さで周囲の同級生を力で制圧し支配下に置いたのだ。
そして今日、彼は“不可解”という言葉の意味を理解した。
この隣地区の町に越してきたという文学美少女を探しにやって来て、その少女を見つけたまではよかった。
しかし、意を決して彼女を遊びに誘った瞬間に背後から強烈な一撃を食らったのだ。
さらに不可解さを増したのが、その一撃を放った人物がこれまで彼によって制圧された地区のリーダ格や、彼に理不尽にカツアゲされた人物でもなく、見知らぬ少年だったことである。

「この地区も取りに来たって訳か?」

深紅の瞳から放たれる少年のどこか威厳のあるオーラにビスマルクは少したじろぎそうになったが、いつもの威勢で跳ね返した。

「ほーう? オラをビスマルク・オコナーって分かってて喧嘩売るんか」

ビスマルクは出来うる威圧感を最大限に発揮してゆっくりと立ち上がるが、少年は全く意に返さないように不敵に笑っていた。

「オメェがくたばる準備が出来たら売ってやるよ」

「クックック! 面白いやないか!」

 2人の間に火花が飛び散る。
元々ビスマルクはこの地区に興味などなかったが、このような状況になれば話は別だ。
何よりもこの現状を子分たちは息を呑んで見守っている。
子分たちの手前という小さな理由で彼はこの地区を自らの傘下に入れることを決定した。



 クロウは目の前に立ちはだかるビスマルクを見上げながら睨みつけると、かつてタクミに連れて行ってもらった彼の実家……ヴァルキノス星にある彼の母が経営する会社のビルを思い出した。

「(でっか……何食ってんだコイツ?)」

思わず心の中でそう呟くと、背後のタクミは彼の腕を掴みながら耳元で囁いた。

「(クロウ! 何で君はそう無茶をするんだ! こんな敵陣の中に突っ込むなんて!)」

「あ? しょうがねぇだろ。オメェは女が暴力振るわれてて……あ! そうだそうだ!」

ヒソヒソ話に対して普通の声で返答したクロウは、何かを思い出したかのようにビスマルクに背を向けてタクミの横を通り過ぎる。
そして彼は尻もちを付いていた少女に手を差し出した。

「おい。大丈夫か?」

「……え?」

呆然とする少女を見るに、彼女は今回の出来事にともかく恐怖を感じていたということは理解できた。

「立てるか?」

「う、うん……」

少女は恐る恐る手を差し出してくる。
クロウは彼女の手をがっしり掴むと優しく、そして力強く起こし上げた。

「さぁてと、ウチの地区のモンに手ェ出したけじめは付けてもらわねぇとな」

クロウはそう言って手首を回しながらビスマルクの方に振り返る。
すると、彼の子分らしき少年がビスマルクに向かって叫びだした。

「リ、リーダー! コイツだ! クロウ・ホーゲンとかいう最弱リーダーだ!」

「コラァ子分A! 最弱でも言っていいことと悪いことがあんだろうがぁッ!」

クロウは親の敵と言わんばかりの剣幕で少年に勝手なあだ名をつけて叫ぶと、その迫力に子分Aは体をビクつかせた。

「テメェらなぁ! 俺が喧嘩弱いからってなめんなよ! 喧嘩弱くてもオメェらなんぞには負けねぇ! 纏めてかかってこいコラァ!」

チンピラのごとく眉間に皺を寄せながら両手で煽るクロウに彼らは微妙な面持ちでビビっていた。
恐らく、弱いくせに自信に溢れるという矛盾に不気味さを感じているのだろう。

「お前ら下がってる。喧嘩は一対一でやるもんだからな」

ビスマルクはそう告げて首をゴキゴキ鳴らしながら歩み寄ってきた。
そんな彼の態度を見てクロウはボスマルクの認識を改めた。

「ほぉー? デカいだけのバカかと思ったけど意外と正々堂々としてるじゃねぇか」

「何言ってる? 正々堂々でも何でもない。お前くらいオラ一人で充分だってことだ」

「言ってくれるじゃねぇか。さぁて、やるか?」

二人の間に再び火花が走る。
クロウはビスマルクを見上げる。
恐らくまともにやって勝てる見込みは万が一にもない。
それでも逃げられない戦いはあるのだ。

 クロウが拳を振り上げようとした瞬間だった――

「ちょちょちょっと待ってくれよ!」

背後のタクミに水を差されクロウは思わずガクッと転びそうになって振り返ると、タクミは青褪めた表情でクロウに走り寄ってきた。

「ク、クロウ! 大変だよ! シャシャシャシャインさんが来てるって!」

子供が持つには早いと言われる通信端末……ケイスガを手にタクミがそう叫ぶと、クロウの目と顔の色が変わっていく。

「嘘だろ……今日だったっけ……」

「し、しかもこっちに向かってるって! どうしよう! 君だけならまだしも僕まで殺されるのは嫌だよ!」

「お、落ち着け! アイツから逃げる方法を考える! ……あぁ~ダメだぁ! どう足掻いても殺される絵しか浮かばねぇっ!」

クロウはタクミと共に絶望する。
愛と称した体罰と、指導と称した侮蔑、そして圧倒的に逆らえない姉的存在という称号を持つシャイン=エレナ・ホーゲンは2人にとって畏怖以外に例えようのない存在である。
そんな彼女が今日来ている……。
それは予防接種がある日の4時間目やプールの授業があるのに海パンを忘れた日など比較にならないほど恐怖を感じる日なのだ。

 狼狽する2人の様子を見て只事ではないと悟ってくれていたのか、それとも意外と空気が読めるタイプなのか固まっていたビスマルクは「お、おい!」と叫び、2人はようやく今の状況を思い出して振り返った。

「いいからさっさとやろうじゃねぇか!」

「うるせぇ! 今それどころじゃねぇんだよっ!」

「オ、オラと勝負するんだろうが!」

「だっかっらっ! オメェと勝負とかいう問題じゃねぇの! 今俺たちはもっとヤベェ状況に」

「おーい! クローウ!」

2人の声を遮るかのように挟まれた大声にクロウは振り返ると、そこにはビスマルクの襲来を告げてくれた少年が走ってくる姿があった。

「いやぁ! 間に合ったな! みんなももうすぐ来るよ! うわっ! ビビビビスマルクだぁっ!」

今更気付いた少年が尻もちを付くと、クロウは慌てて彼を起こしあげた。

「おい聞け! 今はヤべェ! このデカブツ以上にヤバい奴がこの星に来てんだ!」

「ビスマルク以上に!? で、でも大丈夫だよ! クロウ1人に戦わせない! みんなも来てくれるし、何より凄い助っ人も呼んだんだ!」

少年の明るい表情にクロウは不安を感じた。

「助っ人? 誰だよ?」

「ほら! 君のお姉さんにさっきたまたま会ってさ! 場所を教えておいたからもうすぐ」

「タクミーーーーーーッ!! 逃げるぞぉーーーーーーッ!!!!」

クロウは凄まじい剣幕でそう叫ぶと、タクミはただ「うん、うん」と頷いていた。

 少年の「ど、どこ行くんだよ!?」という言葉も耳に入らずクロウとタクミは走り出そうとすると、ビスマルクが彼等の進行方向に立ちはだかった。

「おぉいコラァ! いい加減にオラを無視するのはやめろぉッ!」

「うるせぇ! だからそれどころじゃねぇんだよ!」

「じゃあ勝負はオラの勝ちだなぁ! そ、そこのお嬢さんも……この本ももらってくぞぉ!」

一瞬下品な表情を浮かべたビスマルクの言葉などクロウは聞く耳を持たなかったが、ある一言が彼を正気に戻した。

「ダメッ!」

クロウはそう叫ぶ少女の方に振り返ると、彼女は慌てたような、不安そうな表情で手を組んでいた。

「か、返してよ! それ、わ、私のじゃないの! 借りてるものだから!」

少女の悲痛ともいえる叫びにクロウは我に返る。
そして自らの信念ともいえる芯を思い出した。

――全員日々平穏

今、目の前の少女の平穏が脅かされている。
それは彼の信念に背くことであり、彼にはそれを無視することなどできるはずがなかった。

「そうだったな。ワリィワリィ。さぁとにかくそいつ返してもらうぞ」

クロウはそう言ってビスマルクの方に向き直るとタクミが止めに入った。

「クロウ! よせ! 早く逃げないとシャインさんが!」

「タクミ。オメェは関係ねぇって言っといてやる。だから心配すんな」

「いやでも……!」

クロウの決意は変わらない。
今ここで彼女を助けなければ自分は必ず……一生後悔するのだ。
例え勝つことは出来なくても、本を取り返すくらいの力は自分にもあるはずだ。

 クロウがビスマルクに向かって一歩を進めた時、彼を遮るようにタクミが前に出た。

「そ、そんなに戦いたいならこうしよう! 明日の正午ここで血闘するんだ」

唐突な提案にクロウとビスマルクは硬直する。
いや、単純に2人はタクミの言っている意味がよく分からなかった。

 タクミは静寂に包まれた空気を脱するかのように胸を張って説明した。

「いいかい!? この国の帝国法では古くから血闘法というのがある! それによると、12歳以上同士の人間であれば性別、人種問わずに合法的に戦えるんだ! そしてそれは法的なこととして例え殺してしまっても法に触れることはない!」

タクミの言葉を理解したクロウはニヤリと笑った。
一日延びればビスマルクを倒す手段が見つかる可能性がある。
何より、今日ここで戦うのは得策ではない。ここにはこれからビスマルク以上に恐ろしい人間が来るのだから。

 クロウは少女の方に振り返ると屈託のない笑顔で尋ねた。

「なぁ。本だけど、明日でもいいか?」

その問いに少女はまるで状況に付いていけないかのように目を見開きながら頷く。
彼女の承認を確認してクロウはビスマルクの方に向かって歩き出した。

「よし、明日正式にやり合おうじゃねぇか」

クロウの言葉にビスマルクは微笑む。

「棺桶の準備する時間ができてよかったな?」

二人の間に再び火花が飛び散ると、タクミがその間に割って入り通信端末のケイスガから浮かび上がるウィンドウを2人の前に映し出した。

<血闘申請書>

それは国が管理する正式な書類である。
2人はそれぞれの欄に自らの名前を記入すると、利き手をかざして血闘を承認した。

「これで明日の正午にここで戦いだ! ……クロウ? そろそろ行こう?」

タクミはそう言ってクロウの腕を掴むと、クロウはビスマルクに向かって最後の言葉を残した。

「おいテメェ! 明日の正午までは悪さはなしだ! いいな!」

クロウはタクミに引き摺られながらようやくその場から退散した。



 夏とはいえ夜が訪れれば空からは光が消えて辺りは闇に覆われる。
シャインが未だあわただしさを保つ孤児院に帰ったのはそんな夜も更けた時間だった。

「おぉ! タクミ! こんな時間までどこに!」

先を歩いていたタクミを見つけたのだろう。
僧官の1人が安堵の顔を浮かべて歩み寄ってくる。
しかし、その僧官の表情はシャインともう1人の姿を捉えるとみるみるうちに青褪めていった。

「シャシャシャシャ、シャイン殿! ここここれは!」

「あーちょっと説教も兼ねてね」

シャインはそう言って脇に抱えていたクロウを放り投げる。
床に転げ落ちたクロウは目が×になりボロボロになりながら気絶していた。

「ここここれは虐待ですぞ!」

「いや、自業自得だね」

僧官の叫びにも似た苦言にタクミは呆れたようにそう吐き捨てる。
するとシャインは目を光らせながら彼の頭を掴んだ。

「アンタも同罪みたいなもんでしょうが。忘れたっての?」

「あぅ……ご、ごめんなさい」

見た目は同世代だったが、シャインと2人の間には大きな段差があるように見えるのは気のせいではない。
2人からすればシャインというのは抗いようのない姉のような存在なのだ。

 シャインの放つ小柄な体から想像できないまるで龍の如き巨大なオーラによって、タクミに限らず僧官等までもが蛇に睨まれた蛙のごとく委縮していると、気絶していたクロウはゆっくりと目を開いた。

「ぐぐぐ……い、痛ぇなぁ! ……このババア!」

「あ゛ぁん!? だれがクソババアだ!?」

「い、いや、クソは言ってな」

「うるせぇっ!」

シャインは否応なしにクロウの頭に拳骨を振り下ろす。
すると、彼は両手で頭頂部を抑えながらその場にしゃがみこんだ。

「い、痛ってぇんだよ! 何でもかんでも殴りやがって! オメェにはラブ&ピースの精神とかコンプライアンス問題とかねぇのか!」

「覚えたての言葉使って大人ぶってんじゃねぇわよクソガキ! もう一発くれてやろうかっ!」

「グググ! テメェいつか絶対泣かしてやる!」

シャインは左手でクロウの胸倉をつかみ上げて右拳に息を吹きかける。
彼女の一挙手一投足にクロウは恐怖と屈辱が入り混じったような表情で歯を食いしばる。
その光景は猛獣使いと猛獣、もしくは凶悪な姉と反抗期の弟だった。

 シャインはその小柄な身体には似つかわしくない腕力でクロウの胸倉を掴んだまま再びヒョイと持ち上げると、目を吊り上げたまま歩き出した。

「なななんだよ! どこ連れて行く気だ!」

狼狽するクロウにシャインはまるで悪魔のように彼に微笑んだ。

「これで許すと思った~? 明日と明後日は休みとったからねぇ~? 今日は一晩中可愛がってやるよ! 折檻の時間じゃぁぁぁぁ!」

「テ、テメェ! 公然と児童虐待を口走ってんじゃなぇ! おい僧官ども! お、俺を助けろっ!」

「いくら叫んだって誰も来やしないわよ~? 仮に来たとしてもソイツは死刑だっ! タクミ!」

まるで透明人間のように気配を消し、その場からこっそりと逃げ出そうとしていたタクミをシャインは見逃すはずがなかった。
彼女に名を呼ばれたタクミは絵にかいたような抜き足差し足の体制からビクッと体を震わせ固まっている。

「どこ行くのよ? まぁ行ってもいいよ? 後でどうなってもいいならね? 利口なアンタならこの後どうすればいいか分かるよね? それとも分かんないんなら徹底して教えてあげようか?」

「……ハイ」

タクミは全てを悟ったかのような、もしくは何もかも諦めたかのような無の表情でシャインの後ろに付き従う。

 呆然とする僧官たちを尻目に、シャインは2人を離れの館へと歩を進めた。



 「んで? どーするわけ?」

目の前のシャインは尊大にふんぞり返りながら椅子に座り足を組んでいる。
人によればセクシーなポーズなのだろうが、いかんせん童女の彼女がそんな体制になっても子供が粋がっているようにしか見えないのが彼女の残念なところだろう。

「何がだよ? 決まってんだろ? なぁタクミ?」

「……よく考えたら僕逃げる必要なかったんだよね……何で君に付いて行っちゃったんだろう?」

「連れねぇこと言うなよ? ダチだろ?」

「悪友だよね」

「何しょげてんだよ? 女虐める野郎なんて俺がぶっ飛ばしてやるぜ?」

「……よくそんな顔で言えるよね」

タクミの言うように、クロウの顔はボコボコに腫れあがっていた。
彼女はお仕置きと称して本当に折檻を行ったのだからどうしようもない。

 クロウは傷だらけの癖に胡坐をかきながら腕を組むという、何故か偉そうな態度で口を開いた。

「とりあえず、勝負は明日だ。ビスマルクの野郎は俺がぶっ飛ばす」

「だからどうやってぶっ飛ばすの?」

呆れたようなシャインの問いにクロウも呆れ返しと言わんばかりに彼にとっての当然の答えを告げた。

「んなもん気合だ気合。喧嘩ってのは負けを認めなきゃ勝ちなんだよ。俺はどれだけやられても負けは認めねぇ。喧嘩ってのはそういうもんだ」

「何でそう弱っちい癖に喧嘩っ早いかね? もう少し自分の身の丈に」

「うっせぇな。これは喧嘩の勝ち負けの問題じゃねぇんだよ。それともなんだ? オメェは男が女殴ってても見過ごすのかよ?」

口の減らないクロウにシャインは溜息をつく、すると彼女は諭すかのようにクロウの目をまっすぐに見つめてきた。

「あのねクロウ。アンタは純真だと思ってたけど違うわ。ちょっと度が過ぎてるもん。アンタが言う善悪の判断は間違ってないと思うよ? そんでもってその悪を見過さないのも立派なもんよ」

珍しく褒めてくれるシャインにクロウは気分がよさげに「うん、うん」と頷く、対照的にシャインは呆れた表情のまま言葉を続けた。

「だからってね……血闘だなんて10年早いんだよバカ!」

シャインは急速に間合いを詰めると、右拳をクロウの頭に振り下ろした!

「イッッテェェなぁっ! オメェは殴らねぇと会話出来ねぇのか!」

クロウは両手で頭を抑えながら叫ぶとシャインは頭を抱えていた。

 血闘……それは帝国法で定められた唯一の殺人許可法である。

帝国法第98358条
血闘法……
帝国内において12歳以上の2名同士の中で正当性を証明する際に用いる。
立会人は5名以上その中に中立の人物を1名以上有することを条件とする。
戦いの手段、勝敗については双方同意のもとに行う。
双方の同意が認められた場合、衛星端末等で申請することとする。
血闘の過程、結果には何人たりとも介入することを禁ずる。
(帝国法全書より)

 このご時世で血闘を行う者などいない。
10万以上ある帝国法の中で存在さえ忘れ去られた法律だったのだ。
現にここ数百年で血闘法を使用した帝国民など存在しない。
そんな存在である血闘法をクロウがも知っているはずもなく、こうなったのには当然訳があった。

「アンタはどういうつもりよ?」

シャインの視線の先にいる少年……クロウに血闘法の存在を教えてくれたタクミは唇を尖らせながら告げた。

「いや、その……まさか本当に申請するとは思わなくて……」

タクミはまるでついた嘘が本当になって焦るように戸惑うような怯えたような表情を浮かべていた。

「あのね。このバカが嗾けられて引くわけないでしょ? バカなんだから! アンタもそれくらい分かるでしょ!」

「おい! バカな俺でも今俺の事バカって言ってんのは分かってんぞ!」

「その通りだよバカ! 黙ってろバカ!」

「バカバカ言うんじゃなぇ! 大体さっきから何が言いてぇんだ! もう済んだこととやかく言ってもしょうがねぇだろ! こうなったら明日勝つしかねぇんだよ!」

 クロウは純真な深紅の瞳で立ち上がる。
彼は自分が利口ではないことは分かっているのだろう。
しかし厄介なのは単純な善悪は理解していることだとシャインは思っていた。

聞けばビスマルクという少年は他地区の同世代からすれば恐怖の対象らしい。
誰かが何とかしなければならない。
そんなビスマルクを止める役が務まるかどうかは分からないが、その役が回ってきた時にクロウは逃げることなどできるタイプではないのだ。

 彼には根底に全員日々平穏という理想がある。
今回の件は少なくとも近隣地区の同世代にとって平穏が訪れるはずなのだ。
だからと言って別に同世代の少年少女らに恩着せがましく見得を切りたいなどとは全く思ってもいないだろう。
これはクロウの全員日々平穏という理想……いわば野望のために行うのだ。
そして野望のためには多少の傷を負わなければならないということをクロウは子供なりに理解しているに違いない。

 クロウはツカツカとシャインに歩み寄ると胸を張りながら偉そうに告げてきた。

「とにかくだ! 明日は負けるわけにはいかねぇ! シャイン! オメェは俺の為に何かその、こう、必殺技みてぇなもんを教えろ!」

「一朝一夕で覚えられるわけないでしょ! というかそれが教わる態度か!」

「やってみなきゃわかんねぇだろ! オラ! 頼むからよ! 教えやがってください!」

「バカ! タクミ! アンタも何とか言いなさい!」

「シャインさん。僕からも頼むよ。クロウに何か教えてあげてほしい」

思いがけない親友の援護にクロウは目を輝かせる。

「おぉ! いいぞタクミ! もっと言ってやれ!」

「相手は長身で腕っぷしも強い。こう言っちゃなんだけど、子供には子供の世界があるんだ。何より僕は個人的にクロウが負ける姿は見たくないよ」

「よく言ったタクミ! さすが俺のダチだ!」

「もうこうなったらとことん君に付き合うよ」

勝手に友情をはぐくむバカな弟2人を見てシャインは呆れたように頭を掻きむしった。



 フィーネがこのセルヤマ星に母と2人で引っ越してきたのは数カ月前のことである。
今日は珍しく母娘二人で食卓を囲むことが出来た貴重な日でもある。
だからこそフィーネは笑顔を絶やさなかった。
彼女にとって母は唯一の肉親であり大切な存在なのだから。

「お母さん。あの……今日も貸本屋さんに行ってきたんだ」

「そう」

「私ね。何も見なくても古代文字を少し解読できるんだよ」

「そう」

母1人娘1人の生活は決して裕福ではない。
事実、フィーネの母は基本的に家にはおらず、いつもどこかに出かけている。

 そんな母は疲れているのか、いつも食事を適当に済ませてすぐに眠っていた。
だから、この僅かな夕食の時間だけがフィーネにとって母とコミュニケーションをとれる時間だった。

「あ、あとね。今日男の子たちが喧嘩してたんだ」

「そう」

「何か分からないけど明日決闘するんだって」

「そう」

「本当、すぐ決闘なんて男の子ってバカだよねー」

「フィーネ。お母さんもう寝るからあなたも早く食べなさい」

母はいつもと同じ表情でそう告げる。
フィーネは笑顔で「うん!」と答えた。

 フィーネはスープをかきこむと、母は洗面台からコンタクトレンズを取り出していた。

「フィーネ」

「何? お母さん」

母から名前を呼んでもらえる。
それだけでフィーネの顔は輝いた。
洗面台に立っていた母はフィーネの方に振り返らずいつもと同じ口調で告げた。

「寝る前はコンタクトを外すのよ」

「うん!」

心配してくれる母の気遣いがフィーネは嬉しかった。
鏡越しに大好きな母の顔を覗く。
母の瞳はいつものように美しくエメラルド色に輝いていた。

 母な仕事が忙しいのだ。
フィーネは心の中でそう自分に言い聞かせる。
自分に対して関心がないように見えるのも、いつも手料理がないことも、何日も家を空けるのも決して自分が愛されていないからではない。

 そう思わなければ彼女は本当に孤独の中を彷徨ってしまうのだから……


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 「死ぬには悪くねぇ日だな」

雲一つない晴天となった翌日――
クロウはボロボロの顔で腹をくくったかのようにそう告げると、隣のタクミは大げさに悲しそうな顔を浮かべた。

「縁起でもないことこと言うなよ。血闘とはいえ子供の喧嘩だ。死ぬ前に何とか決着がつくさ」

「アイツがぶっ倒れてか?」

「もしくは君が気絶してね」

タクミはそう言って微笑む。そして彼はクロウの背中を強く叩いてきた。

 クロウの友人たちやビスマルクが呼び出した別地区の少年等が円を作り、小さなコロシアムが出来上がっている。
クロウはタクミを引き連れてそのコロシアムへと足を運ぶと、友人達から「クローウ!」「がんばれ!」「お前にかかってるぞ!」という声援が響き渡る。
一方、敵陣ともいえるビスマルク側の連中からは「よっ! 最弱リーダー!」「俺でも勝てちゃうかもねー!」「頑張れよ自殺願望者!」というヤジが飛び交っていた。

「よぉく逃げなかったなぁ? クロウちゃんよぉ?」

長身で腕を組むビスマルクは絵にかいたような悪役っぷりでそう叫ぶと、昨日以上に顔を腫れさせたクロウは鼻で笑いながら叫んだ。

「改めてみるとやっぱり無駄にデケェなビスマルク! まぁ馬鹿は高いところが好きって言うからな!」

まずは始まった舌戦に周囲のギャラリーも熱気を増す。
ビスマルクはというと単純で周囲が見えないのか、まるで茹蛸のように顔を赤くして鼻息を荒げていた。

「口の減らない奴だ! オラに勝てると思ってんのか!」

「その言葉そっくりそのまま返してやんよ!」

2人の子供じみた(実際子供なのだが)舌戦が終わるとタクミが二人の間に入った。
彼は血闘の持ちかけ人として血闘法に基づく前説をするという役を買って出たのだ。
とはいっても、通信端末のケイスガに書かれている文章を読み上げるだけだと聞いていたが、どことなく彼が緊張しているようにクロウは思えた。

「血闘法に基づきここにクロウ・ホーゲンとビスマルク・オコナーの決闘を行う! ここにいる全員が未届け人であり、敗者には弔いを、勝者には賞賛の礼節を怠らないことを誓うように! 勝敗は……双方どちらかが降参するか気絶するかで決定し、勝者は敗者から何かを得ることを許可する! ビスマルク! 君が勝った時は何を求める!」

その問いにビスマルクは不敵に笑った。

「この地区をもらう! あと、その……お、女の子を……え、ええい! とにかくこの地区はオラのもんだ!」

歯切れの悪い言葉にクロウは「ケッ」と笑うと、タクミは次にクロウに同じ質問をしてきた。

「クロウ! 君が勝った時は何を求める?」

そう聞かれてクロウは不敵な笑みを浮かべてから徐々に戸惑った表情になっていった。

 彼は何も望んでいないのだ。
元々今回の件も別に喧嘩をしたかったわけではない。
ただ自分の心根にある“全員日々平穏”という信条を守るために戦う道を選んだだけなのだ。

「(何貰えばいーんだ?)」

クロウは視線を空に上げながら考える。
真っ青な晴天には雲一つなく、暖かく力強い光を降り注ぐ海陽には暈が形成されていた。

「……あ、とりあえず昨日の本返してやれ」

クロウは思い出したようにそう告げると、ビスマルクを含む敵陣はきょとんとしていた。

「クロウ! バカ! もっとあんだろ!」

「それでも俺たちのボスかよ!」

「何であんな奴をリーダーにしちまったんだ!」

味方からも辛辣な言葉が投げかけられる中、タクミだけは納得したように微笑みながら再び声を上げた。

「では双方正々堂々と戦うように! 始め!」

かくして、セルヤマの悪童2人の決戦の火ぶたは切って落とされた。



 暑い日差しの中、木陰で休憩していたフィーネはようやく立ち上がった。

「(……はぁ~。結局返ってこなかったあの本……今頃どうなってるんだろ?)」

フィーネは心の中でため息をつく。

 あの品性のなさそうな少年らの手で汚されているに違いない。
これだから男は嫌いなのだ。
あの深紅の瞳の少年も偉そうなことを言っていたが体格から見て勝てるはずがない。
もしかしたら今日は決闘などせずにどこかへ逃げてしまっているかもしれないとさえ彼女は思っていた。

――男を信用するな。

それが母が唯一彼女に教えてくれたことであり、彼女にとっての真意でもある。
一番身近な異性である父親が彼女ら母娘を捨てて姿をくらました時から、彼女は男に信用はおいていない。
男は常に目先の利益や野心によって身を亡ぼすのだから。

 炎天下の中フィーネは

「……本がないと暇だなぁ」

改めて自分は読書以外の趣味や友人がいないことを嘆く。
故郷にいた頃も友人などいなかったが、多くの情報がある図書館があったおかげで退屈を感じたことはなかった。母に対して恨みがあるとすれば、このような僻地に引っ越してきたことくらいである。

「おい! 始まってるってよ!」

「クロウの奴結構粘ってるらしいぜ!」

追い越していく少年らの声にフィーネは顔を顰める。

「……粘ってる?」

前を走っていく少年らの行く先を進むと、昨日フィーネが入った貸本屋がある街に出る。
つまりこの道を行けば、あの男の子らが騒いでいた場所へと繋がるのだ。

「……え? 本当に戦ってんの?」

フィーネは思わず息を呑む。
そしてズタボロになり血だらけになった昨日の少年の姿が頭に浮かんだ。
気が付くと彼女は炎天下の中で早足になり、いつの間にか風を切って走り出していた。

 なぜ走り出しているのか彼女にも分からなかった。
ただ、昨日起きたあの出来事は彼女にとって巻き込まれただけの事故でしかないはずであり無視しても問題ないことのはずだ。

「(私は……そう! あの本が気がかりなだけ! 本当それだけ!)」

まるで自分に言い訳するように彼女は心の中で叫ぶ。
あの深紅の瞳をした少年がどうなろうと彼女の知ったことではない。
昨日奪われたあの本が無事かどうかが重要なのだ。
本さえ返ってくれば、彼らに用などない。さっさと家に戻って古代文字の解読をしたいだけだ。
そんな常套句がフィーネの心の中を駆け巡る。
しかし、彼女の心に浮かぶ情景にはあの深紅の瞳をした少年が踏ん張って立ち続ける光景が広がっていた。

 いつの間にか追い越した少年らをよそにフィーネは走り続けると、大きな声援が耳に届き始める。
しかし、それは決して走る彼女にかけられるものではない。

 徐々に見え始めた人だかりにフィーネは息を切らしながら飛び込んでいく。
男だらけのむさ苦しい空気の中、数少ない女子の「キャ!」「ねぇクロウ君もうヤバくない!?」という悲鳴にも近い声が耳に入ってくる。

 いつの間にかフィーネの心の中に会った言い訳は消え去っていた。
彼女はここで確信する。
あの深紅の瞳をした少年は純粋に彼女を助けるために戦ってくれているのだ。

 人混みを掻い潜って彼女は円の中央……最前列に辿り着くと「グシャ」という鈍い音が響き渡り、彼女の頬に血しぶきが飛び散った。



 2人の戦いは壮絶……とは言い難かった。
クロウが殴り飛ばされては起き上がり、クロウが蹴り飛ばされては起き上がり、クロウが投げ飛ばされては起き上がることの繰り返しだった。

「ゼェ……テメェ……ゼェ……いい加減に……ゼェ……諦めろ……ゼェ」

殴り疲れて肩で息をするビスマルクに対して、クロウはボロボロになりながらも、ファイティングポーズをとったままフラフラと立ち上がっていた。
呆然と2人の決闘を眺めるビスマルクの子分たちとは対照的にクロウの仲間たちは皆一様に「頑張れ!」「負けるな!」と応援を続けている。その声が彼を何度も立たせるのだ

「ろーひは! ほへははははっへふほ!」

クロウは血の味しかしない口でそう叫ぶとビスマルクは汗にまみれながら激昂した。

「何言ってるか分からねぇんだよ!」

ビスマルクの本日何度目かの拳がクロウの右頬を捉える! 
しかし、クロウは倒れることなく頬でビスマルクの拳を受け止める。

「おあ! ははってほいよ!」

身体がミシミシと音を立て思うように動かない。
クロウはただ気力と根性だけで背骨に力を入れ顔でビスマルクの拳を押し返す。

「ゼェ……ゼェ……な、なんなんだ……ゼェ……テゼェ……ぐ……」

ビスマルクは明らかに様子がおかしくなっていた。
どれだけ悪ぶっても彼はまだ少年なのだ。
普段は単純なパンチや蹴りを数発入れれば大抵の者は降参していたのだろう。

だがクロウは違う。

どれだけボロボロのなろうとも彼は決して膝を折らない。

自らの信念を貫き通すために戦うという選択をしたのは自分自身なのだ。
ここで負けることはビスマルクだけでなく自分にさえ負けることになると彼は感じていた。

「ゼェ……ゼェ……ゼェ……いい加減に……ゼェ……しやがれ!」

ビスマルクの拳が次はクロウの左頬を捉える。
顔の向きを変えながらその拳を顔で受け止めると、僅かに開く瞼の隙間から見覚えのある顔が飛び込んできた。

――が ん ば れ

少女の表情から読み取った言葉をクロウは噛み締める。そして宣言した根本的目的を思い返した。

「(あーコイツ……そーだった。コイツの本取り返してやんねぇと)」

クロウは視線をビスマルクに戻すと歯を食いしばる。
その瞬間――クロウの身体に妙な感覚が走った。

腕も足も顔も体全体がギシギシと痛む。
しかし、それでも立ち上がるのは自分の中にある折れてはいけないものを守る為でもある。
目の前に虐められている少女が居れば助けてやることはおかしなことじゃない。
今ここで人と殴り合うことは世間一般から見れば悪いことかもしれない。
ただ自分は間違ってはいない。
そう信じることが出来たのだ。
そう思った瞬間、身体に力が入った。

 クロウは右拳を握り締めると、昨晩散々シャインに教えられたことを改めて実践しようと試みた。

右拳に全体重を乗せる
右足を踏み込む。
左足で支える。
腰を捻る。
左腕を肩ごと引く。
右拳まっすぐビスマルクの顔をぶちぬくように打つ!

それは基本的なストレートの打ち方に他ならない。
運動のできない彼にとって基本動作でさえも普通の人間の上級技になる。
凡人たる少年がどれだけ努力しようともそうなるには多くの年月を要するだろう。
しかし、彼が右拳を一閃した瞬間、それまで騒いでいた味方も沈黙した。

単純な動きは精錬されると美しくなる。
クロウが放った拳は誰もが見ほれる美しさを持っていた。

「ガハッ!」

静寂の中でビスマルクの呻き声が響き渡る。

 クロウが放った拳はビスマルクの顔面を撃ち抜き、ビスマルクが天を仰ぐと同時に鼻から飛び散った鮮血は、まるで赤い霧のように宙を舞った。

 壮絶な決着に周囲は沈黙する。
クロウは大の字になって倒れるビスマルクを跨ぎ足を引きずりながら歩を進める。
ビスマルクの子分が「ひっ」と恐怖の声を上げようとするが、クロウの放つ圧倒的威圧感からだろう。
彼は身動きが取れなくなっていた。

「よほせ」

「は、はひっ!?」

少年は身体を強張らせるとクロウはペッと血を吐き捨てて言い直した。

「そいつをよこせ」

その言葉に少年は自らが持っていた本をいそいそと彼に差し出した。

 クロウは本を受け取ると再び足を引きずりながら少女の前まで歩み寄る。
そして彼女にそっと本を差し出した。

「ほら取り返したぞ」

そう言って差し出された本は彼の持った個所にうっすらと血が滲んでいた。
本を呆然と見下ろしていた少女は両手でしっかり受け取る。

「……ありが、とう」

「カカカ。気にすんな」

ボロボロのクロウはそう言って二カッと笑う。
その汚い笑顔に少女はただ「うん……」と答えて本を抱きしめていた。

 本を渡したクロウはそのまま踵を返そうとした拍子に思わず体がよろけだした。
まるで急に力が抜けたような感覚に彼は思わず「うおっ」と声を上げる。
しかし、彼が膝をつくことはなかった。

少女が本を捨てて彼の腕を掴んでくれていたからだ。

「お、サンキュ」

クロウはまた微笑むと少女はクロウに肩を貸したまま本を拾い上げ、先程まで声援を送ってくれていたクロウの友人たちの方へと歩き出した。

「そういえばよ」

クロウは今更になって思った。
とてつもなく単純なことを彼は知らなかったのだ。

「オメェ名前なんだ?」

「え? 私? 私はフィーネ。フィーネ・ラフォーレ……でも本当は」

少女はそう言ってクロウの耳元に顔を近づけた。

「(本当はフィーネ・ゴールベリ。みんなには内緒ね)」

 2人はゆっくりと歩きながら仲間たちの前に辿り着く。
呆然とするタクミをはじめとした少年たちの顔を見たクロウは、右拳を掲げボロボロに腫れあがった顔で笑顔を作った。

「カカカ! 楽勝! んで新しい友達だ。フィーネだってよ」

彼のその一言で仲間たちは飛び上がり大歓声でクロウを抱え上げた!



 遠巻きに同世代の少年たちに抱え上げられるクロウの顔はボロボロだった。
昨晩散々教えたフットワークはまるで出来ていなかったし何よりも攻撃が単調で遅い。
唯一良かった点は最後のストレートと決して倒れなかった根性くらいだろう。

「よく勝てたもんだわ」

見た目は歓喜に沸く少年らと変わらない外見をした童女の姿で気取るシャインは端から見れば少し滑稽に見えた。
しかし、それでも彼女は今自分が笑みを浮かべてしまっているという事実に浸りながら確信していた。

「……ジュリアンの見立ては間違ってなかったってことか」

シャインは多くの少年らに抱え上げられながらカチドキを上げるクロウを見届けると踵を返して歩き出す。そして心の中で決意した。

クロウが全員日々平穏を求めるなら彼女も一つの目標を掲げる

彼を……ダンジョウ=クロウ・ガウネリンを必ず皇帝にすると……。

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