ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第23話 島津義弘親子と7匹の猫達

島津義弘親子は猫と密接な関りがありました。
正確に言えば島津義弘と異国の地で戦死した久保(ひさやす)の2人と猫との関係です。
今回はフウイが調べたそうした逸話についてお話ししたいと思います。
彼らは豊臣秀吉からの命令で朝鮮に行かなければなりませんでした。
当時の島津は九州での連戦での戦ののち豊臣秀吉に大敗し、領地も削られるという最悪な状態でした。
余りに貧乏なので朝鮮にわたる船さえ用意できず大遅刻ならぬ大遅参となりました。
戦いに備え義弘は時間を知るようにするために7匹の猫を連れていきました。
時間を知るには猫の目をみてその変化で時刻を推察したようです。
当時の逸話に暖炉を囲んで君臣の区別なくくつろぎ、結果一人も凍死者が出なかったとあります。
もしかしたら猫達も兵士たちに寄り添い文字通り生死を共にしていたのかもしれません。
その姿を想像するだけでも心が温まるとフウイは思うのでした。
朝鮮での戦いは壮絶で、精強島津軍の中でも戦闘ではなく病気で死ぬものが現れました。
そして、久保も病死しました。
そして猫達も7匹の内残ったものは2匹だったそうです。
息子の死を悲しみ思い出の猫たちのことを思ったのでしょうか。
帰国後、磯庭園という場所の一部に猫神神社を建立し7匹の猫たちは祀られているそうです。
島津家は戦死者に対して敵味方の区別をしない様にと日新斎の教えがありましたが、同時に特別な建物を建てるようにとは教えていませんでした。
そのことを考えるとよほど猫達のことを思い悲しんだ様子が想像できます。
感傷に浸りつつも、フウイは現実に目を向けました。
懸命に孤軍奮闘する祭り之介、宮之城を何とかしたいという彼の助けになるような方法を考え始めた。
そして少ししてから2つの方針が浮かびました。
1つは猫に思い入れを持つ人々にこの逸話をつたえること、もう一つはこの逸話をクリエイターとして面白い材料として料理できるような作家につたえることでした。
彼は自分の今の立場が作戦を立てる「軍師」ではなく忍者になるべきではないかと考えはじめました。
そういえば「ネット軍師」なんて言葉もあったっけかなあ、彼は独白しました。
ネット軍師とはとある活動家が自分に反対したり提案するパソコン先の人々に、自分からは行動しないという揶揄を込めて使われた言葉でした。
ネット軍師から忍者へ、これは出世なのか降格なのか微妙だなと自傷気味に考えました。
これがゲームであればボタン一つで忍者が働き世論を変えてくれそれは数字に簡単に現れますがこれは現実です。
そう簡単にはいかないことを肝に銘じつつ実行に移すことを決意しました。
フウイの行動が始まります。





          

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