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「拝啓、親愛なるヒカルに告ゲル」

コバヤシライタ

第二部「僕に彼女に降り積もる雪」④

第三章「夜行列車は眠らない」


太陽は当たり前だが、誰にでも同じように降り注ぐ。一秒でも早く情報を捕まえようとしているビジネスマンにも、シルクの心を持った恋に恋する少女にも、どうしようもない生活にも「仕方がないよ」と笑うどこかのホームレスにも…。ただし同じ光を浴びていながらもそれぞれの行きたい道も生きたい道も違うし、それぞれに感じる温もりも輝きもエネルギーも違うはずである。そしてその違いは客観的に見た幸福度に比例するとは必ずしも限らない。取引の最中のビジネスマンにとって太陽の光は間違いなく生きるための最低限の温度にしか感じないだろうし、破れてしまったシルクの心の少女には明るさだけの輝きに感じるだろうし、公園の名前も知らない花が咲いた日のホームレスには自分の足しにならない太陽の光にも不思議なエネルギーがみなぎってくるはずである。

―プロの野球選手にとっての太陽の光ってどんな感じだろうな…―

プロはプロでもいろいろなプロがある。とりあえずヒカルは四国独立リーグの選手になって最初の夏を向かえた。2005年に発足したこの独立リーグはプロ野球チームのない四国の有望な選手、プロへの夢を諦めない野球人のためのパイプ役となっていた……はずだった。急速に廃れたわけではない。急速に発展していったのだ。地域密着の面で大成功を収めたあとは各自治体が地方独立リーグをこぞって作るようになった。そして次第に地方同士の交流戦も増えていき、ちょうどサッカーのプロリーグのような組織が出来上がっていたのだ。とにかくほんの十年足らずで日本の野球少年の夢の矛先は確実に変わろうとしていた。本来あったプロリーグは憧れの的であることは変わりないが、まず地方リーグで実績を上げてからという風潮が強くなってきたのだ。そのおかげで幼少期の頃からスポーツ漬けになることが少なくなり、プロを挫折したあとに人生を堕落していってしまうという事が少なくなると、どこかの専門家が分析していたが…。

―もう野球付けの人はどうなるって言うんでしょうねぇ…―

ヒカルはスポーツ学的に、あまり好ましくない例とされる幼少期からスポーツばかりをしてきた人の典型的な例であった。小学生の時にサブマリン投法をみてからピッチャーにのめりこみ、ただでさえ珍しいアンダースローを小学生の時から身につけていた。球速は決して早くはなかったが、低めに集めるコントロールで内野ゴロの山を築きあげ、地方の常勝軍団に切っても切り離せない存在として小学、中学と過ごしてきた。そこから中学の時から漠然と夢見ていた「プロ野球選手」となるまでは、お世辞にも平坦な道のりとは言えないが、とにかく地元のプロチームに22歳という少し遅めの入団を果たしたのだった。28歳の選手であれば当然即戦力の社会人ルーキーかと思えばそうではない。

―甲子園一度出場 (一回戦敗退)―

これがヒカルの唯一の実績である。しかしアンダースローの珍しさから一試合しか経験していない大会の顔となり高校卒業のその年にプロ入りが確実視されていた………いたのだ。別にドラフトで誰にも指名されなかったわけではない。国内屈指の人気チームにドラフト6位指名をされ、マスコミにもそれなりに注目されようとしていた矢先に突然ヒカル自身が入団を拒否したのだ。別に新人王候補なわけでもないのに、マスコミの絶好の餌となり良いようにも悪いようにも、いつの間にか球団経営のあり方まで昇華させる人もいたが、それも世間の風化力によって次第に、しかし確実に忘れられていった。散々理屈を並べたあとは、たとえ実態が理想に近づかなくても何も感じない公務員とほぼ同じように、注目の的になった後は、沈黙の過去になるのだ。
とにかく少年時代からの夢であったプロ選手になったのだが誰にも注目されることもなくひっそりと少し遅めのルーキーシーズンを過ごしていた。かつてのコントロールは少しばかり影を潜めていたが、なにしろ珍しいアンダースローと言うことも重なって順調にローテーションの一角に成長し、今や夏恒例の「独立リーグ交流戦」の遠征をチームの名物選手として向かえていた。新しい地方に移動しては試合をして終わったらまた移動…。それだけでも余りにハードなのだが、地方リーグのプロ選手なので移動手段もあまり恵まれたものではない。飛行機を使うのはホントにまれで、基本は夜行列車、夜行バス、近距離遠征であれば自家用車を用いることも多い。そして今日も…

―今日も布団も枕もなしなんだなぁ…―

ヒカルは夜行列車に揺られてホームスタジアムを目指していた。愛知県にたった三試合をこなしただけで愛媛県にその日のうちに帰郷。だいたいのルーキー選手はこの強行日程に調子を崩し、野球の道を諦める人も少なくないのだが、この「ベテランのルーキー」はこの八月の中旬まで一度もローテーションから外れた事はない。でも…

―楽しくない……なぁ…―

安定した成績を残す中ヒカルは確実に野球の楽しさを忘れようとしていた。モチベーションが下がりつつあるわけでは絶対にない。22歳の今でも投球パターンは毎試合変えるし、持ち球もカーブとチェンジアップに加え、スライダー、フォーク、シンカー、ナックルと多彩な変化球を身につけ、今までの低めにボールを集めて相手の攻撃を耐えるスタイルから、自分から相手の攻撃を押さえ込めるスタイルに確実に進化しようとしていた。相手を変幻自在に撹乱し自分の思い通りのゲームに作り上げる。努力を続けているのに少しずつ楽しさを失っていく。今でも勝てば嬉しいし負けると次の日は間違いなく普段よりも投げ込むのに、試合じゃなく、結果じゃなく、野球そのものに楽しさを感じなくなってきたのだ。まるで人間の中の細胞の中の核の中の染色体の中の遺伝子の中のDNAで決定されているように、何かの要因のあとは必ずこの要因が起こると決定されているように、時間軸を奪い取るほどの濃い霧に包まれていくように…。
ついさっきから電車の向こうではとてつもなく濃い霧が包み込んでいた。車内テレビでは記録的な大濃霧と言っていたが向こうの景色はもちろん、ホントに電車は進んでいるのかどうかでさえも不思議なくらいあたりは真っ白になっていた。とはいえ最近の科学技術は偉大である。こんな2メートル先の見えない濃霧の中でもどういうわけか時間通りに夜のたびを続けていた。しかしどんなに科学が進歩しても夜行列車に布団と枕はつかない。利便化と侵略のためならすぐに進歩するくせに夜行列車はいつまでたっても眠らないままなのだ。この前か後ろかも分からない霧の中に星空の中にSFがましく昇っていくように、いや星の畑の中に猫バスっぽく落っこちていくように走り続けるのだった。

―猫が屋根に上りました―

どういうわけか自分でもよく分からないが、ふと昔お母さんが話してくれた物語のフレーズを思い出した。どこの国の話しかも、いつの時代の話しかも良く分からないが多分そんなにたくさん話してくれていたわけではない。一度だけ…いや二回か…、まぁとにかくほとんど記憶のタンスの一番下の段の、一番底の、一番奥にしまいこんでいたような物語だ。とにかくそんなに対した物語ではなかったはずだ。しかし学校のどの授業でも習わない不思議な物語をよくお母さんは話してくれていた。お父さんは野球の大好きな典型的な体育系の人だが、母親の方は典型的な文系で本を読んだり書いたりすることも好きでよく物語も自作のものを教えてくれていたらしい。「猫が屋根に上りました」。こんなタイトルかどうかも分からないがどんな物語だったのだろうか少し気になったので思い出して見ることにした。



あるところにお母さんと三人兄弟と猫が住んでいました。

三人兄弟のうちの真ん中の子どもは学校を卒業したあと都会にでて一人暮らしを始めていました。

一人暮らしを始めて一年後。その二男に残りの兄弟が手紙を送りました。

「猫が屋根から落ちて死んでしまいました」

二男はその猫を家族の誰よりも可愛がっていたのでひどく悲しみました。

二男は残りの兄弟に手紙を返しました。

「そういう内容は順序をしっかりたてて悲しまないように送ってくれ」

二男は続けます。まず

「猫が屋根に登りました」

と送り、そして

「猫が屋根から落ちました」

と送り、そして

「猫が死にました」

と送れば心の準備が出来るだろうと。

二男はそう送り返したのでした…。



ふとここで自分の回想が止まってしまった。この続きがどうしても思い出せない。たしか三年後にまた残りの兄弟から手紙が来るのだが…。

― ジジジーーーーーー ―

携帯が目の前の簡易テーブルのようなところで震えていた。お母さんからだった。お父さんが体調を崩すまではよくメールのやり取りをしていた。やはりどの野球の世界に入っても自分の野球を一番知っているのはお父さんな気がしていたこのもあるが、それよりもお父さんの方が自分の投げる全ての試合をテレビの向こうで観戦し、試合のあとにはこの時のあの配球はどうだったとか、今日の変化球の切れはどうだったとか一つ一つをメールで丁寧に送ってきていたので週末に返事を書くのが習慣になっていたのだった。しかし今日は珍しくお母さんからのメールだった。受信ボックスを開くと、当たり前だが「母」と書いてある未開封メールが一通入っていた。そのメールを開けると、といってもボタンを押せば一瞬で開けることが出来るので「開く」という感じだが…

― あっ… ―

そのボタンを押すことが出来なくなった。未開封のままで見る事の出来るたった二行の中でお母さんのメールは収まっているのだ。それはあの物語で思い出す事の出来なかった悲しい物語の続きを思い出したうえで、僕を凍りつかせるのに十分なフレーズ…。

― お父さんが屋根に登りました。 ―

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